華やげど やはり寂しい 秋の薔薇

Each rose in autumn has a gorgeous flower but somehow I feel loneliness. I think that it is not only because of mind but also because there are few visitors and few flowering blooms.

秋のバラ園はやはり寂しい。土日にはそこそこの人出もあるが、ウィークデイは閑散としたものです。人も少ないし、咲く花も少ないからいっそう寂しく感じます。

それにもう一つ、老人が多いことです。自分もその一人なのに随分勝手な感想ですが、事実だから仕方ありません。

そういえば、今日は老人の薬害に関するニュースが出ていました。調剤薬局から出てくる老人が大きな紙袋を下げて出てくる写真が添付されています。いったいどんな薬かわかりませんが、本当にこれを全部飲むんだろうかと思うと震えが来ます。

市販薬と違い、処方薬はピンポイントの薬だから薬効も高いが飲み合わせの弊害もあるから、飲む薬はせいぜい3種類が限度だとよく言われますが、高齢者の平均は5種類以上飲む人が50%以上だというデータがあります。高齢になればなるほどその種類が多くなるそうです。

お薬手帳というのが渡されていて、飲み合わせの弊害を防ごうと言うことになっていますが、本当でしょうか。幸か不幸か、いままでクレームが付いたことがありません。

医師の処方箋に従い、薬剤師が調剤するという医薬分業は1990年代から始まった制度ですが、医が主、薬が従という関係でなく、あくまでも独立していて、医師が発行する処方箋に間違いがないか薬剤師はチェックする義務がありますが、はたして機能しているのでしょうか。

我が家にも使い残りの薬がいっぱいあって、定期的に処分しなければ薬箱が溢れかえります。我が家だけでもそうですから、これが全国ということになると、使われることなく捨てられる薬の量たるや恐るべき数量になるだろうし、無駄な医療費の大きな部分を占めているだろうと予測が付きます。

世界に誇る長寿国を支えている一つかもしれませんが、限度を超えているようにも思えます。

杖を突き、補助車を押しながら園内を回っているお年寄りも多いですが、薬の副作用でそうなった方も多いのではと、体験から感じます。

 

熟し柿 カラス美味そに 食ってたよ

Every Kaki, persimmon, has fully ripened. The crows came and were eating deliciously it.

日本の柿が海外に攻勢をかけています。

一昨年2016年にはカナダ、2017年にはアメリカ、今年はオーストラリアと相次いで輸出解禁となり、主導した和歌山県では大忙しです。

いずれの国にも柿はあり、比較的ポピュラーな果物ですが余り人気がありません。固くて甘くないからです。

しかし、日本の柿は違います。甘くて、食べごろを得たらそれほど硬くなくて、ともかく美味しい。だから日本の柿は、単にpersimonではなく、わざわざJapanese persimonというほどです。人によったら、別物の果物と思う人もいるほどです。

ここにも、日本人特有の「職人気質」が発揮されているんですね。日本人はどんな職業に携わっていてもそれぞれが誇りを持ち、なんでも極めなければ気が済まないという基質があります。また、他人も職種のいかんを問わず、いいものはいいと正当に評価し、尊敬するから、ますますの励みになるという背景も大きな支えに成っています。

柿も例外ではなく、外国の柿とは段違いに美味しい。極め尽くされているんですね。葉っぱも無駄なく、「柿の葉茶」で健康茶に、「柿の葉寿司」なんかは絶品ですよ。

今回の海外輸出の取り組みにしても、柿本来の食べ方はもちろん、「柿とアングラのサラダ」、「白身魚と柿のカルパッチョ」、「生ウニと柿のジュレ」といった具合に、外国人にも馴染める柿レシピを用意し、宣伝したそうです。

柿も昔は体を冷やすと言って敬遠されたこともありますが、今や栄養価ナンバーワン。健康食品の評価高い果物になっています。

カラスもよく知っているんですね。実をつついて蔕だけが木にぶら下がっていたり、まるごと持っていかれたり。

今日は柿で熱くなりました。

コスモスを 髪に挿してた あの先生

As I am watching Cosmos now, l remembered that our teacher had inserted cosmos flowers in her hair, when I had been an elementary school student.

日の当たる公園のベンチで、見るともなしにあたりに咲くコスモスを見ていると、ふっと小学生の時の先生の顔が浮かびました。

担任ではなかったのですが、新聞部の先生で、ご主人が特攻隊で亡くなり、綺麗で評判の先生でいらっしゃいました。

時々夜遅くまで、ガリ版で字を切ることがあったのですが、そんな時いつもおやつを下さり、それが楽しみで、「今日は残ってね。」と言われるとワクワクしたものでした。

そんなある日、秋だったんですね、小使室で焼き芋を作ってきた先生が、髪の毛に白いコスモスを挿して教室に入って来られたんです。

皆んなはどうか知りませんが、ぼくは、「きれい!」と思わず心の中で思いました。4年生か5年生だったと思うんですが、増せていたんでしょうか。いまでもその時の光景をはっきり覚えています。

学校の裏庭にサツマイモを植えていて、その横にコスモスが植わっていたんですが、そのサツマイモを掘って、そのときに採ったコスモスを髪に挿されていたんでしょうね。芋は小使室で焼いて持ってきて下さったんです。

小使室なんて、今の若い人たちには耳慣れない言葉ですが、学校住込みの用務員さんで、この小使さんがいいおじさんで、そこがいつも僕たちの放課後のたまり場になっていて、冬には熱いおうどんをいただいたり、この焼き芋をいただいたりしたものです。

もう僕がこんな年なんだから、先生も小使さんもお亡くなりになっているでしょうね。

秋風に優しくゆれるコスモスに、いつの間にか夕日が差し始めました。

箒木が 真っ赤に染まって 富士見上げ

A group of Kochia-trees planted on the shore of the Lake Yamanaka turns red and is looking up at Mt.Fuji.

今日は10月25日は満月の日です。月齢は16。おかしいですね。ふつう月齢15が満月なんですがね。昨日が月齢15の日ですから、昨晩、おや満月だと思われた方も多いと思います。

そういえば、「河岸の柳の・・・十三夜」の歌、古いですね、ご存知? これを始め、十三夜は今でも歌でよく歌われていますが、今年の十三夜は10月21日、月齢12でした。

月齢で言えば、13が十三夜、15が満月、16が十六夜となりそうなんですが、暦では十三夜が21日、満月が今日26日、十六夜は、これまた不思議ですが、今日25日なんですよ。満月と十六夜が同じ日なんです。これではなんだか頭がこんがらがっちゃいますね。これすべて、旧暦と新暦がご邪魔是に成っているせいなんですね。

さて今日のホウキギ。綺麗ですね。背後の富士と相まって、これぞ日本の秋という雰囲気です。

ホウキギは夏は透き通るようなグリーン、そしてこの時期になると真っ赤に染まるんですね。名前の由来は、写真の通り箒の様、逆さにすれば箒にもってこいですよね。実際、昔は箒にも使ったそうですよ。

今日の満月と十六夜と帚木と富士山と、どんな風景が展開されるんでしょうね。

冠雪で 秋の装い 富士の嶺

The top of Mt. Fuji is completely covered with snow. Japan has been finally in autumn. Mt.Fuji seems to declare that.

友人から秋の便りが届きました。添えられた写真には冠雪した富士山が写っています。

日本列島は南北に長くおよそ3500km. 月の直径がおよそ3400kmですから、それと同じくらい長いから驚きですが、四季の変遷もそれだけに大きな時差があります。日本時間の基軸が明石市の東経135度線に置かれているように、日本の季節はやはり富士山を基本に考えても良さそうです。

日本といえば富士山。富士山といえば日本。日本人であれば誰しも認めることではないでしょうか。世界にも美しい山々は沢山あります。しかし、我が富士山ほど端正で均整が取れ、無駄のない美しさをたたえた山は見当たりません。

無駄のない美しさ。絵画にも、建物にも、我々の日常生活にもそれは反映していて、ひいては日本人の心そのものが富士山のような美しさを求めています。

今多くの外国人が日本にやってきていますが、おそらくこれまでは、ユーラシア大陸の東のはて、その向こうははてしのない太平洋というところ、まさしく極東に位置する幻の国、非文明の国であったわけです。

金がふんだんに産出し、不老長寿の薬草はあるけれども、世界でも全くの文明に閉ざされた国とイメージされてきたでしょうが、来てみたらびっくり。花を愛し、自然を敬い、絵画といい、建物といい、人は心豊かで優しく、ことごとくが自分たちの国よりよっぽどの文明国であったことを知り、驚いているに違いありません。

富士山を見るたびに、ついこんな事を連想してしまいます。

前回の東京オリンピックは、第二次世界大戦の惨劇からいち早く世界GDP第2位に躍り出た奇跡の国、日本に関心が集まったでしょうが、2020年のオリンピックには、富士山に象徴される日本の文化文明の本質をいっそう知ってもらう機会になるでしょうし、そうしたいものです。

 

 

大玉の 鶏頭道に 顔を出し

As Keitou, a cockscomb, is too heavy to support its flowers, it is sticking out its head on the path.

鶏頭は文字通り鶏のとさかに似ているところから付けられた名前です。

種類にも何種類かあり、仏前なんかに飾る普通の鶏頭はクリスタール系で、トサカケイトウとかヤリケイトウとか呼ばれていますが、写真のように大玉に成るのは久留米鶏頭です。

久留米の由来は九州の久留米で改良されたからとか、久留米出身の人がインドから持ち帰って栽培したからとか言われていますが、明確な根拠はありません。

写真の鶏頭は直径10cmはあろうかというほどの大きさで、重たくて道にはみ出していました。ぬっとはみ出していてなんともユーモラスな感じです。

素朴な花で、多くはこうして道端や畑地の空き地に植えられていて、鉢植えやプランタンにはあまり植えられていません。

この近くには仏前用のヤリケイトウを栽培しているところがありますが、秋のお彼岸用で、今は枯れています。そういう意味ではごく身近な花ではあります。

夕照(せきしょう)に 落ち葉がきらり 寺の鐘

The fallen leaves is twinkling with reflecting the setting sun as if they respond to the bells of the temple which Inform us of the evening time.

朝晩はすっかり気温も低くなり、秋の深まりを感じます。

いつも立ち寄る限界集落近くの農場で焼き芋をいただきました。取り立てのサツマイモを焼き石の上の載せて焼いた焼き芋の香りがたまらず、さっそく所望したら快くいただくことになりました。

ところが歳ですね。喉につっかえて呑み込めないんです。さっそく車のところに行き、積んである水を飲んで急場を凌ぎました。お年寄りが餅をのどに詰まらせて亡くなられるニュースを時折聞きますが、こういうことなんだと実感した次第です。

帰りに近くのお寺に立ち寄ったら、もうかなり葉も落ちた木からそよ風に舞いながら落ち葉が落ちてきます。その葉に夕日が反射してキラキラと輝くと鐘の音が聞こえてきます。まだ日も残っていますから、暮れ六つの鐘でもないので、誰かがいたずらで撞いたのかもしれません。それにしてもグッドタイミングで、こちらにとってはいいシチュエーションなったわけです。

農場でいただいたサツマイモで、今日の夕食は芋粥と決めました。合わせていただいた柿と蜜柑で楽しみも膨らむ一日になりました。

行く秋に 今年最後の 花壇かな

There are flower beds in a corner of Teramachi Street, various autumn flowers blooming in the sunset. It is a regrettable sight which is the last remnant of this year.

ここ2、3日は好天が続いています。今朝も雲一つない秋晴れです。

昨夕、寺町通りを歩いていると、通りの一角に小さな花壇がありました。鶏頭や葉鶏頭のような秋の花や夏の名残の花が満開です。鬱陶しい秋梅雨も晴れ、秋の澄んだ空気と日差しを受けて、花々も勢いを得たに違いありません。

しかし、10月もあと10日ほど、霜月ともなればまさに霜が降り、この花たちも急速に萎んでいくことでしょう。そんなことを思うとこの花たちに何とも愛おしい気が沸き起こります。

こうして毎年毎年景色は同じことを繰り返しているのですが、それを眺める私たちは年を重ねるごとに取り巻く環境が変わり、同じものを見ても受ける感じは変わってきます。

昨夕は、ニュースで、中学生が祖父母を殺傷するという痛ましい事件を報じていました。同じ日にもこうして明暗を分ける出来事が起こるのも現実です。

美しいものは美しく、楽しいことは楽しく感じ取れる心を失いたくないという一日になりました。

一心に 経読む遍路に 秋の風

In the autumn breeze blows, the pilgrimage is intently reading a sutra. I feel tense in the solemn atmosphere of the autumn.

西国三十三箇所第二十八番成相寺。
御詠歌「波の音 松のひびきも 成相の 風ふきわたす 天橋立」

西国札所最北端にある成相寺は、眼下に日本三景の一つ「天橋立」を見下ろす鼓ヶ岳(標高384m)の中腹にあります。

春から秋にかけては四季折々が風景が広がる絶景の地ですが、冬は雪深く、日本海の荒波が逆巻く日を目にすることの多い過酷な地でもあります。札所一番の那智勝浦にある青岸渡寺とは全く対照的なお寺です。

最近は一種のブームになっていて、四国八十八箇所とともに巡礼する人たち、それも歩き遍路の多いこと、若い遍路の多いことに驚きます。

社会が複雑になり、そこに居た堪れなくなった人が多くなったこともあるでしょうし、やはり社会が豊かになったことも大いに関係があると思います。

昔なら、例えそこに居た堪れなくなったとしてもじっと我慢をするしかありません。よほどの信仰心でもなければ、四十日、五十日を旅するにはやはりそれだけの経済的裏付けがなければできることではありません。そういう意味では、今の世の中は多少は豊かになり、自由のきく社会に成ったのでしょう。

人生八十年、長いのか短いのか。いずれは消えてゆく運命の儚さは誰しも共有することです。自由に、思い通りに生きたいと願うことも万人が願うことです。

吹雪の中、手甲に脚絆、藁箕を被って、ここ、成相寺を訪れる巡礼もいるとか、寺の住職に聞きました。

麗しの 心ゆかしき 秋の薔薇

A clear yellow rose blooms lonely in the rose garden. The autumn breeze blows like stroking the rose gently.

秋のバラ園は春のような豪華絢爛さはありません。咲く花の数も少なく、そこを訪れる人も春ほどではありません。だから、静かに心ゆくまで花の一つ一つを鑑賞できます。

空気が済んでいるせいか、花まで色が澄み、香りも一つ一つ区別できるほどです。花の寿命も、春は次から次と花を咲かせるせいか短く、秋の薔薇は長く咲くそうです。

春のバラ園がバラが咲いた景色を見るのに目を奪われるのに対して、秋のバラ園は花そのものに心が注がれます。

秋という季節がそうさせるのか、花を見る目も違います。美しさが一段と目立つ分、その儚さが裏返しになって感じられ、どうしても感傷的になるのを禁じえません。

これから更に秋が深まり、紅葉のシーズンともなれば、またまた各地に人が満ち溢れ、紅葉する紅葉に歓声が溢れます。

夏と紅葉のはざまに咲く薔薇は、気高く気品に満ち、まさにもの思わする季節にふさわしい花ではあります。