日本のトイレはもはや排泄するだけの場所ではない。

東洋経済オンラインで表題に掲げた内容の日本のトイレ文化の考察が掲載された。
日本人の「清潔好き」と「技術力の高さ」が相互にトイレ環境を磨き上げ、独自の発展を遂げ、かつてない高みに到達している、といい、この特集では、日本のトイレ文化が世界にもたらす未来について5日連続で紹介されて実に興味深かった。
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確かに最近のトイレはきれいだし、まったく至れり尽くせりだ。
我が家にはまだないが、知り合いのトイレを借りてびっくりしたことがある。
トイレの入り口のスイッチを入れドアを開けると、便座のふたが自動的に空き、便器の中にはそれこそ今話題の青色発光ダイオードが青い光を放っている。
きれいで幻想的だ。横の壁には操作ボードが取り付けられていて、使い慣れないぼくには使い方もよくわからないいろいろなボタンが並んでいる。用を足し、最低限度の操作をして立ち上がると、水が便器の周りをくるくる回り出し、やがてふたが自動的にしまる。まるで誰かがぼくを見ていて世話をしているようだ。

昔、トイレ、いや便所は怖かった。
便所は部屋から離れていて、廊下伝いに行かねばならない。夜などは怖くて怖くて、便所に行くには一大決心がいる。それでも行けなくてとうとう寝小便、小学生の高学年まで続いたような記憶がある。
今でも覚えているが、一度などは、昼間だったけれども、廊下を歩いていると、廊下脇の土壁がもそもそと動いて次の瞬間、その土壁がどさっと崩れ落ち、同時に大きな蛇がお腹をいっぱいに膨らませて横たわっていた。土壁の隙間をネズミを追って丸呑みし、もがいて土壁を突き破ったとか。もうびっくり仰天、しばらくは一人で便所に行けなくなったこともある。
それにそうそう、昔は1か月に一度は近くのお百姓が便所の汲み取りに来てくれ、おまけに採れたての野菜や時には新米まで置いて行ってくれる。夏にはスイカを持ってきてくれるので、夏の汲み取りが楽しみだった。
牛に曳かせた大きな荷車に木製のタンクを積み、天秤の両側に吊った大きな木の桶に汲み取ってきたし尿をタンクに掛けた板梯子を伝ってタンクに上り、それをタンクに入れるのだが、一度、そのお百姓が板梯子を踏み外して転げ落ち、道中がし尿でいっぱいに広がったことがる。それ以来、そのお百姓を口さがない近所の人たちが「落ち目のおっさん」と呼ぶようになり、子供心に胸が痛んだこともあった。

もう隔絶の感だ。たった半世紀くらいの間に、トイレ事情もこんなに変わったのだ。
確かに日本人は伝統的にトイレには格別の思いと配慮を受け継いできている。
『古事記』にもある「厠(かわや)」はトイレの下に水を流す溝を配した「川屋」から来たそうだし、あからさまに口にすることが「はばかられる」ために「はばかり」「手水(ちょうず)」といったり、中国の伝説的な禅師の名から「雪隠(せっちん)」という語を使うようにもなった。昭和になると「ご不浄」から「お手洗い」「化粧室」としだいに表現がより穏やかなものが使われるようになったという。
石造りの手水にはいつも清澄な水が注ぎこみ、カタンコトンと鳴る手水鹿威しはなんと風情のあることか。

ここで思い出したんだが、「エスコート」の由来である。
昔イギリスはロンドンでも街中の家にはトイレがなく、し尿便を利用したそうだ。それが溜まると窓から通りに平気で投げ捨てた。通りがかりの人にはお構いなし。特にきれいに着飾ったレイディには大迷惑で、連れの男性は女性を守るため必ず窓側に並んで手をつないだ。それがエスコートだそうだ。

10年ほど前、中国北京でも実際に経験したことだが、かの有名な天安門広場のすぐ南側に大きな商店街がある。そこで突然便意を催したんだがトイレがない。何軒かの店に掛け合ったんだがすげなく断られ、途方に暮れていると知人がやっと公衆トイレを見つけてくれた。通りから少し入った公衆トイレにもう一目散で駆け込んだんだが、ぎょっと立ちすくんでしまった。コンクリート製の大きな台座があって、そこに男4人が並んでこちらを向いて排便中だ。もう何もかも丸見え。しかもお互いに顔を見合わせて談笑している。しかしもう我慢がならない。あと一つ空いていた場所に駆け上がって事なきを得たんだが、背に腹は代えられないとはこのことだ。

もう便所とは言わない。日本人の多くがトイレという。おトイレともいう。toiletが語源だが、アメリカでは、toiletは「化粧室」を意味する場合もあるが、「便器」を意味する直截的な単語でもあるため、日常会話では「bathroom」と呼んだり、「rest room」、あるいは「men’s/lady’s room」と婉曲的な表現を用いることが一般的だそうだ。できたら「トイレ」は避けて「手水(ちょうず)」くらいがいいんだがなあ。

この記事を読んで「トイレ」がまた日本の文化を象徴するだけでなく、世界の環境保護にも大きく貢献すること、世界の文化レベルを一段と引き上げる大きな役割を担っていることを再確認した。

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