仲春の 朧月夜に 紫木蓮

January, February, and March are spring in the old calendar, but February, March, and April are spring in the new calendar. In the flower calendar, the order is ume, mokuren, and cherry blossoms.

春分。徐鉉は1世紀末、北宋の書家であり、詩人です。

仲春。「仲秋」は日本ではよく知られた季節用語で、「中秋の名月」と言えば誰もが聞き慣れていますが、詳しくは、「仲秋」は旧暦の、7月、8月、9月、新暦の8月、9月、10月の中の月、つまり、旧暦の8月、新暦の9月の1カ月のことを指し、「中秋の名月」という時の「中秋」は「仲秋」の中の1日を指す言葉です。だから、「中秋の名月」とは「仲秋」の満月の日のことですね。

込み入ったことを言いましたが、上の「仲春」は旧暦であれば春の1月、2月、3月の中の2月、新暦であれば、2月、3月、4月の中の3月になるわけです。

残念ながら「仲春の名月」はあまり言われませんね。秋は空が澄み渡っていて、お月さんがくっきり見えますから鑑賞の対象になるのでしょうが、春は春霞が漂うので「おぼろ月」、ぼうっとして見え辛い。でも、「おぼろ月」もなかなか風情があっていいものです。藤原定家さんなんかは好んで歌に詠みましたよね。

春は梅に始まり、木蓮が咲き、桜にバトンタッチされる。今日は「春分の日」ですが、まさしく春半ば、木蓮が美しく咲いています。

木蓮と言えば紫木蓮、中国では紫玉蘭とも言われるように、欄の花に似ていることからこう呼ばれましたが、一方、蓮の花にも似ていることから、今では「木蓮」と呼ぶのが普通になりました。

さあ、お待ちかねの桜がもうすぐそこですね。

入学の 日を待つ都心の 茜空

One of my grandchildren will enter elementary school this spring. The sky in the center of Tokyo, where the sons, daughters and relatives live, including him, is bright red now at sunset. I pray for you to be happy again this year.

東京の池袋サンシャインから撮った写真が送られてきました。茜色に染まった都心もやがて夕闇に閉ざされます。一日一日こうして大過なく夕暮れ時を迎えられる幸せが未来永劫に続いてほしいものです。

しかし現実はそうはいきません。いつ何時、東北大震災のような事態に直面しないとは限りません。茜色に染まった西空から一筋の地震雲に似た雲が東に流れています。これは地震雲ではありませんが似ているので思い出すことがあります。

東北大震災が起こる3年前、2008年6月にマグニチュード7.2という岩手・宮城内陸地震が起こった際のことです。

地震が起こる直前だったと思いますが、MixiというSNSで遣り取りしていた宮城県の方から一枚の写真が送られてきました。その方は仕事帰りに夕暮れの写真を撮るのが趣味の方で、毎日のように送っていただいていましたが、その日の写真には、太くて長い真っ直ぐな地震雲、と確信したのですが、その雲が写っていて、カラスが3羽空高く逃げるように飛んでいました。

早速その方にこのことを知らせたのですが、意に反してとてもお叱りを受けました。多分美しいと感じて撮られた写真に難癖を付けたように受け取られたのかもしれません。

これと同時に、秋田にもいられたMixi仲間にもその写真を送ってみましたが、その方も同じような雲を目撃されていて、これは地震雲だとご同感を得ていたわけです。

そういう経緯があっての岩手・宮城内陸地震。その3年後の東北大震災ですから、この岩手・宮城内陸地震もその予兆であったのかもしれないと思うと、今でも身震いする思いです。

ということで、I pray for you to be happy again this year. と手を合わせた次第です。

路地裏に 春を知らせる 梅の花

Though it’s a little belated, a plum blossom blooms also in the back of the alley where there is almost no crowded street, and it announces the arrival of spring. This is also a moment, cherry blossoms will bloom next week and plum blossoms will also be forgotten.

路地裏にも遅ればせながら紅梅が咲きました。人知れずの美しがあります。これも日本の美学です。

人を魅了する美しさも素晴らしいものですが、目立たず、人目を気にせず、人も同じで、思わぬところではっと目にした美しさは、言いようのない感動を呼び起こすものです。

街中を忙しく歩く人の姿、ベンチに腰掛けている人の姿、作業服姿で働いている人の姿、特に夢中になって仕事に取り組んでいる人の姿には感動します。

「見て御座る」という言葉がありますが、誰も見ていないけれどもお天道様はしっかり見て御座る。これが日本人の心にしっかり焼き付いて、見る側にも見られる側にも、自然に美しいものを感じ、生み出し、手を抜くことをしません。

三寒四温、確実に春が近付いています。

土蔵カフェ 音楽野郎が 歌う春

On Sunday of Spring approaching, music lovers gather at the storehouse cafe to sing their favorite songs and play musical instruments. There are nostalgic songs and musics that reminds me of the times in them.

日曜日のひと時、土蔵を改装したカフェには思い思いの楽器を持って音楽野郎や音楽好きの面々がが集まってきます。

中高年がほとんどで、若いころから引き慣れた楽曲を楽しそうに演奏し、こちらではそれに合わせてハーモニカや太鼓、トライアングル、手拍子、みんな一体になって歌ったり踊ったり、実に楽しい春のひと時です。

それぞれがどんな人生を歩んできたのか、その支えになったのは音楽に違いありません。演奏する一つ一つに様々な思い出があるのでしょうが、今はその全部が憩いを醸し出しています。

優しく、許しあい、包み込む雰囲気がカフェ全体に広がっています。

外はまだ肌寒く、本格的な春明はもう少しです。

温まった心と体で家路につきました。

 

散り落ちた 椿で飾る 路傍の華

A camellia flower that has fallen on a circle of pebbles is decorated. The gentle and elegant personality of the person who decorated it is imagined.

小径を散策していると小石を丸く敷き詰め、その上に落ちた椿の花が飾られています。なんとも言いようのない感動が走ります。

人通りもほとんどないこの小径に、衒いも何もなくただ飾られている「生け花」に、これを生けた人の優しい心と優雅な人柄が偲ばれます。

山茶花が花弁を散らして落ちますが、椿は花ごと落ちます。

落ちた椿の美しさを放っておくことができなかったのでしょう。小石を拾い集め、その上に落ちた椿を飾り、手厚く葬ったお墓かもしれません。

今日はこの出来事だけで一日が充足しました。

 

春の宵 おぼこが響く 花灯呂

Footlights are lit on the cobblestones of Kyoto Gion, and the sound of Oboko geta walked by Maiko echoes around. Many ikebanas are on display, and the light of green bamboo sways, and we are fascinated by the fantastic atmosphere.

京都東山山麓の清水寺から産寧坂、二年坂、高台寺から八坂神社、丸山公園を経て岡崎公園手前の青蓮院に至る約5㎞のプロムナードに今年も花灯路が展開されました。

世界遺産「古都京都の文化財」の中でも最も京都の文化が凝縮され、最も人気のあるスポットで、夜ともなれば道沿いに足元を照らす足灯火が灯され、要所要所には生け花が展示され、寺々がライトアップされる一大イベントが「京都東山花灯路」です。

3月8日から17日までの花の端境期、梅から桜の変わり目に繰り広げられ、多くの観光客が押し寄せます。

貸衣装の着物を着た若い女の子たちが目立ちます。高台寺近くの「ねねの道」を少し入れば、迷路のような小径には沢山のギャラリーが並び、茶房があり、善哉店もあります。

祇園の「一力亭」から祇園界隈に踏み込むと、舞妓衣装に身を固めた舞妓さんが「おぼこ下駄」を響かせながら歩いていきます。ここでも「こんにちは」とあいさつを交わす外国人にも多く出食わします。

高台寺の桜の木にたった一輪花が開いていました。あと1週間もすれば、今度は花見の客がどっと押し寄せます。

かくして春は徐々に開け、草木は萌え、日本全体が活発に活動し始めます。

 

 

アカシアが そよと揺るれば 芳しき

Every time the acacia, which has yellow flowers bloomed, sways gently, the fragrance drifts. Being invited by the scent, the cherry blossomes next to it has begun to swell their buds too.

朝散歩の道沿いに立っている大きなアカシアの木に花が咲いて、木全体が真っ黄色に染まっています。

折からの春風に微かに揺れると芳ばしい香りが伝わってきます。控えめな香りでうっとりです。

周りの木々がまだ新芽を付けたばかりで茶色っぽく、派手な割には目立ちません。周りがもっと青々しくなったら目立つでしょうに、もうそのころには桜が花開きます。損な役回りですね。

人も同じですね。同じように働いていても、目立つ人、目立たない人。傍目から見れば損得あるようには見えますが、ご当人はそれほどには感じていないかもしれません。

持ち場持ち場で自分の役割を精一杯こなしていれば、そんなことどうだっていいんですよ。だから社会が成り立っている。

神羅万象、考えればうまい具合にできています。と、アカシアの香りに幻覚されました。

哲学も そぞろ歩きの 雪柳

The path of philosophy is at the foot of Higashiyama, Kyoto. I followed this path to Ginkakuji Temple on a youth day, and because I was fascinated by Yukiyanagi, I forgot about thinking about philosophy.

京都東山の麓の若王子神社から法然院の下を通って疎水べりを銀閣寺に辿る道を「哲学の道」と言います。哲学者西田幾多郎が思索に耽りながらよく散策したということから付けられました。

道沿いにはまず雪柳が咲き、しばらくすると桜が咲き、この道を辿れば春を辿るようなものです。

昔は春先はほとんど人通りもなかったのですが、今はいつも人で賑わっています。外国人の多さも目立ちます。

西田幾多郎の名を知る人も少なくなりました。思索に耽る時間もないほど今の人たちは忙しそうです。この道を辿る人たちの多くもスマホを見入っていて、なぜこの道を辿っているのか不思議に思えます。

考えてみれば、表に立つ国のリーダーたちにもどれほどの哲学があるのか、疑問に思うことしばしばです。日本を誤りなくリードしてくれることを願うのみです。

春近し 夕日に祈る この一年

The sunset is sinking. I was moved to put my hands together and prayed. May this one year be peace and safe both public and private.

夕方、近くのスーパーに買い物に出かけました。沈む夕日が池に映ってとてもきれいです。

しかし、途中には青いビニールシートを屋根に掛けたり、壁面を覆っている家が何軒かあります。昨年襲った台風21号の痕跡がまだ消えていません。

東南海地震の予告もされています。

どうかこの1年だけでも、こうして美しい夕日が毎日拝めますようにと祈る気持ちです。

山門を くぐれば優し 雪柳

When I enter the near temple in the evening, Yukiyanagi flowers bloom in full blooming, and they are swaying in a breeze that makes me feel spring. This atmosphere is really heartwarming.

夕方、近くの温泉からの帰り道、孝恩寺というお寺に寄りました。

釘を1本も使わずに建てられた「木積(こつみ)の釘無堂」と呼ばれる観音堂(国宝)で有名なお寺です。行基が建てたそうです。

行基は歴史教科書にも必ず出てくる有名な僧です。今の堺市の出で、朝廷の許可なく民衆への布教を禁じられていた時代に、進んで民衆の中に入り、布教活動をしながら様々な建築や土木事業にも携わりました。分かっているだけでも、寺院49、溜池15、溝や堀6、橋6など、今でもその恩恵に浴している事績は計り知れません。

最初は朝廷も様々な弾圧を加えましたが、民衆からの圧倒的な支持で手も出せず、最後には聖武天皇に至っては東大寺造営の責任者に任じたほどです。

その行基が建材の集積場にしたのが貝塚市木積で、その名前の由来です。

その行基さんに、どうか東北大震災の復興を見守っていただく様にお祈りして、お寺を後にしました。