国木田独歩に「非凡なる凡人」という短編小説がある(http://www.aozora.gr.jp/cards/000038/files/324_15711.html)。
友人が語った桂正作の生き方に感銘を受けて描いた作品であるが、ごく短い小説だから一度読んでもらえばわかるとおり、独歩が感心したほど正作が「非凡なる凡人」だとも思えない。
作家のような自由気ままに生きている独歩からすれば、桂正作の生き方は「非凡なる凡人」に見えたのかもしれない。
こんな人はどうだろう。
朝、空が白み始めるころ、ぼくは決まってウォーキングに出かける。夏だったら午前5時にもなっていない。
それでも田んぼや畑のあちらこちらにはもう軽トラが止まっていて、畑仕事をしている人たちがいる。たまにすれ違うウォーキング仲間もいる。
そんな中、バス停の終点があるんだが、誰が飾ったのかフェンスにプランタンが十あまり掲げられていて、いつも季節季節の花が咲いている。
その前で60前くらいだろうか、モンペ姿の女性が携帯用の箒を伸ばしていつもそのあたりを掃除している。大きなビニル袋を傍らに置き、腰には空き缶の入ったビニル袋を提げている。
ただ黙々と作業をしているこの女性に会うたびに言いようのない感動を覚えるのだ。
言葉では言い表しようがないほどその作業姿は実に自然で、誰を意識するでなく、始発前のバス停はもちろん人は誰もいない。
無我の境地で清掃しているとしか言いようがない。
「ご苦労様です。」、恥ずかしいような思いで言葉をかけると、「おはようございます。」と返ってくる言葉がまた自然なんだ。
ひょっとしたら、プランタンの花もこの女性が手入れしているのかもしれない。見たことはない。でもきっとそうだ。
誰知られることなく、やがて集まってくるバス利用者に、言いようのない親切を施しているこんな女性こそまさに「非凡なる凡人」という形容がぴったしだと思う。。
「非凡なる凡人」、独歩の小説から人口に膾炙した言葉だと思うんだが、実にいい言葉だ。
こんな凡人が多くいるからこそ、今の日本があり、世界に誇れる日本といえるんだ。
「非凡なる凡人」がもっともっと多くならんことを。