クールジャパンと大和しうるわし

夜はもっぱら家庭教師という勤労老人にはテレビと無縁である。
それでもお正月とかたまの休みに見るテレビに一つの特徴を感じる。
学校か塾かと錯覚するような学習クイズ番組がやたら多いことと、グルメ番組そして日本礼賛番組が多いことである。
クイズ番組といえば思い出すのが『二十の扉』。
1947年(昭和22年)から1960年(昭和35年)まで毎週土曜日の夜7時30分から30分間放送されたクイズ番組の草分けで、大人から子供まで世代を問わずに誰もが楽しめることから国民的な知名度と人気を誇ったNHKラジオの看板番組である。
昨今のクイズ番組のようにもっぱら知識を試す内容ではなく、機知と想像力を試す趣向が強かったように思う。
そのNHKがいまやたら力を入れている番組が『cool Japan 発掘!かっこいいにっぽん』である。そのキャッチフレーズは「『COOL JAPAN』というキーワードが世界中で飛び交っている。ファッションやアニメ、ゲーム、料理など、私たちが当たり前と思ってきた日本の様々な文化が外国の人たちには格好いいモノとして受け入れられ、流行しているのだ。『COOL JAPAN 発掘!かっこいいニッポン』は外国人の感性をフルに活かして、クールな日本の文化を発掘して、その魅力と秘密を探ろうという番組です。」とある。
作家で演出家の鴻上尚史と、父親はアメリカ人、母親は日本人のタレント、リサ・ステッグマイヤーが司会をして、ご意見番1人、そして来日間もない各国の外国人8人くらいで構成され、例えば『文房具』というテーマを取り上げ、商品映像や商品が開発、発売されるまでのドキュメンタリーを交えながらディスカッションするというバラエティ番組である。
そう言えば昔、もう30年も前になるが、思い出されるのが講談社が外国人向けに出版した『DISCOVER JAPAN』という2分冊である。知日派の外国人がこの『COOL JAPAN』と全く同じようなテーマを取り上げて日本の文化を広く深く紹介していたが、そのリフレッシュ版のような気がする。受験生に読ませたのが懐かしい。
この『COOL JAPAN』が始まったのが2006年で、海外向けにも放送され、その影響もあってか、当初は主に秋葉原に代表されるようなマンガやアニメ、渋谷・原宿のファッションなど、ポップカルチャーを指していたこのクールジャパンは、今では食品・食材や伝統工芸、家電、神社仏閣のたたずまいなど広範囲にわたった日本文化の特徴を指すようになり、2010年には経済産業省が日本の文化産業の海外進出、人材育成などの促進を行うクール・ジャパン室を創設、その後文部科学省、外務省の2省も加わって、政府としてもクール・ジャパン現象を推進することに力を入れている。民放テレビでも花盛りになったわけだ。
東京オリンピック招致で一躍有名になった「お・も・て・な・し」は日本人の精神性をも表すものと理解され、クールジャパンをさらに裏打ちした。
来日した外国人のブログを見ていると、あまりの日本礼賛ぶりにこそばゆくなるが、クールジャパン、かっこいいニッポンだけを見ているのではない、日本のおもてなしの精神をしっかり受け止めてくれているのがうれしい。
岡倉天心が『The Book of Tea 』で著した「たかが茶されど茶」が、明治維新の欧化思想吹きすさぶ中、偏った国粋主義ではなく日本文化を掘り起し、外国にも広く日本文化の特徴を紹介したように、いまや「Cool Japan」は「戦後レジームからの脱却」を声高に叫ぶより早く戦後レジームから解放され、世界に羽ばたこうとしているのだ。
ともすれば慢心するのが人の常だし、国の常だ。日本礼賛、クールジャパンを自ら声高に発するのではなく、世界からそう受け止めてもらえることが大切だ。
日本武尊の辞世の歌「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山こもれる 倭しうるわし 」の『うるわし』は実にいい言葉だ。
うるわしの国、日本。なってほしいものだ。 

ベラスコ ―日本の秘密諜報員―

 
2015年平成27年未年、目の前にかかっているカレンダーをあらためて見直している。
戦後70年、長いような短いような、わが人生を振り返ってみても平々凡々だったのか波乱万丈だったのか、アルツハイマーではあるまいに、思い出のほとんどが霧の彼方へと消えて行っていることを自覚することがある。
参考のためにと、日本の人口構成の統計を調べてみたら、70歳以上、つまり1945年昭和20年以前に生まれた人が約2200万人、日本の総人口の約19%、2割弱が存命している。戦前生まれがまだこんなにいたのかと驚くと同時に、あの世界大戦とその後の歴史が他人事ではなく、自分たちがそこに生きてきたんだという実感と、この戦後70年という節目を考えてみる意味は大きいと思う。

そんな中、この正月に、あまり見たい番組もなく、そんな時よく見るNHKのオンデマンドで探していたら、30年ほど前に見た『NHK特集 私は日本のスパイだった ~秘密諜報員ベラスコ~』があった。びっくりした。こんなに古い番組が残っていることと、ちょうど戦後70年という節目にまた出くわした奇遇を思ったからだ。しかし、よく考えてみるとNHKもこの年だから紹介欄に掲げたんだろうから、ぼくが見つけ出したわけでもない。
それでも30年は古い。
1982年に放送され、第37回芸術祭大賞、第15回テレビ大賞優秀番組賞ほか多くの賞に輝いた作品だそうだが、当時どれだけの人がこれを見たのか、今このブログをお読みいただいている人の中にもそんな人がいたらうれしい思いだ。

番組内容もほとんど忘れていたが、いまあらためてこの番組を見たとき、今次世界大戦がいかに無謀で無防備だったのか、今もそうだが、当時も情報戦を制さずして勝てるわけがないわけで、開戦1年前にはすでに日本の暗号はすべて解読されていて、これが敗因の一つになったといわれている。
その解読文書がアメリカの公文書図書館に残っていて、日本の交信記録を紐解く中、日本の秘密諜報機関に「TO」という組織があり、その中心人物がユダヤ系スペイン人「ベラスコ」であることを突き止めたNHKのスタッフが、当時存命中のベラスコに接触、インタビューした記録がこの『ベラスコ』である。
アンヘル・アルカサール・デ・ベラスコは日本では当時まだ知る人もほとんどなく、この放送で初めて明るみに出、実は世界ではよく知られている一流スパイで、ドイツナチス、とりわけヒトラーの信頼厚い人物であったことが知られることになるのである。
その後、作家の高橋五郎氏がこのベラスコに接触し、『超スパイ ベラスコ──今世紀最大の“生証人”が歴史の常識を覆す』で著した内容は、歴史事実を覆すことばかり。
ベルリンの『フューラー・バンカー(地下官邸)』で愛人エバ・ブラウンと自殺したことになっているヒトラーは実はそこを脱出していたこと、第一側近のマルティン・ボルマンも同じく同所で青酸カリを飲んで自殺と断じられたがこれも嘘であることを、その現場にいたという生き証人ベラスコが語っている。
さらに驚くことは、広島に落とされた原爆が実はナチス制原爆で、ナチスドイツはそのときすでに2発の原爆を保有し、それがドイツ国防軍元帥ロンメルの裏切りで連合国に渡ったものであることも語っている。
NHKの番組ではなるほどそこまでは踏み込んではいず、「TO」組織で日本に多くの連合国情報を伝えたが、日本がその情報を真剣には取り上げなかった悔しさを語るのみで終わっている。

伝えられる歴史というのはそういうもので、我々が学んだ歴史もよく「英雄史」だと言われた。表面に出た出来事の奥底にはそれとは裏腹な事実が存在し、実のところはそれが時代を変えているんだという認識も大切だ。
今話題の「イスラム国」問題もアラブの体制側、アラブ産油国の大富豪たちの安泰が西側にとっても有益だから、その側から問題を取り上げ、それが報道され、それこそが真実だと思わされてはいないか、なにも「イスラム国」に賛同するのではなく、パリで起こったテロに同情的になるのでもなく、表に出た「真実」のみを鵜呑みにする愚は避けたいものだ。

https://www.youtube.com/watch?v=Z7PR8MVIaSo
https://www.youtube.com/watch?v=MxDPsuEkEzg
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc101.html
https://www.youtube.com/watch?v=WVsgsJzJWUA