♪♪♪ わたしの城下町 ♪♪♪
心に嫌な思いがあったり、疲れていたり、日常生活に埋没して自分を忘れていたりしたとき、この曲を耳にするとふっと我に返り、心の自浄作用が始まる。
1971年、元ロカビリー歌手だった平尾昌晃が作曲したこの曲は、新進歌手小柳ルミ子によって歌われ、たちまち160万枚の大ヒット。オリコン(オリコンリサーチ株式会社が発表する音楽・映像ソフトなどの売り上げを集計したランキング)連続12週第1位はいまだに破られていないそうだ。
華麗にして数奇な運命をたどった安井かずみに作詞を依頼したディレクターが飛騨高山城のイメージを伝え、それに安井が京都先斗町の格子戸のイメージを重ね合わせてできた詩に、当時結核で信州諏訪湖畔で療養していた平尾が、同じく高山城をイメージしながら作曲して生まれたのがこの『わたしの城下町』であるという。
今ここで聞く『わたしの城下町』も小柳ルミ子のデビュー当時のもので、清純で可憐、透き通るような伸びやかな声、そして詩と曲が相まって、前奏が始まるや否や、もうかれこれ半世紀前の世界に自分をいざなう。
別世界なのだ。身や心に堆積した垢や何もかもがスーッと落ちていく。
人間、半世紀の間には得たものもたくさんあるが、失ったものもたくさんある。それらすべてが消えていくのだ。
歌手小柳ルミ子のその後の波乱に満ちた生き様を知るにつけ、歌う『わたしの城下町』も違って聞こえる。
紅白歌合戦や何かの折に耳にする『わたしの城下町』も年とともに変化し、ベテランの域に達して歌うその歌には円熟した味があって、いい歌はいい歌だ。でも、違う。
聞きたいのはやはり最初の『わたしの城下町』なのである。
人にはそれぞれに「心の城下町」がある。
それは、立派な天守閣がそびえるお城かもしれないし、石垣だけが残るお城かもしれない。
はたまた、人知れず訪れた近くの川や公園、お寺や廃屋かもしれない。
初恋に心が燃え、そのもどかしさに耐えきれず訪れた場所ならばなおさらだ。
格子戸、夕焼けの空、子守歌、お寺の鐘、四季の花々、橋のたもとにともる灯り、
どの言葉も心に染み、その澄み切った歌声からは、もう二度と帰ることができない世界が広がるから不思議だ。
梅雨も間近。今日も薄日は差すものの、向こうには大きな雨雲が広がりつつある。
テレビを見ても、毎日毎日、嫌なニュースが繰り返されている。
こんなときこそ、『わたしの城下町』を聞くと、ほんとうにホッとする。