原子爆弾

2006年の夏、初めて広島の爆心地を訪れた。この日も暑かった。60歳を越しての訪問だ。
車で、高速道を使わず国道2号線をたどったのも、風光明媚な瀬戸内の景色を満喫したかったのと、広島までの距離感を実感したかったからだ。
途中友人を訪ねたり、大叔母からよく話を聞かされていた尾道の蓮華坂(れんがさか)も訪ねたり、丸二日がかりのドライブになった。
広島市内に入ってからは少し道に迷ったが、すぐに平和記念公園にたどり着けた。太田川の川洲にある記念公園は、広々として落ち着きのあるたたずまいではあるが何か心に凛とするものがある。
涼しい木陰をたどって慰霊碑前に着くと、祭壇には新鮮な献花がいっぱい並び、その前には、手を合わせていたり、じっと記念碑を見つめていたりする人たちが10人ばかりいた。
ぼくも用意してきた花を手向け、手を合わせたが、みるみる涙がほとばしり出てもう止めようがない。悔しいと言ったらいいのか、悲しいと言ったらいいのか、心の底からの慟哭だ。
慰霊碑の丸い中空の向こうに原爆ドームが見えた時は一瞬ドキッとした。この記念碑がそう設計されているのを知らなかったからだ。
その瞬間、今度は言いようのない怒りが込み上げてきた。
ここに原子爆弾を投下しなければならない必然性がどこにあったのか。すべてが人間のエゴでしかない。政治家も科学者もその力を誇示し試したかったその一点に尽きる。なにが「戦争を終結させるため」だ。
一握りの人間のエゴを満足させるためにその何万倍の人の命を一瞬にして奪ったこの事実を人はみな心に刻まなければならない。
いま、核廃絶を訴え、ノーベル平和賞を甘受したアメリカ大統領オバマは、この人類最大の愚行を認め、アメリカ大統領として率直に、原爆犠牲者にそして全人類に謝罪しなければならないのではないか。それができなくてなにが「核廃絶」だ。
人もそう、世の中もそう、国もそう、すべてが複雑に入り組み過ぎて、何が何だか分かりにくくなっている。この先、何を見据えて、何を行っていけばいいのか、頭の中だけそして口先ばかり達者になって、すべてが空回りしているこの現実は恐ろしい。
夏の暑いさなか、蝉だけが何か声高に鳴き続けているが、人も負けずに叫ばなければならないことがある。
 

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