妻に自殺されたレーサーと、スタントマンの夫を目の前で失った女。寄宿学校にいる互いの子供を通じて知り合った男と女は、次第に惹かれ合い恋に落ちていく….。カンヌ映画祭グランプリに輝き、C・ルルーシュの名を一躍世界に知らしめた傑作。モノクロームとセピアトーンの映像、流れるようなカメラワーク、F・レイの甘美なメロディ、渾然一体となった映像と音楽によって“過去を捨てきれぬ”二人の恋が甘く切なく描かれる。寡黙なキャラクターを演じさせたら並ぶ者のないトランティニャンと、薄幸な美くしさがよく似合うエーメ、二人の有り余る魅力も忘れ難い。
1966年、カンヌ映画祭グランプリをはじめ、その年の映画賞を総なめにしたこの映画は「男と女」だった。
それからもう半世紀もたったわけだが、この映画のような甘く切ないラブストーリーにどれだけの人が、特に若い人たちが関心を寄せるだろうか。
半世紀前のこの名作の題名が「男と女」であったが、今回掲げた題名は「女と男」である。
2009年、NHKが放映した「NHKスペシャル;最新科学が読み解く性」と名打った番組の題名が「女と男」であったことに由来する。
「男と女」、「女と男」、どっちだっていいようなものの、半世紀を経たこの順序の入れ替えには意味がありそうだ。
近代化社会の目標の一つが「人間の平等」であり、「男女の平等」であったわけだが、「人間の平等」は一見実現されたかのように見えてその実、不平等は拡大の一途をたどっている。
世界のほんの数%の人間が世界の富の70%から90%を独占しているとよく言われているが、これが事実ならどこが近代化だ、どこが「人間の平等」の実現かと言いたい。
秦の始皇帝時代とそんなに変わらないじゃないかと。
アルカイダが富の象徴であるマンハッタンビルに突入し、イスラム国が悪性ウィルスのように世界に蔓延するいちばんの原因はここにある。
「男女の平等」も叫ばれ始めてから幾久しいが、果たしてどれだけ進展してきているんだろうか。
特に社会的権利に関しては先進国においてはかなり実現しているように見える。ただ発展途上国においてはアフリカやインドなどで男女差別の痛ましい報道が多いようにまだまだ実現には程遠い。
そんな中、近代の脳科学は男女の性差を明らかにしてきている。
例えば、地図の読み取りが女性が苦手な人が多いといわれるが、これは一般に地図が男性の観点から作られていて、つまり、方角と距離で示されていれば男性は目標地点に容易に到達しやすいが、女性には難しいからだそうだ。
どこにどういう建物があり、モニュメントがあり、花が植わっていて、そこを右に、左にという風に地図に書き込んであれば、女性の方が早く目標地点にたどり着くが、逆に男性は道に迷ってしまうというおもしろい実験がある。
これなどは、男性は一般的には抽象化された物、空間認識は得意だが、女性は言語化された視覚認識に優れているという特徴がある結果だという。
そのほか、男女間の愛情のの捉え方、薬の薬理効果の違いや副作用の出方の違い、快感や恐怖の捉え方など等、同じ事象に対して男女では異なる箇所で対応し処理するというから、同じ人間であって同じ人間でないのが男女だというのが現代脳科学から導かれた結論だそうだ。
今アメリカでは、そうした男女の性差を有効に活かすため、教育現場において、男女別々のクラスを設けて指導する方式が広がっているという。あれだけ男女の性差別に対して敏感で平等を求めてきたアメリカにおいてである。男女では勉強の仕方がまるで違うという観察と脳科学から得た知見で実践されている方式だそうだ。男の子はてんでばらばらを好む傾向があるが、女の子は仲良くおしゃべりしながらの方が勉強能率が上がるという。
日本にも「男女七歳にして席を同じうせず」という時代があったが、これは単に「男女は七歳ともなれば互いにけじめをつけて,みだりになれ親しんではいけない。」という道徳的意味合いだけから生まれたのではなく、もっと深い意味で経験的に男女の性差を認識した上での戒めであったのかもしれないと考えるとおもしろい。
今の時代、男女平等の名のもと、何もかもが対等平等でなければいけないという認識が、かえって本来の女らしさ男らしさの特徴を減殺し、発展を阻害しているのかもしれない。特に男性の後退が目立つという。男性特有の逞しさ、決断の速さと実行力が衰え、それがひいては女性にも悪影響を及ぼし負のスパイラルに陥っているのが現代社会だという。。
男女の性差でさらに面白いというか、男性にとっては悲しい違いだが、
人間の細胞内にある核染色体は、生存に必須のX染色体が22対と女性ならXX、男性ならXYの1対、合計23対から構成されている。高校で生物を勉強された方なら知っておられるであろうが、このY染色体は実に貧相である。X染色体の横に小さく申し訳程度にへばり付いている。それもそのはず、男性の持つY染色体は太古から劣化し続け、今ではX染色体に1098個ある遺伝子が、Y染色体にはたった78個しかなく、生存に必須の染色体が欠けているから、XXが対ならば一方に損傷が起こっても補完しあえるが、XYだと補完しあえない。だからY染色体に欠陥が生じればもろに症状が出てきてしまう。その結果、男女の平均寿命に差が生まれたり、男子特有の病気の原因になっていたりで、実に不平等な男女差があるのが人間の染色体だ。しかもゆくゆくは、およそ500万年先、場合によっては明日にでもこのY染色体は亡くなる運命にあるということだから、男性はいずれ消滅する運命にあるということだ。男性が消滅すればもちろん人類は消滅する。ただ自然界にはY染色体が欠損しても、つまり雄が亡くなっても種族を保存できる動物がいる。魚類の単為生殖はよく知られているが、インドネシアのコモド島にいるコモドオオトカゲがそれで、2006年に「世界最大のトカゲ・コモドオオトカゲが単為生殖をした!」と大ニュースになったことがある。哺乳類にもそんな例があり、トクノシマハリネズミやアマミハリネズミはY染色体が完全になくとも、つまり雄が存在しなくても子供が生まれ生き延びていることが知られている。残念ながら人間にはその可能性はなさそうだ。あったとしても何の喜びがあろう!
さらに喫緊の問題点だが、男性の精子数がこのところ減少の一途をたどり、しかも元気な精子の数がその中でも減ってきているから大変だ。その原因が環境汚染によるものなのか、電磁波の影響なのか、はたまた社会システムの変化や家庭環境の変化によるものなのか、いまだ原因は突き止められてはいない。
「男と女」、「女と男」、この入れ替わりには何か意味がありそうだと先の述べたが、先天的・身体的・生物学的に個体が具現するSexにおいても、社会的・文化的に形成されたGenderにおいても、もはや男性が女性を凌ぐことはあり得ない。X染色体にかろうじてへばり付いているY染色体がそれを暗示している。