三椏(みつまた)の 和紙に滲んだ 恋模様

Mitsumata is a raw material for Washi, Japanese paper. It is the best paper in the world and is used for banknotes and various crafts. If you use it for a love letter, your love will be fulfilled.

春されば まず三枝(さきくさ)の幸(さき)くあれば 後にも逢む な恋ひそ吾妹

サキクサのように 幸いであれば 後にまたお逢いしましょう 恋しがらないでください わが愛しい人よ

万葉集に収められている柿本人麻呂の歌です。

三椏(みつまた)は楮(こうぞ)と並ぶ和紙の原料です。枝が必ず3本に分かれて成長することからサキクサとも呼ばれ、サキは幸に通じるので縁起の良い木としてお寺の境内でもよく見受けられる木です。

楮が和紙の原料として古くから利用されていたのに比べ、三椏が広く知られ利用されだしたのは室町から江戸にかけてですが、人麻呂の歌にも詠み込まれているので古くからはあったのでしょう。

京都の龍安寺(りょうあんじ)の境内に植えられてある三椏は春先に黄色い花を咲かせますが、これが普通で、写真のように橙色の三椏は珍しくベニバナミツマタと呼ばれていて、好事家が品種改良して作ったものかと思われます。

紙と言えばほとんどが洋紙で、パルプを原料にしていますが、和紙は丈夫で長持ちするので、紙幣や様々な工芸品にも利用され、日本独特の文化を形成しています。

日本画の画用紙としても、書道の用紙としても、独特の風合いを出すので珍重され、今も和紙に執り付かれた人たちが、地方地方で様々な工芸品を生み出しています。

欲張らず カネノナルキに あやかりて

The word symbolizing Kanenonaruki is ‘flower that brings good luck’. It is the origin of the name that the leaf resembles a coin. English name of the flower is also ‘dollar plant’.

昨日は「菊芋の会」というグループの花見の会がありました。

一昨日に大阪の桜開花宣言が出たところなので、あまり期待はしませんでしたが、開花していたのは1輪か2輪。さすがにがっかりしました。

大阪の場合、大阪城の西の丸庭園に咲く標準桜が5輪開花したら開花宣言が出るのですが、地域によってはもう7分咲き、8分咲きというところもありますから、開花宣言はあくまでも開花宣言。お花見の会ももう1週間遅らせばちょうどよかったのでしょうが、皆さんの都合もあり、予定通りの決行となったわけです。

写真のカネノナルキも途中で撮ったものですが、名前も面白いですし、英語でも「dollar plant」といわれ、他の地域でも同じような意味の名前がついているので、世界共通認識なんですね。肉厚の葉が丸くてコイン状からそう呼ばれたのでしょう。

実際、日本では、栽培業者が5円硬貨の穴を芽に通して固定し、成長した時、枝に5円硬貨が成っているように見せかけ販売したところから和名はついたようです。

カネノナルキとか成金草とか、この品の良い花からしてちょっと可愛そうな呼名です。

よく見れば このシャガぼくに あかんべえ

When I took a walk in the morning, there were lots of blooming chaga with dews. When I looked at one of them carefully, it was doing Akanbe, sticking its tongue out. Its look was a little naughty and cute. So I brought it home and put it in a vase.

花にもいろいろな表情があります。動物や昆虫の形態に似たもの。人の表情をしたもの。天候や光の当たり具合によってもそれは変わり、見れば見るほど奥深く、見飽きることがありません。

毎年毎年繰り返されるいっけん同じことも、様々な条件によって異なり、見る側の気分によっても変わるから見飽きないのでしょう。

今日出会ったシャガも何の気なしに通り過ごせば、ただ綺麗だけですが、じっと見ると、こちらを見返し、あかんべえをしています。

「あかんべえ」はご存知ですか。両眼のまなじりを人差し指で下げ、舌を出して、相手を揶揄するしぐさで、本当に揶揄したり蔑んだりするのではなく、そうして相手をふざけて茶化すしぐさです。

アインシュタインがべろっと舌を出した写真、見かけたことがありますか、あのしぐさにまなじりを下げるしぐさを付け加えれば「あかんべえ」になります。

このしぐさは日本だけではなく、いろんな国にも似たようなしぐさがあるようです。

小憎たらしいけど可愛いので切って家に持ち帰り、瓶に挿しました。

切って持ち帰ったので、恨んでいるのか、またあかんべえをしています。

野の花は 浮気亭主の 古女房

Cherry blossoms have begun to bloom in various parts of Japan. Everybody goes out for cherry blossoms. Even at that time, wild flowers are always blooming in the local fields.

桜が日本各地で花開き始めました。しかし今日は曇り空。出鼻をくじかれた感じです。

桜は陽光に照らされてこそ、その華やかさが目立ちますが、今日のような曇天の元ではかえって重苦しく感じます。

その点、野に咲く花はこんな日にも小さいながらも明るく心を照らします。

古女房とは女性に対してずいぶん失礼な表現で、こんな言葉もだんだん無くなっていくのでしょうが、味わい深い言葉にも感じられます。

そういえば似たような表現で「糟糠の妻」という表現があります。

「糟糠」とは米かすと米ぬかのこと。つまり粗末な食べ物のことで、そこから生まれた表現に「糟糠の妻は堂より下さず」という慣用句があって、簡単に「糟糠の妻」というわけですね。

糟糠のような粗末な食べ物を共にしながら貧しい時、苦しい時を過ごしてきた妻を、立身出世したからと言って離縁するわけにはいかないという、これも何か時代掛かった表現であり、お話ですが、今や立場が逆転しているご夫婦も沢山見受けられます。

昨日も、夫婦別称が裁判で認められなかったわけですが、社会進出する女性も増え、様々な分野でリードする女性が増えているのは事実で、これも新しい時代の特徴です。

桜を見ての死生観。これもどうも男の見方で、女性の見方ではないような気がします。どうでしょうか。

夕凪に 心澄みゆく 春の海

The calm sea surface is stained red in the sunset. The monotonous sound of the waves leads me to the blissful state before I was aware of it.

4月1日にはいよいよ新元号が発表されます。平成元年(1989年1月8日)と今回の新元号の背景の最も大きな違いは2つ。

一つは、平成は昭和天皇崩御に伴う改元。今回は生前退位に伴う改元という点。

もう一つは時代背景。インターネットが社会、いや世界を変えたといっても過言ではありませんが、1989年はまだその端緒に着いた、つまり大学間でインターネットを介して情報交換ができるようになったばかりの年で、爆発的に普及したのは6年後の1995年、インターネット元年という年ですから、平成元年は新元号になる今年とは時代背景がまるっきり違うという点です。

平成元年は昭和天皇の崩御を悼むことから開けた年ですが、新元号元年は平成天皇がお元気なまま退位、新天皇の即位による改元ということで、お祝い気分いっぱいの幕開けです。4月1日に新元号が発表されると同時にお祝い気分が一気に爆発するに違いありません。

その背景にあるのがインターネット。何もかもがこのインターネットを通じてやり取りされ、改元に伴う様々な情報が行き交い、平成元年とはまるで違う世界が展開されるでしょう。

新元号の始まりが、新しい未来の拓ける時代になりますように心から祈る次第です。

石垣に 命噴き出る 春野草

Cute flowers of Tsutabaunran are spreading all around from a slight gap of Ishigaki. It seems like a painting scroll drawn on a stone wall canvas.

石垣のわずかな隙間から目を出したツタバウンラン(ツタカラクサ)の可愛い花が一面に咲いています。

この花、国立環境研究所の侵入生物データベースに記載されている、れっきとした「お尋ね者」なのです。手配情報には、侵入経路「園芸植物(ロックガーデン用)として」、侵入年代「大正初年(1912年)」とあります。

原産はヨーロッパの地中海沿岸らしいですが、今や世界中に広がっていて、日本でもほとんどの府県に広がっています。

石垣やちょっとした隙間にも繁殖し、蔦状に広がる生命力の強い草なので「お尋ね者」になったのでしょう。

「お尋ね者」ですが、ヨーロッパ・アルプスやピレネー山脈を旅していてもよく見受けられ、誰からも可愛がられ、旅人の心を癒すプティフラワーです。

また、「お尋ね者」の名にたがわず、本名ツタバウンラン(蔦葉海蘭)のほか、蔦唐草、唐草葛、海蘭葛、蔦唐草、キンバリアと沢山の偽名を持っています。

殺風景な石垣を綺麗に飾り、春の到来を知らせ、見るからに心和らぐ、可愛い「お尋ね者」です。

京景色 枝垂れ柳に 透かし見え

The scenery of Kyoto can be seen through the weeping willow that has begun to sprout.

大相撲大阪場所も白鵬の42回目の優勝で幕を閉じました。平成最後の大相撲を自分の優勝で飾りたいという志通りの、しかも全勝優勝です。

日本人でもこの「平成」を意識して志を立てる人がどれだけいるだろうと思う時、改めて考えさせられます。この区切り区切りの志が彼をここまで導いたことは、われわれにも教訓です。

優勝インタビューで「三本締め」を呼びかけ、館内がその柏手がこだましたことも素晴らしい。なんだかんだと批判する人いるが、彼のこの行動は単に人気取りのパフォーマンスとは思えません。

大災害の時にはそこに出向き、いろんな場面で日本人を励ましてきたことを思う時、やっかみ半分の批判はあっても、やはり大横綱です。記録面でも国技である大相撲で数々の大記録を立て、平成の大横綱どころか、不世出の大横綱だと思います。

優勝回数にしても、2位の大鵬で32回、全勝優勝が15回(2位、大鵬8回)、連続優勝7回(同1位、朝青龍7回、2位大鵬6回、白鵬6回)、通算勝利数1,120回(2位、魁皇1,047回)等々数え上げたら切りがありません。

連勝記録だけが、我が双葉山の69連勝が1位で、白鵬が63。かろうじて日本人としての矜持が保てたわけです。

平成最後の賜杯を一人で持てなかったことが彼には心残りでしょう。

来場所以降の進退も心配です。早くの回復を祈ります。

我が事に 呼べば気になる 木瓜(ボケ)の花

Boke flowers that bloom before cherry blossoms are also beautiful. The flowers are large for the small size and are native. Boke is the sound as same with senile dementia in Japanese.This thing is slightly disturbed in mind.

木瓜の花が満開です。小ぶりな割には花は大きくて派手な感じのする花です。その派手さがかえって、ちょっと野暮ったくて田舎風な感じもします。田舎の庭先によく植えられていて、梅に少し遅れて咲きますが、梅ほどには注目されない。そんな感じからこのように思うのかもしれません。

最近はこの「ボケ」という音がやたら気になります。老人ボケの「ボケ」ですね。これを連想するからです。

人と話していても、ちょっとした言葉が思い出せない。特に人の名が思い出せない。テレビなどでも最近はよくこの話題が取り上げられています。老人ボケ、痴呆老人、認知症、いやですね。

だから、こんなに美しい木瓜の花を見てもつい「ボケ」という言葉に引っかかってしまいます。

どうしてこんな名前がついたんでしょうね。

まあ、ボケてもこんなに美しければ文句ないんですが。

若草に 天を仰いで 旅寝かな

It is a time when it still feels chilly, but on the plateau where the sun is sunny, young grass grows all over. Lying there and look up at the blue sky,my heart spreads to the heavens.

里山の高原はまだ肌寒さが残ります。しかし、若草が一面に広がり、春の陽光が射すと体も自然に温かくなります。ごろんと草むらに横たわっても意外に温かいです。

真っ青な青空を白い薄雲が流れていきます。あちらこちらから桜の開花を知らせるニュースが届いていますが、ここの山肌には桜の木々がやっと芽を吹き始めたばかりで、柔らかな肌合いを保っています。

春の気候は三寒四温とは良く言ったもので、実にその通り、2,3日晴れたかと思えば、2,3日は雨模様で、気温も時には20度を越えたり、逆に霰が降ってきたり、ちょっとコントラストが激しいようには思います。

今こうして、青空を眺めていると

Spring ocean  swaying gently  all day long. (春の海 ひねもすのたり のたりかな)

蕪村の句がふと頭を過ぎりました。英訳は三浦ダイアンさんです。

生け花に 春が広がる 京料理

When I enter the restaurant, there are ikebana decorated with spring flowers. Eating Kyo-ryori while watching it, I feel that spring is spreading in my mouth.

各地から一斉に桜の開花情報が聞こえてきます。

待ち焦がれる気持ち、満開の豪華さ、散りゆく儚さ、人の一生を凝縮したようなこの瞬間に、日本人の多くが心奪われ、共感します。

桜の開花に誘われるように、人は野外の繰り出し、満開の桜の下で、酒を酌み交わし、歌い、踊り、ひと時を狂乱の世界に浸ります。

そして4月。4月こそ、まさしく一年の始まりです。今年はさらに、5月が改元。新しい時代の幕開けにもなります。

これからがどんな時代になっていくのか、楽しみと同時に心配も隠せません。と言ってもそれも所詮は杞憂。桜の散り行くごとくが我が運命だからです。

願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ

西行翁はどんな気持ちでこの歌を詠んだのか。花開く桜を見ながらしばし黙考です。