今年のさくら ー2013―

毎年この時期になると「さくら」のことが書きたくなる。
と言っても、もう桜もほとんど散ってしまったし、今年ほどさくらに接する機会がなかった年はない。
看護師を目指す21歳の若者二人と医師を目指す20歳の女性が頼りにしてくれ、なんとか彼らの力になりたいものだと老体に鞭打つ日々が続いているせいかどうか。
でもありがたいものだ。桜もいいけど、やはりこんな若者がもっといい。なんとか花を咲かせてやりたい。

そんな中、古文の授業で、
『さざなみや 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな』
と歌った平忠度の歌がたまたま出てきて、大好きな歌人なものでつい熱が入り、うんちくを傾けることになった。

『平家物語』には数々の名場面があるが、「忠度の都落ち」の段は高校の時に知り、授業中にそっと涙を拭った覚えがある。
平家一門が源氏に追われ西国に落ちのびてゆくおり、薩摩守忠度は手勢6人を従えて敵中命も顧みず師俊成卿の屋敷を尋ねて、
「世静まり候ひなば、勅撰の御沙汰候はあらんずらん。これに候ふ巻物のうちに、さりぬべきもの候はば、一首なりとも御恩を蒙りて、草の陰にてもうれしと存じ候はば、遠き御守りでこそ候はんずれ」
と自作の歌集を託す。
俊成卿はこのような貴重な忘れ形見を疎略にすることは絶対にないと答えると、薩摩守は喜んで、
「もうこれで、西海の底に沈んでもかまわない」
と別れを告げ、馬に乗って、西の方に向かって行った。俊成卿がずっと見送っていると、忠度とおぼしい声で、
『前途(せんど)程遠し、思ひを雁山の夕べの雲に馳す』
と高らかに口ずさむ声を聞いて、俊成卿は涙を押さへて屋敷へ入っていった。
その後、一ノ谷の戦いで薩摩守忠度は源氏方の岡部忠澄と戦い41歳で討死。
その際、岡部忠澄が目にしたのが、鎧の時箙(えびら)に結びつけられた「旅宿の花」という題の一首、
『行(ゆき)くれて木(こ)の下かげをやどとせば花やこよひのあるじならまし』
という歌。
戦の後、岡部忠澄は薩摩守忠度の菩提を弔うため埼玉県深谷市の清心寺に供養塔を建立し、今に至っているそうだ。
そして『千載集』が撰じられたおり、身は朝敵となったので、「読人知らず」として師俊成卿が入れたのが、『さざ波や』である。

また目頭が熱くなった。生徒と視線が合うと、生徒の眼も閏でいたのがうれしかった。
今年の花見はこれで良し。

テレビの栄枯盛衰

先日、新聞の紙面に「苦境に立つ“日の丸電機”テレビはさらに悪化」という活字が目についた。
日本の家電大手8社の平成25年の業績見通しは至って暗く、パナソニックとシャープ2社に限っても最終損益の赤字額が合計で1兆2150億円に達し、その大半がテレビ事業の失敗に原因があるという。
韓国のサムスン電子が2011年には1年間の世界テレビ販売台数のシェアで初めて20%を達成し、同じく世界第2位の韓国のLG電子の13%を合わせると世界市場シェアが33%に達するという。これに対し、日本の第1位ソニーがシェア9%で世界第3位、以下パナソニック9%、東芝7%、シャープ6%というから、“日の丸電機”はもう苦境どころではない。瀕死の状態なのだ。
サムスン電子のこの躍進は、バブル崩壊で家電メーカーから吐き出された日本の優秀な人材をかき集め、今日の躍進の土台を築いたというから、バブル崩壊の影響はここでも甚大だ。

テレビと言えば、1953年1月にシャープから国産第1号の白黒テレビが発売され、同年2月にNHKが本放送を開始されると、1950年代後半には白黒テレビは電気洗濯機や電気冷蔵庫などとともに「三種の神器」の一つに数えられるまでなり、はじめのころは一般家庭にとっては高根の花で、公園などに設置された街頭テレビはいつも人だかりだったし、「国民的英雄’力道山’」が出ようものならプロレスを見たくてどこかテレビはないかと探し回ったものだ。
1960年になると、東芝から国産初のカラーテレビ(サイズ17インチで価格は42万円)が発売され、1964年の東京オリンピックでは「裸足の英雄’アベベ’」がマラソンゲートを一番で潜り抜ける光景が今でも鮮明に記憶に残っている。そしてカラーテレビはクーラーや自動車などとともに「新・三種の神器」(3C)の一つに数えられるまでになった。
1969年に日本のテレビ受像機生産台数が世界1位になると、放送技術の進化に合わせてやがて音声多重放送対応テレビ、ハイビジョン放送対応テレビ、地上デジタルテレビ放送対応テレビがそれぞれ発売されることになるし、1897年ドイツのフェルディナント・ブラウンが作り出して以来、1926年浜松高等工業学校の高柳健次郎がそのブラウン管を電子式に変えて受像機に初めて「イ」の字を表示させたブラウン管も、半世紀以上の主流の座を薄型テレビ(液晶テレビ・プラズマテレビ等)に譲ることになる。

こう見てくると、時代の流れ、栄枯盛衰は世の常とはいえ、その流れの速さはまさに「光陰矢の如し」だ。
戦後日本を牽引してきた“日の丸電機”の戦士たちよ、決して卑下することはない。
次の時代をしょって立つ新しい戦士たちのために、誇らしく歴史を語り、君たちの技術と精神を確実に伝えてほしい。

鶯とディクラン老人

アメリカの小説家で劇作家のウィリアム・サローヤンに「冬を越したハチドリ」という短編がある。
主人公の私が冬のさ中のある日、日曜学校から帰って来て家に入ろうとすると、通りの向こうに盲目の老人ディクランが手のひらに何かを載せて近づいてきた。そして何かと尋ねるので見ると死にかけたハチドリである。老人は私、少年を家に連れて入り、手伝ってもらって何とかハチドリを助けようとする。手のひらのハチドリに温かい息を吹きかけ、少年に指図して蜂蜜を温め、それを飲ませ、その甲斐があってか、ハチドリは徐々に元気を取り戻し、やがて、空中で静止していたかと思うとヒューっと飛び立つあのハチドリ独特の飛行を始めるようになる。その間、目の見えないディクラン老人は少年に一部始終説明を求める。元気になったハチドリがしきりに外に出たがる様子を察知した老人は少年に「窓を開けてやりなさい。」と指図するが、少年は寒さが気がかりで窓を開けることができない。それでも老人は、今は元気になったんだから窓を開けてやりなさいというので、窓を開けると、ハチドリはしばらく静止飛行をしてやがてかなたへと飛んで行く。
夏が巡ってきて、たくさんのハチドリが戻ってきたが、もちろんどのハチドリが助けたハチドリか見分けがつくはずもなく、少年は老人に「あのハチドリは生き延びたんだろうか。」と問い掛ける。老人は「あそこにいるハチドリ一羽一羽が私たちのハチドリだよ。」と答えるだけだった。
というあらすじだ。

昨日の朝、いつものように朝散歩に出かけたんだが、通りすがりの竹やぶから、聞き慣れた鶯の声がする。
去年も、その前の年にも聞いた声だ。
相変わらずのへたくそで、「ホー、ホケッ」と鳴くがその後が続かない。
また来よったかと懐かしくも、ちょっとした苛立ちも覚える。
毎年、同じ鶯が来ているのか、代替わりした鶯が来ているのか知る由もない。
へたくそ加減だけは一致しているからどうなのか。
ディクラン老人の気持ちになって、前の年にも、その前の年にも来た奴だと言い聞かせ、もう少し勉強して、この春中くらいにはいい鳴き声を聞かせてくれよと竹藪を抜けた。

お迎え ― 極楽往生 ―

 

・大和は国のまほろばたたなづく青垣山ごもれる大和しうるはし – ヤマトタケル

・行きくれて木の下のかげを宿とせば花や今宵の主ならまし – 平忠度

・願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月の頃 – 西行

・旅に病んで夢は枯野をかけ廻る – 松尾芭蕉

・人魂で行く気散じや夏野原 – 葛飾北斎

好きな辞世の句を挙げてみた。好きな句というよりも好きな人物の辞世の句といった方が正しいかも知れない。
人はこの世に生まれてきていつかは死ぬ。当たり前と言えば当たり前のことで、何かの機会にでも出くわさなければこんなことは考えない。

先日、安倍内閣が発足して間もなく、3人の殺人犯の死刑が執行された。三者三様で、一人は「生まれ変わってもまた人を殺す。」と言い残し、一人は刑の執行を催促しながら最後まで生に執着した。
その前には、テレビによく出ていた経済評論家の金子哲雄氏が41歳という若さで肺カルチノイドという癌で死んだ。

人の最期は様々で、死刑囚の死と人に慕われた人の死といっしょくたでは非難の誹りを免れないかもしれないが、死という現実を身近に感じさせられた瞬間だ。

金子氏は医師から余命いくばくもないと言われた瞬間からしばらくは「死の恐怖」で眠れなかったという。
そうだと思う。
ぼくなんか、こうして話していても自分の死なんかは考えたくないし、考えないようにしている。怖い怖い。

怖い一心で思い出したのが、去年の2012年8月29日、NHKの「クローズアップ現代」で放映された「天国からの“お迎え” ~穏やかな看取り(みとり)とは~」である。

http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3238.html

「死んだ親父が会いに来た・・・」など、死を間近に体験すると言われる“お迎え”現象について社会学者が調査した内容で、高齢者や遺族500人あまりを調査、自宅で看取られた人の4割が“お迎え”を体験し、そのうちの8割が死への恐れや不安が和らぎ、穏やかに看取られていったことが分かったという。そして、現代医学の進歩が、いわゆる「延命治療」を施すことによって、“お迎え”を阻害しているのではないかという懸念を投げかけた。

昔、源信和尚が「往生要集」という本を著し、死後に極楽往生するには、一心に仏を想い念仏の行をあげる以外に方法はないと説き、この書物で説かれた厭離穢土(おんりえど;この娑婆世界を「穢れた国土」(穢国)として、それを厭い離れるということ)、欣求浄土(ごんぐじょうど;極楽浄土に往生することを心から願い求めること)の心こそが極楽往生への道だと信じた当時の貴族・庶民らにも広く信仰を集め、後の哲学や文学思想にも大きな影響を与えたという。

紫雲に乗った阿弥陀如来が、臨終に際した往生者を極楽浄土に迎える為に、観音菩薩・勢至菩薩を脇侍に従え、諸菩薩や天人を引き連れて“お迎え”にやってくる「来迎図」はなんとロマンに満ちた旅立ちんの光景ではないか。
阿弥陀如来が「親父」や「おふくろ」に姿を変えているかもしれない。死んだ恩師や友人が観音菩薩や勢至菩薩の化身かもしれない。
もう怖くなんかない。
「南無妙法蓮華経」でもいい、「Amazing Grace」でもいい、家族や友人が唱和する中で“お迎え”が来たらなお最高だ。

国を想い、故郷をたたえ、桜の花の下で眠りにつきたいなあ、御釈迦さんのところへ行くんだぞ、死んでも人魂になって野原を駆け巡ってやるぞと思って“お迎え”を待つのもまたいいだろう。

時代が変わり、環境が変わり、そんな中でも人は生きそして死んでゆく。
生まれる時は何も考えずに生まれてくるが、死ぬときはそういうわけにはいかない。
苦しまず、騒がず、できることなら安楽に死にたいものだ。
“お迎え”は決して他人事ではない。

節分 ― 恵方巻 ―

 

もう二月に入った。
この間正月を迎えたばかりなのに明日は節分。通りがかりのコンビニやスーパーにしてもどこを見ても「恵方巻」の宣伝がやけに目につく。
「恵方」とはなんでもその年の幸運を招く方角だそうで、2013年の恵方は南南東になるそうだ。
節分と言えば豆まきしか知らなかったが、今ではこの恵方巻が主流になりつつある。
大豆を炒って「鬼は外、福は内」と玄関口に福豆を撒き、家族同士が歳の数に一つ足した数の豆を食べてこの先一年の無事息災を祈る。
若いご夫婦家族が子供たちと豆まきをしている光景は見ていてもほのぼのとする。
これはこれで古き良き伝統で続いて行ってほしいと思うが、どうも恵方巻には勝てない気もする。
年々豪華になるようで、今年の極めつけは、名鉄百貨店本店の「金銀福寿巻」なる恵方巻だそうで、老舗のすし店が金ぱく・銀ぱくを付けたノリで巻いた2本組み、お値段末広がりの8800円、限定50組を予約受付をしたところ、早々と完売というから恐ろしい。
こんなのは話題の一つとしても、スーパーで買う恵方巻も結構豪華で食べ応えがある。
これを丸かじりするというのだから面白い。
どういういわれがあって、誰が考え出したのか、どうも大阪が発祥の地だと聞いて納得だ。
豚や牛の贓物を放ってはもったいないと「ホルモン」として売り出した大阪だ。
食べるものもいっぱいあって、それほど見向きもされなくなった巻きずしを売り出そうと、どこかのすし店がそれこそ巻き返しを図ったに違いない。
恵方巻もいまや全国区。
ミツカンの調査によれば恵方巻の認知度は、全国平均は2002年(平成14年)時点の53%が2006年(平成18年)には92.5%となったという。
もうすぐ、バレンタインデー、母の日に父の日、こんなのは昔なかったと思うんだけど。

2013年成人式

今年成人式を迎える新成人は122万人で、第一次ベビーブーム世代が成人を迎えた1970年の半分だそうだ。

1970年といえば大阪万博があった年で、東洋の奇跡(Japanese Miracle)といわれた戦後の経済成長が安定成長期に入る一歩手前、円相場が1ドル=360円にかろうじて踏みとどまった最後の年になる。
翌年の1971年にはニクソン・ショックで円が一気に306円に急上昇、1990年代初頭のバブル崩壊まで経済成長は続いたものの、円はどんどんどんどん上がり続け、一時は70円も突破かというところまで上昇、それに比例するかのように景気は下降の一歩をたどることになる。
日本人の平均年収も1997年の471万円をピークに今や406万円に下落した。

新成人の親達世代(50歳前後)はある意味経済成長期の恩恵に浴し、お爺さんお婆さん世代(75~80歳)はその働きもあって余剰金を貯蓄にも回せる余裕もあった。
そして今や日本の家計貯蓄残高1500兆円、上場株式会社の内部留保金300兆円、合わせて1800兆円が国の借金1000兆円を上回っているからギリシャの財政破綻とはわけが違うという論理がまかり通っているわけだ。

20歳代、30歳代は住宅購入のために負債が貯蓄を上回っている一方、60歳代、70歳以上で平均貯蓄残高が2千万円を超えていて、60歳代で年収が566万円、70歳代でも460万円もあるというから、老壮世代と大会社がひたすら貯蓄を増やし、財を抱え込み、経済循環を閉ざし、景気を後退させ、それが故に自らをいっそう不安に駆り立てる負のスパイラルに陥っているのが現状で、安倍政権がこれをいかに取り崩し、経済の淀みを解消して景気好転を図るが問われている。

新成人は違う。
時計・精密機器の「セイコーホールディングス」(東京)が新成人を対象に実施したアンケートでは「将来への不安を感じている」との回答が、9割近い87.9%に。これから大切にしたいものはという問いには、「お金」が41.3%でトップとなったそうだ。
就職難や国の先行きの不透明さなど、日本の冷え込みぶりを肌で感じている新成人。閉塞した現状への強い失望感がにじみ出ている。

いい歳をした息子や娘たちに結婚資金を出し、家を買ってやり、孫の学資金まで出してやる。だから、孫の学資金には免税をということまで叫ばれ出している。
変だと思わない?
活力に満ちた20代、30代がもっともっと生き生きと、爺さん婆さんの世話は任してよと言うくらいの社会でなきゃ、健全な社会とは言えないと思うんだけどなあ。

男女平等

世界経済フォーラム(WEF)による世界各国の男女平等の度合いを指数化した2012年版「ジェンダー・ギャップ指数」で、日本は135か国中101位だそうである。
この調査では、
1.経済活動の参加と機会・・・給与、参加レベル、専門職での雇用
2.教育・・・初等教育や高等・専門教育への就学の度合い
3.健康と生存・・・寿命の男女比
4.政治への関与・・・意思決定機関への参画
の4つの分野における男女格差を指標化して順位付けをしている。
日本は、
3.では女性の平均寿命が世界一であるから当然のこととして1位。
2.の分野では初等教育では識字率も含め1位であるが、高等・専門教育への就学率で男女格差が大きく50位前後に順位を下げ、
特に評価を下げた最大要因は経済界と政界への進出率が低いこと。特に管理職への登用(女性10%,男性90%)や議会への従事(女性9%,男性91%)において男女の格差が大きく、結果的には101位ということになるのだそうだ。

この「ジェンダー・ギャップ指数」には様々な批判もあり、別の国連調査では日本もかなり高順位に評価するものもあるから、この指標、評価をもって一部マスコミが騒ぎ立てるほど日本が男女平等後進国だと卑下することもないと思うのだが、日本の現状をあぶりだしているのも確かだ。

経済活動における男女平等は、1986年から施行された「男女雇用機会均等法」、さらに1997年の全面改訂を経て2007年の再改定でほぼ法的には整備され、後は具体的な企業の取り組みにかかっているが、管理職への登用となるとまだまだ先の先ということになり、政治への関与に関しては逆行現象さえ起こっている。
また1999年(平成11年)には「男女共同参画社会基本法」が制定され、男女が互いに人権を尊重しつつ、能力を十分に発揮できる男女共同参画社会の実現を目指し、家庭生活だけでなく、議会への参画や、その他の活動においての基本的平等を理念として、それに準じた責務を政府や地方自治体に求める法整備も行われた。

世界経済フォーラム(ダボス会議)がこうした男女格差の問題を取り上げるのも人権問題から取り上げているのではなく、女性の地位向上が経済の発展につながるという観点から取り上げているのであるが、それではGDP世界第3位の日本の101位はどう解釈していいのか迷うところだ。
この指摘を逆手にとれば、日本における男女格差がもっともっと縮まれば、GDP世界第3位はおろか1位に躍り出てもおかしくないということにもなる。
それはジョークとしても、男女格差が原因の一つにもなっている少子化問題も喫緊の課題で、国の債務残高1,000兆円は解消しえない、なぜなら、少子化による国力減退は避けられず、日本の国債に手を出すことは極めて危険だと真顔でいう外国人経済アナリストも少なからずいるほどだ。

国の発展史は一直線で、近代ではアメリカがその先頭を走り、どの国もその後を辿っているという歴史観がある。
世界経済フォーラムもこうした歴史観に立つものと思われ、指標の基準を統一して、その標準に世界の国々を誘導しようとする意図さえ感じて嫌だが、日本は国内においてもそう、どうも横並びが好きなところがあって、こういう指標を示されたらすぐその標準に合わせなければというところがあるような気がしてならない。
確かに男女不平等な点は様々な分野で見られることは事実で、男であれ女であれ不当な扱いに対しては毅然として排除、改善を進めていかなければならないが、長い歴史で切磋琢磨されてきた伝統に基づく文化の表象でもある男女の役割分担も必然性に裏打ちされたものがあるのではないだろうか。
中国のように唯我独尊的かたくなさも考えものだが、ともすれば国のアイデンティティを喪失しがちな日本もいただけない。

何はともあれ、これからの日本を思うとき、男と女で担うのだから、どちらもが生きやすい国にしていかなければ豊かで幸せな国にはならない。

TPP

 

TPP問題は実に難しい。
参加すべきかそうでないか、国論は真っ二つに分かれている印象だ。
我々一般の人間にとっては、どちらに与(くみ)すべきか、確かな知識を持って判断するにはあまりにも問題が多義にわたっているし、そのどれ一つをとっても専門性が高すぎて難しすぎる。
だからと言って、高みの見物を決め込んでいいかというと、そういうわけにはいかないし、いけないと思う。
民主主義の原点は、自分の持てる限りの判断材料で自分の意見を述べ、社会に参画していくことだ。
専門家の意見を聞き、できる限り多くの人の主張に耳を傾け、自分自身の主義主張を持つことは大切なことだ。
そうした一人一人の意見の集積が世論になり、国を動かしていくのだし、土台になる。

昔、岸信介という政治家がいた。
1960年安保のとき、「声なき声」に耳を傾けるのが政治家だというようなことを言ったが、彼の主義主張を超え強く印象に残った言葉だ。
ちなみに、1969年のニクソン演説でも「the great silent majority(物言わぬ多数派)」と言って、兵役を逃れんがためにヴェトナム反戦運動をする学生に対して使ったこの言葉も、岸の「声なき声」を引用したものだろう。
我々一般の人間は「声なき声」をあげ、「物言わぬ多数派」を形成してこそ国民だ。

TPPに参加すべし。これがぼくの意見だ。
おおざっぱなことしかわからない。
いろいろ自分なりに勉強もしたし、テレビ番組その他で政治家や専門家の意見を聞いては見たが、結局はよくわからない。
無責任な判断かもしれないが、賽の目を振ってみよう、メリットに一部の利ありという判断だ。

デメリットに重きを置く意見は、日本の弱点、短所がさらに助長され、国内的にも国際的にも立ち行かなくなるというような、保守的、保護的ニュアンスの強い意見だと思う。
それに比べて、メリットに重きを置く意見は、日本の強点(ぼくの造語;弱点の対義語が見当たらない)、長所を助長し、国内的には既得権益にしがみつこうとする勢力をぶっ壊し、国際社会に打って出ようとする勇ましさ(何と情緒的な表現!)がある。

下に掲げたTPP参加による「◆デメリット」、「◇メリット」は、「デメリット」を主張する「Hatena Diary」の「未知の楽園」から引用させてもらった。(http://d.hatena.ne.jp/rio_air/20111020/p1

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◆デメリット
1. 公的医療制度の崩壊。(手術・入院で数百万円・お金の無い人は治療が受けられなくなる。)
2. 生産性の低い正社員の大量リストラ・非正規雇用の増加。
3. 採算の合わない工場の海外移転加速とそれに伴う大量失業。
4. 公共事業の入札への外資参入による地方の経済疲弊。
5. エネルギー・放送・通信・鉄道・航空・貨物・武器等の基幹産業の企業を外資が買収可能になる。
6. 郵貯・簡保・共済を外資に買収され、その資金(数百兆円)の運用権を握られる。
o (その他の金融機関・保険会社も今以上に買収のリスクに晒される。)
7. (関税の撤廃による)第一次産業の衰退とそれに伴う失業と食料安全保障の危機。
8. 総GDPは効率化により増えるかもしれないが、経済格差や生活の質(特に医療面で)が悪化する可能性大。
◇メリット
1. 様々な分野での構造改革の起爆剤になる。
2. 外交上、アメリカとの関係がより緊密になる。(より強い隷属という形で。)
3. 海外進出を進める多国籍企業にとって大きなビジネスチャンスになる。
4. 労働市場において、本当の能力主義が育つ可能性が高くなる。
5. 外資のベンチャーキャピタル等から投資を受けて、新しい事業が生まれる可能性が増える。
6. 選挙を通じては成し得ない、様々な社会保障費(医療・介護)の削減を「外圧」を理由に断行できる。
7. 既に「社会の公器」という理念を忘れかけている電力・マスコミ業界を競争に晒して原点に立ち戻らせる。

原子力

12月16日の総選挙を控え、テレビをはじめとするマスコミは連日総選挙関連の報道番組一色である。
そんな中、米航空宇宙局(NASA)は3日、1977年に打ち上げられた無人探査機「ボイジャー1号」が、太陽系の果てに近い新たな領域に到達したというニュースが流れた。(http://www.cnn.co.jp/fringe/35025216.html)。
1977年といえば、1964年の東京オリンピック、同年の新幹線開通、1970年の大阪万博、その間1968年にはGDPが西ドイツを抜いて世界第二位に躍進というように、まさに日本の高度成長期を経て、1973年の第一次オイルショックで一時的落ち込みはあったものの、日本列島改造論が飛び出し、高度成長の余波が続いていたわけだ。
この高度成長を支えていたのがまさしく電気エネルギーで、その電気エネルギーも水力発電では追いつかず、エネルギー効率も良い石油、石炭を燃やしてできる火力発電が主力になってゆく。
日本列島改造論に合わせて、道路網・鉄道網の建設とともに火力発電所lの設置が急速に拡大してゆくわけだが、当初、原油価格は安く、石炭に比べればはるかにエネルギー効率の良いということで火力発電は原料をもっぱら石油に依存してゆく。
三池炭鉱、夕張炭鉱といった石炭炭鉱は次々と消えていき、もう石炭は見向きもされなくなる。
そんな中の第一次オイルショック、そして1979年の第二次オイルショック。
民族意識に目覚めた産油国は次々と原油価格を上げてゆく。エネルギー資源としても石油に大きく依存していた世界中がパニックに陥ったわけだ。
石油、石炭に依存しないエネルギー。
それまでにも原子爆弾のとてつもないエネルギーをなんとか平和利用できないかと研究開発を進めていた原子力エネルギー、日本もいち早く原子力エネルギー獲得を目指して原子力発電の開発に取り組むわけだが、オイルショックがさらに拍車をかけることになる。
1975年には官民一体になって今や原子炉の標準型になっている「軽水炉」の標準化に向けてスタートしてからは、国内のいたるところに原子力発電所が設置されていくわけだ。
さらにさらに拍車をかけたのが、深刻化する大気中の二酸化炭素増大による地球温暖化問題。
民主党政権に代わってすぐの2009年9月、鳩山首相が国連で、二酸化炭素を2020年までに1990年比で25%、2005年比で33.3%削減して地球温暖化を防ごうと提案、各国首脳から拍手をもって賛同されたわけだが、この時点で、建設中4、計画予定9、合わせて13の原子力発電所を新たに作ろうとしていたわけだ。
福島原発事故はこの原子力エネルギ―活用の継続を巡って大問題を提起した。
今回の総選挙でもこれは最重要な争点になっている。
今後の日本の行き先を左右する重要問題だ。

冒頭に「ボイジャー1号」のニュースを取り上げたのは、光の速さ(約30万キロメートル毎秒、つまり太陽から地球まで約8分20秒、月から地球は2秒もかからない速さ)で13時間もかかる距離にあるボイジャー1号から送られてくる信号の動力源が「原子力電池」であることに注目したからだ。
人間が獲得した叡智は、人類に多くの恩恵をもたらしたが、使い方を間違えば、多くの災害、被害、虐待ももたらした。
それは原子力という20世紀最大の発見だけではない。
原子力が生み出すエネルギーもうまく活用すれば、まだまだ人類に恩恵をもたらす気がするのだが、この考えは甘いのだろうか。