真田 泰昌 について

長年予備校の教師をやってきました。パソコンとの付き合いは古く,1号機からの付き合いで、プログラムもすべて自前でした。日本語もカタカナがやっとという時代でしたから,今はもう浦島太郎もびっくりです。

あの台風 どうして凌いだ このカンナ

How did this Kanna withstand the violent typhoon yesterday? As if nothing happened it was dignified and blooming.

やっと停電が回復した。

丸一日、電気の無い生活がいかに不自由であるか知る思いだ。折れたり倒れたりした電柱が400本近く、それが原因だそうだ。阪神淡路大震災の時でも停電は起こらなかったように思う。

今日も幹線道路の国道26号線(大阪~和歌山)を走ったが大渋滞。信号機の灯が点いていない箇所がいくつもあり、点いていても向きが変わっていたりで機能していない。そんな交差点では、目算で横切ったり、右折、左折。これでは大渋滞が起こるのは当たり前。普段何の気無しに見ていた信号機の有難さが、ここでも知る思い。

家に電気が来ない。信号機が点らない。パソコンが使えない。スマホの電源確保に四苦八苦。電気がないからスーパーが開いていない、コンビニが開いていない。店という店が閉じている。

電気ひとつをとっても、その有る無しで生活が逆転するのが現代社会だ。便利で快適な裏側にはこのような脆弱さを抱えている。

それにしても、電柱が何百本も倒れ、何十万戸、いや、一時は百何万戸が停電するという台風の恐ろしさ、その停電を僅か一日で回復してくれる電力会社の人達の努力、教えられる事の多い一日になった。

台風の 最中(さなか)に届く メエル音

The center of the typhoon passed nearby. Bamboo forest is raging like a wave of the ocean. Raindrops and leaves of trees are beaten violently on the windows.

スマホからの投稿です。今朝もまだ停電のままです。動画を投稿したかったのですが無理でした。

台風21号が直撃です。もうかなり近くに来ているはずなのに青空も垣間見え、風もやや強めかなと思っていたら、雲行きが急に変わり始め、締め切った窓がガタガタなりはじめました。それからは動画の通りです。空には何か物体が飛び、窓にあたります。幸い窓ガラスが割れるほどの物ではなかったようです。その間1時間くらいでしょうか、割合早く強風は去りました。途中停電し、テレビもパソコンも見られなくなりました。

風が収まって外に出ると、街路樹が倒れ、屋根瓦が落ちて砕け、信号機の灯は消え、最近では珍しい被害状況でした。

スマホから関空が水浸かりになり、関空に掛かる橋にタンカーがぶつかり、えらい事になっているとか。

食堂、物販店、コンビニもほとんどが閉まり、ランタン用の乾電池はどこも売り切れ、スマホ用の乾電池型充電器だけを手に入れる事ができました。

早く停電が収まらないと、冷蔵庫の中の物がダメになってしまうし、何もかもが不自由です。

明日の無事 夕日に祈る 稲穂かな

A typhoon is coming tomorrow. There is no such sign and the beautiful setting sun is shining the rice paddy which has become full of rice. Hope to be safe tomorrow.

明日は25年振りという猛烈な台風が来るそうです。

それにしても今日の夕日は一段と美しく、とても信じられません。田んぼの稲はすっかり実り、明日にでも刈り入れをしてもいい状態です。せっかくここまで実っても台風が来れば一夜にしてダメになることをしばしば経験してきました。農耕民族の宿命です。

稲だけではありません。野菜も果物も無事収穫できればこれほど嬉しいことはなく、逆にそうでないときの落胆の度合いは言葉では言い表せないくらいです。日本人の辛抱強さと寛容さはここから生まれたのでしょう。

どうか明日の台風も大した被害もなく通過してくれることを願って、思わず夕日に手を合わせました。



門前に 秋を飾るや 主(ぬし)の機微

Ikebana is always decorated with seasonal seasonal flowers in front of this house gate. Today, flowers reminiscent of autumn are decorated. I can understand the rich sensibility of the owner of this house.

台風21号が近付いています。非常に強い台風だそうですから注意してください。

そんな折、いつもの散策コースにあるいつものおうちの前に秋の生け花が飾られていました。これが楽しみで散策する折には必ずこのおうちの前を通ります。

家の主人は仏画を描いている方だそうです。季節季節の花が門前に飾られ、道行く人の心を癒し、またある人には心にさざ波を起こします。とくに秋はなおさらです。

「秋を愛する人は心深き人、愛を語るハイネのような、ぼくの恋人」の歌声がどこかから聞こえてきそうです。

顔を合わさずとも、言葉を交わさずとも心通わす風習は大切にしたいものです。

いよいよ夏も終わり、この台風が過ぎれば秋も急速に近づきそうです。

さて、今年の秋はどんなあきになるのか、今から想像たくましくさせる一日になりまました。






ツクツクが 鳴く日も廻る 水車かな

The waterwheel keeps going around even at the height of summer and even now when the tsukutsukuboshi cicadas is chirping. I can hear as if it tell of eternal life. 

昨日9月1日は二百十日で、雑節といって5月5日の端午の節句のような5節句以外の区切り日を言います。このあたりが台風がよく来るということで農業に携わる人たちには気になる日でもあります。我々も小さいころはよく聞いた言葉で、実際台風がよく来た印象があります。

実際非常に強い台風21号が日本に接近しつつあります。二百十日ではありませんが、4日後には日本のどこかに上陸する恐れがあります。

台風の強さは中心気圧の低さで決まりますが、台風21号は現在925ヘクトパスカルで、台風20号が9ヘクトパスカルでしたからかなり強い台風です。それが太平洋から直接上陸するわけですから、またまた大きな災害が予想されます。

稲も実り始めるころで、こんな時に台風でも来れば、手塩にかけた稲はひとたまりもなくダメになってしまいます。今でこそいろいろな援助を受けられますが、昔はもう次の年まで食わず飲まずの生活を送らねばなりませんでした。

どうか大きな災害が起こらないことを願います

訪ね来る 人待ち顔や 山の百合

When walking near the country mountain, Yamayuri were crowding and blooming. Because there are few visitors, they seem to long for the person.

大阪岸和田市の東に神於山(こうのやま)という標高290mくらいの山があります。名前通り、神が座る山という信仰を集める山で、春木川、天の川の水源で、水源の乏しい南大阪では稲作に利用できる数少ない流水の源ということで信仰の対象になったのでしょう。

この一体は歴史も古く、渡来人も多かったのか、その名残を留める地名も多く残っています。

反権力意識が強く、戦国時代には、時の権力者織田信長にも楯突くような根来衆とか雑賀衆といった武装集団がいたのもこの地域です。

この神於山の麓にも神於寺という、盛んなときには100坊を超える宿坊を構える寺があって一大勢力を築いていたそうです。

今はお寺も小さく、この神於山も土・日くらいにしか訪れる人もなく、ウィークデイには出会う人は一人もいないということもあります。その山道に咲く山百合が人懐かしいそうに出迎えてくれました。

もう百合も時期を過ぎていますが、何故かここの百合は元気です。

夏最後 日干しボートと 波の音


At the end of the summer vacation there is no one in the beach where there is so much crowd. On the beach there are several colorful boats and you can hear only the sound of the waves.

いよいよ今日で8月も最後。学校の夏休みもおしまいだ。といっても、最近は今日まで夏休みというところは少なく、今週の月曜日から始まっている学校はたくさんある。高校の3年制なんかは先々週から授業というところも結構ある。

この夏休みの短縮は大いに問題ありと言いたい。

習うことが多くなり、公立学校の場合は土・日が休みということもあって、夏休みを削らなければ授業が消化できない。夫婦共稼ぎの家庭が増え、子供の管理が行き届かない。だから、夏休み短縮賛成ということだが、果たしてそうだろうか。

学校の授業なんかも昔からかなり無駄があり、毎日6時間、週5日もあれば十分だ。何でも一律にするのが問題で、それでは授業が消化できない子にはその対策を取ればいい。これもできる。学校から帰っても親がいないこの対策もなんぼでも対策は考えられる。

子どもたちにとって、夏休みがどんな意味があるのか、もっと深く考えるべきだ。年寄りの冷や水で済ませてほしくない。

困難なことが起こると深く考えることなく場当たり的対応が、学校だけではない、近年多すぎる。

21世紀社会は大きく変化している。情報化社会と言われ、技術革新の時代と言われ、生活スピードが時間の二乗くらいに比例している時代に人が対応しきれていない。振り回されている。物事を立ち止まって考える隙がない。

哲学不在。またまた、これが結論。

滝しぶき 浴びる桔梗と カナカナと


Sounds of waterfalls and cicadas are only noise for foreigners, but not for Japanese. They remind Japanese of the season or the various feeling.

日本人は独特な感覚を持っているようだ。小泉八雲が日本にやってきて松江に住み着いたとき、鈴虫を大切に飼っている隣人を不思議に思った。最初はこんなうるさい虫をなぜ大切に飼っているんだろうと。

しばらく住むうち、やっと気づいたそうだ。美しい。この音色は美しい。隣人はこの音を鑑賞したいから飼っているんだと。

鈴虫を通して隣人と親しくなり、秋の夜長、ともに鈴虫の音を鑑賞しながら談笑し合ったという。

鈴虫も蝉も滝の音も外国人にはただうるさいだけの騒音にしか過ぎないそうだ。そんな中にもやはり日本人と同じ感覚の人もたまにいるそうで、しかし、変わり者ということになる。

暑い暑い夏も風鈴の音で涼を感じ、川のせせらぎにも耳を澄まし、浴衣にうちわ、すだれの内でゼリーの京菓子を食べて満足げ。

日本人は本当に不思議な民族だ。

花山の 湯柱冷やす 木芙蓉

The origin of the famous hot spring “Hanayama Onsen” in Wakayama city is said to be the year 803 AD.  A hot-spring pole stands at the entrance and Fuyo’s flowers were leaning against it and blooming listlessly.

和歌市街のはずれ、何の変哲もない住宅街の一角に、知る人ぞ知る名湯がある。地下500mから自噴する“源泉かけ流し100%濃い茶褐色の湯”が自慢の昭和の香りを色濃く残す温泉宿「花山温泉」である。

別名「薬師の湯」として市民にも親しまれる花山温泉の起源は、遠く803年まで遡れる、日本三古湯(有馬温泉、道後温泉、白浜温泉)に次ぐ温泉で、歴代の天皇が熊野詣の折は必ず入湯したという曰く付きの温泉である。

天変地異による地質の変化でしばらく自然湧出が止まっていたが、ボーリングにより再び自然湧出し、昭和43年(1968年)に再開されたので“昭和の香り云々”というキャッチフレーズを掲げている。

近くの花山の登ると、万葉集でもよく歌われた和歌の浦や、除夜の鐘で毎年のように放映される紀三井寺が一望できる。

残暑厳しい晩夏の一風呂もなかなかいいもんだ。

コスモスが 咲いてご機嫌 今日の富士

As the typhoon carried all of the clouds, today the whole of Mount Fuji can be seen, a rare sight. Furthermore, the cosmos blooming along the lake is beautiful, too.

富士山の冠雪が完全に消えるのはほぼ8月と9月の2カ月である。4月が最大になり、それから徐々に消えていくが、完全に見えなくなるのに3カ月もかかるのだ。7月でもうっすらと見える年がほとんどで、8月には見た目にはほぼ完全に見えなくなる。登ってみと山襞に結構残り雪があるが、遠くからは見えない。

頂上の火口とその周辺には万年雪がドカッと残っている。

世界には美しい山はたくさんあるが、富士山ほど均整の取れた美しい山は珍しい。独りよがりではなく、どの外国人もそれは認める。高すぎず低すぎず。すそ野に伸びていく曲線は数学的な美しさがある。

富士五湖のどこから見てもそれぞれの背景を配し、溶け合い、四季折々に咲く花々は数知れない。それもあってか、周辺のどの町々を歩いても、軒下にはそれを真似たように花を咲かせている。

今日の富士はこの時期には珍しく雲がかかっていない。台風がさらっていったんだろう。山中湖畔に咲くコスモスの美しさが一段と目立った。