田母神論文に思う

 
 航空自衛隊の最高幹部である田母神前空幕長が懸賞論文に「我が国が侵略国家だったというのは濡れ衣」と発表してから、もう1ヶ月半経った。
 発表当初のあの騒ぎぶり、特にマスコミの騒ぎぶりはどこに行ったのか、いつも言われることだが「熱しやすくて冷めやすい」体質は相変わらずだ。
 その論評ぶりからしてまさに「むべなるかな」と言わざるを得ない。
 最近特に上滑りで無教養極まりない「朝日」をはじめとしたマスコミの論調はどれとして、「田母神論文」に太刀打ちできる歴史観と実証性を持ち得ないまま、マスコミお抱えの似非評論家や、選挙近しで浮足立ち国防もへったくれもあったものでないタレント兼業政治屋の言うがまま、「我こそは正義」と言わんばかりの論陣を張ったわけだが、「田母神論文」に賛同を表わす学者や評論家が多数現れはじめ、それも、是非はともかく「しっかりした」歴史観と実証性に裏打ちされた(と思えるんだが)田母神擁護論と、ネットにも賛同する意見が多く寄せられるに及んで、あれっそういう意見や歴史の見方もあるんだと、ここに及んで頭を冷やしたわけか、すっかり鳴りをひそめてしまった。
 マスコミに群がる人間はえてしてこういう人間が多いわけだし、どちらかといえば人の意見を受け渡しして成り立つ仕事だから、仕方がないといえばそれまでなんだが、「第4番目の権力機構」といわれるマスコミにも、もう少し冷静で幅広く意見を聞き、一呼吸おいて報道してくれることを願いたい。
 そして「田母神論文」を読んだわけだが、この表題「我が国が侵略国家だったというのは濡れ衣」がわざわいしたんだろう、内容も読む暇がないほど「お忙しい」マスコミ関係諸君に上げ足を取られたのは。しかし、内容はいうほど「怖ろしい」ことを言っているわけではないように思えた。ごく当たり前のことを言っているんではないか。歴史の一方の見方だと思う。いままではあまりにも片方に寄りすぎた意見が多すぎたし、「村山談話」にしても、あんなもの時の国の代表が国際社会に表明するものではない。歴史的検証と評価が十分になされるにはまだまだ時間を要することだし、場合によっては全く反対の事実が歴史を塗り替えることだってあるわけだ。事実、「盧溝橋事件」、「上海事変」、「南京大虐殺事件」、「真珠湾攻撃」等々、従来の歴史的事実や評価を覆す資料や見解が続々と明るみに出てきている。一国の宰相が軽々に歴史的判断を下して、近隣諸国にはもちろん、国内向けにも影響力を及ぼすのはいかがなものか。
 「村山談話」なんてそれが出た背景を知ればいい加減なものだ。深い思索の産物ではない。権力にしがみつきたい連中が、全く相いれない政党の党首を担ぎ上げ、人数合わせのために自分の信念を折り曲げて「よいしょ」した妥協的産物でしかない。自民党と社会党だよ。あの時、国民の大多数はびっくり仰天したものだ。政治家なんて所詮そんな人物の寄り合いなんだから、議院内閣制でなく官僚内閣制になるのは当然の帰結。1930年代のあの国家存亡の時にも選挙のことしか考えず「2.26事件」を誘発した状況とまったく同じ状況で飛び出したのが「田母神論文」なのである。
 日本が侵略国家だったのか、仮にそうだったとしても、日本だけがいつまででもいつまででもそう言われ続け、反省し続けなければならないほど、世界ナンバーワンの侵略国家だったのか、そんな「自虐史観」から抜け出さなくてはこれからどうなるかわからない国際社会で、日本の国家戦略を大きく損なうおそれがあるのではないか、と田母神論文は訴えているのだ。
 日本に対しては「大陸棚国境線」を主張し、ヴェトナムに対しては南沙諸島問題で「中間国境線」をと、平気で使い分けて何ら恥じない「大国」が大手を振ってまかり通る国際社会で、このような「田母神論文」に昔の亡霊しか思い起こせず、うろたえ、パニクッているようでは、この国の先は一体どうなるんだろう。
 田母神君と一緒に腹を切りたいくらいだ。
 

田母神論文に思う」への2件のフィードバック

  1. 让不幸不再发生,让悲剧不再重演……一起努力捍卫和平的心是不分国界的.航空自卫队幕僚长田母神俊雄发表的言论不仅仅代表他个人,也代表相当部分的日本人观点。和平的道路向来是坎坷的,但终有成功的那一天,相信。热爱和平的人毕竟远大于好战的!

  2. 2012.3.30 08 産経ニュースより
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    日本が対米戦争に踏み切った理由について、連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官だったマッカーサーが1951(昭和26)年、「主に自衛(安全保障)のためだった」と述べた米議会での証言が、東京都立高校独自の地理歴史教材の平成24年度版に新たに掲載される。日本を侵略国家として裁いた東京裁判を、裁判の実質責任者だったマッカーサー自身が否定したものとして知られる同証言を、公教育の教材が取り上げるのは初めて。

     昭和の戦争での日本を「侵略国家だった」と断罪した東京裁判に沿う歴史観は、「日本国民は…政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」で始まる憲法前文にも反映され、「軍隊を持たず」という国際社会でも異質な国家体制の前提となってきた。歴史教育は「贖罪(しょくざい)史観」一辺倒となり、子供たちの愛国心を育んでこなかった。その歴史観が絶対ではないことを示すマッカーサー証言の公教育での教材化は、戦後日本の在り方に一石を投じそうだ。

     証言は、朝鮮戦争で国連軍やGHQの司令官職を解任されたマッカーサーが1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公聴会に出席し、朝鮮戦争に介入した中国への対処に関する質疑の中で言及。連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。

     都の教材は、この部分の証言を英文のまま掲載し、《この戦争を日本が安全上の必要に迫られて起こしたととらえる意見もある》としている。

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