優先座席は生きているの?

 
 大阪の地下鉄谷町線で帰宅途中、天満橋駅に着くとたくさんの小学生が乗ってきた。ランドセルに「追手門」と刻印してある。追手門学院の小学生たちだ。
 初めはその程度の気の留め方だったが、ひと駅過ぎ、ふた駅過ぎて、徐々にお客も減り、空席が目立ってきたのにその小学生達の誰一人として席に座る者がいない。
 小さい小学1年生くらいの生徒から女子生徒まで、大きなランドセルをしょい、手に補助カバンを持っている生徒も、全員が突っ立っている。
 あれっ、これは学校の指示なのかなと思い、6年生くらいの生徒に尋ねてみると、やはり、学校の登下校時に、電車の座席には座らないよう指示されているそうだ。
 心から快哉を叫ぶ思いだ。
 学校の意図はわからない。足腰を鍛えるための指示なのか、優先座席も何もあったものではない昨今の乗客マナーを身に付けさせないための教育的意図によるものなのか。
 どちらでもいいし、どちらも子供たちにとって大切なことだ。
 他の学校はどうなんだろう。電車にはあまり乗らないのでその辺りの事情はよくわからないが、込み合った電車で、お年寄りが近くに立っていても全く気にも留めず、優先座席に座って携帯電話やゲーム機でピコピコしている高校生や大学生と思しきやからを見かけることがよくある。
 さればと言って、この高校生や大学生も、人を思いやる心がないとは断言できない。そこまで気が回らないし、関心が行かないだけのことで、言ってやれば、きっとこの学生たちも済まない思いで快く席を譲るかもしれないし、そう思いたい。今の世の中、いい意味にも悪い意味にもお互いに無関心すぎるからなのだろう。
 どうだろう、いっそのこと、学生は全員、電車では座席に座らないということにすれば、学生たちにとっても良い教育になるし、それだけでも世の中、ひとつ浄化されることになるんではなかろうかと、
 ふと、今日出会った小学生達から考えさせられたことでした。
 
 
 

優先座席は生きているの?」への2件のフィードバック

  1. 吉野 弘の「夕焼け」という詩を思い出しました。「席を譲ろうとしても譲れないでいる少女の心」を描きながら、優しさのもつ悲しさを描いたなかなかいい詩です。

  2. 神戸市の私立六甲学園も 昔 電車の中では座らないという教育をしていました 多分今もそうだと思いますが・・・近くにあるアメリカンスクールの子供達が電車の中ではしゃぎまわっているのと好対照でした

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