ひとり言

さん太は山歩きが大好きです。いつも一人です。別に人が嫌いなわけではありません。家族、友人がいないわけではありません。なぜなんだろうと今も考えてみます。でもわかりません。そうだ、きっと日常生活から解き放たれた“自由”というやつがあるからだろう。そう言えば、さん太は若いころからよく口ずさむ歌があります。

 

 

今の若い人達を見ていると本当に自由です。好きなものを買い、好きなものを食べ、好きなことをしているように見えます。さん太にはあんな自由があったんだろうか。いつも何かに追い立てられ、何かに縛られている。人間関係であったり、仕事であったり、お金のことであったり。ひょっとしたらこのまま死ぬまで”自由”というものを味わえないのではなかろうかと思えるほどです。
だから一人山を歩きたくなるのかもしれません。
どの山も初日がきつい。ときには1,000m、2,000mを一気に登らねばならないことがある。考えてみるに、あのきつさには三つのわけがありそうです。ひとつは、重力に逆らって1,000m、2,000m登る物理的なきつさ。二つ目は、ふだんの運動不足からくるきつさ。そして三つ目は、俗世間とのしがらみを立ち切るきつさ。
そしてこの三つのきつさから開放されたときの爽快さが忘れられない。汗まみれの下着を脱いで冷たい湧き水で体を拭き、新しい下着に替えたときの心地よさ。早めの昼食の準備を始めるころから、もう心はうきうき。あったかい味噌汁をすすりながら、今晩はどこに泊まろうかな、地図を取り出して宿泊地までのルートを確認する...
道中の心の葛藤は人生の縮図。一面に咲き乱れた高山植物に幾度も幾度もシャッターを切り、切り立った岩肌をトラバースするときには恐怖におののき、はるかかなたに繰り広げられる見事なパノラマにしばし時を忘れ、今歩いている道は本当に間違ってはいないだろうかと不安に駆られ、楽しさと、不安と、恐怖と、寂しさが交互に心をよぎる中、人はこうしていつかどこかで死んで行くんだろうと、むしろ安堵の気持ちが至福をもたらす不思議さ。
思えばわが人生にもいろんなことがありました。雨の日、傘もなくもちろん雨靴もなく小学校に通った日々のこと(これはさん太だけではありません。当時級友の多くがそうだったのです。)、新聞配達先で500円のお年玉をいただき人の優しさを知った中学時代のこと、先生と喧嘩して高校を中退した日のこと、出発10日前に軍事クーデターが起こり中断したアルジェリア渡航のこと、安保闘争に明け暮れ大失恋を味わった大学時代のこと、そして結婚のこと、子育てのこと、仕事のこと、友人のこと、ざっと思い出してもこれはこれでひとつのドラマ。
でも今しみじみ思うんですね。いったい人間てなんだろう。ほんとうに自分の意志で生きているんだろうか。こちらに行きたいと思っていたのに、あちらに行っていたり、善だと信じたことが悪であったり、これを選んだはずなのに、こんなものが手に入っていたり、ひょっとしたらやはり神さんがこの世の中で、ぼくにはぼくの役を与えていて、「さあ、この画面を通り抜けるんだよ」というふうに、せめて準主役ぐらいはやりたいのに通行人の役しか与えてくれなかったんじゃないだろうとかね。
わが友人を見てもそうだ。あいつ本当にいいやつだったのに、どうしてあんなハイジャックなんてしでかしたんだろう。あいつはずっと日のあたるところに生きてきたのに、どうしてこいつは刑務所で一生を送ろうとしているんだろう。いったいこいつらどこでどう分かれたんだろう。どちらも本当にいいやつだったのに。
絶対に今でも信じているよ。あいつらはやっぱり神さんからおおせつかった役を演じてきたんだよ。この世の中は舞台で、今生きているみんながお客であり、俳優なんだ。お互い一生を退屈しないように、見せ場見せ場を演じたにすぎないんだよとね。そうでも思わないと、やりきれないよ。

 

「人間なんて所詮5円玉にひょこなんと座った存在さ」といったようなことをチェーホフが言っていましたが、さん太はこの表現が大好きです。

鐘の鳴る丘

 
♪♪♪鐘の鳴る丘 ♪♪♪
 
 
みどりのおかの あかいやね とんがりぼーしの とけいだい かーねがなります ちーんこーんかーん・・・

暮れも押し迫り,街中を歩いているとあちらこちらからクリスマスソングが流れてくる中,とあるレコード店から耳懐かしいこの曲が流れてきた。何で今ごろこんな曲がと不思議な思いもしたが,思わず口ずさんでいたぼくに,あの日の思いがよみがえってきた。この曲は1947年(昭和22年)から始まったNHKのラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題曲で,このドラマも主題曲も大変人気があり、翌年松竹によって映画化されたそうだ。そしてこの映画が僕の記憶に残るもっとも古い映画になるのである。というのも,・・・

僕がちょうど幼稚園に通っていた頃,当時住んでいた長屋のはす向かいに谷口さんという一家がおられ,たしか同い年くらいの娘さんとその弟がいて,この谷口さん一家に連れられてこの「鐘の鳴る丘」の映画を見に行った。映画館は当時僕の通っていた「三郷幼稚園」の近くにあり,家から4kmほどのところにあった。今となってはこの映画の内容などまったく覚えてもいないが,とても悲しくて悲しくていたたまれず,谷口さんには内緒でこそっと映画館を抜け出した。冬場だったような気がする。外に出ると寒くて寒くて,しかももうすっかり夜の帳も下り,通いなれたはずの道もわからなくなり,何時間かかって家にたどり着いたであろう。玄関の戸を開けると,父と母が飛び出てきて,普段は優しい両親にこっぴどく叱られたことを覚えている。

今は亡き母が,この曲がラジオから流れてくると僕がよく涙を流していた,といつも優しく僕を見つめて言っていた。

 

[追記]

「かーねがなります きーんこーんかーん」なんですね。ご指摘いただきありがとうございます。

今までずーっと「ちーんこーんかーん」とばかり思っていて、そのように口ずさんでいました。

でもこのままにしておきます。