熱闘に  涙を拭う 甲子園


The high school baseball exciting game has been played every day in Koshien. My towel prepared are soaked  with tears of the impressions 
夏と言えば甲子園。これも日本の夏を代表する行事です。
今年は百回目の記念大会で、全国から選抜された高校が連日熱戦を繰り広げています。
昨日はその準決勝。一方は春優勝の大阪桐蔭高校が予想通りに勝ちましたが、もう一方の秋田代表金足農高と東京代表の強豪日大三高の戦いには熱い視線が集まりました。
それこそ手に汗を握る戦いで、結局金足農高が予想を覆して2対1の接戦で勝利しましたが、秋田代表が決勝に進出するのは103年振りということもあって、地元は狂喜乱舞。
試合中から涙涙でしたが、試合後は選手や応援団の喜びを見てもう濁涙。さらに地元の喜びが放映されると、こちらまで一緒に万歳を叫びたくなるような感動でした。
それにしても、100回大会で103年振りはつじつまが合わないと、秋田の親戚に問い合わせたら早速返事が返って来て、第二次世界大戦で何回か大会が流れたからということ。なるほど。
感動の中に、少し複雑な気持ちが宿る一日にもなりました。
今日の決勝。秋田金足農高を全力で応援するぞ!

和泉野に 流し素麺 涼を呼び


I ate Nagashi-Somen with farming village in Izumi City, Osaka. While the cool breeze blows, the taste of somen noodles that scoops and eats the flowing noodles is exceptional.
西国33カ所の第四番札所施福寺に近くに「いずみふれあい農の里」があります。いちご園や貸農園があり、土日には家族連れで賑わいます。
月に一回、そば打ち教室が開かれ、一時間かけてそば粉からそばを打ち上げます。それが終わって先生が打ったそばをいただくのですが、これがまた絶品。手打ちそばを掲げるおそば屋さんの何処のそばよりもおいしい。これが楽しみでそば打ち教室に通っているといってもいいほどです。
昨日は夏恒例の流しそうめんが開かれたくさんの家族連れが来ていました。
高原の涼しい風に打たれ、眼下に広がる大阪の街並みや、その向こうに広がる大阪湾の海を眺めての流しそうめんの味は格別です。
木なりのブルーベリーを食べたり、もぎ立てのトウモロコシをその場で湯がいたり、焼いたりしている家族もいます。
小山を超えたところのには小川(こがわ)の集落があり、世帯数14,5軒、そのほとんどがご老人という限界集落です。
ひところはミカン栽培で栄え、その名残を留める立派な家々やミカンの貯蔵庫がその時代のまま残っています。
今そこを甦らそうというプロジェクトが進められていて、パソコン一つで仕事ができる人たちを誘致したり、ホタルを飛ばしたり、ヤマユリを一面に咲かせたりして宿泊客を誘致する計画が進められています。

涼しさに 我が意を得たり 大ススキ


It suddenly became cool, so it seems that Oosusuki, pampasgrass, are encouraged to be cheerful.
昨夜は窓を開けて寝ていたので、明け方は寒いほどだった。気温を見たら21度。
一昨日8月17日には北海道の大雪山山系の黒岳で初雪が降ったという。
1974年から観測され始めてこんなに早い初雪ははじめてだそうだ。
このところ、こうして観測史上初めてだとか、何十年ぶりとかいう気象が多すぎる。
大ススキは正式にはパンパスグラス、和名では白銀葦(シロガネヨシ)という。普通のススキより大振りで背も高い。
日本人は普通の枯れすすきがお好きなようで、大ススキにはあまり関心はない。
最近は山野だけでなく、庭や街路に植えられているようになった。
季語で言えば秋だが、もうこんな気象状態では季語と季題が一致しないことが多くなった。
こうした花々だけではない。野菜や果物でも、季節に関係なく一年中目にし、食するようになったから、果たして俳句に季語を置く意味がどれだけあるのかと思わざるを得ない。
今週はまた暑さがぶり返すそうだが、ほどほどにしてほしい。

向日葵は ゴッホも夢みた ユウトピア


Sunflowers are in bloom as far as the eye can see. Whenever seeing them, I think of Van Gogh. I’m sure that the sunflower is the only thing to find the heart base for him. As it were, the sunflower was utopia for him.
なんか冷え冷えする朝だ。夕べなどと薄い夏蒲団では体が冷えて、急遽毛布を取り出したくらいだ。
来週あたりからまた暑さもぶり返すと予報しているから、ひと時の憩いといったところだろう。
さて、ヒマワリ。
ヒマワリは夏の真っ盛りを象徴する花だが、結構息が長く、見頃は7月中旬から8月中旬と言われているが、最盛期は8月下旬だから、今頃が一番の見どころかもしれない。
沖縄などは1月下旬から2月初めにヒマワリ祭りが開催されてるところがあるそうだし、反対に北海道は10月くらいが見どころというところもあるそうだから、日本列島全体で見れば1年間咲きっぱなしということになる。
ヒマワリと言えば、思い出すのはゴッホ。
一時ゴッホの虜になって、絵画集や書籍を集めまわったことがある。
筆タッチの荒々しさというか力強さ、さらに色彩の鮮やかさに引き付けられた。
中でも、ヒマワリをテーマにした作品群はいろいろな曰くがあり、語り出したら切りがない。
日本の保険会社が52億円出してその一つを買ったということで話題になったことがあるが、52億円の出所を考えるとうーんと考えざるを得ないが、ゴッホは日本では異常人気で、ゴッホ展を開催すれば必ず何億円かの収益が出るというから、元は取っているかもしれない。
ゴーギャンとの2カ月にわたる同棲生活の中で生み出されたヒマワリの絵は、ゴッホの作品群の中でも傑出している。ゴーギャンをかなり意識した結果であろう。
ゴーギャンの気を引く為に書いたという評が多いが、そうではなくゴーギャンをぎゃふんと言わせたかったからだとぼくは思う。
ゴーギャンは実物を写実するよりも、実物を抽象化して頭に浮かんだイメージをキャンバスに描くが、ゴッホは写実派だ。まるで画風が違う。
頼み込んで同棲してもらったゴーギャンとの共同生活も2カ月で破綻したのも当然だと言えば当然の結果だが、互いに非常に影響しあったことは確かで、ゴーギャンにもその後ゴッホの影響を受けた痕跡が見受けられるし、ゴッホもその後の画風が一変している。
今日はもうこの辺で置いておこう。

たらふくと 西瓜も食べた  悔いは無し


Everything of watermelons in this year was sweet and delicious. Even this alone is very satisfying and thankful to God.
今朝の気温は23度。久しぶりですがすがしい朝を迎えた。
このままでは済まないだろうが、コオロギも鳴き出したので、意外に秋は早いかもしれない。
今日はスイカの思い出。
中国に滞在していた時、夏は毎日のようにスイカを食べていた。
というのは、中国では北京や上海といった大都市でもまず水道水が飲めない。だから大概の家にはウォーター・サーバーが備えてあって、ボトルを買ってセットし、普段はそれを飲む。
しかし、夏はスイカを買って、それを食べて飲料水代わりにする方が安くつく。
大玉でも高くて150円どまり。
中国の団地は、何々城といって、大概の団地が高くて頑丈な塀で囲まれていて、入口には守衛が出入りを厳重にチェックしている。
夏になると、その門の前に、スイカをいっぱい積んだトラックが何台も駐車していて、店を出し、売り切れるまで何日でも待機している。
だから、もう夏の終わりには、まさしくスイカ腹だ。
繁華街に出ても、あちらこちらの屋台で、スイカやメロン、マンゴーといった様々な果物を冷やして箸に挿したりして売っている。ヤシの実を絞った白いジュースなどは牛乳そっくりで、とても美味しい。それに何といっても安い。100円もあればお腹を壊すくらい食べられる。
一度、上海郊外の百姓家を訪ねたことがあるが、スイカ畑は桁外れ。とにかく畑の端が見えない。そこにスイカが何千個だろう、スイカ、スイカ、スイカだ。もうこれを見ただけでも、中国は何という国だろうと唖然としたことを覚えている。
しかし、こうして日本のスカを食べると、やはり日本の方が美味しいし、ともかく甘い。
昔は当り外れがあったもんだが、最近はそれがない。日本人の琢磨ざる向上の精神の表れだろう。

ツクツクが 鳴き始めたよ 夏仕舞い


The tsukutsukuboushi cicada began to sing. This summer finally peaked beyond. It is exactly like the proverb ‘Time flies like an arrow’. What kind of memories remained?
山にし越し入るとニイニイゼミに代わってツクツクボウシが鳴いていました。ツクツクボウシはちょうどお盆が過ぎると鳴き始めます。
ツクツクボウシは、以前は、関東以南でしか聞くことがなかったのですが、最近では東北地方でもよく聞くようになったそうです。ここにも気候変動の兆候が表れています。
南方のスコールを思わせるゲリラ豪雨、台風の変な動き、40度を超す超猛暑日、海や山の動植物の変動、日本の気候は確実に変わってきています。
これが日本だけなのか、世界規模の変動なのか、まだしっかりした見解は見受けられませんが、様々な期間が地球の危機を訴えています。
エネルギー資源が石油、石炭といった化石燃料に頼っていてはいつか資源が枯渇する、二酸化炭素が増加し地球の温暖化を招くと、原子力エネルギーの早急な導入が叫ばれ、世界に500基もの原子力発電所が建設されたが、チェルノブイリ、スリーマイル島、福島を始め、たくさんの原発事故が発生し、またまた毛席燃料に依存しつつあるのが現状。
太陽光発電、風力発電、海洋発電、地熱発電など新たなエネルギー資源が生まれてきてはいるが、まだまだ化石燃料や原子力発電には及ばない。
21世紀前半には解決しなければ、地球環境が大変なことになるといわれていても、国際環境はその合意も得られていない。
難しいですね。どうするんでしょうね。

霊魂(たましい)を あの世とこの世 繋ぐ盆


Bon Festival is the day the ancestral spirit and we meet once a year. Various events will be held throughout Japan during this period.
8月10日、NHKテレビで『新日本風土記 あの世この世』が放映された。
「あの世」から亡くなった人の魂が「この世」にやってきてひと時一緒に過ごすお盆。
迎え火でお迎えして、仏壇を飾り、お料理を作り、盆踊りをし、海に繰り出し、畑を練り歩き、できる限りのお接待をする。
竜舞いを披露する広島県比婆山の山村、お祓い五幣を帆柱いっぱいに飾って迎える島根県隠岐の島、大阪紀淡海峡の沼島、奄美、青森、岩手県遠野、日本各地で、「あの世」を思い、「この世」を生きる交流が繰り広げられる。
あの世の魂に接することで、いつかは旅立つわが身に安どの気持ちが宿り、この世に生きる喜びと感謝を精一杯さらけ出すのだ。
そして送り火を焚いて、また来年の再開を約束する。
日本が今こうしてあり、世界でも注目を集め、やって来た外国人が一様に虜になるニッポン。
一朝一夕に築かれた文化ではない。根深く、日本人全体に染み込んでいる魂が魅力ある国を形成しているのだ。
いろいろな歪や矛盾は多少あっても、ゆるぎない伝統と文化をこうして守り、伝えていこうとする民衆のエネルギーを感じる思いだ。
明日16日はいよいよ送り火の日。
京都五山には大文字、船形などの灯がともり、奈良高円にも火がともる。

南海に ブーゲンビリアは 今日も咲き


The soldiers who died in the fierce battlefield of the South Pacific must have surely seen this bougainvillea. Please rest peacefully while watching this flower.
明日8月15日は終戦記念日である。戦後生まれが80%を超える今は、もう戦後という言葉自体に現実味がない。
戦争はテレビや動画のヴァーチャルの世界にあるものであって、ゲームの世界である。
戦後73年、自分の生涯でもあり、振り返れば長くて変化にとんだ73年だった。
実に平和で、物はあふれ、時には大災害にはあったが、国全体が大困難に直面したことはない。
有り難いことだが、あの戦争があったからこうなることができたのか、戦争が無くてもこうなることが歴史の必然なのか、詮索しても意味のないことかもしれない。
しかし、こうして戦後何年という節目節目に歴史を振り返り、これからのことを考えることは意味のないことではない。
今目の前に咲くブーゲンビリアを見ても、南太平洋の島々で亡くなった人たちも、きっとこの花を見たに違いないと思うとき、この人たちが今の日本を見てどう思うだろか。
今は確かに平和だが、実に危うい平和だ。いつ戦争になってもおかしくない火種は世界のあちこちにある。
国内を見ても、2020年の東京オリンピックの話題が多いが、50年前、1964年の東京オリンピックと比べてももうひとつ勢いが感じられない。
これをきっかけに何とか国勢を立て直そうとしている意図を感じるが、前のオリンピックは溢れる勢いから自然発生的に開催されたように思う。
どこに出かけても老人が溢れ、昔はもっと活力があった繁華街にも勢いがない。聞こえてくるのは中国語ばかりだ。
昔は良かったという老人の懐古趣味ではないかと自問もするが、それだけでもなさそうだ。
2020年は戦後75年、四分の三世紀の節目になる年だが、なんとかもっともっと元気な社会に成ってほしいものだ。

この暑さ 浮き世もよそに ヒツジグサ


Water-lily is quietly blooming in the pool of the park where you can hear the voices of children basking in the water.
今日は「盆入り」の日で、「迎え日」である。
と言ってもこれは、これは旧盆であって、東京方面は新盆で行うそうだ。
暦に新暦と旧暦があるのに合わせた日取りで、今はほとんどすべての行事が新暦に基づいていることが多い。
新盆は、7月13日が「盆入り」、7月16日が「盆明け」。旧盆は、8月13日が「盆入り」、8月16日が「盆明け」である。そして、いずれも間の14日、15日が「中日」という。
お盆に限っては、旧盆が幅を利かせているわけだが、新盆のあたりは、祇園祭や、天神祭りのように神道系のお祭りが目白押しで、さあこれからいよいよ夏だぞ、頑張らなくっちゃというので、新盆の影が薄い。
それに比べて、旧盆は8月中旬の夏もピークの頃で、このあたりでひと休み、「盆休み」にしようかということで、日本全国、会社も仕事もお休みになる。
故郷に帰ってお盆を祭り、お墓参りをし、昔馴染みと寛いだりとのんびり過ごしすことができる。
今日もニュースで言っていたが、日本人はどうも休みを取りたがらない。政府もだいぶ前から休暇を取るように奨励しているが、このお盆の時期でも、丸まる1週間休みを取る労働者は50%を満たないそうだ。
フランスなどは1カ月くらいの休暇を取るのが普通だそうで、日本は国際水準からすると、休暇の取り具合は最低ランクだそうだ。
しかし、どちらがいいのか。国民性の違いの原因はいろいろあって、日本には日本の特質がある。
日本人は働くのが面白いんだ。それに比べて、西洋人は、仕事は生きるため、食うためであって、決して面白いことではない。だから「レジャー」が必要なんだ。憂さ晴らしだね。
なーんて言っていたら、今の時代、笑われるかね。
精霊流し』でも聞くとするか。

劔見て 血は沸きたてど 夏の夢


Mt. Tsurugi was a mountain that I wanted to climb once. I am only gnashing my teeth by looking at the breathtaking figure  reflected on TV.
昨夜はNHKテレビで『北アルプスドローン大縦走~剱・立山~』という番組があった。
そこで、立山弥陀ヶ原台地から流れ落ちる称名滝、そこから立山を経て剣岳とドローンを使った映像が放映された。懐かしい映像ばかりだ。
剣岳は一度は登りたいと思いながらとうとう登ることができなかった山である。
薬師岳から一度、立山から一度と2回チャレンジしたが、二度とも悪天候に見舞われ断念した経緯がある。
剣岳は標高2,999mと3,000mにたった1m足りないという山で、日本には3,000m以上の山が21峰あるが、たった1mでその列には入れなった。
とはいえ、危険度においては日本一で、1959年から2016年の約60年間に345人が亡くなっているという魔の山だ。
昔から修験者の山としても有名で、記録では、初登頂者は、明治時代になっての国土地理院職員ということになっているが、その後頂上には奈良時代の物と思われる錫杖の一部が見つかって、もうすでに1,500年も昔に登頂されていることが分かり、関係者に衝撃を与えたという。
テレビで見ていても、足のすくむ思いで、今はとてもとても登れる山ではない。
槍ヶ岳から穂高岳の間にある大キレットは経験があるが、それでも、よくこんな危険なところに挑んだものだとつくづく思う。
ドローンで見る山の風景も、今の時代だ、とても踏み込むことができない場所を鮮やかに見せてくれる。
しかし、やっぱり、この足で、この目で、訪れたい気持ちには変わりない。