安保法案と日本人の法意識

 
安全保障関連法が19日未明、参院本会議で自民、公明両党などの賛成多数で可決され成立した。
アンケート調査によれば、国民の過半数以上が「審議が尽くされていない」、「国民の理解が得られていない」という中での成立だ。
朝日新聞が6月下旬に実施した、憲法学者ら209人にアンケートをし、回答が得られた122人の回答結果でも、安保法案「違憲」104人、「合憲」2人ということであった。
有識者のアンケートでも、法案そのものに関しては賛成だが、現行憲法には違反している、もしくは抵触しているという意見は多数あった。

戦後70年、現行憲法のもと、日本は奇跡的な復興を遂げ、確かに平和国家を目指し実践してきた。憲法の果たした役割は大きい。
とりわけ憲法第9条は、第二次世界大戦から間もなく勃発した朝鮮戦争をはじめ、性懲りもなく繰り広げられる世界の多くの戦火に日本が巻き込まれることもなく、ただひたすら戦後復興、経済復興に全エネルギーを費やすることができる上での大きな盾の役割を果たした。
押しつけ憲法だとか何だとか言われてはきたが、70年も一言一句変えられることなく持続した憲法も珍しく、世界でも例を見ない理想的憲法だといわれるが、この第9条に関しては憲法制定間もなくから国論を二分する論争が繰り広げられた来た。
今回の安保法案成立によって、この第9条が事実上改正されたといっても過言ではない。
憲法改正を経ての集団的自衛権問題の解決は困難と見た安倍政権、自民党政権の苦肉の策ではある。よって、皮肉なことにこの法案成立は憲法改正を遠ざける結果になったという意見もあるくらいだ。それほどこの憲法第9条は、日本国憲法の「のどに刺さった棘」だったわけだ。

しかし、この安保法案はどう勘案しても憲法第9条を逸脱している。憲法学者に委ねるまでもなく、おかしいと思うのが普通の感覚だ。予断を持たない中学生や高校生に読ませたら、その多数が自衛隊そのものの存在すら違憲だというだろう。それが正常な読み方だ。「われわれ憲法学者じゃない。国民の安全を確保するのが政治家だ。」と言って、憲法をねじまわし、捻り回して自分の都合に合わせようと解釈するのが政治家であり、権力者だ。

そもそも明治憲法からしてそうだ。
日本が近代国家として国際社会に乗り出していくにはそれなりの装いがいる。法治国家であることはとりわけ重要で、明治政府は六つの法典、つまり、憲法・民法・商法・刑法・民事訴訟法・刑事訴訟法をドイツとフランスを規範として、極めて短期間に、驚くべき才能の結集によって成し遂げるのである。ありていに言えば、明治の法典は列強と伍するための”日本の飾り”のために作られたようなものだった。そのため、日本人の社会や生活が形成してきた法意識とはかなりのズレをおこした。それでも順応性の高い日本人はひたすらそのズレ、乖離を埋め合わせていったのである。
しかし結果的には行きついたのが第二次世界大戦とその結末である。

日本と西欧では、法に対する規範性そのものの違いがあり、「世界が滅びるとも正義は行われるべきである」と考える西欧の観念は日本人は持ち合わせていない。『御成敗式目』を制定した北条泰時しかり、「大岡裁き」で今でもテレビドラマ化される江戸時代の名奉行大岡越前守しかり、法よりも義理、人情を重んじる日本の「法」意識は、西洋流の法意識になかなかなじめない。
日本人の法意識は常に揺らいでいる。世の中が変わり、世界が変わって憲法にはそぐわない実態が現実になっても、憲法を変えるのではなく「拡大解釈」で対応しようとする。法律用語そのものより、その行間を読み、解釈しようとするのが日本人の法意識である。何事においてもお上の裁量権がものを言う。また、日本語そのものが、またロジックそのものが「法律」にはなじまない。西洋とは成り立ちからして違うのだ。
言い尽くそう、語りつくそうとするのが西洋の法典であり、新たな事態が起こればそれに見合った改正を行わなけれなならないと考えるのが西洋の法意識であり、それ故、憲法改正だって頻繁に行う。法律が人間社会万般を覆い尽くさねばならないと考えるのだ。

考えてみるに、西洋の法意識の原点がソクラテスの「悪法もまた法なり」と毒杯をあおいで死んだことに由来するならば、日本の法意識の原点は聖徳太子の十七条件憲法第一条「和をもって尊しとなす」なのである。「和」を実現するためには法は多少折り曲げてもいいと考える。日本に持ち込まれた西洋流の法意識すら「和」に包み込んでしまう。
明治憲法が”日本の飾り”として制定されたと同じ意味で、現憲法も”押し付けられた”ものである。ただそこに「和をもって尊しとなす」の法意識は確実の盛り込まれていて、日本国憲法を世界に冠足らしめている所以ではあるが、崇高であるがゆえに尊しとはしないのが現実世界である。

今回の安保法案成立が、果たして日本にとって吉と出るのか凶と出るのか、いずれにしろ法案が成立した以上、ソクラテスではないが、「悪法もまた法なり」と毒杯をあおいで死ぬ羽目にだけはしたくない。自分たちが選んだリーダーが明治憲法下の轍を踏まないように、注意深く見守り、正していかなければならない。

理想的憲法と現実世界。日本人独特の法意識。極東の国、日本。そこに育まれた独特の風土と文化。西洋が時代の先頭を走ってきたという共通認識から生まれた齟齬。中国の異常とも思える自己主張。アメリカをはじめ西欧社会との共通認識を探る日本。すべて、あらゆる偏見、予断を持たず再検証しなければならない時が来たのではないだろうか。

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