男女平等

世界経済フォーラム(WEF)による世界各国の男女平等の度合いを指数化した2012年版「ジェンダー・ギャップ指数」で、日本は135か国中101位だそうである。
この調査では、
1.経済活動の参加と機会・・・給与、参加レベル、専門職での雇用
2.教育・・・初等教育や高等・専門教育への就学の度合い
3.健康と生存・・・寿命の男女比
4.政治への関与・・・意思決定機関への参画
の4つの分野における男女格差を指標化して順位付けをしている。
日本は、
3.では女性の平均寿命が世界一であるから当然のこととして1位。
2.の分野では初等教育では識字率も含め1位であるが、高等・専門教育への就学率で男女格差が大きく50位前後に順位を下げ、
特に評価を下げた最大要因は経済界と政界への進出率が低いこと。特に管理職への登用(女性10%,男性90%)や議会への従事(女性9%,男性91%)において男女の格差が大きく、結果的には101位ということになるのだそうだ。

この「ジェンダー・ギャップ指数」には様々な批判もあり、別の国連調査では日本もかなり高順位に評価するものもあるから、この指標、評価をもって一部マスコミが騒ぎ立てるほど日本が男女平等後進国だと卑下することもないと思うのだが、日本の現状をあぶりだしているのも確かだ。

経済活動における男女平等は、1986年から施行された「男女雇用機会均等法」、さらに1997年の全面改訂を経て2007年の再改定でほぼ法的には整備され、後は具体的な企業の取り組みにかかっているが、管理職への登用となるとまだまだ先の先ということになり、政治への関与に関しては逆行現象さえ起こっている。
また1999年(平成11年)には「男女共同参画社会基本法」が制定され、男女が互いに人権を尊重しつつ、能力を十分に発揮できる男女共同参画社会の実現を目指し、家庭生活だけでなく、議会への参画や、その他の活動においての基本的平等を理念として、それに準じた責務を政府や地方自治体に求める法整備も行われた。

世界経済フォーラム(ダボス会議)がこうした男女格差の問題を取り上げるのも人権問題から取り上げているのではなく、女性の地位向上が経済の発展につながるという観点から取り上げているのであるが、それではGDP世界第3位の日本の101位はどう解釈していいのか迷うところだ。
この指摘を逆手にとれば、日本における男女格差がもっともっと縮まれば、GDP世界第3位はおろか1位に躍り出てもおかしくないということにもなる。
それはジョークとしても、男女格差が原因の一つにもなっている少子化問題も喫緊の課題で、国の債務残高1,000兆円は解消しえない、なぜなら、少子化による国力減退は避けられず、日本の国債に手を出すことは極めて危険だと真顔でいう外国人経済アナリストも少なからずいるほどだ。

国の発展史は一直線で、近代ではアメリカがその先頭を走り、どの国もその後を辿っているという歴史観がある。
世界経済フォーラムもこうした歴史観に立つものと思われ、指標の基準を統一して、その標準に世界の国々を誘導しようとする意図さえ感じて嫌だが、日本は国内においてもそう、どうも横並びが好きなところがあって、こういう指標を示されたらすぐその標準に合わせなければというところがあるような気がしてならない。
確かに男女不平等な点は様々な分野で見られることは事実で、男であれ女であれ不当な扱いに対しては毅然として排除、改善を進めていかなければならないが、長い歴史で切磋琢磨されてきた伝統に基づく文化の表象でもある男女の役割分担も必然性に裏打ちされたものがあるのではないだろうか。
中国のように唯我独尊的かたくなさも考えものだが、ともすれば国のアイデンティティを喪失しがちな日本もいただけない。

何はともあれ、これからの日本を思うとき、男と女で担うのだから、どちらもが生きやすい国にしていかなければ豊かで幸せな国にはならない。

TPP

 

TPP問題は実に難しい。
参加すべきかそうでないか、国論は真っ二つに分かれている印象だ。
我々一般の人間にとっては、どちらに与(くみ)すべきか、確かな知識を持って判断するにはあまりにも問題が多義にわたっているし、そのどれ一つをとっても専門性が高すぎて難しすぎる。
だからと言って、高みの見物を決め込んでいいかというと、そういうわけにはいかないし、いけないと思う。
民主主義の原点は、自分の持てる限りの判断材料で自分の意見を述べ、社会に参画していくことだ。
専門家の意見を聞き、できる限り多くの人の主張に耳を傾け、自分自身の主義主張を持つことは大切なことだ。
そうした一人一人の意見の集積が世論になり、国を動かしていくのだし、土台になる。

昔、岸信介という政治家がいた。
1960年安保のとき、「声なき声」に耳を傾けるのが政治家だというようなことを言ったが、彼の主義主張を超え強く印象に残った言葉だ。
ちなみに、1969年のニクソン演説でも「the great silent majority(物言わぬ多数派)」と言って、兵役を逃れんがためにヴェトナム反戦運動をする学生に対して使ったこの言葉も、岸の「声なき声」を引用したものだろう。
我々一般の人間は「声なき声」をあげ、「物言わぬ多数派」を形成してこそ国民だ。

TPPに参加すべし。これがぼくの意見だ。
おおざっぱなことしかわからない。
いろいろ自分なりに勉強もしたし、テレビ番組その他で政治家や専門家の意見を聞いては見たが、結局はよくわからない。
無責任な判断かもしれないが、賽の目を振ってみよう、メリットに一部の利ありという判断だ。

デメリットに重きを置く意見は、日本の弱点、短所がさらに助長され、国内的にも国際的にも立ち行かなくなるというような、保守的、保護的ニュアンスの強い意見だと思う。
それに比べて、メリットに重きを置く意見は、日本の強点(ぼくの造語;弱点の対義語が見当たらない)、長所を助長し、国内的には既得権益にしがみつこうとする勢力をぶっ壊し、国際社会に打って出ようとする勇ましさ(何と情緒的な表現!)がある。

下に掲げたTPP参加による「◆デメリット」、「◇メリット」は、「デメリット」を主張する「Hatena Diary」の「未知の楽園」から引用させてもらった。(http://d.hatena.ne.jp/rio_air/20111020/p1

**************************************
◆デメリット
1. 公的医療制度の崩壊。(手術・入院で数百万円・お金の無い人は治療が受けられなくなる。)
2. 生産性の低い正社員の大量リストラ・非正規雇用の増加。
3. 採算の合わない工場の海外移転加速とそれに伴う大量失業。
4. 公共事業の入札への外資参入による地方の経済疲弊。
5. エネルギー・放送・通信・鉄道・航空・貨物・武器等の基幹産業の企業を外資が買収可能になる。
6. 郵貯・簡保・共済を外資に買収され、その資金(数百兆円)の運用権を握られる。
o (その他の金融機関・保険会社も今以上に買収のリスクに晒される。)
7. (関税の撤廃による)第一次産業の衰退とそれに伴う失業と食料安全保障の危機。
8. 総GDPは効率化により増えるかもしれないが、経済格差や生活の質(特に医療面で)が悪化する可能性大。
◇メリット
1. 様々な分野での構造改革の起爆剤になる。
2. 外交上、アメリカとの関係がより緊密になる。(より強い隷属という形で。)
3. 海外進出を進める多国籍企業にとって大きなビジネスチャンスになる。
4. 労働市場において、本当の能力主義が育つ可能性が高くなる。
5. 外資のベンチャーキャピタル等から投資を受けて、新しい事業が生まれる可能性が増える。
6. 選挙を通じては成し得ない、様々な社会保障費(医療・介護)の削減を「外圧」を理由に断行できる。
7. 既に「社会の公器」という理念を忘れかけている電力・マスコミ業界を競争に晒して原点に立ち戻らせる。

原子力

12月16日の総選挙を控え、テレビをはじめとするマスコミは連日総選挙関連の報道番組一色である。
そんな中、米航空宇宙局(NASA)は3日、1977年に打ち上げられた無人探査機「ボイジャー1号」が、太陽系の果てに近い新たな領域に到達したというニュースが流れた。(http://www.cnn.co.jp/fringe/35025216.html)。
1977年といえば、1964年の東京オリンピック、同年の新幹線開通、1970年の大阪万博、その間1968年にはGDPが西ドイツを抜いて世界第二位に躍進というように、まさに日本の高度成長期を経て、1973年の第一次オイルショックで一時的落ち込みはあったものの、日本列島改造論が飛び出し、高度成長の余波が続いていたわけだ。
この高度成長を支えていたのがまさしく電気エネルギーで、その電気エネルギーも水力発電では追いつかず、エネルギー効率も良い石油、石炭を燃やしてできる火力発電が主力になってゆく。
日本列島改造論に合わせて、道路網・鉄道網の建設とともに火力発電所lの設置が急速に拡大してゆくわけだが、当初、原油価格は安く、石炭に比べればはるかにエネルギー効率の良いということで火力発電は原料をもっぱら石油に依存してゆく。
三池炭鉱、夕張炭鉱といった石炭炭鉱は次々と消えていき、もう石炭は見向きもされなくなる。
そんな中の第一次オイルショック、そして1979年の第二次オイルショック。
民族意識に目覚めた産油国は次々と原油価格を上げてゆく。エネルギー資源としても石油に大きく依存していた世界中がパニックに陥ったわけだ。
石油、石炭に依存しないエネルギー。
それまでにも原子爆弾のとてつもないエネルギーをなんとか平和利用できないかと研究開発を進めていた原子力エネルギー、日本もいち早く原子力エネルギー獲得を目指して原子力発電の開発に取り組むわけだが、オイルショックがさらに拍車をかけることになる。
1975年には官民一体になって今や原子炉の標準型になっている「軽水炉」の標準化に向けてスタートしてからは、国内のいたるところに原子力発電所が設置されていくわけだ。
さらにさらに拍車をかけたのが、深刻化する大気中の二酸化炭素増大による地球温暖化問題。
民主党政権に代わってすぐの2009年9月、鳩山首相が国連で、二酸化炭素を2020年までに1990年比で25%、2005年比で33.3%削減して地球温暖化を防ごうと提案、各国首脳から拍手をもって賛同されたわけだが、この時点で、建設中4、計画予定9、合わせて13の原子力発電所を新たに作ろうとしていたわけだ。
福島原発事故はこの原子力エネルギ―活用の継続を巡って大問題を提起した。
今回の総選挙でもこれは最重要な争点になっている。
今後の日本の行き先を左右する重要問題だ。

冒頭に「ボイジャー1号」のニュースを取り上げたのは、光の速さ(約30万キロメートル毎秒、つまり太陽から地球まで約8分20秒、月から地球は2秒もかからない速さ)で13時間もかかる距離にあるボイジャー1号から送られてくる信号の動力源が「原子力電池」であることに注目したからだ。
人間が獲得した叡智は、人類に多くの恩恵をもたらしたが、使い方を間違えば、多くの災害、被害、虐待ももたらした。
それは原子力という20世紀最大の発見だけではない。
原子力が生み出すエネルギーもうまく活用すれば、まだまだ人類に恩恵をもたらす気がするのだが、この考えは甘いのだろうか。

私信 ― 迷い ―

あなたが輝けば、土も輝きます
あなたが泣けば、土も泣きます
土のぬくもりは、あなたのぬくもりです
土に火(いのち)を与えると、あなたの炎(こころ)が躍ります

陶芸を始められたとか。
とっさに浮かんだ詩です。
女40、男もそうでしょうが、齢(よわい)40は確かに人生の岐路です。
それでも多くの男は迷いはあってもこれまでの道をたどって行くのでしょう。
夢はあっても、家族のこと、能力や財力を考えた時の夢の実現性、いろいろなことを斟酌すれば余りにもリスクが大きいし、確かな道を選んでしまうのも悪い選択ともいえません。
それに比べたら、女の道は複雑です。
子供がいたら、まだまだ手を離せない方も多いでしょうし、さればといって、このままで人生いいのかという自問と、自分探しに気が急く思いもわかります。
いい旦那がいて、仕事もあればまた話は別ですが、あなたのように、ある意味、境遇に恵まれ、何不自由ない生活を送ってきた人ほど、その迷いは深いと思います。
いっそう子供の教育に傾いていく人、外に仕事を見つけていく人、いろいろなことで結局旦那と折り合わず離婚に踏み切る人。実に様々です。
いずれの道をたどろうとも、結局は自分だけの道、平たんな道だけでは終わらないでしょうし、いばらの道だけではないはずです。
さしあたり、迷いの中に見出した陶芸は正解だと思います。
女40、迷いの情念と作り上げた土くれを窯に放り込み、しばしの間を取ることは大切です。
これはという作品ができたら是非見せてください。
楽しみにお待ちいたしております。

北斎展

11月3日文化の日にちなんでということではないが、大阪天王寺にある市立美術館で開催されている「北斎展」に足を運んだ。
目の前には通天閣が聳え立ち、大阪の下町中の下町とも言っていい「新世界」、その隣には東の山野と並び称せられるドヤ街大阪釜ヶ崎が目と鼻の先という立ち位置が、なんとも大阪のらしい大阪市立天王寺美術館なのである。
葛飾北斎といえば、世界に最も知られた日本人画家であり、ゴッホやモネその他西洋画家にも多大な影響を与え、ドビッシーの代表作「海」は北斎からインスピレーションを得て作曲されたというエピソードが語り伝えられていて、事実、1905年に出版されたスコアの表紙には、葛飾北斎の浮世絵である冨嶽三十六景「神奈川沖浪裏」が使用されているそうだ。
そのくらいの知識を携えての鑑賞と相成ったわけだが、実際に見た北斎は予想をはるかに超えるものだった。
どの作品もどの作品も、言われている構図の見事さは言うに及ばず、一部の隙もない完璧さで仕上げられていて、全体からみればごく一部でしかない登場人物の表情、所作、足遣い、邪道かもしれないが細部を余すところなく見たが、ただ唸るだけである。
しかもその作品数の膨大さと囚われるところのない自由闊達さ、ユーモアあふれる漫画から襟を正さざるを得ない作品まで、ち密でしかも魂を揺さぶるような伝達性はまさしく芸術一級品であることがぼくにもわかるような気がした。いくどか感動のあまりそっと目頭を押さえたことを告白しておく。
鑑賞順路半ばで疲れ果ててしまった。
うまい具合に図書室のような休憩場所があって腰を下ろしたわけだが、ふと、フェノロサと岡倉天心の顔が頭をよぎった。
明治維新の西洋崇拝と伝統文化の唾棄が吹きすさぶ中、仏像や浮世絵など様々な日本美術の美しさに心を奪われ、「日本では全国民が美的感覚を持ち、庭園の庵や置き物、日常用品、枝に止まる小鳥にも美を見出し、最下層の労働者さえ山水を愛で花を摘む」と日本人の感性の豊かさと芸術作品の秀逸性を訴え続けたフェノロサ、そしてその教えを守り実践活動をした天心。
また涙がこみあげてきて、休憩が休憩にならず、引っ張られるように次の展示室に向かった。

上海余話その二

中国の交通マナーの悪さと言おうか特異性はつとに有名である。
北京や上海と言った大都市圏ではさすがに規制も厳しくなって昔ほどのことはないが、中国をはじめて訪れた日本人ならそれでもびっくりするに違いない。
主要な交差点には最近は交通指導員がたくさん立っていて、ここだけは日本とあまり変わらないが、指導員のいない交差点では、歩行者はまず信号無視、自動車は横断中の歩行者がいてもまず止まらず、結構なスピードで突っ込んできて歩行者をかいくぐるようにして走り抜けていく。
正式の横断歩道を横断するのはまだいい方で、片道3車線4車線あるような幹線道路でもいたるところで人が横ぎっていく。車が車なら、人も人。
ある時こんなことがあった。
上海の裏町の一角で、人も車もいっぱいの交差点で横断歩道を渡ろうとしたとき、背後から左折車が突っ込んできたので危険を感じて立ち止まると、車は止まるどころかこれ幸いと前を走り抜けていく。渡り終わったところにはたまたま警察のパトカーがいてその横に警官が立って平気な顔でこちらを見ている。ちょっと腹が立ったので、その警官に、中国でも歩行者優先の交通法規があるはずだが注意しないのか、と咎めると、「私はそんな専門的なことは知らない。命が惜しければここのルールに従いなさい。」。もうあきれ返って二の句も次げなかった。
またこんなこともあった。これは中国に行かれる皆さんには是非注意していただきたい。
上海駅のすぐ南に天目西路という幹線道路があってたくさんの人が渡る横断歩道がある。
ここで信号待ちをしていたんだが、歩行者道路の向こうからは何台ものモーターバイクが走ってくる。中国ではこうして歩行者道路をバイクが走っている光景はよく見る光景で、さほど気にも留めていなかったんだが、突然右手にしていた旅行用のキャリーバッグがバイクに引っかけられ転倒、キャリーバッグを離さなかったものだからそのまま数メートルは引きずられたであろうか、運よく女性運転のそのバイクから外れて事なきを得たわけだが、ここでもまた怒り心頭。
というのも、すぐそばに警官が立っていて、立ち上がったぼくを見てニヤニヤ笑っている。本当なら、ちょっとした交通事故なんだからニヤニヤ笑っている場合ではないだろうに、まったくこん畜生ったらありゃしない!
これには後日談があって、このことを西安にいる友人に話したところ、上海では少ないが地方ではしょっちゅう起こる犯罪で、バイクの下に引っかける金具を取り付け、ぼくのようにボーっと立っている旅行者を狙らう「引っかけ引き」ならぬ一種の置き引き犯罪だということだそうで、またまたあの警官はいったい警官なのか、と怒髪天を衝いた次第である。
まだまだこれだけではない。
中国、良くも悪しくも、過去からずーっと関わってきた国であり、これからも関わっていかなければならない国である。
交通事情一つをとってもこと左様に、こちらの常識では測れないカオスの国なのである。

[youtube]https://www.youtube.com/watch?v=S2qPhlWkVQ4[/youtube]

 

上海余話

オスプレイの沖縄配備問題に揺れている日本。
ふと中国上海での日常で思い出したことがある。
上海と言えば中国第二の大都市。とはいっても人口で比較すれば、北京は約1700万人に対して上海は2100万人だから、経済規模の点からいっても中国ナンバー・ワンの都市だと言っても差支えない。
ちなみに東京地域の総人口は3700万人で傑出して世界ナンバー・ワンというから、中国との人口比較からしても、いかに東京が人口密集地帯であり、これからの日本を考える際に極めて重大な問題を抱えていることを知るべきである。
その上海にいて、いつも気になっていたことがある。
毎朝10時くらいだろうか、夕方にもあったような気がするが、上海の北西方面からジェット戦闘機が2機、轟音を轟かせながら、極めて低空で上海上空を2回か3回大きく旋回するのである。
それだけではない。月に1回くらいだったように思うが、真夜中に同じような旋回飛行がある。ジェット機のヘッドライトが窓に飛び込むこともあり、安眠妨害も甚だしい。
日本ではまったく体験しなかったし、語られていない光景で、慄然とする思いと、これをどう考えたらよいのか、いろいろと自分なりに推測したものである。
常識的には訓練飛行なんだろうが、あの広い中国だ、何もこんな大都市のど真ん中でやらなきゃならない必然性もない。
常在戦場を上海市民にも自覚させる政府の意図なのか、それとも、ともすれば北京政府を脅かしかねない上海勢力に対する威圧行為なのか、その辺のことは専門家ではないぼくにはわからない。
いずれにしろ、こんな大都会の上空をジェット戦闘機が毎日飛び交っている中国とオスプレイ問題に揺れる日本。
何をもって比較対照すべきか、実に難しい問題であるが、自分が垣間見た中国に対峙していかねばならないことは事実で、政治家をはじめとして、日本国民全体ももっと自覚を新たにしなければならない。

ミステリーサークル


〔クリックで拡大画像〕

写真は奄美大島沖の海底で発見された謎のミステリー・サークルである。
実に見事な幾何学的模様は人工物としか考えられない。
古代遺跡? ダイバーのいたずら? はては宇宙人の遺物?
いずれにしろ自然の造形とはとても考えられない模様だ。
奄美大島在住のベテラン・ダイバーが最近時々見受けるということでNHKに持ち込まれ、日曜午後7:30からの人気番組「ダーウィンが来た」のスタッフが調査することになった。
水中スクーターをはじめ、NHKお得意の最新撮影機材を持ち込んでの調査が始まった。
なるほど、水深25メートルあたりの砂地にいくつか同じ模様が発見され、どれも砂でできた模様だから古代遺跡ではない。ダイバーのいたずらなら調査に及ばずともすぐにわかるはず。
ということで、いくつかのサークルの内、まだ判然とはしていないがかすかな痕跡があるサークルに水中カメラを設置し観察が始まった。
しばらく待つうち現れたのが体長6㎝足らずのシッポウフグらしきフグ(後にどうも新種らしいということが判明)で、尾びれ、腹びれ、胸びれを巧みに使いこなしながら模様を形作っていくではないか。
直径2メートルくらいの円はほぼ真円で、真ん中の平らな円の周りには山並みのような模様が刻まれ、そこには貝殻のかけらを積み重ねられている。
この小さなフグがたった一匹でよくもこんなにどでかく、精巧極まりない造形をなせるものだとまず感服。
ほぼ完成したころ、どこからともなく現れたのはお腹の大きいメスフグらしい。
あちらこちら見回った後、またどこへともなく姿を消した。オスフグはその後もせっせとメンテナンスに忙しい。
やがてどのくらい経ったのか、例のメスフグがお腹を一回り大きくしてやってきて、しばらくオスフグとランデブーした後、安心した様子で産卵を始める。
潮流の激しいところらしく、もしこのサークル内に産卵しなければ、たちどころに卵はどこかに流され、ほかの魚の餌食になる。サークル内に産み落とされた卵は流されてもせいぜい周りの山並みに引っ掛かり、サークルの外には流れ出ない。(わざわざ東大でその実験をやっていたから面白い)
山並みに積まれた貝殻の破片も伊達におかれたわけではなく、酸素を多く含んだ新鮮な水流を捕捉し、卵の生育に寄与するとか。
卵は数日で孵化し、2㎜にも満たない無数の幼魚が体の半分以上もある目を輝かせながら波間に漂っていく。
もう感動以外の何物でもない。
生きとし生けるもの、すべて精一杯の「生の営み」を繰り返しながら種を保存していくのだろうが、これをこのように目の当たりにすると、
これはもう神のしわざとしか言いようのない感動と崇高な気分にひたるのであった。

歴史は繰り返す― History repeats itself ―

今では人口に膾炙した言葉であるが、元は古代ローマの歴史家クルティウス・ルフスの言葉「History repeats itself.」を翻訳した言葉である。
いつの時代も人間の本質に変わりはなく、過去にあったこと、起こったことはまた後の時代にも繰り返して起きるということを意味する。
第二次世界大戦が史上最大の戦争で、全世界で約6000万人、アジアで約2000万人にのぼる犠牲者を出し、過去の戦争に比べ一般市民の犠牲が多数に上ったことが特徴である。
特に我が国は原子爆弾により一瞬にして広島12万人強、長崎7万人強の犠牲者を出し、被爆後5年間を合わせれば広島20万人、長崎14万人というとてつもない犠牲者を出したのである。
その25年前に起こった第一次世界大戦が、犠牲者数2600万人に上り、16世紀以降の主な戦争の犠牲者数で最も多かったフランス革命/ナポレオン戦争(1789年)における死者数490万人のおよそ5倍は、世界の多くの人たちに近代戦争の恐ろしさと悲惨さを知らしめ、もう二度とこういう戦争は起こしてはならないと警鐘を鳴らした矢先の第二次世界大戦であったわけだ。
そして、第二次世界大戦以降今日に至るまでに世界で起こった地域戦争・紛争の数はもう100をはるかに超えているのである。まさに「歴史は繰り返す」である。
尖閣諸島問題、竹島問題、北方領土問題、日本を取り巻く国際環境はますます厳しくなりつつあるが、果たして日本国民の中にどれだけの認識と自覚があるのかと考えれば鳥肌が立つ。
世界で冠たる平和憲法を保持し、徹底した平和教育が施され、日本は世界ではまれな「お坊ちゃん国家」、「お嬢ちゃん国家」になってしまったような感がある。
「平和ボケ」と自虐的には言うけれどどれほどの危機感を持っての言葉なのか、やることなすことは言った本人もそうだし、国中あげて温泉で鼻歌状態である。
日本の世界ではなく、世界の日本を見る目をもっともっと養わなければ、太平洋戦争がそうであったように、いつの間にか戦争に巻き込まれ、「歴史を繰りかす」を実証して見せかねない。
尖閣諸島問題に限っても、資源問題、漁業問題に矮小化されているが、極めて国家戦略的、軍事側面的な問題であり、中国はいつか本格的に尖閣奪取に乗り出してくること必然のような気がする。
日本には自衛隊という生半可な名前の軍隊があるが、日本国民はどれだけその実態と果たすべき役割を知っているであろうか。
第二次世界大戦のトラウマからいまだ脱していない日本は、軍事ということには目をそむけ、「平和」という言葉にかまけ、自己欺瞞に陥ってはいないだろうか。