
The wind that blows from the sea is very cool on the Izu plateau by Shimoda Kaido. This sight is reminiscent of a dancer who appears in “Izu no Odoriko”.
川端康成の名作『伊豆の踊子』に出てくる下田街道は、東海道三島の宿から伊豆市湯ヶ島、天城峠、河津町をたどって下田に至る総延長およそ80㎞の街道である。山あり峠あり、高原あり、名瀑ありの実に変化にとんだ道筋には温泉が散在し、高原からははるかに初島が浮かぶ相模湾が一望できる。
『伊豆の踊子』は、19歳の一高生が道すがら知り合った旅芸人一行の少女に淡い恋心を抱きながら同道し、ついには分かれるという哀愁物語でもある。
伊豆や箱根も今ではすっかり開発され、快適便利にはなっているが、もう『伊豆の踊子』の名残はわずかだ。
天城峠も新しいトンネルができ、たくさんの車が行き交い、どこも人が溢れている。
夏ともなれば、海岸海岸は色とりどりのパラソルが花咲き、嬌声が飛び交い、夜は打ち上げ花火でうるさいくらいだ。
これも時代の流れ。お互いに恋心を抱きながらも、それを打ち明けることもできず同道する旅路はもう昔物語の世界だ。
変わりゆく風景の中に、初島は海の向こうに浮かび、広がる大海原だけは変わらない。
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あら涼し 暦通りに 秋立つ日

August 7 is the first day of autumn in the traditional Japanese calendar. I had a cool morning as the calendar this morning. However, I think that autumn will not come as it is.
昨日8月7日は立秋である。この日を境に、はがきや手紙のやり取りには「暑中」という言葉に代わって「残暑」の言葉を入れて様子伺いをする。
今年の気候は異変続きで、梅雨が明けるとすぐに40度を超す気温が続いたり、台風が関東に上陸して西に進んだり、今も台風13号が関東上陸をうかがっている。
この台風、台風12号とほぼ同じコースをたどっているのに、今度は上陸したら東に進むという。
この台風のせいで、立秋の日は関東以北は軒並み気温が下がり、9月中旬の涼しさになったという。
関西は立秋の日は相変わらず35度を超える猛暑日になったが、今日8日は気温がぐっと下がり、朝方にはキリギリスか何か虫の声を聞いたくらいだ。
しかし、この涼しさも点が与えた慰みでこのままでは済まないだろう。予報で見ても明日から34度、35度と出ているから、つかの間の涼しさだったということになる。
暑いなら いっそ温泉で 暑気払い

We tends to eat cold things and cool down the body because it is hot, but conversely it is effective to overcome the heat by submerged in hotter hot spring.
写真は秋田県湯沢市の大湯(たいゆ)温泉。大湯温泉と名の付く温泉は3カ所あるから湯沢大湯温泉といって区別する。皆瀬川沿いにある小安狭温泉(温泉宿17軒)の一部とされるが、ここからさらに奥に入った温泉宿1軒という「日本秘湯の会」に数えられている温泉である。
日本人の温泉好きは外国でも有名である。泉源数約28,000カ所は、この狭い国土であるからいたるところ温泉があるといっても過言ではない。しかもまだその38%が未利用というからまだまだ秘湯はあるわけだ。
この湯沢大湯温泉もそうだが、河原を掘って自分で湯舟を掘って入浴というところもいっぱいある。
宮崎県だったか、山奥にドラム缶が一つデンと置いてあって、そこからは湯があふれ出ているという温泉もあった。放ったらかしでご自由にという温泉だ。
有名な野沢温泉でも、いたるところに温泉があって簡単な掘立小屋になっていて出入り自由。畑仕事を終えた人と語り合うということもあった。
今は男女別々という温泉が多いが、もともとはそんな風習はなく、混浴が普通。混浴とかそうでないとかという意識がもともとなかったわけだ。
ひところは混浴も減ったが、最近はまた復活してきたのかあっちこっちの見受けられる。
あの有名な熱海でも、今はどうか知らないが、市中のど真ん中に大衆温泉があってここも混浴。高島田を結った芸者さんが入っていることがあって、子供心に綺麗だなと思ったこともある。
興ざめたのは、信州白馬を下ったところに蓮華温泉があるが、登山道のすぐ横にあって、登山客からも丸見え、男女混ざり合って疲れをいやしたものだが、それから何年もたって訪れたら、男も女も水着を付けて入浴している。水着を付けて入らなければならないのなら入るなよと思ったものだ。
日本の学生などが語学研修目的で外国の民泊を利用することも多くなったが、日本人客は毎晩入浴するので宿主が顔をしかめることもあるという。
外国で香水が発達したのもこうした事情で匂いを隠すためで、日本人にはそんな必要もない。たいていの家に風呂があり、近くに清流が流れ、ため池があり、温泉もある。暇があれば水に浸っているのが日本人だ。
さて、今日はスーパー銭湯にでも行くとするか。
猛暑日に 掛け着も晴れやか 宮参り

August 5th is the perfect day for celebration. In this day we will celebrate the baby’s first ceremony in hopes of growing up healthily.
お宮参りはほぼ日本全国で行われる行事である。
赤ちゃんが生まれて1カ月前後に催され、赤ちゃんとその両親と、父方の祖母が誓うの氏神さんに参拝するのが伝統的なしきたりであったが、今は時期も参拝者もこだわりなく行われる。
赤ちゃんが無事に生まれ、1カ月すくすく育ったのを神様にご報告し、感謝し、今後ともさらに元気に育つようにと祈願するのである。
地方地方により、特色ある伝統的な行事が行われるが、七五三ほど厳格ではなく、近年は忘れられていることもある。
昨日8月5日は暦で大安吉日の日。夏の真っ最中ではあるが、このお宮参りも、結婚式も、多数行われたはずである。
大安吉日がどんな言われがあるのかは知らなくとも、ともかく良き日だということで、結婚式にしても、一流ホテルの結婚式予約は3年先まで埋まっているそうだから、これがまさしく伝統なんだろう、根強いものがあって驚きだ。
日本は外国に比べて宗教性は希薄だといわれているが、決してそんなことはない。1年の様々な行事は、もともと宗教的な儀式に基づいたものが多く、神社仏閣の数にしてもこれほど密な国はない。
お宮参り。されるかされないか、どうでもいいことではないが、どうか子供たちをもっともっと大切に育てたいものだ。
弁当の 場所を探せば 岩桔梗

While looking for a place to eat a boxed lunch on the way to walking on the mountain, I found Kikyo in the shade rocky. I was able to eat lunch deliciously while watching Kikyo.
これからお盆にかけて山々も大賑わい。特に、富士山、北アルプス、南アルプスは東京や大阪の繁華街の人出どころではない。人気の登山道は蟻の行列だ。
もうだいぶ前になるが、黒部川の源流になる雲ノ平に行った時には、小屋、小屋と言っても何十人も泊まれるから小屋ではないんだが、寝るときには、もちろん雑魚寝だが、泊り客が多すぎて仰向けでは寝られない。右か左向きに横になってしか寝られないのだ。通路という通路、入口の土間までもぎっしり。
また、南アルプスの間ノ岳と西農鳥岳の中間にある農鳥小屋に行った時には、やはり泊り客が多すぎて、小屋だけでは収容できず、外に青いシートで作った仮宿舎ができる始末。3000m 近い場所だから、夜ともなれば気温も10度以下に下がることもある。場合によっては0度近くに下がることだってある。これでもし雨でも降れば、この仮宿舎で寝る人たちはどうなるんだろうと、他人事ながら心配したことがある。
だからこの時期にこういうところに行くには、よほどの覚悟と準備をしていかなければとんでもない目に合う。
それでも、こうして苦しい思いをして行きたくなるのは、句にも詠った花々、特に高山植物に惹かれるからだ。
昨晩のあの寝苦しさからも、浮世のしがらみも何もかも忘れさせてくれる花々、その向こうに開ける大パノラマ。
今年は、体調その他があって諦めたが、山のニュースが出たら、また虫が収まらない。
テッポウユリ 聞こえてくるは ニニロッソ

*ニニ・ロッソ
The trumpet lilies were in blossom in the coastal trees. I cut some of them and brought home and put in a vase. What has flowed is Nini Losso’s trumpet song.
海岸沿いの木立の中を散歩していると、パッと開けた草原にテッポウユリがあっちこっちに咲いている。
花の形状がラッパに似ていることからラッパ百合ともいう。西洋ではトランペットユリとも呼んでいる。
百合は品種も多く、およそ100品種はあるだろうといわれていて、園芸品種としてもなじみが深い。
大きく分けると、ヤマユリ、テッポウユリ、カノコユリ、スカシユリにわけられるが、どの種類に属するのか分からないほど多種多様だ。
このテッポウユリもよく似たのにタカサゴユリガあり、一見では見分けが着きにくく、積んできたこの百合も多分テッポウユリだろうとしか言えないくらいだ。
というのもこの両方が交配しあった品種もあるからだ。
まあ、百合の蘊蓄(うんちく)はこのくらいにして、
真夏に咲く花はどうしてこんなに元気なのか教えてほしいくらいだ。
全国あっちこっちから熱中症で亡くなった方のニュースが毎日のように飛び込んでくる。
第100回の記念大会になる全国高校野球選手権大会もこの暑さの中で開催されるわけだが、熱中症のことが懸念されている。
真っ昼間ではなく夜間にするとか、時期をずらすとか、いろいろ言われているが、あのカンカン照りの中、欲得なしの若い高校生の熱闘が皆の共感を呼ぶのだ。
どちらの意見を取るか、難しい問題だ。犠牲者が出てからでは遅いし、今のあの姿を見たいし。
さあて、夏もまだまだこれからが本番。元気を出してがんばるぞ!
ヒグラシに 朝勤行も 上の空

A day at the shukubo in Koyasan starts in the morning religious service. The voice of the priest echoes in the quiet, but I am distracted by the charping of Higurashi more than that.
高野山は周囲を1000m 級の山々に囲まれた標高800m の台地に開かれています。平地より気温も5,6度は低いのでとても涼しく感じます。
高野山には宿坊といって修行僧や参拝客が泊まれる宿が52カ所あり、最近では多くの外国人を含め一般客にも開放されています。
宿坊に泊まると、朝6時半の「朝勤行」と言って、寺の僧侶たちがご本尊の前で読経と礼拝を行いますが、泊り客も参加できます。
夏の夜明けは早く、朝4時も過ぎれば白み始め、まずヒグラシが一斉に鳴き始めます。清澄なその鳴き声は高野山ならではの鳴き声でいっそう神聖な場所を感じさせます。
困るのは、朝勤行の最中にヒグラシの鳴き声が一番盛んになることです。ご本尊に手を合わせ、僧侶たちの読経に集中しなければいけないときにヒグラシの声は大いに妨げになります。これも修行かもしれません。
朝勤行が終わるころには、今度はニイニイゼミゼミがヒグラシを圧倒し始めます。
山菜尽くしの精進料理をいただくころには、ぐんぐん気温も上昇し始め、宿坊内や木陰は涼しいですが、外の気温は日中は30度前後に上ります。
日中は、特に夏のこのころは参拝客や一般観光客でいっぱいです。
名だたる戦国武将のお墓が敵味方なく並ぶ参道を奥の院までたどるとさすがに汗がしたたり落ちます。
でも、尊敬する空海さんにお会いできると思えば足が進みます。
奥の院に近づくころには、またあのヒグラシの声が盛んに聞こえてきます。
見る人の 心を映す 挙げ花火

A fireworks that blooms large flowers in the sky will fascinate a lot of people in the summer evening. But how to feel depends on the circumstances of the people who see the fireworks.
昨日8月1日は関西でも有名なPL教団主催の花火大会があった。教祖の遺言に基づいて毎年3億円規模、約1万発の花火が打ち上げられる。
日本の三大花火大会として、秋田県大仙市の「大曲花火競技大会」、茨城県土浦市の「土浦花火競技大会」、新潟県長岡市の「長岡まつり花火大会」があげられるが、このPLの花火大会を含めて「日本四大花火大会」と呼ばれることもあったくらいだ。
今はどことも予算の都合で規模は縮小される傾向にあって、このPLの花火もひところに比べたら規模は小さくなっているが、それでも壮大だ。
一夜数時間の3億円の使い方としていろいろな見方があるが、数万人に人たちに感動を与える効果は計り知れないものがある。
花火を見る人も様々だ。
若い恋人同士、熟年カップル、家族ずれ、友達同士、一人見物、年齢、境遇、それそれがそれぞれの思いで見る花火には人間社会の色模様が見て取れる。
直接見に行く人、メディアを通してみる人、ともかく夏の花火は人の関心を呼ばずにはおかない。
暑い夏の夜空いっぱいに咲く花火の大輪は、これもまた、あの桜に対する思いと一致する日本人独特に感性であり、人生観に根差しているのは確かだ。
峠茶屋 蝉時雨に トコロテン

I ate the tokorotene while listening to the cry of the cicadas at the tea house where I dropped in while sweating. It was a moment of pleasure.
汗をかきながらやっとたどり着いた峠の茶屋で冷えたトコロテンを食べました。蝉しぐれの中で食べるトコロテンは最高です。酢醤油仕立てで辛子がきき、生き返った心地です。
トコロテンも日本の伝統的な食物で、正倉院の書物にも書いてあるそうですから、かなり昔から食べられていたようです。
関東以北および中国地方以西では二杯酢あるいは三杯酢かけたものに和辛子添えて食べ、関西では黒蜜をかけて食べる習慣があります。
海藻のテングサやオゴノリが原料で、全体の98%は水分で残りは繊維質、カロリーはほとんどなしという完璧なダイエット食品です。
しかし、こんなことは最近に分かったことで、海藻からこんな食品をつくり、夏にはいかにも涼し気、しかもダイエット食品、お値段も、江戸時代には庶民の嗜好品であったくらいに安く、昔の人の知恵に感心します。
最近では、来日する外国人にも人気があるようで、その透明感、酢の香り、なんとも不思議なJapaneseヌードルであるようです。
太陽と 浜昼顔と 波の音

The only thing that I can see now is the midsummer sun and the hamahirugao crawling on the sandy beach. And the BGM is the sound of the eternal wave.
今、目の前に見えるのは碧空の太陽、大海原、砂浜を這う浜昼顔。それだけだ。あとは、悠久の昔から永遠の未来に繰り返される波の音。
これはまさしくカミュの『異邦人』の舞台。向こうに、死と太陽が合体したムルソー(フランス語で死はmort、太陽はsoteil)がたたずんでいる。
友人に遺恨を抱いているという以外に何のつながりもないアラビア人を銃殺するムルソー。法廷で動機を聞かれ、「焼けるような太陽の光のせい」と答えるムルソー。
あらゆる物事の「合理的な意味」を求める一般大衆にとっては、それは理解しがたい弁明であり、嘲笑すべきうわ言だ。
しかし、ムルソーにとっては、何事につけても合理化し、意味にしがみつく人間こそ拒絶すべき存在なのである。
人間とは無意味な存在であり、すべてが無償であるという命題は、虚無的で無力感漂わせるものに聞こえるが、それは到達点ではなくて出発点であるということを知らねばならない。
愛と正義といった「意味づけ」で安心するすること断固拒否し、「人間はなぜ生きるのか」を問い続ける。不条理を生きるということは結局はそういうことなのだ。
度重なる自然災害、人為災害、大量殺人、迫害、事件、事故。世界が、哲学不在の浮ついた政治状況の中、現代社会、世界はいったいどこに向かおうとするのか。人はどう生きていこうとするのか。
若き日に衝撃を受けた『異邦人』が、ふと思い出させたのもこの風景のせいで、といって、それがいったい何の意味があるというのか。
いつの間にか、ムルソーがのりうつった自分を感じる一日になった。