田母神論文に思う

 
 航空自衛隊の最高幹部である田母神前空幕長が懸賞論文に「我が国が侵略国家だったというのは濡れ衣」と発表してから、もう1ヶ月半経った。
 発表当初のあの騒ぎぶり、特にマスコミの騒ぎぶりはどこに行ったのか、いつも言われることだが「熱しやすくて冷めやすい」体質は相変わらずだ。
 その論評ぶりからしてまさに「むべなるかな」と言わざるを得ない。
 最近特に上滑りで無教養極まりない「朝日」をはじめとしたマスコミの論調はどれとして、「田母神論文」に太刀打ちできる歴史観と実証性を持ち得ないまま、マスコミお抱えの似非評論家や、選挙近しで浮足立ち国防もへったくれもあったものでないタレント兼業政治屋の言うがまま、「我こそは正義」と言わんばかりの論陣を張ったわけだが、「田母神論文」に賛同を表わす学者や評論家が多数現れはじめ、それも、是非はともかく「しっかりした」歴史観と実証性に裏打ちされた(と思えるんだが)田母神擁護論と、ネットにも賛同する意見が多く寄せられるに及んで、あれっそういう意見や歴史の見方もあるんだと、ここに及んで頭を冷やしたわけか、すっかり鳴りをひそめてしまった。
 マスコミに群がる人間はえてしてこういう人間が多いわけだし、どちらかといえば人の意見を受け渡しして成り立つ仕事だから、仕方がないといえばそれまでなんだが、「第4番目の権力機構」といわれるマスコミにも、もう少し冷静で幅広く意見を聞き、一呼吸おいて報道してくれることを願いたい。
 そして「田母神論文」を読んだわけだが、この表題「我が国が侵略国家だったというのは濡れ衣」がわざわいしたんだろう、内容も読む暇がないほど「お忙しい」マスコミ関係諸君に上げ足を取られたのは。しかし、内容はいうほど「怖ろしい」ことを言っているわけではないように思えた。ごく当たり前のことを言っているんではないか。歴史の一方の見方だと思う。いままではあまりにも片方に寄りすぎた意見が多すぎたし、「村山談話」にしても、あんなもの時の国の代表が国際社会に表明するものではない。歴史的検証と評価が十分になされるにはまだまだ時間を要することだし、場合によっては全く反対の事実が歴史を塗り替えることだってあるわけだ。事実、「盧溝橋事件」、「上海事変」、「南京大虐殺事件」、「真珠湾攻撃」等々、従来の歴史的事実や評価を覆す資料や見解が続々と明るみに出てきている。一国の宰相が軽々に歴史的判断を下して、近隣諸国にはもちろん、国内向けにも影響力を及ぼすのはいかがなものか。
 「村山談話」なんてそれが出た背景を知ればいい加減なものだ。深い思索の産物ではない。権力にしがみつきたい連中が、全く相いれない政党の党首を担ぎ上げ、人数合わせのために自分の信念を折り曲げて「よいしょ」した妥協的産物でしかない。自民党と社会党だよ。あの時、国民の大多数はびっくり仰天したものだ。政治家なんて所詮そんな人物の寄り合いなんだから、議院内閣制でなく官僚内閣制になるのは当然の帰結。1930年代のあの国家存亡の時にも選挙のことしか考えず「2.26事件」を誘発した状況とまったく同じ状況で飛び出したのが「田母神論文」なのである。
 日本が侵略国家だったのか、仮にそうだったとしても、日本だけがいつまででもいつまででもそう言われ続け、反省し続けなければならないほど、世界ナンバーワンの侵略国家だったのか、そんな「自虐史観」から抜け出さなくてはこれからどうなるかわからない国際社会で、日本の国家戦略を大きく損なうおそれがあるのではないか、と田母神論文は訴えているのだ。
 日本に対しては「大陸棚国境線」を主張し、ヴェトナムに対しては南沙諸島問題で「中間国境線」をと、平気で使い分けて何ら恥じない「大国」が大手を振ってまかり通る国際社会で、このような「田母神論文」に昔の亡霊しか思い起こせず、うろたえ、パニクッているようでは、この国の先は一体どうなるんだろう。
 田母神君と一緒に腹を切りたいくらいだ。
 

嫉妬

♪♪♪ ジェラシー ♪♪♪
「嫉妬」と言えば普通男女間の愛憎を表わす場合が多い。しかし今のぼくの場合、ぼくより長く生きる者に対する嫉妬である。
今日孫娘が来てくれた。まだ1歳になったばかりだから、もちろん両親に連れられての来訪だが、実に可愛い。ひょこひょこと上手に歩き、笑顔を振りまき、どの仕草もまさに天使だ。それでも両親にとっては大変なこともあるんだろうが、その大変なことから解放されているぼくにとってはただ「可愛い」だけだ。小さな手足を巧みに使っておもちゃをいじったり、手押し車を走らせたり、一人でキャッカキャッカ遊んでいる。今は目の前にあるものすべてが興味の対象だ。触ったり舐めたり全神経を使って「物」を確かめている。こうして今から生きる世界を認識し、生きるすべを学んでいくのだろう。これから80年は生きていくんだろうから、西暦2090年くらいまで生きることになる。ぼくにとってこれが実に羨ましく、妬ましい。生きることができるならば何年でも生きたいが、100%無理なことだから悔しい。
時々「長生きしたくない。」とか「早く死にたい。」とか本気かどうか、軽々に言う人がいるが、ぼくにはどうしてもこういう人の気持ちが理解できない。未来永劫の「生」を願望するぼくにとってはそんな人たちから残りの「生」を譲り受け、かき集めたいくらいだ。で、そんなに長生きしてどうする? 放っておいてくれよ! 2090年の世界を孫娘と一緒に見たいだけだ。
「心なき 身にもあわれは知られけり ・・・」と歌った西行は、人は生きるとしても40歳までだ、あとは老醜をさらすのみ、と格好よく言って、結局72歳まで「老醜をさらした」わけだが、老醜をさらしてもぼくは生きたい。街を歩いていても若い人たちを見ると、この人たちはまだこれから5,60年は生きるんだ、とすると西暦2060年から2070年までか、羨ましいなあ、悔しいなあ、とそんな計算ばかりしてしまう。
自分が生きていて、いつかはこの世から消えてしまうという自覚をどうして与えてくれたんだ、と誰を恨んでいるのか、もし創造主というものがあるならばそれを恨んでみたくもなる。
こんなぼくはきっと極楽往生はできまい。「生」の未練に引きずられてその時もがき苦しむに違いない。極楽往生する人はきっと潔い人たちなんだ。

ブナ林見学会

★☆★ ブナ林 ★☆★ 
 
 さる自治体の「内山ブナ林」の見学会に参加した。地元のブナ林を保護育成していくための啓蒙活動の一環だ。参加したのは抽選に受かった40名の一般市民。60名あまりが応募したというからまあまあの関心の深さはあるのだろう。これまでにすでに2回見学会が催されていて今回は3回目ということになる。
 日本海側の「天橋立」の近くにある「内山ブナ林」は関西では有数のブナ林である。2台のマイクロバスが準備され、片道およそ3時間の道中では市の職員、ブナの専門家、野鳥の専門家のレクチャーがあり、まさに「先達はあらまほしきこと」を実感した。現地近くでは地元のNGO職員が案内人として加わった。あいにくの曇り空で時折小雨がぱらつくうっとうしいお天気だったが、「ブナ林見学にはもってこいのお天気」である、と慰められた。
 まだ紅葉には時間があるのか、色づいている木々はわずかだ。登りは普段の運動不足から少しきつかったが、やはり空気はおいしい。木々の名前を教えてもらい、時折聞こえてくる野鳥の名前を教えてもらい、聞き耳を立てるのも初めての体験だ。ブナの木は昔は家の普請とか、燃料に利用され地元の人たちにとっては密接な関係があったそうだ。そういえば、人の高さくらいまではふた抱えもみ抱えもある台木から二股に幹が伸びているブナが多い。そのあたりで切り取られ、そこから新たに幹が伸びてそうなったそうだ。森林の奥には幹回り4,5メートルはある最大のブナがあり、樹齢何百年にもなるそうだ。
 こうして4時間余りのブナ林散策は終わったわけだが、あたりの集落も昔ながらの山里の風情を残し、雪深い地であるのだろう、間もなく訪れる冬に備えて、もう藁葺きではないがトタンぶきの急斜面の屋根は滑りやすい塗料でピカピカに塗られていた。
 こうした催しものに参加したのは初めてだが、とても有意義な見学会であったと思う。と同時にあらためて、こうして「ブナ林見学会」を催さなければならないほど、ブナ林、広くは広葉樹林が少なくなったことの意味を考えざるを得ない。
 毎年毎年多くの人たちを悩ます「花粉症」も元をただせば、こうした広葉樹林を切り倒し、山という山はすべてスギ、ヒノキに植え替えてしまった、またそれを許した国の森林政策・行政の大失策である。国産のスギ、ヒノキ材は今や需要が激減、逼迫していて切り出しは勿論、手入れも行き届いていないのが実情だ。これを追究する声はあまりにも小さい。
 今や20%を割るまでに減少した農家人口に比例して、農林水産業に対する国民的関心は薄くなり、なぜこうして毎年「花粉症」に悩まされているのか、その根本原因を探ろうともしない。「スギ花粉が原因」にとどまって納得してしまっている。
 今回の見学会にもこの点に関しての関心が薄く、「大人の遠足」にとどまっているのではないかという不満が残ったことは否めない。
 

秋の夕暮れ

 
旅先で買い物をしての帰り道、暮れなずむ田圃道を歩いていると、どこからともなく香ばしい煙が漂ってきた。前方を見上げると、暮色に染まった山並がかすかに明かりをとどめる夕空を背景にくっきりと立ちはだかっている、その夕空に淡いけぶりが微風にあおられながら左から右にゆっくりと立ち上っていく。収穫を終えた田圃で籾を焼いているのだ。右に立つ糸杉の並木の上ではねぐらを求めてやってきたカラスが4,5羽小さな円を描きながらゆっくりと舞っている。向こうのほうの農家には明かりがともっていて人影が動く。
今日の泊まりは山一つ越えた川筋の民宿だ。まだこれから小一時間。ぼつぼつお腹もすいてきた。しかしなぜか足が進まない。何とも言いようのない寂寥感がこの夕闇の中に漂っていて、この夕闇の中に消えていってしまいそうな自分を感じる。都会の雑踏の中にいる時感じる寂しさとまた違った寂しさだ。
この寂しさは何だろう。秋の夕暮れに感じるこの寂しさは。限られた命でしかない自覚がふとよみがえるのかもしれない。あの暑い夏、青々とむせかえるように広がっていた田圃も、今はこうして刈り取られた根っこの株だけが整然と並び、その上で籾殻を焼く煙は「鳥辺山の烟」と同じかもしれない。
 
 ・心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ(西行)
 ・見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫やの秋の夕暮れ(定家)
 ・寂しさはその色としもなかりけり槇立つ山の秋の夕暮れ(寂蓮)
 ・山の端に籾焚く煙立つ見えて香りにむせぶ秋の夕暮れ(Santa)

曼珠沙華-ひがんばな、まんじゅしゃげ、まんじゅしゃか-

 

♪♪♪ 曼珠沙華 ♪♪♪

 

GONSHAN GONSHAN 何処(どこ)へゆく。

赤い御墓(おはか)の曼珠沙華(ひがんばな)

曼珠沙華、

けふも手折(たお)りに来たわいな。

 

GONSHANS GONSHAN 何本か。

地には七本、血のやうに、

血のやうに、

ちゃうど、あの児の年の数。

 

GONSHAN GONSHAN 気をつけな。

ひとつ摘んでも、日は真昼、

日は真昼、

ひとつあとからまたひらく。

 

GONSHAN GONSHAN 何故(なし)泣くろ。

何時(いつ)までとっても、曼珠沙華、

曼珠沙華、

恐(こは)や赤しや、まだ七つ。

 

〔語注〕 GONSHAN=九州柳川方言で、GONは「権」で素封家、SHANは「ちゃん」、あわせて、良家のお嬢さんまたはお嫁さん 曼珠沙華=まんじゅしゃげ、山口百恵の歌では、まんじゅしゃか

 

なんて艶やかでかつ野暮ったい花なんだといつも思う。
9月23日お彼岸のころになると、稲もたわわの畔に、あちらに一群れ、こちらに一群れ、手前に一二本ポツン、ずっと先に群れをなしてと、咲き乱れるという風でもなく咲いていて、それでいて人の目を惹きつけてやまない。確かに秋の光景だ。
向こうのほうの田んぼのあぜ道を、真っ赤な日傘をさして、どこかさびしげな、そして危なっかしい足取りで歩いてゆく女が、ふっと現れ、ふーっと消えていった。
高校生の時、楽譜が読めるようになって、いろんな楽譜を買ってきて読み漁ったことがある。「日本歌曲全集」と言ったかどうか、かなり分厚い歌曲集の中にこの「曼珠沙華」を見つけ出したときの感動は今も覚えている。
「ごん しゃん、 ごん しゃん、 どこへ ゆく」、山田耕作作曲で北原白秋作詞のこの曲だが、日本民謡風でもあり、子守唄のような旋律でもあるような、また御詠歌のような雰囲気をもった歌だなあ、と思ったが、それ以上に歌詞の意味を考えてもみなかった。
今こうしてもう一度、歌詞を読み、口ずさんでみると、あの曼珠沙華の咲く景色と、これから深まりゆく秋の気配が、何とも言いようのない寂しさで迫ってくる。
幼くして亡くした児をふつふつとさせる曼珠沙華なのか、事情があってこの世に生み出せなかった赤子がこの曼珠沙華なのか、人はみな、思うに任せない現身(うつせみ)を生きているのだ。
どうか、わが児だけは殺してくれるなよ。

 

アメリカの若者たち-PTSD-

★☆★ PTSD ★☆★
 
イラクやアフガニスタンはいまやヴェトナム戦争末期の時と同じ状況に置かれている。ヴェトナム戦争は国家対国家の戦争であったため、アメリカ(名目は連合国、以下同じ)が敗戦するまで戦争は継続され、アメリカが敗北することによって戦争は終結された。一方、イラクはフセインが率いるイラク国家との戦争ではあったが、フセインが破れ、一応国家対国家の戦争は終わったことになっているが、アメリカの戦死者数をみてもわかるとおり、終戦後のほうが明らかに戦闘状態は深刻になっている。まさにゲリラ戦である。アフガニスタンも国家対国家の戦争ではなく、これもゲリラ戦だ。
これらイラクやアフガニスタンのゲリラ戦を制圧するためにアメリカの多くの若者たちが徴兵され、戦場に駆り出されている。世界一自由で豊かな国を自負するアメリカで何不自由なく暮らしてきたアメリカの若者たちにとって、上官の命令には絶対服従を強いられ、「撃て!」と言われれば撃たねばならず、「殺せ!」と言われれば殺さなければならない戦場は、まさしく阿鼻叫喚の世界だ。そうした若者たちの多くが無事祖国に帰還できた後もPTSD(心的外傷後ストレス障害)で苦しみ、大きな社会問題になっているアメリカの現実が、先日、NHKのドキュメンタリー番組で取り上げられていた。
アメリカ政府のこうした政策がはたして正しいのかどうかは別にして、平和に暮らしている一市民にこれだけの犠牲を強いる国家権力とは一体何なのか、何の根拠に基づいて強いられるのか、十分に考えてみなければならない問題だ。
と同時に、日本政府が、そして世界の多くの国々がこのアメリカの政策を支持するならば、日本がこのイラクやアフガニスタンの問題にただ戦費の拠出だけで済ませ、アメリカの若者たちの命を贖っている事実に目をそらしていていいのか、大いに問題だ。
町内に凶悪犯が潜入し、自警団を組織したとき、「我が家の家訓によりそんな物騒なことには係わりません。」と例え上乗せした分担金を拠出したとしても、それだけで済ましたとしたら町内の人たちはどう思うだろう。
日本国憲法を盾に、いわば逆手にとって、国際社会の無理難題を潜り抜け、戦後日本の復興を図ってきたことは紛れもない事実だ。今も、この憲法は幸か不幸か、わが日本の若者たちを、アメリカの若者たちが直面している塗炭の苦しみから守っている。
かたや、街の至る所で携帯電話をピコピコする若者であふれ、かたや、戦場で明日の我が命も知れず、人の命を奪ったことで苦しみ抜く若者たちがいることを、アメリカ国家、日本国家という範疇ではなく、人間として人類として考えていかねばばらない。
 
誰が我が愛する息子、娘たちをあたら戦場に送ることを望もうか。
 
★映画(DVD) 「7月4日に生まれて(原題:Born on the Fourth of July)」 を一度ぜひご覧ください。
                        

多国籍軍の人的損害状況 (イラク戦争のみ)

アメリカ合衆国軍

   年度

    戦死

   負傷者

    2003年 

     486

    2,416

    2004年

     849

    8,004

    2005年

     846

    5,946

    2006年

     822

    6,411

    2007年

     902

    6,103

    2008年

     160

    1098
 
全参加国軍合わせて即席爆発装置(IED)による死者は1770名。
その内米軍は1687名(約40パーセントがIEDによる死者ということになる)
  ※2008年4月までの集計
 
その他の多国籍軍

戦死

戦死

イギリス

176

ラトビア

3

イタリア

33

     ルーマニア

3

  ポーランド

23

        オーストラリア

3

  ウクライナ

18

   エストニア

2

  ブルガリア

13

オランダ

2

スペイン

11

タイ

2

  デンマーク

7

      ハンガリー

1

         エルサルバドル

5

      カザフスタン

1

  スロバキア

4

   大韓民国

1

 グルジア

4

チェコ

1

  ※戦死者のみ2008年4月までの集計[21]
 
 ★これも忘れてはならない。
 中国国務院が発表する「2007年アメリカ人権記録」によると、2003年以来イラク平民死亡数は66万人以上。
 ロサンゼルス・タイムスの統計によると、100万人も上回る。

北京オリンピックそして中国②

★☆★ 北京オリンピック ★☆★ 
 
皆さんお元気ですか。
こちらは熱い夏もやっと峠を越し、気温27~8度、とてもしのぎやすくなりました。
そちら青島はどうですか。
中国悲願の北京オリンピックもなんとか無事終わり、さてこれから中国および中国国民がこの成果をどう生かしていくのか、★☆★
チベット問題 ★☆★ (この映像が頭から離れない。;現在この映像はなぜか削除されている。;また復活!;再び削除中!;★☆★ これ ★☆★もいずれ・・・)、新疆ウィグル問題、自由と人権の問題、環境問題、社会的格差と汚職の問題、そしてここにきて陰りを見せ始めた経済問題など等、これからが試練だと思います。
中国人たちも100年の鬱積を一気に払いのけ、これで大いに自信をつけたでしょうから、これまでのような偏頗な自己満足や狭隘な愛国主義に走ることなく、世界との真の意味での連帯感を深める方向に向かえば、中国人のみならず世界にとっても同慶の至りです。
「国威発揚のため」と言われようと、「演出過剰」と言われようと、「人権抑圧下の祭典」と言われようと、あれはあれで中国流の精いっぱいの「おもてなし」であり、先進国への仲間入りの「大見え」なのだと思います。
考えても見てください。
13億人もの人たちを束ねていくことの難しさと束ねそこなった時の恐怖感がどれほど現在の中国の為政者たちに付きまとっているか。
歴史を振り返ればわかることですが、中国という国は1949年以前には存在したことはありません。「中国4千年の歴史」とかよくいいますが、それは中国という国が4千年間続いてきたということではありません。ある時は漢民族であったり、ある時はモンゴル民族であったり、またある時は満州族であったり、今でいう中国の土地を支配してきた国は様々なのです。日本という国が千年とか二千年とか続いてきたというのとはわけが違います。現「中国」は高々50年の歴史しか持たない国なのです。イスラエルという国が20世紀に誕生したように、中国も20世紀に誕生した新興国家なのです。しかもチベット族、ウィグル族、モンゴル族、満州族といったそれまでに大きな土地を占有していた多民族をも含めて「中国」が誕生したわけです。すべて「共産主義」の御旗を掲げての誕生なのです。いわば20世紀最大の実験国家なのです。無理を承知でできた国ですから、それを束ねていくことの困難さは外部世界の人たちには到底理解できないし、「世界の非常識が中国の常識」といった価値観の逆転が起こりうるわけです。
そんなことを考えるとき、あの開会式といい、閉会式といい、まことに立派であったとまず素直に感動を伝えましょう。そしてそれを支え、あれだけの大事業を成し遂げ得たのは、やはり13億人の、農民をはじめとする(中国)人民があってこそなのだということ、自由を求め、独立を求め、人権確立を求め、正義を求めたが故に、反体制側に回った人たちと、奇しくも四川大地震のような自然災害に見舞われた人たちの命と血によって購われたものだということも忘れてはなりません
遠慮はいらない。世界の常識は中国の非常識を常に糾弾していかねばなりません。中国人民のためにも。

北京オリンピックそして中国

★☆★ 中国 ★☆★
 
北京オリンピックがいよいよ開幕だ。世界各地を巡った聖火リレーの混乱が否応なく北京オリンピックの関心を増幅したのは皮肉だが,隣人としてやはりこのオリンピックが成功裏に終了することを願わずにはおられない。
いまや中国の経済発展は留まるところを知らない。アメリカのサブプライム問題に端を発した自由主義諸国の金融危機による世界的株価急落時にも,最初はくしゃみ程度の影響はあったものの中国の株価上昇の勢いは留まらず,日々新高値を更新するありさまであった。しかしこれも皮肉なことだが昨年の10月ごろをピークにオリンピックが近づくにつれ株価は下落の一途をたどり,8月現在の株価は1年半前の2007年初頭の株価にまで下がってしまった。中国経済の脆弱性を指摘するエコノミストは多い。2008年の北京オリンピック,2010年上海万博,こうした国家的ビッグ・エベントを境に必ずバブルがはじけ,経済的混乱はもちろん,政治的動乱をも予測する向きがある。こうした意見が単なるやっかみ半分の杞憂に過ぎないのか,予想が的中するのか,その時になってみなければ分からないというのが,無責任だが,いちばん無難な意見である。
いずれにしろ中国は日本にとって単に隣国といって済ませる国ではない。
中国で生活してわかることだが,中国人の日本および日本人に対する思いは複雑だ。古代から今に至るまで脈々と流れる中華思想,国家レベルでは日本,朝鮮,周辺のアジア諸国をいまだに属国と見ている節があるし,一般国民でも日本を蔑んで「小日本」を言ってはばからない。ところが近代,日本が東洋においてまず近代国家に名乗りを上げ,中国には大きく先んじてしまった。日清戦争に敗れ,国土の一部に傀儡政府をつくられ,国内の多くの都市を制圧され,経済面においては大きく後れをとった。文化面においても中国近代化のために何万人もの中国人留学生が日本で学び,漢字の「輸出国」がその輸出先の国から多くの近代用語(科学,経済,政治等の学術用語及び専門用語の分野は特に顕著)を移入せざるを得ないほど文化も凋落してしまった。日本に来た中国人の多くは日本が単に近代国家に一番乗りしただけではなく,日本人の人間性と道徳性,文化の奥深さに目を見張り,魯迅にいたっては自国民に望みを失うほどのショックを受けた。その後の国内の動乱と日中戦争は国土の荒廃と人心の退廃をもたらし,中華人民共和国の建国後も紆余曲折,多数の人民が食わんがための生活から解放されてまだ20年足らずである。中国があれほどなりふり構わずオリンピックに執着する姿もむべなるかなである。ただどうだろう,まだまだ多くの国民はオリンピックの祭典を心から喜んでいるんだろうか。
いずれにしろオリンピックを境に中国がこれからどんな近代国家に変貌していくのか,世界人口の四分の一を占める大国中国は良くも悪くも21世紀世界の台風の目であることは確かだ。

ラジオ体操―国民的財産―

♪★♪ ラジオ体操 ♪★♪
 
  新しい朝が来た 希望の朝だ
喜びに胸を開け 大空あおげ
ラジオの声に 健やかな胸を
この香る風に 開けよ
それ 一 二 三
 
 朝6時半、藤山一郎さんの元気溌剌とした歌声が町内に響き渡る。
 朝寝坊をしていた小学生連中が眠そうに目をこすりながら次々と家から飛び出してくる。夏休み恒例のラジオ体操の始まりだ。お父さんお母さん方、お年寄りも結構な数だ。道端の木箱の上に置いたラジオから流れてくるピアノ伴奏に合わせて、まだ眠りから覚めないのかタコのようにフニャリフニャリ体を動かす子、飛び跳ねるように元気に手足を動かす子、おしゃべりに夢中でリズムにまったく合っていない女の子、実にさまざまだ。第一体操はみんな何とかこなせるが、第二になると大人たちはもちろん、子供たちもあやふやだ。第二は学校でも習い始めたところでまだしっかり身についていないし、大人たちはまったく知らないから勝手な振りを付けて体操している。
 服装も小学生の男の子はたいがいパンツにランニング、女の子は花柄のついた薄手のワンピースや様々、おじさんたちはステテコにやはりランニング、おばさんたちはありあわせの夏姿だ。気取った服装をしている人は誰もいない。
 やがて体操が終わると班長さんの前に行列だ。出席カードに判を押してもらわねばならない。欠席がなければお盆のときお地蔵さんに祭るお供物のおすそ分けがたくさんもらえるから、みんな休まない。
 判を押し終わると町内の掃除だ。家から持ってきた思い思いの箒で町内の道や溝をきれいに掃いて回る。このころには周りでセミもうるさく鳴き始め、朝の日差しがギラギラし始める。こうして僕たち小学生の夏休みの一日が始まるわけだ。
さて、このラジオ体操ほど今ありがたいと思っているものはない。
 おかげさまで第一ラジオ体操だけは完全に覚えているし、普段の運動不足を補うためにも、また外国に行った時にも、いつでもどこでもこの体操ができる。上海にいたときには、朝、太極拳のグループに入れてもらい太極拳を習っていたが、ふとしたことでこのラジオ体操を皆に披露すると、皆が非常に興味を持ってくれ、教えてくれということで皆に教えたことがある。日本人なら誰でもこのラジオ体操はできるのではないだろうか。これは日本国民の一大財産だ。
今日もこのラジオ体操から一日が始まった。もう朝から30度を超す猛暑だが、これで今日一日元気で乗り切る自信がついたぞ!

夏休み―皆さんはどんな?―

♪♪♪ 夏休み ♪♪♪
 
もうすっかり夏だ。空には綿菓子のような雲があちらこちらに浮かび、地平のかなたには入道雲がもくもくと立ち上がり真っ白に輝いている。空気は澄み切ってはるか遠くの山並みもくっきりと見渡せる。照りつける陽光は汗ばみを許さないほど強烈だ。
あれっ、今歩いている道はどこだっけ。ナスビとトマトが両側に植わった畑道を小学生が二人、じゃれ合いながらこちらに向かってくる。「こんにちは」、言葉をかけるときょとんとした顔がかわいらしい。見たこともない顔だ。あたりまえだよな。だからきょとんとしているんだ。どうも終業式の帰りらしい。二人とも通知表を開いたまま団扇代りに煽いでいる。
いいなあ、いちばん嬉しい時だ。あすから夏休み。成績なんてどうだっていいんだ。思いっきり遊べるんだものなあ。でも、日記だけは書くんだ。絵日記がいい。絵が好きだから、ナスビとスイカと、ええっと、そうだ、アサガオの絵は絶対書くぞ。ナスビの紫と、スイカの赤と、アサガオの空色、この色が好きなんだけど、どうしてもこの色が出せないんだよな。去年の夏休みにも挑戦したんだけど、とうとう出せなかった。今年こそ、ぜったいこの色を出してやるんだ。早く日記帳を買わなくちゃ。・・・いつの間にか小学生の時の原風景が夏空いっぱいに広がっていった。
こうしていくつ夏を越してきたのか、そしてこれからいくつこんな夏を越していけるのかなあ。
おーい、きみたち、ぼくにもきみたちのいのちわけてくれないかなあ。