御堂筋哀歌

♪♪♪ 雨の御堂筋 ♪♪♪

今日は一日暇ができたので、久しぶりに「御堂筋」を歩いてみようと思った。
北から南へ、南から北へ、今までにも何度も何度も歩いたことがある。
考え事があって歩いたこともあったし、ロマンチックな気分で歩いたこともある。
銀杏の枯葉が舞う寒い日、拭いても拭いても拭き切れないほど汗の出る日、そしてもちろん「雨の御堂筋」も。

欧陽菲菲が『雨の御堂筋』を歌い、大ヒットしたのが1971年。
神武景気から始まった戦後高度成長期は、1970年の「いざなぎ景気」の終焉を最後に「安定成長期」に入ったといわれるが、翌年つまり1971年の「第二次ニクソンショック」により、1ドル=360円の固定相場制が変動相場制に移行したことにより、戦後日本の土台を築いてきた輸出産業が大打撃を受けることとなるのであるが、57か月間続いた戦後最長の「いざなぎ景気」の余韻を映したのがこの『雨の御堂筋』である。

御堂筋は、大阪の玄関である「JR大阪駅」から南へ真っ直ぐ約4km、大阪一の繁華街「難波」に通じる幅45mの大阪を代表するメインストリートである。
1929年(昭和4年)、当時の大阪市長関一の号令で着工し8年の歳月をかけて1937年(昭和12年)に竣工。当時の道路常識からして桁外れに幅広い道で、道の両側には大阪を代表する大企業が次々とビルを建て、ここはいわば大阪のステイタス・ゾーンであったわけである。
とりわけ、『雨の御堂筋』に出てくる「本町」は商都大阪を代表する繊維街で、御堂筋の「伊藤忠」をはじめ、その界隈には大小の商社がひしめき、「桁外れの御堂筋」もやがて大渋滞を起こすほどの一大活況を呈するほどになる。

今日歩いた「御堂筋」は違った。
沿道に植えられた約970本の銀杏は高く大きく育ち、若葉がまぶしいほどであったが、心なしか昔ほどの賑わいがない。勢いがない。
大丸と並んで店を出していた松坂屋はとっくになく、伊藤忠は大阪駅北の再開発ビルに移ってしまった。
歯が抜けたようなビルの隙間には駐車場ができ、聞くところによると両側のビルの空き室も目立つという。道行く人も昔ほど多くはないしせかせかしていない。
良く言えば落ち着きがあり、道の両側にはなるほど昔にはなかった高級外車のショウルームが並んでいたり、シャネルとかルイビトンといったブランド店が数多く並んではいるが、違う。
「失われた10年」とか「失われた20年」という言葉があるように、日本の高度成長期から安定成長期に入ったんだとは言うが、実は高度成長期の勢いを取り戻すべく日本列島改造に走り、降りかかるオイルショック、円高不況にも見舞われて、いっときバブル景気で勢いを取り戻したかに見えた錯覚はやがてその崩壊へと、そして負のスパイラルに陥って今に至った日本の姿がこの「御堂筋」にも見えた気がした。
しかし、町並みは確かにきれいになった。東京や世界の主要都市と比較したら大阪は確かにローカルな雰囲気だが、これはこれでまたいい気もした。

梅田新道 心斎橋と
雨の舗道は 淋しく光る
あなた・・・ あなたのかげを
あなたを偲んで 南へ歩く

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今年のさくら ―2014―

仕事の関係もあり最近は車であちらこちら出かけることが多くなった。
この時期、やはり気になるのは桜だ。
今日は4月3日だが、大阪市内にある大阪城公園や桜ノ宮の大川(旧淀川)沿いはもう満開になっている。それでも東京に比べたら1週間ほど遅い。
昨日は大阪の南、泉南方面に出かけたが、ここでもいたるところに桜、桜でそれ以外のものには目がいかない。
山手を走る高速自動車道、阪和高速道辺りではまだ五分咲きくらいのところが多かったが、距離にしてほんの数キロしか離れていなくて、少し山手ではあるが、こんなにも咲き方が違うんだと、桜の敏感さに感心させられた。

それにしても本当に桜が多くなった。昔はこんなに多かっただろうか。
関心の持ち方が歳とともに変わるからそのせいもあるだろうが、それ以上に桜が多くなったのは確かだろう。
海外でもアメリカや中国をはじめ、多くの国で植樹された桜が大きく成長し、桜に魅せられる人が増えていると聞く。

桜ノ宮の大川沿いには、昔から「造幣局の通り抜け」といって、大阪人なら誰知らぬ者はない桜の名所がある。
日本の貨幣はすべてここで造られているんだが、大川沿いの造幣局構内の全長560mの通路が一般花見客のために1週間開放され、関山、普賢象、松月、紅手毬、芝山、楊貴妃など 131品種、350本の桜が植わっている。
明治16年(1893年)に開始された「通り抜け」は浪速の春を飾る風物詩として、大阪人だけでなく関西一円の人々に愛されていいて、今やここの桜を見るためには覚悟して行かねばならない。押し合いへし合い、関山がどうの、普賢象がどうのとゆっくり立ち止まることもできない盛況ぶりだ。
子供のころにもよく連れられて行ったことはあるがこんなではなかった。上半身裸のおっさんがおなかに大きくお多福の顔を書いて体をくねらせ踊っている。綿菓子を食べながら何時まででも見入っていたことを今更のように思いだす。
この大川沿いも「通り抜け」だけでなく、今では、与謝野蕪村の生誕地で知られる淀川の毛馬まで延長4.2kmに4800本の桜並木がトンネルのように続いていて圧巻だ。さらに、建築家で有名な安藤忠雄氏の呼びかけで、天満から西に数キロ延長して、大川を桜で埋め尽くそうと植樹が進められている。

こと左様に多くの人が関心を寄せ、それにつれて桜が多くなったのは事実で、webサイトにも全国の花見情報が載せられ、この時期誰もが一度は桜名所を訪れる。戦後70年、物心ともに豊かになった証で喜ばしいことだと思う。
消費税が5%から8%に引き上げられ、さらに1年後には10%に。福島原発問題、国際情勢と目を返せば、桜、桜と浮かれていられない現実が待ち受けているが、だからこそこの一っ時の浮かれ気分が日本人に新たな活力を与えているのも現実だ。

大阪の桜は、4月上旬の大川河川敷、大阪城から始まって4月中旬の「造幣局通り抜け」までのおよそ半月以上、大阪人の心を奪う。
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《関連記事》
今年のさくら』 投稿日時: 2013年4月
さくら、さくら』 投稿日時: 2011年4月
さくらーそして日本人ー』 投稿日時: 2009年4月

理不尽なこと

最近立て続けに理不尽なことに出くわし、少々心が滅入っていた。
どちらも車を運転していてのこと。
一つは交差点で信号待ちをしていてのこと。
前に大型の乗用車が1台止まっていて、信号が青になったのに動き出さない。運転席を覗くとどうも携帯に夢中になっている様子。後ろにも何台か車が続いているので、あまり気が進まないままクラクションをそっと鳴らして喚起を促すと、ハッと気づいたように前の車が走り出した。ところが、走り出したまではよかったんだが片方1車線とはいえ幹線道路。制限速度が60キロと書かれているのに、その車、40キロにも満たない速度でノロノロ運転。明らかに嫌がらせとしか思えない。後続の車が何台も続いていて、さあどうしたものか。対向車線にも車が次から次に来ていて、それでも合間を縫って前の車を追い抜けないことはないが、追い抜くとまた何をされるかわからない。こちらがまずその車を追い抜かないと後続の車も追い抜けない。イライラは募るばかりで、14、5分は続いただろうか、やっととある交差点でその車が左折してくれたが、ほっとすると同時にこの理不尽さに腹立たしさを超えた複雑な思いがよぎった。
もう一つは、こちらにも非があったのかもしれないから声を大にして言えないが・・・
コンビニから前の車道に出ようとすると大渋滞。長い車列ができてノロノロ、ノロノロと走っている。割り込もうとしても、向こうの車線なのでなかなか割り込めない。そんな中、割り込めるに十分だと思える車間ができている個所があったので、手前の車線の車に譲ってもらいそこに割り込んだ。後続の車とは十分だとは言えないまでも迷惑をかけない程度には車間はあったと思うんだが、割り込んだ途端、後続の車が急接近してきてクラクションを激しく鳴らす。あまりの権幕なので路肩に車を寄せ、その車を通り過ごさそうとすると、その車が横にぴったりと停車し、車から40前後の男が降りてきて、ぼくの胸ぐらをつかんで、子供が乗っているのに追突でもしたらどうするんだと大声でわめき散らしている。変に言い訳をしても怖いとひたすら謝り続けた次第。

車を運転していると、本当にいろいろな場面によく出くわす。いやなことだけではない。譲ってもらったり、停車してもらっては気の毒なほどのダンプカーや大型トラックがこちらに道を譲ってくれたり、後続の車を止めて割り込ませてくれたり、小さな感動を何度も味わわせていただいたこともある。
また、一人の人が神様になったり鬼になったりするのも車だ。
今回出くわした鬼もまた違った場面では神様になっているのかもしれない。腹の虫の居所が悪かったんだろう。
そう思えば、やっとこちらにも安どの気持ちが蘇った。

イカナゴのくぎ煮

今日は2月28日。1月は長かったが、2月はあっという間に終わろうとしている。
このころになるといつも気になるのがイカナゴの解禁日だ。
4,5年前だったか、近くのスーパーで初めて生のイカナゴが目に留まり、物珍しさ半分でイカナゴのくぎ煮に挑戦することに相成った。
1㎏買ってきたものだから、うまい具合にはできたが一人で食べるには多すぎる。
離れて暮らしている家族に宅急便で送ってみたら、これがやたら好評なのである。
それからというもの、毎年この2月も暮れになるとイカナゴの解禁日が気になってしようががない。
イカナゴ漁に解禁日があるなんてまるで知らなかったが、瀬戸内海から大阪湾にかけて生息するイカナゴが激減し、やむなく禁漁期間を設けたそうな。
このイカナゴのくぎ煮、東播磨から神戸、大阪にかけて広まった食材で、もう京都になるとイカナゴよりもちりめん山椒が好まれるというからごく限られた地域の食文化なのである。
そして今日、今年はこの2月28日がイカナゴの解禁日で、前日予約しておいた店に取り立てのイカナゴを買いに行った。
すぐ近くの漁港から毎朝11時くらいに入荷するそうで、家族や親せきにお配りするので3㎏買うことにした。
今年はまたいっそう不漁だそうで、1㎏が1,380円もする。それでも安いと店の主人が言う。
昨年は普通のスーパーで1㎏が1,000円、そしてこの店が確か1,000円は切っていたと思うから、かなりの値上がりだ。
でもいい。昨日スーパーで売っていたくぎ煮は500gで2,500円ほどしたから、手間暇はかかるが仕方ないか、と自分を納得させた。
ザラメ砂糖を買い、ついでにほかの食品も買い込んで勇躍家に帰り着いた途端、肝心の土生姜を買い忘れたのに気が付いた。
この土生姜を刻みこんでこそイカナゴの独特の風味がいっそう引き立つというもの。
本当にオレって馬鹿なんだよね。あれほど買い物に出かける前に、ザラメ砂糖と土生姜と反復しておきながらこのざまだ。

その土生姜も近くのスーパーで手に入れ、今は出来上がったイカナゴのくぎ煮をつまみ食いしている。美味い。
これがまたコーヒーとよく合うんだよね。
2月も終わり、明日からもう3月だ。
梅の香りも漂い始め、今日はやけにあったかい。
それにしても慌ただしいなあ。人生、まるで駆け足だ。
前のテレビはTPP交渉が決裂を報じ、福島原発の汚水処理も遅々として進まないどころか、次から次と問題が派生しているという。
ソチが終わった途端ウクライナ政権の崩壊だし、中韓は相も変わらず駄々を捏ねまくり、そうそう、アンネの日記がたくさん破かれたとか。
せっかく春の風物詩でもと書き始めたんだが、ままならないものだ。
またこれも人生か。

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ふき掃除 ―小さな文明論ー

ひょんなことから文化、文明の端くれのようなことに思いが及んだ。

今朝、黒豆を炊いていて、煮具合を確かめるため、しゃもじ(みなさん、「おたま」と呼ぶんだそうだけど、ぼくなんか小さい時からそう呼んでいたんで)に数粒すくってお皿に取ろうとしたら、もうだいぶとろけていた汁が床に落ちた。床がフローリングだからスリッパを履いていたんだが、その落ちた汁を踏んづけちゃって、そしてそのまま数歩歩いたものだから、足元が粘つき気持ち悪いこと限りなし。
さっそくスリッパの裏を雑巾で拭き、ついでに床を拭こうとしたんだが、長いこと床のふき掃除もしたことがないし、いっそのことと台所だけでもいいから床掃除でもするかと一大決心をした。
根っからの無精者で、掃除機くらいは数日おきかな、一応掛けてはいるが、床拭きなんかめったにやったことがない。
バケツに水を汲み、雑巾も二枚用意して、ほんとに久しぶりに手ずから床掃除を始めたわけだが、広くもない台所の床半分も拭き終わらないのに、足腰が痛くて痛くて。
ちょっと休んでからと、炊き立ての黒豆とコーヒーを用意し、これが好きなんだよね、甘い黒豆とコーヒーが実によく合うんだよね、これをパソコンも置いてある電気炬燵に運んでと、おっととっとと・・・

思えば、昔同居していた大叔母がとても掃除好きで、毎朝毎朝、部屋という部屋を柄の長い箒で掃き、その後いつも雑巾がけをしていたっけな。今の僕みたいに、ちょっと掃除の真似事をしただけで「ああしんど」と休んだ姿を見たことがない。確か午前中はずっと掃除をしていたように思う。
六十は過ぎていただろうか、元気でよくあんなに働けたものだ。
そうだよ。この床拭きだけでもかなりの重労働だよ。それを毎日日課にしてたんだから、そこらそん所のスポーツジムに通うよりよっぽどハードなトレーニングをこなしていたわけだ。きっとこれが元気の源だったんだよな。

目の前のパソコンに「拭き掃除」と入れ、検索したら、「クイックワイパー」という商品がやたら目についた。
そういえば僕も持っていたっけ。忘れていたなあ。どこかに仕舞い忘れたままだ。
便利だよね。長い柄のついたアルミ棒の先に化学洗剤のついた雑巾をセットし、床を拭きゃいいんだ。足腰を痛めることなく床掃除もできる。
そういえば電気洗濯機、掃除機、皿洗い機、みんなそうだよ、何もかもが実に便利で快適だ。
人を「苦痛」や「苦役」から解放することは決して悪いことではないし、そのためにいろんな戦いがあり、工夫があり、文化文明の発展があったわけだし、まだまだ解放しきれていないことだっていっぱいある。これから先、もっともっと便利で快適な世の中が実現していくんだろうな。
でも今日図らずも体験したこの「苦痛」は何だ。
日常生活の中でもっと体を使い、畑で鍬を振るような生活をしておれば自然と解消されていたこの苦痛は、大げさかもしれないが、これから発展していく文化、文明の裏返しを予感させるものを感じ取らせた。

何年前だったか、佐倉統という学者が出した『「便利」は人を不幸にする』という本のことを思い出したが、原発問題だってそうだ。
今日本ではこれからのエネルギー問題として原発の利用と廃棄で国論が二分している感じだが、一度手にした「原発」の便利さはその危険性をどんなに指摘しても手放せいない気がする。日本がではなくて世界が、人類が手放せないだろう。

さて、確か納戸にしまったはずのクイックワイパーを出して拭き掃除でも再開するか。

ぼくの時間、ぼくの寿命

さーてと、もう1月も今日でおしまいだ。
長かったなあ。
いつもそうなんだよなあ、1月は長いんだ。
月の途中で2月と勘違いして、あれあれっとどぎまぎしたこともあったけなあ。
どうしてなんだろう。
お正月があったりして、いつもとは違う生活がリズムを狂わせ、時の流れを堰き止めるからだろうか。
もしそうで、長生きしたかったら、どの月も非日常的であればいいということになるんだが。
のんべんだらりといつの間にか時が過ぎていく生活を送っていると早く年を取る気がする。
昨年もそうだった。1年が実に速かったなあ。あれよあれよと思っている間にもう12月だというのが実感だった。

今から20年ほど前に『ゾウの時間ネズミの時間』(本川達夫著)という新書版を面白く読んだことがある。
基本的には、生物の分野の動物のサイズに関する知見が語られている実に学術的な本だが、我々余人にとっては余談が面白かった。
ネズミ以上の哺乳類では心臓の拍動数が決まっていて大体15億回であり、1回にかかる拍動時間が普通のネズミは0.2秒、ネコで0.3秒、ウマで2秒、そしてゾウだと3秒かかるそうだ。
これを人間に当てはめてみると、1回心臓が打つ時間が大体1秒だから、1秒×1,500,000,000回÷3600秒(1時間)÷24時間(1日)÷365日(1年)≒47.5年ということになり、同じ計算でネズミが9.5年、ネコ14年、ウマ95年、ゾウ143年という結果になるが、ゾウで大体寿命が70年くらいといわれているからどうなんだろう。
気になるのは人間の寿命だが、生物学的には47.5年は妥当なところだろう。
縄文時代の日本人の平均寿命は24歳だといわれているそうだが、日本の近代だけを取ると、明治維新頃で32歳、大正で44歳、昭和25年で60歳、そして今や80歳であるから、近代からこっちの寿命の伸びは実に顕著であるわけだ。人間の寿命は生物学的な要因よりもっともっと多様な要因で決まるようだ。

さて、ネズミの9.5年がゾウの143年に相当し、縄文人の24歳が現代我々の80歳に相当するとすれば、ネズミや縄文人の時の流れは実に速く、ゾウや現代のわれわれの時の流れはゆったりとしたものだということになり、絶対時間では測れない相対時間があって、同じ1カ月、1年が自分の中でも違い、人によっても違うものになり、これが充実した生活、人生であったり、悔いの残る人生であったりするのかもしれない。
考えさせられるなあ。

さてと、2月3日は節分。恵方巻を準備して。梅便りもぼつぼつかな。

瓢箪はひょこりんたん

♪♪♪ 瓢箪の歌 ♪♪♪

気になってしょうがない歌がある。
うる覚えだが歌ってみたのが上の『瓢箪の歌』である。
歌詞は、

瓢箪は ひょこりんたん
月の夜更けに 夢を見る
何時か何処かで 何かをしたい
何って何さ 何処って何処さ
何時って何時だかわからない
わからないけど そんな夢
そんな夢見て ひょこりんたん

で、題名もわからないし、歌詞も旋律もうる覚えだが、未だに覚えているから不思議だ。
そして驚いたことには、これが今の時代なんですね。
「瓢箪がひょこりんたん」と検索してみたら、同じ思いの人がいるはいるは、YouTubeで歌っている人までいる。

皆さんの書き込みから、どうも昭和35年(1960年)前後にNHKで放映された子供番組の主題歌らしい。
4回しか放映されなかったらしいから、僕の記憶も大したものだと言ったら叱られるか。
そうじゃなくって、それほどぼくにはインパクトがあったということだ。
豊臣秀吉が日吉丸と呼ばれていたころ、夢を求めて天下を放浪する物語だったように記憶している。
実に素朴でちょっと寂しさの漂う、今歌ってもいい歌だなと思う。

NHKにも問い合わせた人もいるいるそうだが、NHKにも資料が残っていないそうだから、ほんの単発番組であったんだろう。
これを読んでいただいた人の中にも思い出していただける方がいればうれしいなあ。

遺伝子検査

「GeneLife2012」という遺伝子検査キッドが話題になっている。
「NHKスペシャル あなたは未来をどこまで知りたいですか~運命の遺伝子~」で取り上げられてからである。
29,800円でそのキッドを購入し、その中に入っている採取ケースに必要量の唾液を採取し発売元に送ると、2か月後の検査結果がメールで送られてくる。
36項目の検査内容が報告されていて、脳梗塞、心筋梗塞、2型糖尿病などの生活習慣病や、片頭痛、痛風、リウマチ、鼻炎アレルギーなど病気の発症リスクがわかるそうで、それ以外にも、免疫力や記憶力、アルコール耐性などの体質、身長や筋力の発達タイプによる運動能力などの特徴的な要素もわかるそうだ。
NHKスペシャルでは、俳優の平岳大がアメリカで1万円で手に入る同様のキッドを購入し検査すると、心房細動のリスクが標準の2倍あるという結果が出てショックを受けたり、アルツハイマーの発症確率が高いということに不安の表情を浮かべたりする場面があるが、まさに遺伝子検査はこれからますます広がる様相である。

1953年にアメリカのジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックによってDNAのB型二重らせん構造のモデルが示されて以来、半数体遺伝子が人ならば約31億個の、たったA,T,G,Cという4つの記号であらわされる塩基対で構成されていることが解明され、その遺伝子情報の解読に挑戦することになる。
当初は全情報を解読すること自体が無謀だとさえ思われたが、その後の科学技術の発展で解読可能性が高まり、1990年には15年先を目標にヒトゲノム解読計画が立てられ、1993年にアメリカ、イギリス、日本、フランス、ドイツ、中国を中核にした国際的協力のもと本格始動、その後のコンピュータやその周辺技術の発達と相まって、予定より早く2003年、ワトソン、クリックが予言してちょうど50年目にヒトの遺伝子情報がほぼ100%解読されたわけである。
そして驚くべきことに、こうして10余年かかったヒトゲノムの解読がシーケンス(並んだ順番にデータや手順を処理していくこと)技術の飛躍的発展で今や1日で可能になったのである。

その遺伝子解析技術を応用したキッドが売り出され話題を呼んでいるわけだが、医療現場においても、例えば肺がんであれば、DNAの塩基配列のある個所の通常CのところにAが入ってALK融合遺伝子ができるとその指令によってできるタンパク質はコントロールが利かなくなり、細胞の無制限な増殖つまり癌になる、だからこのたんぱく質を攻撃することによって細胞の癌化を防ぐことができるわけで、そういう薬を開発すればよく、実際、例えば「ザーコリ」という新薬はピンポイント薬剤として肺がん治療で一定の効果を上げている。
こうした医療分野における期待は実に大きいわけで、今までは手の付けようがなかった難病もやがて治癒できる可能性も出てきたわけだ。
しかし人間の欲望はそれだけにとどまらない。
ダイエットに使いたい、肌を白くしたい、何とかタバコをやめたいが、くらいならまだ可愛いが、知能指数の高い子を授かりたいとか、将来オリンピックに出られるようなアスリートに育てたい、世界一のピアニストにしたいが、ということにまで手を伸ばしたら、ちょっと待ってよということになる。
実際、中国では英才児を育てるために、どの才能が優れているかを知るために遺伝子検査キッドを購入する親が増えていたり、その会社までできているそうだ。それどころか遺伝子を組み替えることで理想通りの子供を育てたいという相談が絶えないとか。

そうそう、これなら他愛なくて面白そうですよ。
「祖先遺伝子検査キッド」というのがあって、現代の世界の人々はおよそ35人の母親の子孫で、日本人の95%はその中の9人に起源をもつそうで、それがわかるというキッドです。
どうですか。だから、みんな仲良くしなくちゃあ。
世界のみんなはこの35人のお母さんの子孫だし、われわれ日本人は9人のお母さんの子孫なんですからね。

恥の文化

 

「恥の文化(Shame culture)」とは、知られているように、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクト女史がその著『菊と刀(The Chrysanthemum and the Sword)』で、欧米の「罪の文化(Guilt culture〉」に対比して提示した日本の文化の型である。
名著の誉れ高い著書であり、それまで捕えがたい日本、日本人と思われてきた日本文化の特質を明確に描き出し、第二次世界大戦以後の占領軍による日本統治に寄与したと同時に、我々戦後日本人の心理形成にも大きな影響を与えたことは事実である。
確かに日本の諺や格言、慣用句には「恥」にかかわる警句や錬言は多く、いかに恥じることのない人生を全うするかはどんな日本人の心にも宿っている。
ベネディクト女史の観察及び指摘は根底に白人優越思想があって、宗教観、特にキリスト教の「Guilt」をバックボーンにした西欧の文化は自律的で正義を重んじ、「恥」を基調にした日本の文化は依存的で常に他人の目が価値判断の基準になると言って、「内面」重視の西欧人の規範が「外面」重視の日本人の規範に勝っているかのように言っている。

ところが今ここにきて、日本の「恥の文化」がその真価を発揮し始め、日本の文化が世界の注目を集めている。
「お・も・て・な・し」で際立った感のある日本人のホスピタリティのすばらしさをはじめ、文化、芸術、アニメ、食、職人芸、ありとあらゆる分野で日本の文化は世界に浸透しつつある。その根底になっているいるのが「人に恥ない」心意気である。
ベネディクト女史が指摘したように日本人は「他人の目」を気にするからこそ恥じないものを生み出しているのだ。
今人の目がなくとも、いずれ人の目に晒される、その時にも恥じないように気を配るのだ。
人が見ていないから手抜きをしようとか、骨休みをしようなんて考えはさらさらない。
人が見ていない時こそ自分を磨き、研さんに励み、もっと高みを極めたいと念じるのが日本人だ。
前のブログでも書いたが、この心意気は今に始まったことではない。日本人が古くから持ち合わせている気質なのである。
だからどんな職種、どんな分野にも達人がいるし、与えられた仕事に誇りを持ち、だれにも負けない技術と知識と経験を持ち合わせ心のよりどころにもしている。
一神教から生まれた自己規範は時には独りよがりに陥りやすい。自分だけが正しいと思い込み、自分こそが正義だと他を制圧する。
日本人にはそれがない。森羅万象なんでも神さんであり、仏さんで、どこかで自分を見守っている。変なことをできるはずがない。

日本は21世紀初頭からバブルのあおりで勢いをなくし、東北大震災に見舞われ、福島原発で類を見ない試練に立たされているが、なんだかやっと光明が見えてきたような気がする。
世界がいま大いに日本を気がかりにしている。チャンスだ。
紅葉の季節真っ盛りの今、外国人観光客が競って日本に押し寄せていると聞く。
どの国にも紅葉はあるそうだが、日本のあの真っ赤な色づきはどの国にもないそうだ。
今年の外国人観光客の数が初めて1000万人を越えそうだというが、それでもフランスの年間8000万にには遠く及ばない。
2020年東京オリンピックはまたとない機会。これを機に世界からもっともっと多くに人が来てくれるよう、日本をもっともっと美しく、居心地の良い国にしなければならない。
福島原発問題。韓国、中国との付き合い方。国内外の問題も山積しているが、何とかこれらを克服して、21世紀の輝かしい日本を築き上げたいものだ。