真田 泰昌 について

長年予備校の教師をやってきました。パソコンとの付き合いは古く,1号機からの付き合いで、プログラムもすべて自前でした。日本語もカタカナがやっとという時代でしたから,今はもう浦島太郎もびっくりです。

落ち葉道 仏見送る 妓王妓女

Buddhist nun Hotoke who was pregnant with the child of Kiyomori returns to hometown. Buddhist nuns Gio and Ginyo see her off. Just then the fallen leaves are dancing in autumn wind.

清盛の寵愛を受けていた妓王は、仏御前に心を移した清盛から逃れるように妹の妓女と母の刀自とともに京都の西、嵯峨野に落ち延び、庵を結びます。

そこにある日、仏御前も身の儚さを悟り、妓王を慕って庵に身を寄せます。すでに清盛の子を身ごもっていた仏は、妓王、妓女にこれ以上の迷惑をかけてはいけないと、生まれ故郷の加賀の国に旅立ちます。

平家物語の中でも「妓王の事」の件(くだり)は印象に残る名場面です。

妓王寺を訪れるたびに様々な想像が巡り、四季折々のたたずまいはその折々の心の状態を反映してか様々に映ります。

常青の苔に紅葉した落ち葉は永遠と刹那を感じさせますし、丸窓の格子に屈折した七色の日差しは虹を身近に感じさせます。

人間の業と自然の純を同時に感じさせる祇王寺は何度訪れても飽きることはありません

天丼も クリスマスツリー てんこ盛り

How hasty they are! When I entered the cafeteria there was a Tendon which shaped the Christmas tree. It was quite delicious.

ここでももうクリスマスです。空港でもクリスマス、街を歩けばクリスマス。腹ごしらえで入ったお店でクリスマス。まだこれから先一ヶ月というのに11月に入ってから幾度この風景を見たことでしょう。気が早いと言うか、商戦を盛り上げる戦略というか、これ日本人の特性なんでしょうかね。今はこんな時代、マスメディアを始め、スマホスマホの時代だから、誰もが共通の話題に触れやすくなって、いっそう拍車がかかっているようです。

ところで天丼。美味しいですよね。大阪の天王寺の地下街にあるカウンター作りの天丼屋さんなんかは、一日中お客さんが入っている。500円位をベースに、色々なトッピングがあって、と言っても、超豪華にもり立てても1000円札でお釣りが来る。

そう言えば、この天丼、立ち食いそばや立ち食いうどんと共に、日本で言う「ファーストフード」のはしりですよね。ファーストはfirstなのかfastなのか紛らわしいですが、fastが正解で、早くの意味ですよね。

天丼は、なんでも江戸時代から庶民のファーストフードで、江戸、いまの東京で始まったそうです。うちが元祖だ、いやうちだ、という店があるそうです。

天丼は白いご飯に天ぷらを載せてそれにタレを掛けて食べるんですが、その天ぷらが室町末期にポルトガルからやって来た宣教師によって紹介されたそうです。だから天ぷらの語源はポルトガル語だとか。

東京の天丼も大阪の天丼も、全国どこにっても海老天が二つ、これお決まりなんで面白いです。いちどどこでだったか、「超豪華天丼」と書いてあるお店があって、物珍しさに恐る恐る入ってみたら、看板に偽りなしの超豪華。海老が3本で何やかやで丼から盛り出している。これで一番高いのが1500円、トッピングを注文しても2000円止まり。お腹満腹、ホッとしたことを覚えています。

ゴーンさんじゃありませんが、庶民はこれで大満足。きっとゴーンさんの満足度よりデカイですよ。

もみじ葉は 恋の炎(ほむら)か 直指庵

Jikishi-an Temple in Kita-saga Kyoto is known as a hidden landscape for autumn leaves. it is also famous as a temple to visit by women suffering from love. The women who visit there write down the trouble of love in the notebook attached with the temple.

京都北嵯峨にある直指庵は隠れた紅葉の名所としても知られています。四季折々に変化するあたりの光景は万人の心を癒やします。

一時は「女性の駆け込み寺]と言われたこともありますが、そんな事はありません。

恋い焦がれる思いの余り、男女を問わず、心鎮めるために訪れることもありましょうし、仕事の疲れを癒やすために訪れる人、若き日の思い出を辿るために訪れる人、そして今では外国人の訪問者、お寺を訪ねる人たちは様々です。

その人達が心の思いを書きつけるノートが備え付けられています。読むと自然に涙がこぼれます。浄化した心の美しさが伝わるからです。

今は燃えるような真っ赤なもみじ。老いも若きもやはり心に炎が立つのを覚えるに違いありません。

絵硝子に 紅葉浮き出る レストラン

When entering the restaurant, there was a stained glass drawing deer and autumn leaves. There I ate autumn wild edible plants dishes.

ガラスがそもそも人類と関わりを持ったのは古く、紀元前4000年より前にエジプトやメソポタミヤでビーズが作成されてからだと言われています。

しかし、天然ガラスの利用ということになれば歴史はさらに古く、日本の縄文遺跡でもよく見つかる黒曜石からです。

黒曜石は火山から噴出した溶岩がガラス状に固まったもので、見かけも綺麗な上にとても硬く、石包丁や矢じりとして利用され、青銅器発明以前においては最も鋭利な刃物として利用されました。

ガラスはその後エジプトやメソポタミヤ、ペルシャで発展し、ヘレニズム文化を代表する工芸品の一つになり、それが中国にもたらされ、中国の絹と交換する、いわゆるシルクロードができることになります。

さらに中国の北魏や南朝でも高水準のガラスが製造されるようになり、日本にも伝わることになります。福岡県にある須玖五反田遺跡には古代のガラス工房があったとことが確認されています。

また、東大寺正倉院にはペルシャからもたらされたと言われる瑠璃色のグラス(瑠璃の杯)がたくさん所蔵されています。

ステンドグラスはガラス製品の一つで、Stained Glass の Stained は着色されたという意味で、これも歴史が古く、もう2000年くらい前から主に教会の窓に使われるようになったそうです。

今日はたまたま入ったレストランに、秋にぴったしのステンドグラスが嵌められていて、折からの秋光に美しく照らし出されていたものですから、ついつい。

うたかたの 命彩る 落ち葉かな

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The leaves struck by the autumn rain scattered and decorate the ground and eventually are to fade away. It seems to see the radiance and  fragility of life at the same time.

冷たい秋雨に打たれて木の葉が舞い落ち、緑色の草と色とりどりの落ち葉が絶妙のコントラストを描いています。死してなおも輝くとはこのことで、我が人生もこうありたいものですが。

さてさて、今朝も気温7度。この秋で一番低い温度を記録しました。予報によると、今日の大阪の最高温度は13度、最低温度は3度といいますから、一日の気温差10度。この温度差が縮めば縮むほど冬に近づくと言うことです。

巷では聞きたくもないニュースで賑わっていますが、こうした落ち葉を見るだけでも、心が安らぎますし、人の生き様も考えさせられます。

緑に葉はもちろんクロロフィル、黄色い落葉はカロチノイド、赤い落ち葉はアントシアニンの発色によるものです。

クロロフィルは構造が人間の赤血球中のヘモグロビンの構造にそっくりで、クロロフィルの中のマグネシュウムが鉄に置き換わったのがヘモグロビン。だから緑色野菜を食べると赤血球の増加に繋がり、敷いては酸素の血中濃度が高まり・・・と健康につながるわけですね。

カロチノイドは野菜や藻類に含まれていてビタミンAの元になり、抗酸化作用があって抗癌作用がある。

アントシアニンはブルーベリーなんかに多く含まれていて、眼に良く、これも抗酸化作用がある。

落ち葉にはこれらすべてが含まれていて、大地がこれを吸収し、それがまた木々や草花に取り込まれるわけですから、栄養たっぷりなんですね。

人や動物は植物なしでは生きられない。だから植物を大切にしようと言ことです。

人間には栄養になるだけでなく、心にも作用するわけですからなおさらなわけですね。

 

山茶花の 初々しさが 足を止め

Sasanqua which has just bloomed is blooming on the side of the path. The pure and innocent color makes me stop walking.

朝散歩の道路脇に山茶花が咲いていました。赤い山茶花はまだ花もぼちぼちですが、このピンクの山茶花はもうたくさんの花を咲かせています。

悪いですが、こちらの山茶花に気が取られます。まだ咲きたてで初々しく透き通るような花びらです。山茶花は冬の花で、花期も長いですが、寒さには弱いそうです。

不思議ですね。どうしてこんな寒い時期に花を咲かせるんでしょう。

そう言えば、北極熊だってあんなに寒い北極海の氷で住んでいるんですからね。あれだけ大きくて強うそうだから、外敵を避けて住み着いたわけでわけではないでしょうしね。

人間もそう。住めば都といいますが、生きとし生けるものすべからくそうですね。環境環境に適応していくんでしょうね。また適応せざるを得ないと言うこともあるでしょうし。そこでしか生きられないっていう習性もあるんでしょう。

それでいいのかもしれません。

岩陰に 磯菊咲いて 人は無し

Isolated Isogiku, chrysanthemum pacificum, are blooming in the shade of rocks in the autumn sunlight. There is no person but only the sound of the wave can be heard.

イソギクは千葉県犬吠埼から静岡県の伊豆半島や御前崎の海岸に自生する日本固有の野生菊です。現在では飛び火して各地海岸にも見られるようになったようです。

近品種に紀伊半島一帯の海岸に自生するキイシオギク、四国の室戸岬周辺に自生するシオギクがあります。どれもよく似ていて、環境適応に応じて変化したのではないでしょうか。

10月から11月にかけて、潮風を避けるように岩陰や磯の陰に咲いている姿は愛おしさを感じさせます。薄い菊の香りはやはりキク科の植物なんだと再確認させます。

写真はイソギクで、葉の色がはっきり緑色で、葉の切れ込みも深いです。他の品種は、葉の羽毛のせいで霞んだ緑色をしていて、葉の切れ込みもイソギクほどではありません。

山野は紅葉、モミジで賑わっていますが、磯に咲く野菊の周辺はもう人影もなく、打ち寄せる波音だけが聞こえる寂しい風景です。

 

白鷺と 川瀬に映る 紅葉かな

While walking in the river nearby in the evening, one egret is still standing in the shallows. Sunset and autumn leaves are swaying on the river. It is like seeing a picture.

最近はカメラを持ち歩くことがすっかりなくなりました。ほとんどお蔵入りです。スマホに内蔵されているカメラの性能がとても良く、持ち歩くのにも便利なことから、この程度で満足できることがほとんどだからです。

でも時々もっと機能がよければということもあります。

ズーム機能ありとはうたっていますが、スマホのズーム機能は、本来の光学機能によるものではなく、映像の拡大機能を利用した似非ズーム機能です。拡大すればかなり画質が落ちます。

今回撮った白鷺もその拡大機能で撮り、さらにPhotoshopで切り取ったものですから、画質が落ちて、期待通りではありません。それにしても、昔のいわゆる使い捨てカメラに比べたら格段に優れています。

俳句を始めたのもスマホを持ち始めてからで、気に留まった風景や花などを写真に撮り、それを俳句に歌う、その一連のことをスマホで直ちにできるし、記録できる。今までなら、思い浮かんだ俳句も記録道具がなければその場限りだし、映像も残せない。家に帰っても俳句は思い出せないし、もちろん映像は頭の中に残っているだけ。

芭蕉翁がスマホを持っていたらどんなだろうと想像したら愉快になります。

ライトアップ 紅葉きららの 醍醐寺

Lighting up has begun at Daigo-ji Temple in Kyoto. The temple halls and autumn leaves reflect in the pond and are creating a fantastic atmosphere.

京都伏見にある醍醐寺は紅葉の名所としても有名です。

11月16日、秋季夜間拝観が始まり、日没とともに、ライトアップに照らし出された紅葉がいっそう紅に染まり、金繍のように浮かび上がって、幻想的な雰囲気を醸し出しています。

秋の本格的な幕開けです。

昼間とは違った景色の中で、感動とともに、深まりゆく秋に思いを馳せずには置けません。

ことにこの一年は大水害や大地震、猛烈台風と自然災害も多発し、亡くなられた方々、災害に未だに苦しんでいられる方々を思うとこの風景も潤んで見えてきます。

そんな思いも込めて、この夜景を見ることのできる幸いに感謝し、祈りを捧げたいと言う気持ちになります。

雄を食べ 雌カマキリの 逞しさ

A female mantis with satiety after eating a male mantis is looking for the place where lays the eggs. How stout a female mantis is!

雄を食べて満腹なのか、もう卵ができて腹が膨らんでいるのか、メスカマキリが体を重そうに運んでいます。

昆虫や蜘蛛の中には雄を捕食する事例は沢山ありますが、カマキリの捕食はもう万葉時代から知られていて、虫を愛でる姫君の物語『堤中納言物語』や、室町時代の歌謡集『閑吟集』などにも登場します。

その壮絶さは、これがカマキリだから淡々と書けますが、人間に置き換えたらもうホラー映画どころではありません。ともかく、交尾の最中に雌は雄を頭から食べ始めます。交尾が終わった後は雄の羽だけが無残に残っているのですよ。

雄を食べ終わった雌は腹を膨らませたまま、ひたすら産卵の日を待ちます。雄を食べて受精した雌はより多くの卵を産卵し、雄を食べずに受精した雌はその半分以下にしか産卵できません。

雄は別に喜んで雌に食べられているわけではなく、できたら食べられたくない。だから交尾の際もできるだけ雌の餌食にされないようにされないように振る舞うのですが、雌より小さな雄は抗うすべもありません。眼と眼が合えばもうお終いです。

しかし、雄の全部が全部こいういう運命を辿るのではなく、交尾中に食べられてしまう雄は30%くらい。70%の雄は運良く命拾いするのですが、性懲りもなくまた雌に近寄り、結局はいつかは雌に捕食されてしまいます。

こう話していると、なんだか人間にも当てはまるよなお話に聞こえてきませんか。身に詰まされる男性も多いのではありませんか。

木が紅葉して葉を落とすのも後世に栄養を残すためですから、生きとし生けるものすべてが子孫繁栄の諸行であるわけですね。

さてさて、自分は後世に何を残せるのかなあ?