加齢臭ー異様な嗅覚ー

最近「加齢臭」のコマーシャルが気になる。
ひとつは、本当にそんな匂いがあって、自分もそんな体臭を放ち、周りの人たちに不快な思いをさせているんだろうかという懸念。
もうひとつは、またまた売らんがための新しい商品開発とその宣伝攻勢ではなかろうか、「こんちくしょう」という腹立たしさ。
概して「匂い」にこんなに敏感になってきたのもこの時代の特徴だ。
環境汚染から発する悪臭、密集した住宅環境からもたらされる生活臭、ラッシュアワーで込み合った車内の独特な異臭、これらは確かにこの時代の産物だ。
それを反映したのか、気になるのは、人どうしが異常に「匂い」に敏感になっていることだ。
生徒に聞いてみると、友人が一日お風呂に入らなかったらわかるというから、いいのか悪いのか、まるで犬のような嗅覚だ。
一人の生徒なんか、一日何回もシャワーを浴びたり、お風呂に入るという。自分自身でも匂うし、人に感づかれたくないからだそうだ。
そして、女性がある程度「匂い」に敏感なのはわからなくもないが、男性が女性に劣らず「匂い」に敏感で、その対策に腐心しているというから、我々、いや僕からはなんとも異様としか感じられない。
いろんな要因が考えられる。
「匂い」という尖鋭な感覚がクローズアップされるほど、ある意味生活が豊かになり、悪く言えば「ヒマ」になり、そんなことに構ってなどいられないという時代とは違ってきたということ。
人と人の関係がデリケートになり、外見やまして内面的なことよりは、動物的な感覚で人を嗅ぎわけるほうが同調しやすい、ということではなかろうかと想像する。
「加齢臭」もそうした時代の流れから生まれた「匂い」であることは間違いない。
そもそも体臭というものは、分泌活動から発するもので、若い人ほど発散しやすいし、年をとれば当然衰えてきて、その手の匂いは少なくなるはずだ。
古いお寺や古書には独特な匂いがあるが、そんな匂いが「加齢臭」なのだろう。
調べてみたら、例の「資生堂」がその匂いを分析、特定し、「加齢臭」と命名したという。
それはそれでひとつの研究成果だと評価したいが、まるで鬼の首でも取ったように、やれ「加齢臭」だ、それにはこんな防臭薬だと、たとえ老人が嫌がられないようにという老婆心からであったにしても、ぼくなんかの様なひねくれ者には、「こんちくしょう」としか思われない。
でもやっぱし、人からは嫌がられたくないし、ホントにそんな匂いがするんかなァ???
 
 

優先座席は生きているの?

 
 大阪の地下鉄谷町線で帰宅途中、天満橋駅に着くとたくさんの小学生が乗ってきた。ランドセルに「追手門」と刻印してある。追手門学院の小学生たちだ。
 初めはその程度の気の留め方だったが、ひと駅過ぎ、ふた駅過ぎて、徐々にお客も減り、空席が目立ってきたのにその小学生達の誰一人として席に座る者がいない。
 小さい小学1年生くらいの生徒から女子生徒まで、大きなランドセルをしょい、手に補助カバンを持っている生徒も、全員が突っ立っている。
 あれっ、これは学校の指示なのかなと思い、6年生くらいの生徒に尋ねてみると、やはり、学校の登下校時に、電車の座席には座らないよう指示されているそうだ。
 心から快哉を叫ぶ思いだ。
 学校の意図はわからない。足腰を鍛えるための指示なのか、優先座席も何もあったものではない昨今の乗客マナーを身に付けさせないための教育的意図によるものなのか。
 どちらでもいいし、どちらも子供たちにとって大切なことだ。
 他の学校はどうなんだろう。電車にはあまり乗らないのでその辺りの事情はよくわからないが、込み合った電車で、お年寄りが近くに立っていても全く気にも留めず、優先座席に座って携帯電話やゲーム機でピコピコしている高校生や大学生と思しきやからを見かけることがよくある。
 さればと言って、この高校生や大学生も、人を思いやる心がないとは断言できない。そこまで気が回らないし、関心が行かないだけのことで、言ってやれば、きっとこの学生たちも済まない思いで快く席を譲るかもしれないし、そう思いたい。今の世の中、いい意味にも悪い意味にもお互いに無関心すぎるからなのだろう。
 どうだろう、いっそのこと、学生は全員、電車では座席に座らないということにすれば、学生たちにとっても良い教育になるし、それだけでも世の中、ひとつ浄化されることになるんではなかろうかと、
 ふと、今日出会った小学生達から考えさせられたことでした。