お盆のころから鳴き出したツクツクボウシもこのところすっかり勢いをなくし、近くの田んぼもすっかり黄ばんできた。お百姓に聞くと9月初めには刈り入れに入るとか。もう今年の夏も終わりだ。
そういえば、先日中国上海の夏の様子がテレビで放映されていて、懐かしくいろいろなことが思い出された。
上海の夏も暑い。しかも日本と同じで蒸し暑いからたまらない。ただ,日本と比べていいところが一つある。それは,最近日本ではめったに見られなくなった夕立が時折あるということだ。それも日本の夕立と違って実に大陸的だと思えるのだが,遠くで雷の音がしているなと思っていると,間もなく砂塵を巻き上げながら猛烈な突風が吹き出し,黒雲が空いっぱいに広がるや否や稲妻が走り,耳をつんざくような雷鳴がとどろきはじめ,それこそ天からバケツの水をひっくり返したような激しい雨が降ってくる。高層マンションの20階に住んでいたんだが,まるで大海原で時化にあったような心地だ。やがてそんな嵐のような夕立が1時間かそこらあたりで止むと気温も一気に下がり,昼間の暑苦しさがうそのようになる。窓を開けると冷気さえ感じるくらいだ。
気分を良くして外に出るともう夕飯時だ。ただでさえ多い街中の食堂以外に道端のあちこちににわか食堂や屋台が所狭しと出現し、仕事帰りの人たちや外食を求めて集まる近所の人たちでにぎやかなこと。中国人は食べている時がいちばん幸せなんじゃないだろうかと思えるくらいだ。本当に安くて美味しいから無理もない。
もう満腹。このまま帰ると体にもよくないと、すっかり日も暮れた街中を歩いていくと、近くの公園からブギウギバンドが聞こえてきた。公園の薄明かりの中で多くの人たちが取り囲み、中でまた多くの男女がブギウギを踊っている。驚いたことに、夜会服を着て踊っているペアーがいたり、仮面を冠って踊っている人もいる。取り囲んでいた人も中に入り踊り出す。みんな実に楽しそうだ。ブギウギだけではない。チャチャチャもあれば、フラダンスもある。
いつの間にかもう踊っていない人がいないくらいだ。ダンスをしたこともないぼくも誘われるまま見よう見まねで踊っていた。
月別アーカイブ: 2011年8月
尾瀬を訪ねて
尾瀬は一度は訪ねてみたいと思っていた。
以前5月の連休に、東北地方を旅行した際立ち寄った会津磐梯山で、たまたま水芭蕉が咲いていて、ああこのころには水芭蕉も咲くんだと思ったこともあって、今年の5月の連休、気軽な気持ちで尾瀬を訪ねてみることにした。尾瀬の入り口、大清水を目指したが、途中、片品村に「みずばしょうの森」の案内板があったので立ち寄ってみると、意外や意外、かなり広く水芭蕉が群生していてみごとに花を咲かせている。水芭蕉を求めて尾瀬にやってきた人はここに立ち寄るんだろうか、おそらく素通りしてしまいそうな穴場だ。そして肝心の尾瀬はまだ残雪深く、軽装備でしか来なかったもので大清水入口で入山を断念した。
というわけで、この夏尾瀬を再度訪ねることになった。
今回も大清水から尾瀬に入る計画で、最初の宿は尾瀬戸倉の「尾瀬パークホテル」に取った。何時にチェックインできるのかわからないので夕食は予約していなかったが、予定より早く到着したのでさっそく夕食を申し入れた。すぐにはOKは出なかったが、間もなく準備ができたというので食堂に入ると、とんでもない豪華な夕食。シカ刺しに牡丹鍋の小なべ、山菜におでん、そのほかとてもとても食べきれないほどの料理の数々。いくらの夕食だろうと心配になったくらいだ。翌朝チェックアウトする際に宿泊明細を見てびっくり仰天、夕食抜きで予約した料金、いくらだったか、確か8000円足らずといったところだったが、ほとんど変わらずの8000円をわずか出た程度。何か間違いではないだろうかと宿の主人に確認してみると間違いはないという。わからん。神に、いや宿の主人にただ感謝としか言いようがない。
ラッキーと言えば、計画した尾瀬の2泊3日はすべて雨の予報にもかかわらず、どの日も真っ青な青空に夏雲が浮かぶ登山日和。さらに、当初の計画では大清水から尾瀬に入る予定だったが、宿の主人から、大清水からではなく鳩待峠から入山した方がいいですよとアドバイスを受け、結果、これが大正解。大清水に下りてきて感謝、感謝になるわけだ。「先達はあらまほしきこそ」は間違いのない真理であることを実感した。
さて、宿の主人のアドバイス通り、乗り合いタクシーに乗って鳩待峠に向かった。
鳩待峠から尾瀬ヶ原入口の山ノ鼻まで3.3㎞は朝もやが残る林間を下るだけ。ただ先日の豪雨の爪痕があちこちに残っていて、応急処置の木橋や木道がところどころにある。山ノ鼻では鳩待峠でボランティアのガイドから勧めらえた尾瀬研究見本園巡りに加わった。ガイドはボランティアのご夫婦。モウセンコケや池塘(湿原に点在する池)の不思議の説明を受ける。鳩待峠のボランティアガイドといい、ここのご夫妻といい、心のこもったガイドで、これからの尾瀬めぐりがどれだけ楽しくまた心強く思ったことか、本当に尾瀬を愛されている姿に心から感動した。
見本園巡りを終えて、ここからは尾瀬ヶ原のメインコース、牛首分岐、竜宮を通って約6.6㎞、木道をたどる尾瀬ヶ原縦断コースを行く。後に至仏山、前に燧ヶ岳を見ながら湿原に咲く花々、特にこの時期には池塘に咲くヒツジ草(スイレンを小さくしたような花で午後2時(未の刻)に開花するところから由来する名)を求めての遊歩となる。竜宮小屋で昼食。尾瀬パークホテルで作ってくれたおにぎり弁当がまた美味い。ホテルの主人にまたまた感謝。腹ごしらえを終えると再び木道をたどる。道中、清流の橋の影で見かけたイワナ、もう咲ききってクマの大好物になる水芭蕉の実と沼地に残るクマの足跡、緑一色の尾瀬に咲くコオニユリやサワギキョウ、だだっ広い平原にポツン、ポツンと頼りなく立つ白樺の幼木、真夏の太陽も心地よい尾瀬歩きは次の宿、弥四郎小屋まで続いた。
2011年の夏
早いものでもう8月も3日になってしまった。
夏と言えば、お盆がピークのような気がするが、いつもの夏のようになんとなく高揚感がわかない。
昨年は酷暑酷暑の夏で、個人的にも健康面で落ち込んだし、いい夏ではなかったが、今年の夏は世の中全体が晴れない雰囲気でいやだ。
一番の原因はなんといっても東北大震災であろう。震度9なんて地震はそう滅多にあるものではない。いまだに時折流れる当時のビデオを見ても、あれはCGとしか思えない。この世の出来事とはとても思えないのだ。その後も日本のあちこちで震度5を越える地震が頻発し、このままではひょっとしたらもっと大きな地震が起こって、日本列島全体が地球規模の地崩れで日本海溝に落ち込んでしまうのではなかろうかと心配になってくる。
大地震そして津波と、これだけでもへこんでしまうことなのに、福島原発事故がいっそうそれに拍車をかけ、今や日本列島全体が放射能汚染で恐怖に慄いている。
腹が立ってしょうがない。地震、津波は人間の力ではどう防ぎようもない。しかし、福島原発事故はそうではないからだ。想定外想定外とよく言われるが、東北地方大地震のマグニチュードは9.0で20世紀以後に起こった地震では世界第6位なのである。マグニチュードは10までを想定されていて、地球規模の地殻変動とか恐竜が絶滅したとされる小惑星衝突による地震はもちろん想定していない。マグニチュード9.0は明らかに想定内だし、9.5の地震が現に起こっているのである。
それが、大地震が起こり、津波が起こり、冷却用の主電源が切れたら稼働するはずの補助電源が津波をもろに受け稼働しなかった。そしてメルトダウンにメルトスルー。チェルノブイリを越える有史上最大規模の原子力事故に。
うん?うん? こんな稚拙な原子力発電所をよくも作ったものだ。こんな事態は想定内と誰も判断できなかったの?人災以外の何物でもない。
金にはならないからと言って日本全土から広葉樹林を駆逐して今や売り物にならず放たらかしのスギ、ヒノキに替え、水防と水資源確保しか目になく作った数多くのダムが海岸線を細め、溜まった土砂で半分もダム機能が果たせなくなったり、全国いたるところに作られた高速道は二酸化炭素と窒素酸化物をまき散らし、スギ花粉と合わさって全国民に花粉症、喘息、ひいては肺がんの増加をもたらし、ゆとり教育で学力差を助長し、また今度は落ち込んだ学力回復のためと教科書の先祖返りをしたり、学級崩壊、先生、生徒の精神障害増加、
いったいこの国の指導者はどこまでのことを考えて国策というものを考えているのだろう。稚拙だ。実に稚拙だ。よって来るものは自己の栄達と保身、その場しのぎの場当たり主義。国の借金900兆円はその象徴だね。
それでも日本は世界でも冠たる地位を築いたじゃないか?
バカ言ってんじゃないよ!
どうしようもない政治家たち、国民の血税に群がる吸血鬼的高級公務員、年収1億円てそれに見合った仕事をしてるの?そんなに価値ある人間なの?と思いたくなる各電力会社やこれに類する会社の役員たち。
こんな穀つぶしどももしょって日本は生きていかなきゃならないんだからたいへんだ。
国民は超一流、政治行政は三流以下って世界が見ているのもむべなるかな。その通りだよ。
東北地方の人たちのがんばり、なでしこジャパンの快挙、それでも今年の夏は気分が重い。