まさしく、じぇじぇじぇ、である。
「朝ドラ」という言葉は知ってはいたし、中でも「おしん」は人気ナンバーワンであることくらいも知ってはいたが、今までまともにこの手のドラマは見たことはなかったし大した関心もなかったが、この「あまちゃん」だけは第1回から最後の第156回まで、およそ3か月くらいかかったが、やっとこの11月17日に観終わった。
iphoneを持ち歩くようになってから、NHKの「オンデマンド」を視聴するようになったが、「あまちゃん」が人気になっていることを知って、暇なときにたまたま喫茶店で見たのが最初だった。
「オンデマンド」なら時間に縛られることはないし、好きな時に好きなように観られるから、第1回目から、時間があれば何回分も連続して観ることもできる。
ドラマ構成のことはよくわからないが、まず出だしの音楽がいい。スッタカタッタ、スッタカタッタとまずこのリズムに引き込まれる。
俳優のことも宮本信子を知っているくらいで初めて見るような俳優ばかりだが、色とりどりのあくの強そうなキャラクターを持ち合わせた俳優たちが十二分に持ち味を発揮し、主演の能年玲奈の素人っぽさと言おうか、地のままの明るさを際立たせ、視聴者との距離感を縮めたのが人気の原因ではないかとも思った。
笑いあり、涙あり、どこにでもあるような日常性が大げさにあぶり出され、パアッとはじけるようなハチャメチャ振りも、東北大震災以来塞ぎがちな国民感情の鬱憤を払いのける効果があったのではなかろうか。
朝の15分のドラマだそうだが、それゆえか、どの場面にも見せ場があり濃い内容で、よくもまあ150回も160回も綴り合せられるものだと感心もしたし、見直しもした。
ドラマの感想をどう書き表しらいいのかよくわからないが、観終わって、心が明るくなったのは確かだ。
年齢差別 ―エイジズムー
ある日生徒が新聞の折り込み広告を持ってきた。市内中学の「学習支援ボランティア」の募集広告である。
応募要項があって、氏名、住所、電話番号の欄にはもうすでに僕のことが書き込んであって、これを出してもいいかとその生徒が聞く。
空いている時間があればああいいよと気軽に返事をしたんだが、先生歳幾つだと聞かれたとたん体が硬直した。
年齢欄があって僕の歳がわからないから今書き込むというんだが、また来たか、これを聞かれることがいちばん苦痛なんだよ。
「年齢不詳」と書き込んでおけと言ったら、生徒は怪訝そうな顔で「不詳」という漢字がわからないからひらがなで書き込んでいた。
別に望んで応募するわけでなし、そんないい加減なことでいいんかなと思ったりもしたんだが。
そんなこともすっかり忘れていたころに近くの中学校の校長から招請があってあらためて自分の不真面目さに反省した次第。
よく女性に歳を聞くほど野暮なことはないというが、男だってぼくくらいの歳になるとそれは嫌なことだ。苦痛以外の何物でもない。
アメリカに長く滞在したことのある親戚に何かの機会にこのことを言ってみたら、アメリカでは早くからagism (ageism)という意識があり、もうすでに1967年に年齢差別禁止法(ADEA)が制定されていて、使用者が履歴書や応募書類に応募者の年齢や生年月日を記載させることはできない。そのためアメリカの応募書類に年齢や生年月日の項目はなく、面接の際にも年齢を聞くことは禁止されていたり、事前の写真送付さえ禁止されているというから徹底している。
さすがアメリカだ。
人種のるつぼといわれるアメリカだから差別意識も多様で根が深く過敏にならざるを得ない事情もあるんだろうが、その分人権意識も高く、この点でも確かにアメリカは世界をリードしている。
日本はというと、2007年にやっと「雇用対策法」でそれらしい法律はできたものの、履歴書では生年月日及び年齢を書くのはいまだに当たり前、年齢は人を雇う際の重要なポイントにもなっている。
それではヨーロッパではどうなのかと調べてみたが、EUでも2006年になって初めてすべての加盟国が年齢差別を禁止する法律を制定したというから、日本だけが年齢差別後進国でなかったわけだ。
1970年代まで「定年」といえば55歳というのが常識で、それが60歳まで延び、今では60歳で定年を迎えた社員のうち希望者全員の65歳までの継続雇用を義務付ける「改正高年齢者雇用安定法」が今年4月から施行されたが、内実は以前と全く変わらない。
日本人の平均寿命も男性に限っても100年前で42歳前後、50年前で60歳、今や80歳の一歩手前まで延びているから、100年前と比べたらおよそ2倍に伸びているのである。
「無聊を託つ(ぶりょうをかこつ)」という言葉がいつからできたのか知らないが、そんなことを口にする友人や知り合いが最近急速に増えてきた。こうした年齢と雇用制度、その意識のギャップがますます拡大してきている証拠だ。
働きたくとも働けない。実に残酷なことだ。
年金制度がいくら充実しても「人はパンのみにて生きるにあらず」、まさに「人は社会的動物なのである」。
FM-MENU
【追伸】Windows10 でも使っています。(16ビットの時代のソフトで、32ビット時代を経て今や64ビットの時代。アンティークもいいところですね。)
10月18日、Windows8 の改良版である Windows8.1 が発売になる。
先日もあるソフトを Google の Chrome を使ってダウンロードしたところ、「Hao123」という中国のブラウザと、よくは忘れたが不良レジストリーの掃除をするとかなんとかいう謳い文句の寄生虫ソフトががくっついてきて、「hao123」は簡単に除去できたが、もう一つの寄生虫ソフトが厄介な奴で、寄生されたとたんパソコンの動きが悪くなり、だからレジストリーを掃除しなさいよと言わんばかりの悪質な奴なんで、除去するのも面倒だから、いっそのこといい機会だからということで、windows8.1 のプレビュー版をインストールすることにした。
18日まで待ってもよかったんだが、今まででも大概新ソフトが出るときはプレビュー版を手に入れてあまり不都合も起こったことはないし、発売されると、例えば Windows8 の場合プロで3万円近くのものが、プレビュー版から使っていると今回は3千円で手に入れることができたという特典があったりしてプレビュー版から使うことは当たり前になっている。
今回の Windows8 から Windows8.1 のバージョンアップは、Windows8 を使っていたら無料でということもあって早めのインストールとなったわけだ。
嫌なソフトがくっついてきても嫌なので、真っ新のリカバリーとなると結構時間もかかる。
Windows8.1 も無事インストールし、Windows Office やメールの設定、様々なアプリケーションのインストールとなるともう半日がかりだ。
そしていつもそうなんだが、おおむね主要なアプリケーションを入れてしまうと、最後にインストールするのが、もうかれこれ20年にはなるだろうか、「FM-MENU」というランチャーソフトである。
ランチャーソフトというのは、ご存知の方も多いだろうが、様々なアプリケーションのショートカットキー(簡単にソフトを起動できる出先キー)を一か所に集めて機能性と機動性を持たせた一覧表で、パソコンを開いたときに左下から出るスタートキーの便利版といったようなもの。
この「FM-MENU」は「FM」というから富士通パソコンにインストールされていたものだが、その後様々なパソコンをとっけひっかえ使ってきたが、最後にはもうケースも傷だらけの「FM-MENU アプリケーションCD」を取り出し挿入ということになると、いつも感慨にふけってしまう。
20年余り、パソコン環境はまるで様変わりし、高度で高機能なアプリケーションソフトが満ち溢れ、もちろんランチャーソフトもそれなりの進化を遂げているわけだが(https://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC&hl=ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=lV9SUs-FM4GUkQWw7oGQBw&sqi=2&ved=0CEkQsAQ&biw=1440&bih=813&dpr=1)、ランチャーだけに関してはこの「FM-MENU」に勝るものに出くわしたことがない。
実に素朴で単純で、そこに盛られたショートカットキーを押せば目的のソフトにヒットするだけ。それ以外何の飾りもなければ余計な機能もない。それがいいのだ。これほど重宝するソフトはないのである。
16ビット時代の代物だから、今では16ビットの変換ソフトを導入しますかとパソコンから問われる。もちろんOKだ。
そして Windows がバージョンアップされるたびに、もう使えなくなるんじゃないかとびくびくだ。
今回も、他にもぼくのような人はいないかとWeb上を探したら、いた。いるんだなあ。やっぱりいるんだ。うれしくなっちゃたよ。
最新の Windows8.1 に化石ソフト「FM-MENU」が乗っかって、さあ出発!
リニアモーターカー
先日8月29日中央新幹線の「リニアモーターカー」がついにお披露目された。
2027年東京―名古屋間を40分、2045年東京―大阪間を67分で東京と大阪を行き来できるようになるというのだから驚きだ。
今の東京新幹線が開通したのが1964年。同年の東京オリンピック開催直前の開通となったわけだが、たしか東京―大阪間で4時間。
その前年に東京に用があって、特急の「つばめ」だったか「はと」だったか、大阪を朝9時に出て夕刻の4時頃に東京に着いた記憶があるから7時間くらいはかかったわけだから、この4時間がいかに驚異的だったか。
ちなみに思い出すのが高校の修学旅行。大阪から国鉄の在来線に乗って九州の長崎に向かったわけだが、朝9時に大阪駅を出て長崎に着いたのがたしか翌日の朝8時だったから、おおかた24時間。今だったら5時間もかからない。新幹線や飛行機が当たり前の今の若い人たちに言ったら嘘みたいな話になる。
たかだか60年かそこらの人生にしてこの目まぐるしい時代の変化は何を意味するのか。
「弾丸列車」という言葉がもうすでに第2次世界大戦以前から語られ、それに向かっての研究がその時から始まっており、1964年に「東海道新幹線」となって実現し、その2年前の1962年に研究が始まった「リニア」が今や現実化し、さらにもう21世紀後半に向かっては無燃料の重力を利用した「真空チューブ列車」の研究が始まっているという。
いつの時代もそうだったのか、それともこの20世紀、21世紀があまりにもその変化が激しいのか、比べるすべもない。
人類の夢には限りがない。
しかしどうかその夢が実現した暁には人類にとって幸い多きものであってほしい。
ただ、2027年のリニアには乗りたいが2045年のリニアには乗れまいという人間としてのはかない現実を突きつけられたショックは大きい。
国際詐欺 ― 419詐欺 ―
アブダビ国立銀行の部長代理で監査役を務めるという男からスカイプにメッセージが入った。
頭にオマールが付くが下は僕と同じ姓の日本人が2006年に満期3年の定期預金を組んだ。その満期が近づいたので連絡を取るが取れない。調べてみると、オマール氏は2008年3月12日に中国四川省で起こった大地震(本当は5月12日)の犠牲者になっていた。アブダビには家族もなければ親類縁者もない。預金額は1840万米ドル(日本円で約18億円)である。これを嗅ぎ付けた銀行上層部の者達が何とか自分のものにしようとこの部長代理氏に近づいてくる。が、オマール氏は自分が部長代理に昇進する前の大切なお客さんだったし、銀行上層部の連中は結構こんな案件にありついて十分金持ちになっていてしゃくだ。何とか相続人を見つけようとたまたまスカイプを検索したら同姓の僕が見つかった。僕がオマール氏の親族であればなおいいが、それはどうでもいい。どうせ銀行の雑収入として処理されるだけだし、できることならこのファンドを有効に生かしたい。法的には何の問題も起こらないから僕を相続人に仕立て50%50%で分けよう。自分は貪欲な人間ではない。貧しい人たちを救済するためのチャリティと念願の会社設立の資金に当てたい。どうか?
という内容である。
まさに青天の霹靂。ただでさえ今年の暑さで頭が朦朧となっているのに何という話。
半信半疑にしろ、今年の芥川賞も面白くない。これをネタにひとつ小説でも書いたら面白いだろう。
さっそく部長代理の名前をサイトで検索すると、顔写真まで出ていて、経済学の博士号の称号を持ち大学でも教鞭をとるインテリ。役職、経歴も彼の言う通り。銀行でもかなりのエリートである。
とりあえずメールアドレスを教えてくれ、詳細を伝えたいというのでメールアドレスを教えると、間もなく書簡と2枚のドキュメントを送ってきた。
1枚は言う通りの定期預金証書。オマール氏の名前、預金額、日付が刻印され、アブダビ国立銀行の社印と担当者のサインが入っている。台紙も透かし模様の入ったどう見ても本物である。もう1枚は銀行取引代理業務の資格証明書のようなものだが、よくはわからない。
銀行公認の誠実で有能な弁護士を紹介するから、この弁護士にコンタクトを取り、引き受けてくれたら幸い、相続手続きを進めてほしい。銀行内部の手続きは自分が責任をもってする。あなたに迷惑がかかるようなことは100%ない。ただ、この案件に自分が関わっていることを知られたくないのでトップシークレットにしてほしい。と付け加えてある。
照会された弁護士をこれまた検索してみると、アブダビにちゃんとしたオフィスを持ち、1953年まで続いたエジプト王国の国王と同じ名前を持っている男だ。
メールを送るとさっそく返事が来て、この案件に興味を持った。例の預金証書のコピーと証明書を送ってくれ。これがあれば銀行と折衝できる。確かな案件であれば代行業務を引き受けてもいい。という返事。
預金証書と証明書のコピーを送ると2日後返事が来て、銀行との交渉はうまくいった。この仕事を引き受けてもいい。代行手数料として32800米ドル(日本円で約320万円)を送ってくれ。そうしたらすぐにでも代行業務に着手し、必ず成功させる。
うーん、これだな!
このことを部長代理氏に伝え、この費用をそちらで何とかしてくれ、定期預金は取り崩せなくても預金金利はすぐにでも活用できるはずだ。預金を担保に後払いはどうかと提案すると、相続権が確立できるまではそれはできない。費用を半分半分で分担しようという。
案の定である。うまくできすぎている話なので事前にも調べていたが、同じような事例(419詐欺として外務省、警察当局もも警告している)があって、やはり最後には費用を値切ってくる。
アブダビ国立銀行にも調査を依頼したが、今のところ何の返事もない。
こちらの警戒心を察知したのか、部長代理氏からもエジプト国王氏からもプツンと音信が途絶えた。
撤退の速さにもびっくりしたが、金にならない奴にかかずらっているよりは、早く次の獲物を漁るほうがいいに決まっている。
それにしても実に手の込んだ巧妙な手口だ。
どこからどこまでが本当か見分けがつかない。役割分担をしているのかどうか、道具立てもちゃちではないし、やり取りする文章も専門的でしっかりしている。
ひょっとしたら、詐欺であって詐欺ではなく、銀行内部にはこういう案件が結構あって、闇の一端がポロリとこぼれ出た。そんな一面もあるのではないかとさえ思えるほどだ。
真夏の夜の夢を見た思いだが、ご注意あれ!
般若心経
♪♪♪ 般若心経 ♪♪♪
NHKオンデマンドの『100分de名著』で「般若心経」を見る機会を得た。
名には聞いていたし、昔子供のころ、お盆には必ず家のものがよく仏壇の前で唱えていたことを覚えている。
しかしそれがいったいどういう内容のものか全くと言っていいほど知らなかったし、関心もなかった。
今回も「般若心経」をお経として関心を持ってのことではなく『名著』にひかれてのことだ。
わずか262文字で記されている大乗仏教典の要約、エキスということだが、初めて目にする漢文はちんぷんかんぷん。
「空」と「無」という文字がやたら目について、東洋思想の「空」と「無」の若干の知識は持っていたので、何かそのことを解き明かしているのではないかと思った程度。
せっかくだから大意だけでも掴みたいものだとwebサイトで「般若心経」を検索し、「インド哲学の国際的な権威」東大名誉教授中村元先生の翻訳や、英語から逆にわかるのではないかと鈴木大拙先生の英語訳も読んでみたのだが、まるで分らない。
「般若心経」の最後に『羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶』という呪文を唱えることが真言と書いてあるのだが、ぼくにとってはこの「般若心経」自体が呪文である。
哲学には若干の関心があり、若いころから結構哲学書も読んだほうだが、西洋哲学が主だったせいかここの翻訳用語の概念がまるでずれている。
そうしているうちやっと出くわした
http://www.mikkyo21f.gr.jp/academy/cat48/post-200.html
で、初めて「般若心経」の何たるかを朧げながらも掴めた気がしたが、あくまでも独りよがりで確かではない。
おもしろくて意外に真意を読み取っているのではないかと思ったのは、
http://blog.goo.ne.jp/triarrowstar/e/de2310ff6cb1b632fef1f5ec2d299787
に出ている超現代訳。
解説にもある通り、この「現代語訳」は2010年9月、ニコニコ動画に投稿された動画「初音ミクアレンジ『般若心経ロック』」へのコメントとして、その後まもなく書き込まれたものだそうだ。
結局は大した成果もなく『100分de名著』に誘発された「般若心経」挑戦はあえなく挫折となった次第。
思うに、そもそも「般若心経」を『名著』として読み解こうとしたことに無理があったのかもしれない。
『羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶』も文字に起こし、意味を探ろうとすることが邪道で、原典のサンスクリット音で何度も何度も唱和し、瞑想の奥義を極めることに意義があるのだろう。
「般若心経」もそうで、仏壇の前でおそらく意味を考えることなく唱和していた家のものこそ真言の姿であるのだろう。
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄・・・・
数学者と中国人
ロシアにペレルマン(1996年生まれ)という現代数学者がいる。
2006年フィールズ賞辞退。2010年ミレニアム賞辞退。
フィールズ賞と言えば、数学のノーベル賞と言われるくらいの権威ある賞であり、これを辞退したのはペレルマンが初めて。
ミレニアム賞はアメリカのクレイ数学研究所によって2000年に発表された100万ドルの懸賞金がかけられている7つの数学上の未解決問題を解いた数学者に与えられるこれまた数学者にとっては最高権威の賞で、ペレルマンだけがそのうちの一つを解いたが副賞の賞金100万ドルも含めてすべて辞退。
それまでにも数々の権威ある数学賞に推挙されたがすべて辞退、世界中のトップクラスの大学や研究所から招請を受けているが見向きもせず、現在はサンクトペテルブルグの安アパートで母親との年金暮らし。キノコ採りが何よりの趣味というから、世人にはまったく理解しがたいのがペレルマンである。(http://www.youtube.com/watch?v=d8T1vynAjgo)
一方、これまたフィールズ賞に輝いたというから数学者としてはトップクラスに位置するんだが、その後の評判がよくないのがハーバード大学教授の中国系アメリカ人の丘成桐。
弟子にあたる朱熹平と曹懐東という中国人数学者が「不完全であったペレルマンの証明には致命的欠陥があったので、自分たちが完全なる証明を行った」と「我らこそポアンカレ予想の完全な証明を行った」と言わんばかりに論文を丘成桐が編集長の「亜洲数学」に掲載。この二人にフィールズ賞を共同受賞させようと画策したというのだ。
朱熹平と曹懐東は、これまでにポアンカレ予想に関連する論文を1本も書いていない上、ペレルマンのポアンカレ予想に関する論文から文章をまるまるコピーした箇所が見つかるなど、次々と問題が明らかになったいうから何をか況やである。
ミレニアム懸賞問題は科学雑誌に論文を投稿すれば数学者たちが何年もかけて査読し、論文の正しさが認められれば本誌に掲載され受賞対象とされるが、ペレルマンはそんな事情を知ってか知らずか、科学雑誌にではなくあえてネット上に論文を掲載。論文に気づいた数学者たちの間で大騒ぎになって3年がかりに精査を受け、正解であることが判明したという。
そうした正式の手続きを踏まないペレルマンの隙間をついて割り込んできたのが丘成桐一味ということなのだ。
現代中国という国はいたるところでこうした「コソ泥」的行動が目立つ。
本来誇り高い中華民族の本質ではあるまい。
近代国家に脱皮する過渡期ととらえれば許すこともできるが、成金長者の傲慢振りは目に余る。
いま中国を支配する中国共産党に群がる徒党の本質が中国に覆いかぶさっていると思いたい。
ボストン美術館 日本の至宝
曾我蕭白の「雲龍図」は圧巻だった。
同時代の円山応挙や池大雅の繊細で伝統的な日本画法に比べたらまさに奇想天外で破天荒としか言いようのない、実物は縦165cm、横は10.8mにも及ぶ巨大な水墨画で、その画面をもはみ出しそうな勢いと力強くも精巧な筆遣い、それでいてどこかユーモアが漂う、これは並な画家ではない。
医者であり日本美術収集家であったビゲロー(1850-1926)が1911年にボストン美術館に寄贈した時以来、襖から剥がされた状態で保管されてきた巨大な龍が今回の「ボストン美術館展」のために修復作業が行われ公開が可能となったという、曰く付き鳴り物入りの水墨画だ。
(絵をクリックしてください)
この曾我蕭白とて、1968年『美術手帖』誌で連載された辻惟雄の「奇想の系譜」で取り上げられたこと等がきっかけとなり、江戸時代絵画史に異彩を放つ個性的な画家として近年再注目されているとはいえ、ビゲローに見出されるまでは明治の時代にはほとんど顧みられることはなかった。
今回の「ボストン美術館展」では、日本に残っていれば国宝や重要文化財の指定を受けてしかるべき「日本美術の至宝」が数多く展示されたわけだが、ただ感動に浸っているだけでは済まない複雑な気分にさせられた。
ボストン美術館も、近代国家としてアメリカが勢いづく中、アメリカ独立百周年にあたる1876年開館に向けて海外美術品の収集に力を入れていたこと、時あたかも日本は明治維新を迎え、西洋崇拝が吹きすさび、神仏分離令から始まる廃仏毀釈運動により仏教寺院はもちろん、仏典・仏画・仏像の多くが焼かれ、壊され、反故にされようとしたことが、ちょうど凹凸合わさったわけだ。
日本のそうした美術品の多くに価値を見出したフェノロサとその教え子岡倉天心が救済に乗り出し、ビゲローのような資産家の篤志もあって、数万点に及ぶとされる日本の美術工芸品の名品がボストン美術館に運ばれ、ある意味、事なきを得た。
会場に入って直ぐ目についた弥勒菩薩立像などはその立居といい表現の素晴らしさといい、超1級の国宝ものだ。作者が快慶であることもうなずけるが、超1級の美術品では済まされないものがある。慈愛と気品に満ちた姿と像内に納められていたという経典からも窺い知ることは、作者はもちろん、この仏像に跪いてきた人たちの信仰の厚さである。どこの寺院でまつられていたのか、そして今もその寺院でまつられているのが本来のお姿であるのに、どういう経緯でボストンに運び込まれたのか、無性に腹立たしい気持ちが、菩薩様には申し訳ないが、起こってしまった。
ほかの展示作品群もみんなそうだ。本当に素晴らしい。繊細でかつ大胆、簡素でいて濃密、日本のそして日本人の美を極めた作品群だ。しかし、なぜ「里帰り」でしかまみえることができないのか。
明治維新とはいったい何だったのか。一方では確かに日本の近代化をアジアの諸国に先駆けてもたらしはしたが、一方ではこうした狂ったとしか思えない「焚書坑儒」が行われたのも事実である。
日本人とは?、また考えさせられる展覧会になった。
見てござる
♪♪♪ 見てござる ♪♪♪
村のはずれの お地蔵さんは いつもにこにこ 見てござる
仲よしこよしの じゃんけんぽん ほい 石けりなわとび かくれんぼ
元気にあそべと 見てござる それ 見てござる
たんぼ田中の かかしどんは いつもいばって 見てござる
チュンチュンバタバタ すずめども ほい おこめをあらしに きはせぬか
おかたをいからし 見てござる それ 見てござる
山のカラスの かんざぶろうは いつもカアカア 見てござる
おいしいおだんご どこじゃいな ほい お山の上から キョロキョロと
あの里この里 見てござる それ 見てござる
夜はお空の お月さんが いつもやさしく 見てござる
あちらのおうちの 良い子供 ほい こちらのおうちの 良い子供
おねんねしたかと 見てござる それ 見てござる
もうご存じでない方がほとんどだろう。
昭和20年、大戦に敗れた日本は、一方では希望に満ちた戦後日本の出発点だった。
食は乏しく、ぼろはまとってはいたが、まさに心は錦という日本人も多くいた。
この「見てござる」もそうだ。
山上武夫作詞・海沼實作曲のこの童謡は、受信もままならないラジオを叩きながら聞き、多くの子供たちの心をとりこにした。
名著の誉れ高いルース・ベネディクトの『菊と刀』が出たのもこのころだ。もう何十年も前に読んだ本で内容もほとんど忘れてしまったが、アメリカ人特有の優越感というか他民族蔑視の思想が読み取れて、当時皆が評価する割には不快感だけが残ったような気がした。
確かにベネディクトにはそういう意識はなく、「白人」に染みついた無意識がにじみ出ただけであって、我々日本人だからこそ感じ取れるものであろう。
「美を愛好し、俳優や芸術家を尊敬し、菊作りに秘術を尽くす国民に関する本を書く時、同じ国民が刀を崇拝し武士に最高の栄誉を帰する事実を述べたもう一冊の本によってそれを補わねばならないというようなことは、普通はないことである。」という言葉で最後を締めくくられていることから、彼女が決して日本人を蔑視していたとは思わない。
日本の文化は「恥の文化」であるのに対して西洋の文化は「罪の文化」であるとその内容は簡略に紹介されていると思うが、簡単に言うと、日本の文化は「傍目を気にする」文化であり、西洋のそれは「神の眼を気にする」文化である。だから、日本人は傍目がなければ恥もかき捨てだが、神の眼を気にするキリスト者はそういうレベルではない、もっと次元の高い自律を求められているんですよ、と言っているような気がして不愉快を感じたわけだ。
しかし、日本の文化は「恥の文化」という指摘は的を射ている。
日本人ほど「恥じる」ことを気にする民族はいないのではないか。
生きることから、生活すること、働くこと、人との付き合い方、ありとあらゆる局面で、恥じないことを最重点にしている。
「生き恥をかくなら死を」、「粗相のないように」、「恥ずかしい製品は作れない」、「おもてなし」、「ちょー、恥ずかしぃ―!」、・・・
東北大震災の折、取材に訪れた外国人ジャーナリストは一様に日本人を称え、海外に伝えた。
住むところもなく、食べるものも満足にないのに、ただ取材に訪れただけの彼らの宿泊場所を心配したり、食べ物はあるのかと心配する被災者は彼らの範疇にある人間ではなかった。
アメリカでならこんな大騒動の折には必ず起こる略奪や暴動がここでは起こらない不思議をアメリカに打電した。
東京では電車が止まり、徒歩で帰宅する数百万人の人々がみな黙々と列をなし、ひたすら歩く。怒鳴り声など聞こえないし、渋滞する車からはクラクションの音ひとつ聞こえてこない。数百人が避難した広場ではタバコを吸う人はいない。 係員が走り回って毛布、お茶、ビスケットなどを配る。すべての 男性が女性を助けていた。3時間後広場は解散となったが、地面にはゴミ一つ落ちていなかった。日本人は、むやみに悲しみを表に出さないのは周りに心配させたくないからだ。家族を失ったというのに泣きわめいたりしない。深い悲しみをただひたすら黙って受け止めている。助けてもらつて「ありがとう」ではなく、「すみません」と言う。これは「迷惑をかけて申し訳ない」という気持ちの表れだ、と中国人ジャーナリストが母国に伝えた。
もう天国にいらっしゃるベネディクト女史に是非とも伝えたい。
日本人は決して人目だけを気にして生きているんではないんですよ。
お地蔵さんが見ているし、案山子やカラスも見ているし、お月さんもお天道様も、そしてご先祖様も見てござる。
とね。
「見てござる」― いい言葉だなあ。
わがノスタルジー
♪♪♪ 笛吹童子の歌 ♪♪♪
1989年のイタリア映画で「ニュー・シネマ・パラダイス」という映画がある。ご存知の方も多いだろう。 映画好きの少年トトと「シネマ・パラダイス」の映写技師アルフレードの友情と、数奇な運命をたどるトトを描いた感動の名作だ。 ※あらすじはこちら⇒http://www7a.biglobe.ne.jp/~eigatodokusyo/syuminoheya/eiga/eiga-1/eiga-11/paradaisu.htm 「ニュー・シネマ・パラダイス」がトトのノスタルジーであったように誰にも語っておきたいノスタルジーがあるに違いない。 「ヒャラーリヒャラリコ ヒャリーコヒャラレード・・・」 この音楽が聞こえてきたらもう居ても立っても居られない。5球スーパーラジオの前に座って、雨が降ろうが槍が降ろうがわれ関せずの構え。 憎っくき赤柿玄蕃を菊丸(笛吹童子)よ何とかやっつけてくれと、拳を固めて血湧き肉躍ったものだ。 毎日夕方5時45分から始まるので、冬場はいいが、日の明るい季節のころは大変だ。 当時は学校が終わってもすぐには家に帰らない。放課後は大概校庭で、小使いさん(校務員)に追い払われるまで野球なんかをしていたから、5時半位になると気が気でない。野球好きな奴が帰さない。これとの戦いが大変だった記憶がある。それでも毎日聞いていたから、多分うまい具合にやっていたんだろう。 「音楽 福田蘭童」もはっきり覚えている。後で知ったんだが、この「福田蘭童」、明治の洋画家、「海の幸」で有名な青木繁の息子で、蘭童の息子がクレジーキャッツのピアニスト石橋エータローというそうだから、ここまでくればやっと一世代後の諸君と接点があろうかと。 そして夜が明ければ、今度は「少年ケニア」だ。 アフリカのケニアを舞台に、孤児になった日本人少年ワタルが仲間のマサイ族の酋長やジャングルの動物たちと冒険をする物語で、「産業経済新聞」(のちの「産経新聞」)に連載されていた。 朝起きると、いの一番に朝刊を取りに行き、誰にも開けられていない新聞を開くときのインクの匂いが今もツンと鼻に残っている気がする。 山川惣治原作の絵物語でこの挿絵が実に良い。当時「産業経済新聞」は「ケニア新聞」とも呼ばれたそうだから、その人気たるや推して知るべしである。 そして月に1回。今度は雑誌「少年」である。 江戸川乱歩の「怪人二十面相」。探偵明智小五郎が助手の小林少年とともに怪人二十面相に立ち向かう物語は少し怖かったけれども布団をかぶりながら読んだものだ。 手塚治虫の「鉄腕アトム」は言わずと知れた日本アニメの元祖。実に夢があり、この「鉄腕アトム」に刺激されて様々な分野で羽ばたいた人も多いはず。未来を予見した作品だった。 発行日には必ず父が買ってきてくれ、その日はもう朝からわくわくだ。待ちきれなくて駅まで父をよく迎えに行ったことがる。 それに付録がまたこれが圧巻。今でも鮮明に覚えているが、紙製の組立幻灯機や映写機とかがあって、それを完成させて家族全員に見せたところ、全員が感動してくれていっそうの励みになった。 これらすべてが小学校低学年頃の思い出だ。 そうそう、もう少し学年が進んだころと思うが、ほのぼのと思いを寄せていたハットリさんが、NHKのラジオドラマ「君の名は」が好きだと聞いたんで、夜何時だったか同じ思いを寄せたくて聞いたものだ。ハットリさん、今はどうしているんだろうなあ。