当尾の里―浄瑠璃寺、岩船寺、海住山寺

 
もう40年も前になるだろうか。いやもっとだ。近鉄奈良駅から般若寺を通って、今で言う国道369号線を辿って、岩船寺、浄瑠璃寺を巡ったのは。
肌寒くてどんよりした日だった。通る車もほとんどなく、出会う人もないさびしい古寺巡礼だった記憶がある。
岩船寺で、買ってきたお弁当を開き食べ始めたが、いつの間にかカラスの大群があたりの木々や空に舞い、その羽ばたきの音と鳴き声にヒッチコックの「鳥」を思い出し、背筋の凍える思いで早々と弁当をたたみ、次の目的地浄瑠璃寺に向かった。
浄瑠璃寺に着いた頃には雨こそ降っていなかったが、いっそう厚く覆った雲に陽は遮られ、人っ子一人いない境内に佇んだとき、さびしさは頂点に達したように思う。
池の向こうに黒くくすんだ小ぶりの浄瑠璃寺本堂が見え、できれば拝顔したかった吉祥天にはもちろんまみえることもできず、墨絵のような光景だけしかなかった。そんな中、背後に楚々と佇む五重の塔だけがその朱塗りの色合いと相まってやっと温かみをとどめてくれた。
そして昨日訪れた浄瑠璃寺はもう昔の浄瑠璃寺ではなかった。
たくさんの人が境内にも道にも溢れ、車とバスが所狭しと駐車している。何軒もの店や食堂が立ち並び、いたるところで折からの紅葉に歓声がどよめき、昔あんなにくすんでいたお堂は光彩を放ち、池の島にはススキが陽光で銀色に輝き、もちろん紅葉は赤にそして黄色に染まり、五重の塔はいっそう色鮮やかに朱色に染まり、大きく見え、なによりも念願の吉祥天と中尊の阿弥陀仏を真ん中に左右四体の、合わせて九体の阿弥陀仏を拝謁できた頃にはもう胸いっぱいの満足感と、あたりのあまりにも明るい光景に、昔の墨絵がうそだったかのような錯覚にとらわれた。
この日はさらに足を延ばして、海住山寺に向かうことになった。
この心象はもちろんぼく個人のものではあるが、戦後日本の心象風景ではなかろうか。

IMG_4254IMG_4250

京都の秋

 
一気に秋が深まってきた。京都鴨川沿いの紅葉もいっそう深まり、下賀茂の北大路橋から京都府立植物園の南正門に至る道は厚く落ち葉が重なっていた。
開門前の道路には車は通らず、両側に立ち並ぶ欅の大木からは微かな風にも煽られた葉が絶え間なく落ち重なり、歩くごとに雪煙ならぬ落ち葉煙が、大げさでなく立ち上る感じだ。
葉の隙間から望まれる比叡の山々がずっと向こうに霞んで見える。反対側の鴨川の土手を時折人が通り過ぎてゆき、自転車が通り過ぎてゆく。音がしない。聞こえるのは落ち葉の舞い落ちる音だけだ。
正門に向って歩いてゆくと、赤く彩られた木々の向こうにひときわ鮮やかな薄緑の木群れが見えた。若葉と見まがう色合いだ。昔何かで見た舞台背景を思い出した。立体感があって誰か俳優が飛び出してくるんではないかと錯覚したくらいだ。
いや錯覚ではなかった。後ろから走ってきた女性が傍らを通り過ぎて向こうの舞台に立ち止り、軽く体操を始めた。軽く会釈をすると、びっくりしたように会釈を返した。美しい女性だ。ジョギング用に装いを整えたその女性は鶴のように美しい。
夢と現実がないまぜになった不思議な空間だ。
深まりゆく秋、センチメンタルに陥りかけた矢先に、少し心がときめいた。

1622696593_691622696593_116

でかしたぜ!YouTube!

 

☆★☆ 尖閣諸島中国漁船衝突ビデオ ☆★☆

尖閣諸島沖で起こった中国漁船衝突事件を海上保安庁が撮影したビデオがTouTubeに流されてんやわんやになっている。
何をおもんぱかってか政府はひたすら隠し続けた代物だ。一部は国会議員たちに見せたとはいうが、政府はなぜ国民の前に公開しないのだ。国民を愚弄するのも甚だしい。昔の「大本営発表」式の情報操作がいまだまかり通っている現実を直視しなければならない。一部の思い上がった輩(やから)の浅知恵が、それもその輩だけに結果が留まればまだしも、一部の犯罪まがいの情報隠しから、国益を害するという大義名分を掲げての情報隠しまで、多くの国民にとってとんだ結末を迎えたという例は枚挙にいとまがない。
しかしそれだけ隠しても隠しおおせない今の社会が面白い。事実はできる限りさらけ出せばいい。事実を隠してつぎはぎだらけの百万代言をいくら弄しても正鵠は穿てない。今、だからYouTubeが面白いのだ。何も語らずただ映像だけを皆にさらす。清濁あわせ持ったあらゆる事実をひたすら皆に示す。それでいい。それがいい。浅知恵にたけた似非エリートの判断よりも、大衆の判断の方が誤りが少ない。だから近代社会は「民主主義」を求めたのだ。日本国憲法は「主権が国民に存することを宣言し」たのだ。
このブログにはたくさんYouTubeにリンクを張ってある。心洗われる動画、怒り心頭に達する動画、沈思黙考を迫られる動画、涙なしには見られない動画、世に起こること森羅万象がここにはある。

こんな日本人もいた。https://www.youtube.com/watch?v=bQe3uXJJtf4
こんな残虐がある。http://www.youtube.com/watch?v=P5sWncFiYnA&feature=related

☆★☆意識調査☆★☆

尖閣ビデオの流出、あなたはどう思う?http://polls.dailynews.yahoo.co.jp/other/6052/result

新マキャベリズム

最近の国際関係、なかんずく日本と日本を取り巻く周辺国家との外交問題がかまびすしい。
尖閣諸島問題で日中間がぎくしゃくする中、新たにロシアとの北方領土問題がクローズアップされ、国会論戦でも野党が「どん菅内閣」と揶揄する論戦が巻き起こっている。
確かに最近の日本外交は方向性の見えないダッチロール外交だ。
戦後のとにかく国力回復を目指す経済中心外交、そして東西冷戦の中、非核三原則を掲げ非武装中立を目指す平和主義外交と、それなりに目標を掲げ、右肩上がりの経済成長がそれを下支えして世界にも影響力を持ち、日本の存在感もあったわけだが、1980年代後半からのバブル崩壊による国内的混乱は予想以上に深刻で、外交どころではない矢先に、中国をはじめとするいわゆるBRICs(ブラジル (Brazil)、ロシア (Russia)、インド (India)、中国 (China) の頭文字を合わせた4ヶ国の総称)の経済成長は目覚ましく、外交分野においても大きな勢力として台頭してきた。
隣国中国に至っては21世紀を先導する国ともいわれるほどの成長ぶりだ。
そして日本はこのところこの中国に振り回されぱなっしだ。東シナ海のガス田問題ではいまだ外交的決着がつかず、その間中国は実効支配したままどんどん資源を吸い上げているし、尖閣諸島もその地下資源を標的とした支配力を及ぼそうと日本を揺さぶっている。
そして同じく経済新興国ロシアがまたまた領土問題で日本に難題を突き付けてきた。
ヘーゲルが言ったように、「歴史は繰り返す」。
21世紀はおそらくマキャベリズムが幅を利かせる世紀になろうとしているのだ。
『謙譲の美徳をもってすれば相手の尊大さに勝てると信ずる者は、誤りを犯す羽目に陥る。』
とマキャベリはその著「君主論」で言っているが、謙譲の美徳を最も尊重する国日本は、このマキャベリの言うとおりの落とし穴にはまりこんでしまうのではなかろうか。