日本の戦後教育

12月17日に本ブログに投稿した「昭和の遺書」は、文芸春秋2009年1月号の特集『昭和の遺書[53通]』から引用させてもらったものだが、ここには昭和天皇をはじめ昭和の時代を代表する様々な分野の著名人の「遺書」が紹介されている。それぞれ特徴があり教えられるところがたくさんあったが、圧倒的な迫力で迫ってきたのは、自然死ではなく突きつけられた「死」を選択せざるをえず死んでいった人たちの「遺書」だ。
学徒出陣によってあたら「死」に追いやられた若い学生たちの遺書には無念がにじみ出ていて、涙なしには読めなかった。昔、「きけわだつみの声」でも読んだが、幾度読んでも深く胸に迫るものがある。
そして思ったことだが、こういうものがあることを小学校や中学校で教わっただろうかということだ。「きけわだつみの声」にしても、高校生の時、夏休みの宿題として出された「読書感想文」の素材として、確か出版社のパンフレットから自分で探し出したように思う。
ブログ「昭和の遺書」の下にリンクを張った「★☆★ 昭和の遺言 ☆★☆」は「You Tube」の動画から選んだ『神風特別攻撃隊の言霊』だが、この動画も朗読も初めて目にし耳にしたものだし、学校時代にこんな類の教材にはお目にかかったことがないように思う。
これを読んでもらっている皆さんの中には、いや学校で教えてもらったという人がいるかもしれないが、おそらく「学校」ではなく先生から教えてもらったのだろう。そんな人は幸いだ。
日本の学校教育はかなり中央集権制の強い制度になっていて、教科書検定をはじめ教育現場の仔細に至るまで差配している。だから国の教育の在りようが 、その時には普遍性があり常識的だと考えられている考え方や歴史観にやはり偏ってしまう傾向がある。
戦後日本の「平和教育」は第二次世界大戦敗戦を受けての「懺悔教育」であり、その方向にもっていこうとする戦勝国側の意図が働いていたのも確かだ。
19世紀末から20世紀初頭にかけての、いかに自分たちの支配地域を拡大するかに腐心した帝国主義時代に、新興国家日本の勢いを恐れていたアメリカをはじめとする連合国諸国はやっとその勢いを止め得たと同時に、これから先もその勢いをそぐためのあらゆる方策を考えたわけだ。そのためには、朝鮮や中国、そしてアジア諸国に対して日本がどれだけ悪事を働いたかに目を向けさせ、広島や長崎で行った人類史上最大で最悪の大虐殺に日本国民が目を向け、そこから湧き起こるかもしれない「愛国心」から目をそらさねばならなかった。元来自省心の強い日本国民はまんまとその意図に乗せられ、だから上にあげたような「きけわだつみの声」だとか、戦争にまつわる実に素朴で人間的な情愛に絡まる話だとか記録などは、戦争賛美につながり、反アメリカ、反戦勝国につながる恐れがあるとして学校で取り扱う教材としては極力避けられた。
その影響力は戦後60年経った今も歴然として存在し、我が国の行く末さえ定かにできない状況を作り出しているのだ。
教育は、ひとりひとりの人生を築く礎を授けるものであり、同時に国のありようを決定づける根幹でもある。
「きけわだつみの声」や、人間の様々な側面を描いた魅力あふれるDVD,「You Tube」にみられるような貴重な記録などがもっともっと教育現場でも使われて、真の「平和」とは何か、真の「愛国心」とは何か、真の「人類愛」とは何か、過去のトラウマから解き放たれた自由闊達な「新教育」を実現しなければならない。

昭和の遺書

南九州の制空権  すでに敵の手中にあり
我らが祖国  まさに崩壊せんとす
生をこの国に享(う)けしもの  なんぞ生命を惜しまん
愚劣なりし日本よ  優柔不断なる日本よ
汝いかに愚かなりとも  我らこの国の人たる以上
その防衛に  奮起せざるをえず
オプティミズムをやめよ  眼をひらけ
日本の人々よ  日本は必ず負ける
そして我ら日本人は  なんとしてもこの国に
新たなる生命を吹きこみ  新たなる再建の道を
切りひらかなければならぬ
若きジェネレーション  君たちは
あまりにも苦しい運命と  闘わねばならない
だが頑張ってくれ
盲目になって生きること  それほど正しいモラルはない
死ではない  生なのだ
モラルのめざすものは  そして我らのごとく死を求る者を
インモラリストと人は言わん
林 尹夫 (ただお)
林は京都大学文学部で西洋史を専攻 学徒出陣して海軍飛行予備学生となり
昭和20年7月28日夜間索敵哨戒飛行中に敵の夜間戦闘機の迎撃を受けて戦死
―『文芸春秋』2009年1月号「昭和の遺書[53通](梯 久美子)より引用 ―

田母神論文に思う

 
 航空自衛隊の最高幹部である田母神前空幕長が懸賞論文に「我が国が侵略国家だったというのは濡れ衣」と発表してから、もう1ヶ月半経った。
 発表当初のあの騒ぎぶり、特にマスコミの騒ぎぶりはどこに行ったのか、いつも言われることだが「熱しやすくて冷めやすい」体質は相変わらずだ。
 その論評ぶりからしてまさに「むべなるかな」と言わざるを得ない。
 最近特に上滑りで無教養極まりない「朝日」をはじめとしたマスコミの論調はどれとして、「田母神論文」に太刀打ちできる歴史観と実証性を持ち得ないまま、マスコミお抱えの似非評論家や、選挙近しで浮足立ち国防もへったくれもあったものでないタレント兼業政治屋の言うがまま、「我こそは正義」と言わんばかりの論陣を張ったわけだが、「田母神論文」に賛同を表わす学者や評論家が多数現れはじめ、それも、是非はともかく「しっかりした」歴史観と実証性に裏打ちされた(と思えるんだが)田母神擁護論と、ネットにも賛同する意見が多く寄せられるに及んで、あれっそういう意見や歴史の見方もあるんだと、ここに及んで頭を冷やしたわけか、すっかり鳴りをひそめてしまった。
 マスコミに群がる人間はえてしてこういう人間が多いわけだし、どちらかといえば人の意見を受け渡しして成り立つ仕事だから、仕方がないといえばそれまでなんだが、「第4番目の権力機構」といわれるマスコミにも、もう少し冷静で幅広く意見を聞き、一呼吸おいて報道してくれることを願いたい。
 そして「田母神論文」を読んだわけだが、この表題「我が国が侵略国家だったというのは濡れ衣」がわざわいしたんだろう、内容も読む暇がないほど「お忙しい」マスコミ関係諸君に上げ足を取られたのは。しかし、内容はいうほど「怖ろしい」ことを言っているわけではないように思えた。ごく当たり前のことを言っているんではないか。歴史の一方の見方だと思う。いままではあまりにも片方に寄りすぎた意見が多すぎたし、「村山談話」にしても、あんなもの時の国の代表が国際社会に表明するものではない。歴史的検証と評価が十分になされるにはまだまだ時間を要することだし、場合によっては全く反対の事実が歴史を塗り替えることだってあるわけだ。事実、「盧溝橋事件」、「上海事変」、「南京大虐殺事件」、「真珠湾攻撃」等々、従来の歴史的事実や評価を覆す資料や見解が続々と明るみに出てきている。一国の宰相が軽々に歴史的判断を下して、近隣諸国にはもちろん、国内向けにも影響力を及ぼすのはいかがなものか。
 「村山談話」なんてそれが出た背景を知ればいい加減なものだ。深い思索の産物ではない。権力にしがみつきたい連中が、全く相いれない政党の党首を担ぎ上げ、人数合わせのために自分の信念を折り曲げて「よいしょ」した妥協的産物でしかない。自民党と社会党だよ。あの時、国民の大多数はびっくり仰天したものだ。政治家なんて所詮そんな人物の寄り合いなんだから、議院内閣制でなく官僚内閣制になるのは当然の帰結。1930年代のあの国家存亡の時にも選挙のことしか考えず「2.26事件」を誘発した状況とまったく同じ状況で飛び出したのが「田母神論文」なのである。
 日本が侵略国家だったのか、仮にそうだったとしても、日本だけがいつまででもいつまででもそう言われ続け、反省し続けなければならないほど、世界ナンバーワンの侵略国家だったのか、そんな「自虐史観」から抜け出さなくてはこれからどうなるかわからない国際社会で、日本の国家戦略を大きく損なうおそれがあるのではないか、と田母神論文は訴えているのだ。
 日本に対しては「大陸棚国境線」を主張し、ヴェトナムに対しては南沙諸島問題で「中間国境線」をと、平気で使い分けて何ら恥じない「大国」が大手を振ってまかり通る国際社会で、このような「田母神論文」に昔の亡霊しか思い起こせず、うろたえ、パニクッているようでは、この国の先は一体どうなるんだろう。
 田母神君と一緒に腹を切りたいくらいだ。
 

嫉妬

♪♪♪ ジェラシー ♪♪♪
「嫉妬」と言えば普通男女間の愛憎を表わす場合が多い。しかし今のぼくの場合、ぼくより長く生きる者に対する嫉妬である。
今日孫娘が来てくれた。まだ1歳になったばかりだから、もちろん両親に連れられての来訪だが、実に可愛い。ひょこひょこと上手に歩き、笑顔を振りまき、どの仕草もまさに天使だ。それでも両親にとっては大変なこともあるんだろうが、その大変なことから解放されているぼくにとってはただ「可愛い」だけだ。小さな手足を巧みに使っておもちゃをいじったり、手押し車を走らせたり、一人でキャッカキャッカ遊んでいる。今は目の前にあるものすべてが興味の対象だ。触ったり舐めたり全神経を使って「物」を確かめている。こうして今から生きる世界を認識し、生きるすべを学んでいくのだろう。これから80年は生きていくんだろうから、西暦2090年くらいまで生きることになる。ぼくにとってこれが実に羨ましく、妬ましい。生きることができるならば何年でも生きたいが、100%無理なことだから悔しい。
時々「長生きしたくない。」とか「早く死にたい。」とか本気かどうか、軽々に言う人がいるが、ぼくにはどうしてもこういう人の気持ちが理解できない。未来永劫の「生」を願望するぼくにとってはそんな人たちから残りの「生」を譲り受け、かき集めたいくらいだ。で、そんなに長生きしてどうする? 放っておいてくれよ! 2090年の世界を孫娘と一緒に見たいだけだ。
「心なき 身にもあわれは知られけり ・・・」と歌った西行は、人は生きるとしても40歳までだ、あとは老醜をさらすのみ、と格好よく言って、結局72歳まで「老醜をさらした」わけだが、老醜をさらしてもぼくは生きたい。街を歩いていても若い人たちを見ると、この人たちはまだこれから5,60年は生きるんだ、とすると西暦2060年から2070年までか、羨ましいなあ、悔しいなあ、とそんな計算ばかりしてしまう。
自分が生きていて、いつかはこの世から消えてしまうという自覚をどうして与えてくれたんだ、と誰を恨んでいるのか、もし創造主というものがあるならばそれを恨んでみたくもなる。
こんなぼくはきっと極楽往生はできまい。「生」の未練に引きずられてその時もがき苦しむに違いない。極楽往生する人はきっと潔い人たちなんだ。