もみじ葉を かなぐり捨てて 秋桜(あきざくら)

The surrounding trees are wearing leaves stained red, but this cherry tree tosses them off and is making many flowers bloom. Uhufu!

最近あちらこちらで開花した桜を見受けます。

「秋桜」と書いても「あきざくら」と言っても普通にはコスモスのことを意味します。こんなに秋にも桜が咲くようなら、もう「秋桜」はコスモスのことではなく、本来の秋に咲く桜のことに戻しても良さそうです。

それともう一つ不思議なのは、この写真を見てもわかるように、秋桜の葉はすっかり無く、花だけですね。

今の時期、もみじの名所もやっと色づき始めて、本格的な紅葉のシーズンはこれからです。桜ももちろん葉を紅葉させて、そして落葉します。専門的なことはよくわかりませんが、桜は紅葉、そして落葉が他の木々よりも早いのでしょうか。ともかく花だけです。

秋桜も秋の薔薇と同じで、春のような豪華絢爛さはありません。花数も少なく、大きさも控えめです。

「姥桜」という言葉がありますが、読んで「うばざくら」。桜は、春先、先ず花を咲かせ、それから葉をつけ始めまます。だから最初は葉無し、「歯無し」にかけてできた言葉が「うば桜」。だからこの意味の「うばざくら」は春の桜を意味します。

ところが「うばざくら」は、漢字では「姥桜」と書きますから、「姥」つまり、年老いた女性のことで、「姥桜」は女盛りを過ぎても、なお色香を漂わせる女性を連想した言葉ですから、まさしく秋の桜、秋桜を意味します。それのほうが合うような気がしますね。

命、運命の儚さを知り尽くし、それでも時には恋心に悶え苦しむことはあっても表に出さず、楚々として咲く花のようでありたい、何も女性だけではありませんが、そんな老いらくの恋は、やはり女性に託したほうが良さそうです。

桜って、本当にいろいろなことを考えさせますね。

金鯱(きんしゃち)が デンと座って 外は秋

The cactus called Kin – shachi is the king of the cactus. It is the largest in mail order so it is 180000 yen in size with a diameter of 24 cm. Cactus in the photo is 1m in diameter. How much would you buy this for?

あたりに紅葉が見え始め、いよいよ秋も深まりを見せてきました。

和歌山県岩戸市にある植物園の温室で見事なサボテンの金鯱を見つけました。外は昼間だと言うのに寒いという感じですが温室はさすがに暖かい。直径が1mを越えようかと言うほど大きな金鯱が数個とそれよりも一回りも二回りの小さいのが数多く育っています。

その場で、ネットで調べてみたら、愛好家が結構多いのか、いい値段が付いています。直径数センチのものでも2,3千円もするものがあり、調べた限りの一番高いのは8寸鉢ですから、約25cmくらいですね、これがなんと18万円の値段が付いています。

となると、ここで目にするこの1mの金鯱のお値段はいくらのなるんでしょう。最低でも100万円、おそらくそれ以上の値打ちがあるんでしょうね。だから、このサボテンコーナーにある金鯱だけで1千万円は越えそうです。

なんだか、お金の話ばかりになりましたが、サボテンと音楽の関係もよく語られることです。植物は意外に音楽に反応して、イチゴの収穫が上がっただとか、メロンの糖度がましたなどの話題をよく耳にします。

中でもこのサボテンが最も音楽に反応するとかで一時大変話題になったことがあります。いや、全く関係ないという学者もいますし、なんとも言えませんが、植物と音楽の関係を研究している学者も多いとか。クラシックはいいがロックは良くないとか贔屓筋の議論とも受けかねないような意見もありますが、音の周波数との研究は面白そうです。

植物がそうですから、動物ともなればもっと関係しそうですね。

胎児にいい音楽を聞かせると良い結果が生まれることはよく耳にすることです。

 

刈り干しを 終えた棚田に 鶫(つぐみ)鳴き

The bird that tells the winter,Tsugumi, is singing in the step-like rice paddies which have finished harvesting and are hanging harvested rice.

棚田は平野の少ない日本では全国どこでも見かけます。しかし、どちらかといえば平地の少ない西日本に多く、比較的平地の多い関東方面は少なく大きな扇状地に見かける程度です。

稲作は一定期間水を張らねばならず、しかも水はけもいることから地面の傾斜が必要です。関東地方や、最近の北海道のように平地で稲作ができるようになったのは潅漑が発達したからで、こうした平地で稲作ができるようになったのは歴史的には近代になってからです。

世界でも、中国雲南省の棚田は世界遺産になっているほどで、ここの傾斜は日本どころではありません。

その棚田も、日本では減反政策や農業離れで休耕田も多くなり、今では「どこどこの棚田」と観光名所になるほどです。

昨日訪ねた大阪府千早赤阪村の「下赤阪棚田」は「日本の棚田百選」に選ばれている棚田で、規模は小さいですが、今でも立派に棚田水田として機能しています。

車で行ったのですが、片方は崖、片方は農業水路で、車一台しか通れない農道で、本来は車で入るべきところではない(と後で聞かされました)道を進み、ヒア汗の連続でした。

収穫も終え、刈干も住んで、脱穀したお米を米袋に入れている最中でしたが、刈り取った水田跡に冬を告げるツグミが早くも到来し、小さな声でピヨピヨと鶏の雛のように鳴いていました。

華やげど やはり寂しい 秋の薔薇

Each rose in autumn has a gorgeous flower but somehow I feel loneliness. I think that it is not only because of mind but also because there are few visitors and few flowering blooms.

秋のバラ園はやはり寂しい。土日にはそこそこの人出もあるが、ウィークデイは閑散としたものです。人も少ないし、咲く花も少ないからいっそう寂しく感じます。

それにもう一つ、老人が多いことです。自分もその一人なのに随分勝手な感想ですが、事実だから仕方ありません。

そういえば、今日は老人の薬害に関するニュースが出ていました。調剤薬局から出てくる老人が大きな紙袋を下げて出てくる写真が添付されています。いったいどんな薬かわかりませんが、本当にこれを全部飲むんだろうかと思うと震えが来ます。

市販薬と違い、処方薬はピンポイントの薬だから薬効も高いが飲み合わせの弊害もあるから、飲む薬はせいぜい3種類が限度だとよく言われますが、高齢者の平均は5種類以上飲む人が50%以上だというデータがあります。高齢になればなるほどその種類が多くなるそうです。

お薬手帳というのが渡されていて、飲み合わせの弊害を防ごうと言うことになっていますが、本当でしょうか。幸か不幸か、いままでクレームが付いたことがありません。

医師の処方箋に従い、薬剤師が調剤するという医薬分業は1990年代から始まった制度ですが、医が主、薬が従という関係でなく、あくまでも独立していて、医師が発行する処方箋に間違いがないか薬剤師はチェックする義務がありますが、はたして機能しているのでしょうか。

我が家にも使い残りの薬がいっぱいあって、定期的に処分しなければ薬箱が溢れかえります。我が家だけでもそうですから、これが全国ということになると、使われることなく捨てられる薬の量たるや恐るべき数量になるだろうし、無駄な医療費の大きな部分を占めているだろうと予測が付きます。

世界に誇る長寿国を支えている一つかもしれませんが、限度を超えているようにも思えます。

杖を突き、補助車を押しながら園内を回っているお年寄りも多いですが、薬の副作用でそうなった方も多いのではと、体験から感じます。

 

熟し柿 カラス美味そに 食ってたよ

Every Kaki, persimmon, has fully ripened. The crows came and were eating deliciously it.

日本の柿が海外に攻勢をかけています。

一昨年2016年にはカナダ、2017年にはアメリカ、今年はオーストラリアと相次いで輸出解禁となり、主導した和歌山県では大忙しです。

いずれの国にも柿はあり、比較的ポピュラーな果物ですが余り人気がありません。固くて甘くないからです。

しかし、日本の柿は違います。甘くて、食べごろを得たらそれほど硬くなくて、ともかく美味しい。だから日本の柿は、単にpersimonではなく、わざわざJapanese persimonというほどです。人によったら、別物の果物と思う人もいるほどです。

ここにも、日本人特有の「職人気質」が発揮されているんですね。日本人はどんな職業に携わっていてもそれぞれが誇りを持ち、なんでも極めなければ気が済まないという基質があります。また、他人も職種のいかんを問わず、いいものはいいと正当に評価し、尊敬するから、ますますの励みになるという背景も大きな支えに成っています。

柿も例外ではなく、外国の柿とは段違いに美味しい。極め尽くされているんですね。葉っぱも無駄なく、「柿の葉茶」で健康茶に、「柿の葉寿司」なんかは絶品ですよ。

今回の海外輸出の取り組みにしても、柿本来の食べ方はもちろん、「柿とアングラのサラダ」、「白身魚と柿のカルパッチョ」、「生ウニと柿のジュレ」といった具合に、外国人にも馴染める柿レシピを用意し、宣伝したそうです。

柿も昔は体を冷やすと言って敬遠されたこともありますが、今や栄養価ナンバーワン。健康食品の評価高い果物になっています。

カラスもよく知っているんですね。実をつついて蔕だけが木にぶら下がっていたり、まるごと持っていかれたり。

今日は柿で熱くなりました。

コスモスを 髪に挿してた あの先生

As I am watching Cosmos now, l remembered that our teacher had inserted cosmos flowers in her hair, when I had been an elementary school student.

日の当たる公園のベンチで、見るともなしにあたりに咲くコスモスを見ていると、ふっと小学生の時の先生の顔が浮かびました。

担任ではなかったのですが、新聞部の先生で、ご主人が特攻隊で亡くなり、綺麗で評判の先生でいらっしゃいました。

時々夜遅くまで、ガリ版で字を切ることがあったのですが、そんな時いつもおやつを下さり、それが楽しみで、「今日は残ってね。」と言われるとワクワクしたものでした。

そんなある日、秋だったんですね、小使室で焼き芋を作ってきた先生が、髪の毛に白いコスモスを挿して教室に入って来られたんです。

皆んなはどうか知りませんが、ぼくは、「きれい!」と思わず心の中で思いました。4年生か5年生だったと思うんですが、増せていたんでしょうか。いまでもその時の光景をはっきり覚えています。

学校の裏庭にサツマイモを植えていて、その横にコスモスが植わっていたんですが、そのサツマイモを掘って、そのときに採ったコスモスを髪に挿されていたんでしょうね。芋は小使室で焼いて持ってきて下さったんです。

小使室なんて、今の若い人たちには耳慣れない言葉ですが、学校住込みの用務員さんで、この小使さんがいいおじさんで、そこがいつも僕たちの放課後のたまり場になっていて、冬には熱いおうどんをいただいたり、この焼き芋をいただいたりしたものです。

もう僕がこんな年なんだから、先生も小使さんもお亡くなりになっているでしょうね。

秋風に優しくゆれるコスモスに、いつの間にか夕日が差し始めました。

箒木が 真っ赤に染まって 富士見上げ

A group of Kochia-trees planted on the shore of the Lake Yamanaka turns red and is looking up at Mt.Fuji.

今日は10月25日は満月の日です。月齢は16。おかしいですね。ふつう月齢15が満月なんですがね。昨日が月齢15の日ですから、昨晩、おや満月だと思われた方も多いと思います。

そういえば、「河岸の柳の・・・十三夜」の歌、古いですね、ご存知? これを始め、十三夜は今でも歌でよく歌われていますが、今年の十三夜は10月21日、月齢12でした。

月齢で言えば、13が十三夜、15が満月、16が十六夜となりそうなんですが、暦では十三夜が21日、満月が今日26日、十六夜は、これまた不思議ですが、今日25日なんですよ。満月と十六夜が同じ日なんです。これではなんだか頭がこんがらがっちゃいますね。これすべて、旧暦と新暦がご邪魔是に成っているせいなんですね。

さて今日のホウキギ。綺麗ですね。背後の富士と相まって、これぞ日本の秋という雰囲気です。

ホウキギは夏は透き通るようなグリーン、そしてこの時期になると真っ赤に染まるんですね。名前の由来は、写真の通り箒の様、逆さにすれば箒にもってこいですよね。実際、昔は箒にも使ったそうですよ。

今日の満月と十六夜と帚木と富士山と、どんな風景が展開されるんでしょうね。

冠雪で 秋の装い 富士の嶺

The top of Mt. Fuji is completely covered with snow. Japan has been finally in autumn. Mt.Fuji seems to declare that.

友人から秋の便りが届きました。添えられた写真には冠雪した富士山が写っています。

日本列島は南北に長くおよそ3500km. 月の直径がおよそ3400kmですから、それと同じくらい長いから驚きですが、四季の変遷もそれだけに大きな時差があります。日本時間の基軸が明石市の東経135度線に置かれているように、日本の季節はやはり富士山を基本に考えても良さそうです。

日本といえば富士山。富士山といえば日本。日本人であれば誰しも認めることではないでしょうか。世界にも美しい山々は沢山あります。しかし、我が富士山ほど端正で均整が取れ、無駄のない美しさをたたえた山は見当たりません。

無駄のない美しさ。絵画にも、建物にも、我々の日常生活にもそれは反映していて、ひいては日本人の心そのものが富士山のような美しさを求めています。

今多くの外国人が日本にやってきていますが、おそらくこれまでは、ユーラシア大陸の東のはて、その向こうははてしのない太平洋というところ、まさしく極東に位置する幻の国、非文明の国であったわけです。

金がふんだんに産出し、不老長寿の薬草はあるけれども、世界でも全くの文明に閉ざされた国とイメージされてきたでしょうが、来てみたらびっくり。花を愛し、自然を敬い、絵画といい、建物といい、人は心豊かで優しく、ことごとくが自分たちの国よりよっぽどの文明国であったことを知り、驚いているに違いありません。

富士山を見るたびに、ついこんな事を連想してしまいます。

前回の東京オリンピックは、第二次世界大戦の惨劇からいち早く世界GDP第2位に躍り出た奇跡の国、日本に関心が集まったでしょうが、2020年のオリンピックには、富士山に象徴される日本の文化文明の本質をいっそう知ってもらう機会になるでしょうし、そうしたいものです。

 

 

大玉の 鶏頭道に 顔を出し

As Keitou, a cockscomb, is too heavy to support its flowers, it is sticking out its head on the path.

鶏頭は文字通り鶏のとさかに似ているところから付けられた名前です。

種類にも何種類かあり、仏前なんかに飾る普通の鶏頭はクリスタール系で、トサカケイトウとかヤリケイトウとか呼ばれていますが、写真のように大玉に成るのは久留米鶏頭です。

久留米の由来は九州の久留米で改良されたからとか、久留米出身の人がインドから持ち帰って栽培したからとか言われていますが、明確な根拠はありません。

写真の鶏頭は直径10cmはあろうかというほどの大きさで、重たくて道にはみ出していました。ぬっとはみ出していてなんともユーモラスな感じです。

素朴な花で、多くはこうして道端や畑地の空き地に植えられていて、鉢植えやプランタンにはあまり植えられていません。

この近くには仏前用のヤリケイトウを栽培しているところがありますが、秋のお彼岸用で、今は枯れています。そういう意味ではごく身近な花ではあります。

夕照(せきしょう)に 落ち葉がきらり 寺の鐘

The fallen leaves is twinkling with reflecting the setting sun as if they respond to the bells of the temple which Inform us of the evening time.

朝晩はすっかり気温も低くなり、秋の深まりを感じます。

いつも立ち寄る限界集落近くの農場で焼き芋をいただきました。取り立てのサツマイモを焼き石の上の載せて焼いた焼き芋の香りがたまらず、さっそく所望したら快くいただくことになりました。

ところが歳ですね。喉につっかえて呑み込めないんです。さっそく車のところに行き、積んである水を飲んで急場を凌ぎました。お年寄りが餅をのどに詰まらせて亡くなられるニュースを時折聞きますが、こういうことなんだと実感した次第です。

帰りに近くのお寺に立ち寄ったら、もうかなり葉も落ちた木からそよ風に舞いながら落ち葉が落ちてきます。その葉に夕日が反射してキラキラと輝くと鐘の音が聞こえてきます。まだ日も残っていますから、暮れ六つの鐘でもないので、誰かがいたずらで撞いたのかもしれません。それにしてもグッドタイミングで、こちらにとってはいいシチュエーションなったわけです。

農場でいただいたサツマイモで、今日の夕食は芋粥と決めました。合わせていただいた柿と蜜柑で楽しみも膨らむ一日になりました。