葬式は、要らない―島田裕巳―

☆★☆ 葬儀の費用 ☆★☆

書店には今年早くから置いてあった。行くたびに気にはなるのだが買って読もうという気にはなかなかならなかった。気にはなるのだがそれに抗う気持ちもあり、実に複雑な心理だ。しかし読んでよかった。今読みかけの別の本を擱いて、本当に一気に読んでしまった。そして今、多くの人たちに是非読んでもらいたい本だと思う。
著者は宗教学者の島田裕巳氏。裏表紙には次のように書いてある。
『日本人の葬儀費用は平均231万円、これはイギリスの12万円、韓国の37万円と比較して格段に高い。浪費の国アメリカでさえ44万円だ。実際、欧米の映画などで見る葬式はシンプルで、金をかけているように見えない。対して我が国といえば巨大な祭壇、生花そして高額な戒名だが、いつからかくも豪華になったのか。どんな意味があるのか。古代から現代に至る葬儀様式を鑑みて日本人の死生観の変遷をたどりつつ、今激しく変わる最新事情から、葬式無用の効用までを考察。葬式に金をかけられない時代の画期的な1冊』
確かに結婚式と葬式には多額の費用がかかるというのは日本人なら共通の認識だ。結婚式なら分からなくもない。これから新しい希望に満ちた二人をできる限り豪華に船出させてあげたいというのが人情だ。それに結婚式はだれもが挙げるわけでもないし、豪華に挙げたからといってその二人が皆の期待にこたえるわけでもない。結婚しなくとも幸せな人生もあれば、二人だけの祝杯でだれよりも幸せな人生を送る二人もいる。
しかし、死は万人に必ずやってくるし、突如としてやってくる。結婚式を目指して胸ときめかせながら準備するのとはわけが違う。だれか身内の者が死ねば、さてすぐさま葬式のことを考えなければならない。1週間の猶予もない。式の段取りも何も分からないから専門業者に任せるしかない。なにやかやで結局平均231万円の費用がかかるということになってしまうのだろう。しかも葬儀だけでは済まない。お墓のこと、年忌法要のこと、もろもろを足せば、その費用は2倍にも3倍にもなりかねない。
この本ではそうした日本の葬式に関して歴史的、宗教的考察を加えたうえで、いかに日本の葬式が贅沢であり、「葬式仏教」に堕落した仏教界と都合のいい時だけ仏や寺院に押し掛けるわれわれ世俗の宗教観の矛盾を曝け出し、もっと合理的に葬式、人の弔い方を考えてみようではないかと提言している。
今は大半の人たちが病院で死を迎える。故人の遺体を自宅に搬送し、近親者だけで通夜をし、会葬者を呼ばない。翌日霊柩車で火葬場へ出棺、近親者だけで故人に別れを告げ、荼毘にふす。こうした直葬が東京都ではもう20%に達しているそうだ。葬式に要する費用はしめて10万円から30万円程度。諸般の経済事情、社会や宗教観の変化、もろもろの変化が葬式にも変化をもたらしているわけだ。
昨年だったか、一昨年だったか、映画「おくりびと」にはすごく感動した。
やがてやってくる自分の終末をじっくり考えてみなければならない。

加齢臭ー異様な嗅覚ー

最近「加齢臭」のコマーシャルが気になる。
ひとつは、本当にそんな匂いがあって、自分もそんな体臭を放ち、周りの人たちに不快な思いをさせているんだろうかという懸念。
もうひとつは、またまた売らんがための新しい商品開発とその宣伝攻勢ではなかろうか、「こんちくしょう」という腹立たしさ。
概して「匂い」にこんなに敏感になってきたのもこの時代の特徴だ。
環境汚染から発する悪臭、密集した住宅環境からもたらされる生活臭、ラッシュアワーで込み合った車内の独特な異臭、これらは確かにこの時代の産物だ。
それを反映したのか、気になるのは、人どうしが異常に「匂い」に敏感になっていることだ。
生徒に聞いてみると、友人が一日お風呂に入らなかったらわかるというから、いいのか悪いのか、まるで犬のような嗅覚だ。
一人の生徒なんか、一日何回もシャワーを浴びたり、お風呂に入るという。自分自身でも匂うし、人に感づかれたくないからだそうだ。
そして、女性がある程度「匂い」に敏感なのはわからなくもないが、男性が女性に劣らず「匂い」に敏感で、その対策に腐心しているというから、我々、いや僕からはなんとも異様としか感じられない。
いろんな要因が考えられる。
「匂い」という尖鋭な感覚がクローズアップされるほど、ある意味生活が豊かになり、悪く言えば「ヒマ」になり、そんなことに構ってなどいられないという時代とは違ってきたということ。
人と人の関係がデリケートになり、外見やまして内面的なことよりは、動物的な感覚で人を嗅ぎわけるほうが同調しやすい、ということではなかろうかと想像する。
「加齢臭」もそうした時代の流れから生まれた「匂い」であることは間違いない。
そもそも体臭というものは、分泌活動から発するもので、若い人ほど発散しやすいし、年をとれば当然衰えてきて、その手の匂いは少なくなるはずだ。
古いお寺や古書には独特な匂いがあるが、そんな匂いが「加齢臭」なのだろう。
調べてみたら、例の「資生堂」がその匂いを分析、特定し、「加齢臭」と命名したという。
それはそれでひとつの研究成果だと評価したいが、まるで鬼の首でも取ったように、やれ「加齢臭」だ、それにはこんな防臭薬だと、たとえ老人が嫌がられないようにという老婆心からであったにしても、ぼくなんかの様なひねくれ者には、「こんちくしょう」としか思われない。
でもやっぱし、人からは嫌がられたくないし、ホントにそんな匂いがするんかなァ???
 
 

優先座席は生きているの?

 
 大阪の地下鉄谷町線で帰宅途中、天満橋駅に着くとたくさんの小学生が乗ってきた。ランドセルに「追手門」と刻印してある。追手門学院の小学生たちだ。
 初めはその程度の気の留め方だったが、ひと駅過ぎ、ふた駅過ぎて、徐々にお客も減り、空席が目立ってきたのにその小学生達の誰一人として席に座る者がいない。
 小さい小学1年生くらいの生徒から女子生徒まで、大きなランドセルをしょい、手に補助カバンを持っている生徒も、全員が突っ立っている。
 あれっ、これは学校の指示なのかなと思い、6年生くらいの生徒に尋ねてみると、やはり、学校の登下校時に、電車の座席には座らないよう指示されているそうだ。
 心から快哉を叫ぶ思いだ。
 学校の意図はわからない。足腰を鍛えるための指示なのか、優先座席も何もあったものではない昨今の乗客マナーを身に付けさせないための教育的意図によるものなのか。
 どちらでもいいし、どちらも子供たちにとって大切なことだ。
 他の学校はどうなんだろう。電車にはあまり乗らないのでその辺りの事情はよくわからないが、込み合った電車で、お年寄りが近くに立っていても全く気にも留めず、優先座席に座って携帯電話やゲーム機でピコピコしている高校生や大学生と思しきやからを見かけることがよくある。
 さればと言って、この高校生や大学生も、人を思いやる心がないとは断言できない。そこまで気が回らないし、関心が行かないだけのことで、言ってやれば、きっとこの学生たちも済まない思いで快く席を譲るかもしれないし、そう思いたい。今の世の中、いい意味にも悪い意味にもお互いに無関心すぎるからなのだろう。
 どうだろう、いっそのこと、学生は全員、電車では座席に座らないということにすれば、学生たちにとっても良い教育になるし、それだけでも世の中、ひとつ浄化されることになるんではなかろうかと、
 ふと、今日出会った小学生達から考えさせられたことでした。
 
 
 

形骸化ー例えば教育現場ー

 
早いものでもう21世紀も10年も経ってしまった。
昨年はリーマンショックに端を発した世界同時不況は、本家本元のアメリカはその不況から脱し得ていないのは自業自得といえば自業自得なんだが、バブル崩壊後、各企業はスリム化し足腰が強化され、リーマンショックにもそれほど影響を受けることはあるまいとたかをくくっていた日本が、未だに低迷しているどころか、デフレ、デフレのスパイラルで民主党が掲げる「国内需要喚起」もままならず、40兆近くの税収不足はさらなる借金地獄に飲み込まれていく状況だ。
民主党政権が生まれ、明治維新に匹敵する革命だという人もおれば、どうせ自民党政権時代とは大して変わったこともあるまいという向きもある。どちらの予測が正鵠を穿っているのか判断できないが、社会の仕組全体が形骸化しているのは事実だ。状況状況に即して対応出来ていない現実がそこかしこに見受けられる。
長年教育の分野に携わってきたが、この分野はその最右翼と見ても差し支えあるまい。
第二次世界大戦以後も様々な教育改革がなされてきたが、屋台骨は結局は明治新政府が構築した学制の上に乗っかっているだけで、それ以来100有余年も経ち、当時とはまるで変化してしまった社会状況になっているにも関わらず、それに対応した教育環境が再構築されないままの状態で来ている。これは大枠から見た日本の教育事情で、もっと具体的、日常的に見受けられる様々な教育問題が例示的でわかり易い。
例えば高校の数学の授業。その現場をつぶさに見たわけではなく、いま家庭教師的に教えている生徒から聞く話で判断しているわけだが、先生も生徒もまるで「我慢大会」をしている授業の様子が見えてくる。
それほど学力の高い高校ではなく、文系の2年のクラスの「数学Ⅱ」の授業風景であるが、先生は黒板にひたすら解答を書いていて、大半の子はまじめでそれをノートに書き写しているが、それもただ写しているだけだと推測されるんだが、机の下でゲームをしている子、マンガ本を読んでいる子、居眠りをしている子、うわの空でただぼーっと黒板を見ている子、そんな生徒も結構いるそうだ。そのクラスの子達は一応大学受験を目指している子が多いそうだが、「数学Ⅱ」までいる子はほとんどいないという。教えている生徒が持ってくる問題集も、およそこの生徒には無理難題の「赤本」という最高レベルの問題集だ。それでも何時何日までに出された宿題をやっていかねばと、教えて欲しいと持ってくる。一所懸命教えてはやるが、わかってくれているのやらどうやら、なにか虚しい。こうして「我慢大会」に付き合せられるハメになることしばしばである。
「我慢大会」のような授業から得られるのは先生も生徒も「忍耐力」だけだ。
こと「数学Ⅱ」だけではない。「英語」その他の科目もまた然り。教育現場の至る所でこうした形骸化した、古くさい授業形態や、使いもしないのに常に最新のコンピューターが並ぶ「コンピュータ教室」、ただ上からだけの教育改革、そんなもので満ち溢れている。
敷衍すると社会全般にもこんなこと、つまり「形骸化」が満ち溢れているわけで、これが無駄を生み、国中借金にまみれ、ますます世の中を住みにくくしている。
やはりどこかで、「革命」ってやつがいるのかな!?
 
 

これってホント?ーインフルエンザウィルスは寒さと乾燥に強いー

 
 ある大手製薬会社の健康サイトに、「寒さと乾燥に強く、暑さと湿気に弱いインフルエンザウイルスにとって、冬は最も活発になれる季節。インフルエンザが冬に流行るのは、そのためです。」と書いてあるんですね。ちなみに、他の「インフルエンザ」とか「風邪」とかで検索して調べてみたら、例えば、「のどの粘膜が乾くと風邪の原因となるウイルスが体内に侵入しやすくなってしまいます。のどの乾燥を防ぐため室内では加湿器 を使うとよいでしょう。湿度は60~80%くらいに設定します。ウイルスは空気が乾燥した状態で活動が活発になり、逆に湿度が高いと死滅します。」といったように、どれもこれと似たり寄ったりの表現が多いんです。
 果たしてそうでしょうか。ウイルスの専門家ではありませんので、ここに言われている事の真偽を判定する能力は持ち合わせていませんが、ウイルスといえども生物の範疇、つまり、細胞をベースにして生命活動を行う生命体とは言えないかもしれませんが、自己増殖をおこなうという意味では限りなく生物に近い存在で、適度の温度と適度の湿度は生命体維持にとって重要条件になると思います。
 ですから、インフルエンザウィルスが「寒さと乾燥」に強く「冬に最も活発になれる」のではなくて、冬は外気が寒くて乾燥していて活発に活動できないから、暖かくて湿潤な人の体内は格好のすみかになり、他の季節に比べて圧倒的に体内に入ってくるウィルスが多くなる。ウィルス自体は季節のいかん、自然環境のいかんを問わず常時、体の内外に存在するけれどもその数が問題で、ある限度以上に体内で増殖するといろんな悪さをしだすわけで、冬にインフルエンザウィルスが猛威をふるうのは、「寒さと乾燥に弱く、適度な暑さと湿気に強いインフルエンザウィルスにとって、冬は人の体内で最も活発になれる季節。インフルエンザが冬に流行るのは、そのためです。」となるんではないかと、だから、部屋を暖かくして湿度を60~80%くらいに設定するとウィルスは何も人の体内に逃げ込む必要がないわけで、部屋の中に居場所を移す、よって体内のウィルスは絶対量が減るからインフルエンザにかかりにくくなる、と、こう考えるのが正しいんじゃないかと思うんですがね。
 誰かウィルスに詳しい人、教えてくれませんかね。
【追伸:2019年】
今年は8月から全国的にインフルエンザが流行っているそうです。沖縄では警報も出ています。この原因も同じで、猛暑でインフルエンザ菌は耐えられず、環境的に好都合な人体に避難してくるからです。早く学者諸君、検証してください。
 
【参考】

私信ー大原の里を訪ねてー


今朝の朝食は身も心も暖まる朝食になりました。
いただいた大根はふろふきにして、昨日大原で買っていただいた「ゆず味噌」をたっぷりとぬり、暖かい玄米ご飯で食べたらもう最高でした。
それと、この大根に付いていた葉っぱ、普段買う大根にはこれが付いていなくて、それも沢山付いているのでどうしたものかと思案していてですね、ちょっと葉っぱの端っこを生のまま食べてみたら、とても柔らかくほろ苦みがあって美味しんです。これはもったいない、さっそく買ってあった鶏肉と醤油の薄味で、葉っぱの緑が消えない程度に煮込んで食べてみたら、これがまた実に美味しい。
最後に食べた赤かぶらのお漬物も美味しいし、最高の朝食になりました。
京都大原といえば、たしか寂光院が焼ける前だったからもう十年以上になりますか、それまでにも何回かは行ったことがあるんですが、その時は鞍馬からひと山越えて歩いていったことを思い出しました。昨日もそうですが、大原は里道がいいですね。至る所に清流があり、美しい野草を見て歩くのも楽しいし、ちょっとしたお店で民芸品や焼き物を見るのも楽しい。どこからともなく芳香が漂ってくるので先を見ると、テントの中でお茶を炒っているお店がある。挽き茶を摘んでみると香りがぱあっと口に広がり、心もやすらぎました。
寂光院のお堂はすっかり新しくなっていて、六万体地蔵菩薩も当初の彩りを蘇らせ、それはそれなりに美しく、これからも多くの人達のご礼拝をお迎えになるのでしょうが、お堂が焼けたときは本当にびっくりしましたね。金閣寺の時もそうでしたが、昼間の喧騒がおさまり、本当の静寂が訪れたとき、闇夜の静寂にたたずむ無限に美しきものを独占したいという気持ちと、おのが身と心の醜さに引き比べて嫉妬し、炎という情念の中にかき消したいという人の魔性を引き出した結果だと思いました。
紅葉はもう盛りを過ぎ、温かい陽だまりの所だけかろうじて大原の紅葉をとどめていましたが、それもそのはず、昨日食べに入ったお店は客席が全部電気炬燵でしたものね。白いお餅の入った小豆ぜんざいで体が暖まりほっとしましたよ。
もう今年もあとわずか、お互い元気に年を越せますよう。合掌。
035大原にて

西国三十三箇所を巡り終えて

♪♪♪ 西国三十三箇所御詠歌 ♪♪♪

「西国三十三箇所巡礼」とタイトルに謳いたいところだが、おこがましくも「巡礼」というほどの信仰心をもっての旅ではなかった。
4年前の2005年(平成17年)9月18日、第一番札所である和歌山県紀伊勝浦町にある「那智山青岸渡寺」から始まった西国三十三箇所巡りを先日、2009年(平成21年)11月23日、最後の第三十三番札所である岐阜県揖斐川町にある「谷汲山華厳寺」でやっとのことで終えた。
思えば、本屋さんでたまたま西陣織の表紙の付いた「西国三三所観音霊場御納経帳」を見かけたのが動機といえば動機だった。
本の見開きに「観音菩薩」の絵があって、各ページには札所札所のお寺の水彩画が描かれてある。昔住んでいたところに「富田」さんという画家がおられて、画風がとてもよく似ているが、納経帳のどこを探しても作者の名前が見当たらない。どなたが描いた水彩画か知らないが、ここに描かれたお寺をこの目で見たいという思いと、そこを1,000年余という歳月を超えて巡ってきた人たちの思いを探ってみたかったというのも動機の一つにはなったような気がする。
札所一番の「青岸渡寺」は和歌山県の紀伊勝浦にあるので、車を持たない僕は、世界最軽量の自転車DAHONを買い、これを担いでJR紀勢西線の「くろしお号」に乗ったのが旅の始まりだ。「ホテル浦島」の洞窟温泉で旅支度を解いた翌日、標高600m位の「青岸渡寺」を目指し一気に駆け上った思い出が沸々と蘇ってくる。
思い起こせば、三十三のどのお寺にもその石段には過去幾多の人たちが踏み込んだ足跡が刻みこまれ、寺門や御堂の至る所に張られた「千社札(せんしゃふだ)」という紙のお札には、現世でへばりついた垢を少しでも拭い去り極楽往生を願う、ある意味強欲な「人の身勝手」も感じられなくもなかった。
それにしても総行程1,000kmに及ぶといわれる「西国三十三箇所」を昔の人たちは歩いて巡ったわけだが、どのお寺も総じて険しい山道をたどらねばならない場所にあり、いったい人をして今に至るまで何がここまでに執着させるのか、どんな思いも一点、やはり誰も避けることのできない「死」に対する恐怖、戸惑い、心づもりからであり、そしてそれらをいっとき忘れことができる巡礼の苦しさ、また楽しさなのだろう。

老い

 
やだねェ!
認めたくないんだよね。自分が歳を取っているってことをね。だから何が苦痛かって歳を聞かれることほど苦痛なことはない。
この間も、近くの中学校がボランティアを募集していてね、学習支援をしてくれないかってーの。
今勉強教えている生徒が、「先生応募しろよ、俺が書いてやる。」って折り込み広告の応募欄に勝手に書きだしてね。名前、住所、そして歳を書かねばならないの。
「先生、いくつ?」― とたんに応募する勢いが萎えてしまったね。歳書かねばならないんだったら「いいや」ってね。(ちなみに、アメリカではこれは差別だとして老人の社会的活動で年齢を確認することはない。年齢差別ーエイジズムー
それでもしつこく聞くもんだから、「60前後って書いとけよ。」と言ったら、生徒、その通り書いちゃった。そして「あす、出しとくよ。」ってその応募用紙を持って帰って行っちゃった。
もう1週間も経っていて中学校からは何の連絡もないから、言った生徒が出していないか、歳をいい加減に書いたもんだから、いい加減な応募と思われたのか。はたまた、やはり歳が歳だからなのか。
(注;結局は要請があったんですがね)
ことさように歳を聞かれるのは、やだねェ。
それにね。
いちばん身近な人から、孫のことを話しているときによく「○○じいさん」って呼ばれるのも嫌で嫌でしょうがない。こんな呼び方、いじわるとしか思えないよね。
「お前さん、若くないんだよ!」って面と向かって言われているようなもんだもんね。自分と同じ年寄りに引きずり込みたいのか、この野郎!ってまったく顔が引きつるよ。
 
「老い」は避けがたいことで、自身もちょっとした動作にも苛立たしさを感じることもしばしば。逆らうにも逆らえようがないのがつらいね。
でも、人からは指摘されたくないし、ましてやそんな扱いをされたくもない、と思っているんですがね。
しかし社会の現実は、これでもかこれでもかと「老い」を押し付けてくる。
まず働かせてくれない。これでもまだお役にたてることはあるんだがなあ、とは思ってはみても、所詮は独りよがり。
しかたなく、スーパーマーケットに行ったり、コミュニティ広場に出かけてみたり、人が集まるところにはよく行くんだが、どこも老人だらけ。
こんな中に入りたくないと思ってはいても、結局は入ってしまっているんだよね。
やだねェ!まったく、やだ、やだ!

温室効果ガス25%削減

☆★☆ 地球温暖化の影響 ☆★☆
鳩山首相が国連で、2020年までに温室効果ガスを1990年比で25削減する新たな日本の中期目標を国際公約としたことについて国内外に大きな波紋が広がった。
「温室効果ガス」という話題の言葉もそうだが、みんなは何とはなく分った言葉として流通させているわけだが、できたらその内実をもう少し理解したうえで流通させるに越したことはない。
地球の現在の平均気温は約15度で、この「温室効果ガス」がなければ、地球の平均気温はマイナス約18度になっているはずで、今の地球の環境とは少し事情の違った地球になっているということはあまり知られていない。
つまり、今の地球環境に「温室効果ガス」は一定の寄与をしているわけだ。太陽光が地上に降り注ぎ地球を暖めているのは確かだが、もし「温室効果ガス」がなければ、地上に降り注いだ太陽熱の大半は再び宇宙空間に放出するわけで、地球を取り囲むオゾン層、二酸化炭素などの気体が地上からの放射熱を保留し、今の平均気温15度を保っている。それを「温室効果ガス」というわけだ。
このことをまず認識したうえで、いま語られている温室効果ガス問題であるが、18世紀におこった産業革命以来、人類は大量でかつ効果的なエネルギーを必要とし作り出してきた。その累積と二十世紀に入ってからのさらに大規模なエネルギー革命、それに伴う地球環境の破壊が、今の平均気温15度を上回る気温上昇を招くだろうと危惧され始めてきたわけだ。
自分の体温に引き換えればよくわかるわけだが、平熱が36度の人が37度になったらどうだろう。体の調子がちょっと変だなあと思うだろうし、38度つまり2度上がればかなりしんどく(注;「しんどい」は方言で「疲れた」が標準語だそうだが、?)なるだろう。3度上昇すれば寝込んでしまうし、4度上がって40度になればもう危険体温だ。それと同じことが今地球におこることが予想されているわけだからことは重大だ。実際このまま事態を放置すれば、21世紀末には今から5~6度の気温上昇するだろうというかなり確かな予測をする学者もたくさんいる。体温だと42度だ。ペストで死んだと言われている平清盛が死に際、お腹で湯を沸かしたと面白おかしく言い伝えられているけれども、その体温が42度くらいだ。
今はまだ1度上昇したくらいだからしんどいとやっと自覚し始めたところだが、今から早急に対策を打っていかなければ、10年から20年、後手に回ればもう加速度的に気温が上昇し、どんな対策も効果なしの状態になることも予測されている。北極海から氷が消え、南極の氷の層がが大幅に薄くなり、氷河が消え始め、ツバルという南太平洋ある国が水没し、世界のいたるところで異常気象が猛威をふるい、その兆候はいたるところで起こり始めている。
鳩山演説は政治家の演説ではない。科学者の演説だ。
実業に携わる方面からの批判は保身のためだとしか思えない。冷やかで反応の鈍い国家指導者もまたしかり。世界のみんなが正しい知識と判断力と実行力を持たなければ、一握りの「指導者」に任せていては、手遅れになる恐れがある。
核拡散不拡大、核放棄は本当に世界がその気になれば短期間で解決できるが、温室効果ガス問題はそういうわけにはいかないから早く覚悟を決めなければならない。
科学・技術立国、平和立国の日本が21世紀の世界をリードする絶好のチャンスでもある。

晩夏と初秋

 
☆★☆ 坊が鶴賛歌 ☆★☆
 
山に入るともう秋の気配、海辺を歩くとまだ夏の名残り、秋のシルバーウィークはくしくも「折節の移り変わるこそ 物ごとにあわれなれ」を体感した。
標高八百メートルちょっとの山だったが、木々の葉はぼつぼつ黄ばみ、時折吹きあがってくる沢風に冷っとするものを感じる。山道は千メートルを超える山もこの山もしんどさは一緒だ。上を見ずに足元だけを見て一歩一歩歩まないとこのしんどさに耐えられない。真夏ならいくら木々が生い茂っていても道は明るいが、今歩く道はもう暗い。時折聞こえてくるツクツクボウシの鳴き声も鳴き方がへたくそだ。秋の山道は音も静かだが、気配がそれ以上に静かだ。やっと辺りが明るくなって見上げた空には、雲ひとつなく晴れ渡っているけれど、上空高くに寒気が覆っているのだろう、薄く薄く霞が漂っている。ふもとの小さな食堂で、おやじにせかせて作らせた弁当がうまい。塩鮭が塩分の補給になったのか食べると元気になってきた。頂上から七キロくらい下がったところに温泉がある。さあ、その温泉を目指して下るとするか。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

さざ波が立ち、時々白い波頭が見える。その海風が耳元をかすめると心が躍る。ぎらつく太陽はまだ夏をとどめ、さざ波に散乱させられた光線が真昼のイルミネーションを作り出している。ここも静かだ。遠くのほうに釣り人が見えるがそのリールの音が間近に聞こえる。漁船が一隻、はるか沖合をゆっくり右から左に動いているがそのエンジン音もかすかに聞こえてくる。あとは足元に寄せては返すひたひた音だけだ。耳をじっとすますと、そのひたひた音の中から死んだおやじとおふくろの話し声が聞こえてくる。一緒に暮らした叔母の声が聞こえる。なんだこれは。風が運んでくるのか、波が運んでくるのか、自然に帰った魂がきっとここでは聞こえるのだ。
それにしてもみんなどこへ行ったんだろう。山にもいない。海にもいない。これがぼくが見た晩夏と初秋の風景だ。