夏最後 日干しボートと 波の音


At the end of the summer vacation there is no one in the beach where there is so much crowd. On the beach there are several colorful boats and you can hear only the sound of the waves.

いよいよ今日で8月も最後。学校の夏休みもおしまいだ。といっても、最近は今日まで夏休みというところは少なく、今週の月曜日から始まっている学校はたくさんある。高校の3年制なんかは先々週から授業というところも結構ある。

この夏休みの短縮は大いに問題ありと言いたい。

習うことが多くなり、公立学校の場合は土・日が休みということもあって、夏休みを削らなければ授業が消化できない。夫婦共稼ぎの家庭が増え、子供の管理が行き届かない。だから、夏休み短縮賛成ということだが、果たしてそうだろうか。

学校の授業なんかも昔からかなり無駄があり、毎日6時間、週5日もあれば十分だ。何でも一律にするのが問題で、それでは授業が消化できない子にはその対策を取ればいい。これもできる。学校から帰っても親がいないこの対策もなんぼでも対策は考えられる。

子どもたちにとって、夏休みがどんな意味があるのか、もっと深く考えるべきだ。年寄りの冷や水で済ませてほしくない。

困難なことが起こると深く考えることなく場当たり的対応が、学校だけではない、近年多すぎる。

21世紀社会は大きく変化している。情報化社会と言われ、技術革新の時代と言われ、生活スピードが時間の二乗くらいに比例している時代に人が対応しきれていない。振り回されている。物事を立ち止まって考える隙がない。

哲学不在。またまた、これが結論。

滝しぶき 浴びる桔梗と カナカナと


Sounds of waterfalls and cicadas are only noise for foreigners, but not for Japanese. They remind Japanese of the season or the various feeling.

日本人は独特な感覚を持っているようだ。小泉八雲が日本にやってきて松江に住み着いたとき、鈴虫を大切に飼っている隣人を不思議に思った。最初はこんなうるさい虫をなぜ大切に飼っているんだろうと。

しばらく住むうち、やっと気づいたそうだ。美しい。この音色は美しい。隣人はこの音を鑑賞したいから飼っているんだと。

鈴虫を通して隣人と親しくなり、秋の夜長、ともに鈴虫の音を鑑賞しながら談笑し合ったという。

鈴虫も蝉も滝の音も外国人にはただうるさいだけの騒音にしか過ぎないそうだ。そんな中にもやはり日本人と同じ感覚の人もたまにいるそうで、しかし、変わり者ということになる。

暑い暑い夏も風鈴の音で涼を感じ、川のせせらぎにも耳を澄まし、浴衣にうちわ、すだれの内でゼリーの京菓子を食べて満足げ。

日本人は本当に不思議な民族だ。

花山の 湯柱冷やす 木芙蓉

The origin of the famous hot spring “Hanayama Onsen” in Wakayama city is said to be the year 803 AD.  A hot-spring pole stands at the entrance and Fuyo’s flowers were leaning against it and blooming listlessly.

和歌市街のはずれ、何の変哲もない住宅街の一角に、知る人ぞ知る名湯がある。地下500mから自噴する“源泉かけ流し100%濃い茶褐色の湯”が自慢の昭和の香りを色濃く残す温泉宿「花山温泉」である。

別名「薬師の湯」として市民にも親しまれる花山温泉の起源は、遠く803年まで遡れる、日本三古湯(有馬温泉、道後温泉、白浜温泉)に次ぐ温泉で、歴代の天皇が熊野詣の折は必ず入湯したという曰く付きの温泉である。

天変地異による地質の変化でしばらく自然湧出が止まっていたが、ボーリングにより再び自然湧出し、昭和43年(1968年)に再開されたので“昭和の香り云々”というキャッチフレーズを掲げている。

近くの花山の登ると、万葉集でもよく歌われた和歌の浦や、除夜の鐘で毎年のように放映される紀三井寺が一望できる。

残暑厳しい晩夏の一風呂もなかなかいいもんだ。

コスモスが 咲いてご機嫌 今日の富士

As the typhoon carried all of the clouds, today the whole of Mount Fuji can be seen, a rare sight. Furthermore, the cosmos blooming along the lake is beautiful, too.

富士山の冠雪が完全に消えるのはほぼ8月と9月の2カ月である。4月が最大になり、それから徐々に消えていくが、完全に見えなくなるのに3カ月もかかるのだ。7月でもうっすらと見える年がほとんどで、8月には見た目にはほぼ完全に見えなくなる。登ってみと山襞に結構残り雪があるが、遠くからは見えない。

頂上の火口とその周辺には万年雪がドカッと残っている。

世界には美しい山はたくさんあるが、富士山ほど均整の取れた美しい山は珍しい。独りよがりではなく、どの外国人もそれは認める。高すぎず低すぎず。すそ野に伸びていく曲線は数学的な美しさがある。

富士五湖のどこから見てもそれぞれの背景を配し、溶け合い、四季折々に咲く花々は数知れない。それもあってか、周辺のどの町々を歩いても、軒下にはそれを真似たように花を咲かせている。

今日の富士はこの時期には珍しく雲がかかっていない。台風がさらっていったんだろう。山中湖畔に咲くコスモスの美しさが一段と目立った。

指で差す 紅恥ずかしや ニチニチソウ

A red and little flower core in the middle of pure white petals of Nichinichiso is very impressive. It looks like a girl painted rouge by her finger for the first time.

まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり


やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり


わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな


林檎畑の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ

初恋  島崎藤村

おばちゃんも 浴衣で見直す 盆踊り

In Japan, festivals for dancing called Bon Odori are held throughout the summer. Participate in dance with yukata and various clothes regardless of age and sex. When this is over it is time for autumn to come.

夏中各地で開かれていた盆踊り大会も最後になった。盆踊りにが中断した合間には虫の声がする。集中豪雨や台風には見舞われ、被害にあわれた方にはお見舞いを申し上げたいが、その後大した災害もなく夏を乗り切れた。米作も平年並みらしいし、野菜の値段もひところからは大分安定してきた。

最近は学校の夏休みも短くなり、電車に乗っても生徒たちでいっぱいだ。我々の小さい頃は夏休みは6週間。間に2,3日の登校日というのがあって、別にいかなくてもよかったから、6週間まるまる休みだったわけだ。

このころになると夏休みの宿題や課題のやり残しを整理するのに追い倒される。よく友達の手伝いをさせられたものだ。

山に行っていたころは、お盆を過ぎて出かけた。シーズン中は人が多くて山歩きも容易ではないし、気が急かれる。いきおい天候には恵まれることは少ない。山の気候もお盆を過ぎると急激に変化し、晴れ間は午前中だけ。昼を過ぎるとみるみる雲が張り出してきて、突風が吹き雨が降り出すこともある。

盆踊りもただ見ているだけだが、見ながら昔を振り返ることが多くなった。寄る年波身には勝てずの思いだ。


湖沼には 映る白雲 残り蝉

There are no persons in the lovely lakes, the white clouds reflected on the lake surface flow quietly and I only hear the cicadas chirping finely.

今日は爽やかな朝です。台風の残り風か、少し強めの風が時折吹き込んできます。昨日までは生暖かい風でしたが、今日はさらっとした風です。それでも気温を見たら28度ですから決して涼しいという温度ではありません。

WordPressのエディターがすっかり一新し、と言ってもまだ正式リリースではありませんが、何でも新しいものに興味を示すサルなものですから早速導入し、ちょっと手探り状態といったところです。

昨日までも我がブログ『水のごとく雲のごとく』のヘッダー部分にエラーが表示され、それを解消するために悪戦苦闘しました。

画像のない記事に出るエラーということに気付き、無理矢理に画像を入れることで問題は解決されました。

しかし、今日はまたグレードアップされ、画像を必ず入れなくてもエラーは出なくなったようです。

こうして日進月歩、あらゆることが急速に変化していく時代です。興味津々ですが、いつまで生きられるか、忸怩たる思いはあります。

夏の陽を 受けて涼しげ ポーチュラカ


Poachuraca crawling the ground with plenty of summer sunlight seems to be really cool as red and yellow flowers bloom.
台風20号が昨夜徳島県南部に上陸し、今日午前0時には姫路市に再上陸した。ここ大阪でも夜半から強風が吹き始め、もう通過して8時間も経った今も時折強い風が吹いている。
それにしても、今年の台風は異常だらけだ。
この20号台風も太平洋から関西を直撃したわけで、例年なら大体九州に上陸してそれから東に進むというのが普通のコースで、台風12号などは三重県に上陸して真西に逆走した。最近高速道の逆走車が話題になっているが、台風も真似たのかもしれない。さらにこの台風、九州ではグルーっと円を描くように屋久島あたりも見物して一周したというから、もうまるで生き物だ。
また、今年の第1号台風はなんと1月3日に発生していて、それでも観測史上3番目というから置くとして、2月11日、建国記念日に発生した台風2号は、2月に発生した台風としては1965年以来53年振りということでこれも異常。
4月、5月は音沙汰鳴く、6月に入るや、7月と合わせて12個の台風が発生。普通なら6月が平均1.7個、7月が平均3.6個で、合わせても5.3個だというから、発生数も異常。
今年の日本を取り巻く気候環境はすべてが異常づくし。これが日本だけならまだしも、世界全体がおかしいというから、このままでは地球環境全体がガラッと変わること必定。
様々な国際機関も警告を発し続けているが、遅々として改善は進まず、地球規模の大災害でも起こらない限り、人類は目覚めそうではなさそうだ。あ~あ。

奥高野 雲海晴れて 白き花


Nosegawa-village located in the back of Koyasan is one of the few unexplored region in Japan. The mountains of the Kii-mountain range are floating on the cloud sea of the dawn. There were pure flowers in there.
昨日は野迫川村を訪ねました。
実は訪ねましたとは簡単には言えない僻地で、やっとたどり着いたというのが実感です。
人口わずか400人くらいの村で、世界遺産の高野山の奥、紀州山地にあります。
ここに行くには2つか3つルートがありますが、どのルートをたどっても、車一台がやっと通れるという道をたどらねば行けません。僻地になった原因です。
和歌山は関西では温暖な地域でこの日も気温35度でしたが、ここ野迫川村は25度でした。
海抜700mですから特別高山というわけではありませんが、年間の平均気温が9度と言うことですから地形が大いに関係ありそうです。
この低い気温を利用した「高野豆腐」が有名で、ここでできた高野豆腐が高野山に運ばれ、そこで有名になったので「高野豆腐」という名がついたそうです。
高野豆腐は東北地方とか、長野県といった寒冷地帯で主に作られ、今では長野県が一番の産地ですが、野迫川が原産地だといいます。
今でもこんな僻地ですが、高野山を開いた弘法大師がすでにここを訪れ、日本三大荒神と言われる「荒神社」を開き、今も村の守護神になっています。
また源平の戦いで敗れた平家のイケメン維盛がここに落ち延び、ここで亡くなったという「維盛塚」が祭られ、毎年7月の最終土曜日には「平維盛の大祭」が開かれ、こんな僻地にもかかわらず多くの観光客が訪れるそうです。
自動車時代の今だから僻地ということになりますが、昔は歩いてここを訪れたわけですから、この程度の山岳道は日本のいたるところにあったわけで、僻地でもなんでもなかったのかもしれませんね。

逝く夏の 最後を惜しむ 花火かな


While watching the last fireworks this year, I remembered various memories. In a nutshell,  I spent this summer every day for health recovery and maintaining.
夜ともなれば遠くから盆踊りの音頭が聞こえてきます。この夏最後の行事です。
各地のゲリラ豪雨による水害から始まったことしの夏もいよいよ幕を下ろそうとしています。
お盆前後から急激に温度が下がり、秋の訪れの早さに戸惑ったのですが、今週辺りからまた元の夏に帰りそうな気配ですが、もう40度を超すようなバカ暑い日な無いでしょう。
自分にとっては今年の夏は遠出もせず、おとなしく自宅で過ごす夏になりました。
1月に発症した狭心症(?)のショックで、体の再点検と生活万般に見直しを最優先にした結果です。
4分の3世紀も生きたわけですから、体のあちこちに歪ができるのは当たり前。それに注意を払わず、のうのうと暮らしてきた自分に恥じ入る毎日です。
生きるなら、健康で誰にも迷惑をかけずに行きたいものですが、そのための努力は払わねばなりません。
また、ただ単に生きるだけでもつまらない。夢と希望を持ちながら生きたい。
ポーン、ポーンと勢いよく良く打ち上げられる花火を見ながら、来し方行く末を考える昨晩でした。