葬式は、要らない―島田裕巳―

☆★☆ 葬儀の費用 ☆★☆

書店には今年早くから置いてあった。行くたびに気にはなるのだが買って読もうという気にはなかなかならなかった。気にはなるのだがそれに抗う気持ちもあり、実に複雑な心理だ。しかし読んでよかった。今読みかけの別の本を擱いて、本当に一気に読んでしまった。そして今、多くの人たちに是非読んでもらいたい本だと思う。
著者は宗教学者の島田裕巳氏。裏表紙には次のように書いてある。
『日本人の葬儀費用は平均231万円、これはイギリスの12万円、韓国の37万円と比較して格段に高い。浪費の国アメリカでさえ44万円だ。実際、欧米の映画などで見る葬式はシンプルで、金をかけているように見えない。対して我が国といえば巨大な祭壇、生花そして高額な戒名だが、いつからかくも豪華になったのか。どんな意味があるのか。古代から現代に至る葬儀様式を鑑みて日本人の死生観の変遷をたどりつつ、今激しく変わる最新事情から、葬式無用の効用までを考察。葬式に金をかけられない時代の画期的な1冊』
確かに結婚式と葬式には多額の費用がかかるというのは日本人なら共通の認識だ。結婚式なら分からなくもない。これから新しい希望に満ちた二人をできる限り豪華に船出させてあげたいというのが人情だ。それに結婚式はだれもが挙げるわけでもないし、豪華に挙げたからといってその二人が皆の期待にこたえるわけでもない。結婚しなくとも幸せな人生もあれば、二人だけの祝杯でだれよりも幸せな人生を送る二人もいる。
しかし、死は万人に必ずやってくるし、突如としてやってくる。結婚式を目指して胸ときめかせながら準備するのとはわけが違う。だれか身内の者が死ねば、さてすぐさま葬式のことを考えなければならない。1週間の猶予もない。式の段取りも何も分からないから専門業者に任せるしかない。なにやかやで結局平均231万円の費用がかかるということになってしまうのだろう。しかも葬儀だけでは済まない。お墓のこと、年忌法要のこと、もろもろを足せば、その費用は2倍にも3倍にもなりかねない。
この本ではそうした日本の葬式に関して歴史的、宗教的考察を加えたうえで、いかに日本の葬式が贅沢であり、「葬式仏教」に堕落した仏教界と都合のいい時だけ仏や寺院に押し掛けるわれわれ世俗の宗教観の矛盾を曝け出し、もっと合理的に葬式、人の弔い方を考えてみようではないかと提言している。
今は大半の人たちが病院で死を迎える。故人の遺体を自宅に搬送し、近親者だけで通夜をし、会葬者を呼ばない。翌日霊柩車で火葬場へ出棺、近親者だけで故人に別れを告げ、荼毘にふす。こうした直葬が東京都ではもう20%に達しているそうだ。葬式に要する費用はしめて10万円から30万円程度。諸般の経済事情、社会や宗教観の変化、もろもろの変化が葬式にも変化をもたらしているわけだ。
昨年だったか、一昨年だったか、映画「おくりびと」にはすごく感動した。
やがてやってくる自分の終末をじっくり考えてみなければならない。

葬式は、要らない―島田裕巳―」への1件のフィードバック

  1. 私も、葬式を4回経験しました。私と、妻の両親です。私の父は高校三年の終わりに亡くなったので亡くなったので、費用とかその意味とかは、ほとんど意識には残っていません。母の時は、95歳まで生きていて、しかも、前日まで元気だったので、子供孝行な親だったなあと、その死に方に、感謝さえしました。しかし、その葬式や、その後のさまざまな仏式には、うんざりしました。妻の両親の時は、妻の兄弟がかかわったのですが、これにも同じ思いをもちました。葬式は「残された親しい人のため」に有るものですから、いろいろと、形は違っていいと思います。とりわけ、「お経」と、「戒名」については、本当にお金と関係が大いに有るので、大きな転換が必要だと思います。ついでながら、「キリスト教の葬式」に参列した時、一番大きな違いは、「牧師が分かりやすい日本語で、キリストの教えに沿いながら、説教をしていました」。日本の場合は、お経を「漢語訳したものを、呉音や漢音の音読みで、唱えるわけですから、読んでいる坊さんも、意味が分かっているのかと疑ってしまいます。」もちろん、参列者は分かりません。最低これだけは、「日本語訳で唱えて欲しいものです。」ははは。

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