姥捨て山は今も

 
 リュックをしょって野道を行く人、サイクリングロードを颯爽と疾駆する人、二人仲好くジョギングするご夫婦、海辺でのどかに魚を釣る人、
 どれをとっても一服の写真になりそうな平和で幸せそうな光景だ。
 大型ショッピングセンターの大きなテレビを腰掛けて見入る中高年者たち、レジカウンターで食料品を手にして並んでいるひとり暮らしと思しき男たち、
 どれもみんな平日真昼間の光景だ。
 どこに行ってもどこに出かけてもこうした中高年の人たちがやたら目につく。
 自分も傍目から見ればその一員なんだが、その自覚が足りないまま、じっと観察しながら、この文章を書いている。
 果たしてこの人たちは本当に幸せなんだろうか、何を思いながら生きているんだろうか。
 もういいから静かに休んでください、私たちが面倒をみるから余生を楽しんでください、だと!
 いやいや、怒っちゃいけない、怒っちゃいけない、静かに静かに、腹を立ててはいけないよ。
 世の中そうなっているんだよ。もう十分働いてきたんだから、子供も育て、孫もできているんでしょ。
 そうかなあ、なんかだまされてる気分がするるんだけどなあ。
 誰が決めたの? いつ決めたの? その発想時代遅れじゃないの?
 いま人生、女性で84歳、男性で79歳の時代だよ。明治時代とは言わないまでも、大正、昭和の時代に形成された、例えば定年制をはじめとする労働観、そんな古臭い考え方で、ぼくらを追い払わないでくれよ。
 なんやら独立行政法人をご覧よ。バリバリ働いているかどうか知らないけど、とっくに定年過ぎているわが同輩たちが、法外な報酬を取って働いているんだよ。
 ずるいよ。
 われわれその日暮らせりゃ、何もそんな高いお給料ほしいと言ってるわけじゃなし、場合によっちゃ、お金なんていらない、とにかく働かせてくれって言っているだけなんだぜ。
 そうだろ、「勤労の義務」は憲法にだって謳われているんだよ。これなにも単に「国民はみんな働かなきゃいけないぞ」と言っているんじゃないんだよ。
 健康で文化的な生活を営むための国民の義務を規定してるんだよね。働かなきゃ、健康で文化的な生活は送れないよ、そのためにゃ働かなきゃいけないよ、って言っているんだと思うけどね。
 それともこうかい。お前たちはもう健康で文化的な生活を営むこともない、だから遊んでりゃいいだよ、ってーの。
 このまますね言言うのもいやだから、いっそのこと独立行政法人宇宙航空研究開発機構で「姥捨てロケット」でも作って、宇宙のかなたに放ってくれないかなあ。
 

中国人とパチンコ

中国人の友人と話していて、「中国にはどうしてパチンコがないの?」と聞くと、その答えがおもしろい。
中国でパチンコを解禁したら、とんでもないことになる。国中にパチンコ店ができ、パチンコ店に入り浸る人が一億人にはなるね。
だ、そうだそうだ。
一億人というと、日本の赤ちゃんからおじいちゃんおばあちゃんを含めて一億人だから、日本人全員がパチンコ店に入り浸ることになる。
ちょっと大げさに言ったのだろうが、友人の真顔から反論もはばかられた。
中国では、基本的には賭博は禁じられている。おそらく、中国人の賭博好きを知っての立法であろう。
それでも、マカオはアメリカのラスベガスに次ぐ政府公認の賭博が行われているのはよく知られたことであり、家庭内での賭け麻雀や賭けトランプは許されている。
実際、中国の至るところで、昼間から路上で麻雀卓囲んでいたり、テーブルでトランプに興じている光景をよく見かける。大概が賭けているそうだ。
マカオは国際賭博場であり、中国の外貨獲得という国の目的があり、庶民には手が届く賭博場ではないからいいとしても、家庭内の小賭博を認めてるところがまたおもしろい。
日本では競馬、競輪、宝くじ、TOTOといった政府公認の賭博以外は家庭内においても禁じられているから、窮鼠が猫を噛まない措置を講じているわけだ。
中国には1840年の「阿片戦争」に象徴されるように、国の存続さえ危うくするような「自制心のなさ」の自覚が底流にはあるのだろう。
「宗教は阿片」、ベートーベン、ゴッホ、ビートルズなど等「ブルジョア芸術は阿片」と、ひところはプロパガンダされたことがある。賭博も阿片なのだ。
魯迅が中国人の典型として描き出した「阿Q」は中国人インテリの頭からいまも消えず、自己の阿Q性を唾棄したくてもしきれない根性がくすぶり続け、権力を握る共産党幹部にはこの自縄自縛から解き放たれることなく、国民全体に真の自由を与えたら何をしでかすかわからない、中国には中国のやり方がある、人権よりも国の団結、と、國際社会では異質に見える「中国流」をいたるところで喧伝してはばからず、中国人同士では政府の悪口を口にし反目しあっても、対外的にはものの見事に一致団結、愛国心と中国こそ21世紀の覇者と胸を張る。
中国でパチンコが解禁されるのは、阿Qの非科学的思考、盲目的権威崇拝、際限なき自尊心、独善的「精神勝利法」から決別する時だろう。