♪♪♪ 精霊流し ♪♪♪
お盆の季節がやってきた。
いつも思い出すのは、大叔母のいたころ、まだぼくが子どもの頃のお盆だ。
仏壇の前にはお供え物をするためのテーブルが準備され、白い布を敷いたその上には、ハスの花の蕾や実をかたどった色美しいはくせんこう、桃、なすび、スイカといった果物や野菜、大きな本物のハスの葉っぱ、その上にはこれも本物のハスの実、白い、なんだろう、何か植物の茎のような長いもの、親せきから供えられた様々なお菓子類が所狭しと並んでいる。
子供心に見ているだけでも楽しい。楽しいだけではない、お盆が終わるとお供物としておすそ分けにあずかるのだから待ち遠しい。
12日には、玄関先で大叔母がカチッ、カチッと火打ち石を鳴らし、仏様をお迎えする。お盆供養の始まりだ。
家(うち)にはお坊さんが三人やってくる。真言宗、浄土真宗、日蓮宗だ。家には大叔母が二人いて、どちらの旦那さんも他界していて子供もなく、その嫁ぎ先が浄土真宗であり、日蓮宗だったから一緒にお祭りしたのだろう。お坊さんが来るたびにその後ろに座らされ、一緒にお参りさせられるんだが、足が痛くて痛くて、だからよく覚えている。
15日になると、夕方、お供え物の一部を風呂敷に包み、ろうそくとお線香、そして小さな木箱を持って近くの淀川に行く。夕やみ迫る川べりには、たくさんの人が浴衣や着物姿で同じように手荷物を下げてやってきている。あちらこちらで、線香とろうそくを灯し、思い思いの舟形にお供え物を乗せ、中には小さな提灯をともしたものもあり、お祈りしながら川の流れに載せてお送りする。線香のにおいとお経の声が夕やみに流れていく。
これがぼくの思い出に残るお盆だ。
今もこういう風習が残っているんだろうが、俗世間にまみれてしまったぼくにはもう遠い遠い昔の思い出だ。