西に連なる讃岐の連山はそれほど高くない。だから日が落ちてもすぐに暗くはならず、まさに暮れなずむという形容がぴったしだ。
それでも下に見える集落は谷あいにあるせいか、夜のとばりが降り始め、ポツリポツリと家の明かりが灯り始める。
夕餉の支度か、それとも薪焚く風呂の煙か、青白い煙が緩やかに漂っている。
ぼくはこの光景が大好きだ。
いくつのころだったか、母に連れられ、物心ついてはじめて母の実家を訪れたとき、高みにある家の縁側から見た今と同じ光景が幼心に強く焼けつき、街中にいても日が落ちるとすぐにこの光景が目に浮かぶということがよくあった。
一日の仕事を終え、お風呂につかり、夕餉を囲む家族の幸せが、遠く離れた谷あいの家からも伝わってきたからに違いない。
仕事を終えた後はネオン輝く夜の街に繰り出し、塾通いの子供たちが右往左往する都会生活とは大違いだ。
それだけではない。ぼくが大好きな光景もきっと多く残っていたに違いない東北の山村は、今や無残にもその片鱗さえ残っていない。
人間のなせる業とはいえ、まさに悪魔の業だ。
自然が傷めたのではない。人間が人間を傷めたのである。
地震、水害、台風、日本人は自然災害には従容として立ち向かっていったし、立ち向かっていくことができた。
諦観からかもしれない。運命と思ったからかもしれない。
いや、それ以上に自然から被る恩恵のほうがはるかに多いことを知っているからだ。
しかし今回の災害は違う。
強欲で世故にだけ長けた一部の指導者たちによってもたらされた災害である。人災である。
夕餉を囲む明かりが一つも灯っていないあの山村には漆黒の闇が覆うばかりだ。
暮れなずむ山あいに見るこの幸せが、東北にも再生する日が来るのだろうか。
どうか来てくれと祈るばかりだ。
親の身勝手
子供受難の時代である。
出生からして喜ばれず、幼児には虐待を受け、学齢期になれば過酷な勉強を強いられ、セクハラにさらされ、全体からすれば少数なんだろうが、今の時代まさに子供受難の時代である。
どれにも共通しているのは、親の身勝手、大人たちの身勝手から生じていることである。
犯罪性を帯びた事例だけではない。身近にもいくらでもそんな事例はある。
たとえば離婚と親権にまつわる事例。
3年ほど前のことだが、アメリカ人男性が、離婚した日本人女性が共同親権を無視して子供を連れて帰国したのでそれを追って来日、子供を連れ戻そうとしたが「誘拐犯」で逮捕され、日米の外交問題にも発展した事件があった(http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2009/09/post-59.php)。
国際結婚が増え、それとともの離婚も増える中、離婚に際して親権を定め、親権を持たない親には面接権を保障し、養育費の支払いに強制力をはたらかせなくてはならない。その場合、子供の人権を守るために関係国が協力して、離婚調停の結果を履行させるために「ハーグ条約」を定め、多くの国がこれを批准してる。
ところが日本はこの条約を批准していなくて、子供が双方の親を行き来する共同親権という概念すらない。どちらか一方が親権を持つという単独親権である。
親権を持たず養育費をきちんと払っていても面接権は保証の限りではなく、養育費の支払いも「差し押さえ」のような強制力もないのが日本の現状だ。
上の事件ははしなくもこうした子供に対する日本とアメリカの親権意識の行き違いから起こった事件である。
そもそも離婚に際していちばんの被害者は子供たちなのである。
親は勝手だ。好きで一緒になり、嫌いだから別れる。もとをただせば他人同士なんだからそれでいいだろう。子供はそうはいかない。
母親のもとに引き取られようが、父親のもとで育てられようが、母親は母親だし、父親は父親だ。物理的に離されても心は離れられない。親たちの別れ方とは違うんだ。
だから世界の多くに国では共同親権という考えのもと、子供は自由に母親を訪ね、父親を訪ねられる制度になっている。年端のいかない幼児だって同じだ。母恋しいし、父恋しい。子供と引き離された親も同じだ。
そんな子供の心情なんてこれっぽちも考慮されていないのが日本の親権制度であり、さらに困ったことには、子供を自分の所有物と勘違いしている親たちや爺さん婆さんたちがいる。
子供たちがどんな寂しい思いをして育っていくんだろう。そんなことを考えたことがあるんだろうか。
統計によると、離婚して養育費を払っているケースは20%にも満たないし、養育費を払っていても(多くの場合父親なんだが)子供に合わせないため、国の救済は当てにならず面接権を求めて全国規模の組織がいくつもあるそうだ。全部親の身勝手から生じたこと。
日本も早く共同親権を制度化し、「ハーグ条約」を批准すべきだ。
このままでは子供受難の時代はまだまだ続く。
未来都市 ― ヒントは「道」 ―
もう1か月以上前になるが、京都府亀岡市で小学校へ登校中の児童と引率の保護者の列に軽自動車が突っ込み、計10人がはねられて3人が死亡、7人が重軽傷を負うという痛ましい事故があった。原因は居眠り運転とみられ、軽自動車を運転していた少年(18歳)は無免許運転であったという。
テレビや新聞でも大きく取り上げられ、原因が「居眠り運転」でしかも「無免許」というから、起こるべくして起こった事故としてその原因に多くの人が納得したに違いない。
しかし果たしてそれだけが原因であろうか。
テレビの実況中継を見ていて、曲がりくねった幅の狭い府道に白線を引いてあるだけでガードレールもない、あれでは「居眠り運転」で「無免許」でなくても死亡事故が起こってもおかしくはないとつくづく思った。
学童が登下校するというのになぜガードレールを設けなかったのか。さらに踏み込んでなぜあんな細い道に自動車を通すのか。このことを考えてみたときに、また「道」の果たす役割を考えてみないわけにはいかなくなった。またといったのは、このブログでも何度か「道」について書いたことがあったからだ。
20世紀を特徴づける事例は数え上げたらきりがないが、その一つが「車社会」の誕生であろう。
自動車の歴史をさかのぼれば18世紀末の蒸気自動車が始まりで、大衆化し一般社会にも普及しだしたのは20世紀初頭のフォードからだと言われている。
それ以来アメリカはもちろんの事、全ヨーロッパそして日本も急速に車社会に発展していったわけだ。
高級車が走り、大衆車が走り、道という道はそのためにどんどん舗装され、高速道路が網の目のように張り巡らされ、今や中国をはじめとする新興国の参入で全世界が車であふれかえる社会に変貌した。
さて問題はここからだ。
車の普及は確かに世の中を便利にし、物流は活発化し、老若男女車に乗れば日本の隅々まで行けるようになったわけだが、特に都会の社会生活は一変した。
学校から帰ってきた子供たちであふれかえった道。近所の奥さんやおばちゃん、おっちゃん達が立ち話をしていた道。夏の夜ともなれば床几を持ち出して夕涼みをした道。もうそんな道はどこにもない。
道という道に自動車があふれ、歩くのにも神経を使い、排ガスで空気は濁り、道で子供たちが遊ぶことなんてもってのほかだ。
人と人のいちばんの交流の場であった道が交流を分断する道、公害をまき散らす道に変わってしまい、それぞれが隔離された生活を余儀なくされてしまった。
学校から帰った子供たちは塾やおけいこごとに向かい、大人たちは買い物、遠出以外は家にこもってテレビを見、昔のようにちょっと外に出てみるということはなくなった。出るとしたらまたこれが車である。
車の出現によって「道」が車に独占され、人の行き来さえままならなくなった「道」が地域コミュニティを崩壊したと言っても過言ではない。
いったいこの変化からもたらされたものは何だろう。ここで言い出したらきりがないが、あまりにも負の側面が大きいことは確かだ。
冒頭で取り上げた交通事故は言うに及ばず、今問題になっている様々な社会現象、これらすべてがあまりにも車中心になってしまい、「道」の本来的意義を見失ってしまった結果だと断言したい。
ならどうすればいい?
昔の「道」に戻せばいい。ノスタルジアでもなんでもない。車を捨てるわけでもない。夢物語でもない。
車中心の社会構造を変えればいい。意識を変えればいいんだ。
都会には、車の全く通らない道、車だけが通る道、これを二分すればいい。車ばかりが便利な道ではなく、人にも便利で安心できる道を作ればいい。
家ごとに、会社ごとに駐車場を設けるから不便を感じるわけで、地域ごとに共同駐車場を設ければいいし、車の使い勝手も工夫すればいい。いくらでも考えられる。
もう長くなったのでこの辺りで話は終わりたいが、夢はどんどん広がってゆく。
20世紀は車中心に「道」を考えてきたが、21世紀は人間中心の「道」を復活していくことだ。そうすれば日本はもっともっと豊かな国になる。
妓王の事
♪♪♪ 嵯峨野さやさや (オペラ岸さんの作品です)♪♪♪
HKの大河ドラマ「平清盛」の人気がもう一つということだそうだ。ぼくも最初の何回かは見たが、長続きしなかった。
清盛人気にあやかろうと目論んでいた兵庫県知事が「画面が汚い」とクレームをつけ問題になったそうだが、確かにあの煙った画面を見ていると息苦しくなってくる。俳優たちの健康も気になってしようがなかった。 NHKは「当時の空気感を出している」と反論したそうだが、史実に基づいた時代考証も大切なことはわかるが、あの空気感がこのドラマに果たしてどれだけプラス効果を出しているのかはなはだ疑問だ。
平清盛といえば「平家物語」だが、「平家物語」には読んでいてももっと清澄感がある。
「祇園精舎の鐘のこえ、諸行無常のひびきあり」で始まる格調高い文章に初めて接した時の感動は今でも覚えている。なるほど琵琶弾きで語られた様に文章にもリズムがあり、流れる文章の中に哀感漂う「無常観」が自然と伝わってきた。ぼくのその後の人生観にも大きな影響を与えたであろうし、ぼくだけでなく、おそらく日本人の精神世界の中核になっているのではなかろうか。
東北大震災に示され、世界に賞賛された日本人の言動や行動様式もおそらく「平家物語」に流れる日本人特有の「無常観」とは無縁ではあるまい。
この間もあるテレビのクイズ番組で、「平家物語と同じジャンルはどれですか?」と問い、答えに「源氏物語、伊勢物語、栄花物語、太平記、方丈記」が用意され、「平家物語」は軍記物語だから正解は「太平記」というのがあった。 高校なんかの文学史でもそう習ったわけだが、「平家物語」は決してそんなジャンルにとどまる物語ではない。 生死をかけた戦の中に描かれた様々な男たちの人間模様もさることながら、見出しに挙げた「祇王の事」、さらに「小督の事」、祇園女御の事」、「横笛の事」といった女性にまつわる物語は数は少なくとも、この「平家物語」に言いようのない彩りを添えている。
京都嵯峨野にはこうした「平家物語」ゆかりの場所はたくさんあるが、やはり「祇王寺」が何度行っても心洗われる。
はじめ清盛に寵愛された妓王、妓女も、仏(御前)が現れるや手の平を返した仕打ちを受け、寵愛を受ける真っ只中の仏御前も明日は我が身と、すでに出家し今の祇王寺あたりに庵を構える妓王、妓女を頼って尼になるという物語は、能・狂言でもその花といわれるほど有名である。
大河ドラマ「平清盛」ではこの辺りをどう描くのか楽しみだが、そのあたりの場面ではあの煙りをぜひ取ってもらいたい。
金環日食の日
☆★☆ 金環日食 ☆★☆
金環日食が近々あることは知っていた。という程度の関心しかなかった。
連日テレビで取り上げられ、大騒ぎになっているので、知らずとも知ることになるわけだが、だからと言って、いついっか、何時に起こることやら、まったくと言っていいほど予備知識もなかった。
金環日食がどういう現象で、どうして起こり、なぜ「金環」なのかも、いろんな写真を見ていたので知っていたから、ことあらためて見たいという願望もなかったのだろう。
5月21日月曜日のあさ7時少し前、犬の散歩に出かけようとしていたら、点けているテレビからまた金環日食のことが出ていて、今日あさ7時から8時にかけて見られるという。金環食は関西地方だと7時半少し前だそうだ。
せっかくだから、濃いめのサングラスをかけて外に出た。
快晴だ。先々週に植えられた稲の苗がみるみる育っている。向こうの山は、新緑に輝く広葉樹林の中に幾何学模様を描くくすんだ杉林が嫌なコントラストをなしている。
さっそくサングラス越しにちらっと太陽を見たんだが、ただ眩しいだけで普段の太陽と全く変わらない。時計を見ると7時15分だから、太陽も相当欠けているはずなんだが、眩しいのなんの。こりゃダメだ。テレビでも、直接見ないよう注意していたので、ほんの瞬間にしか見ないんだが、強烈な光線だ。
やがて時刻は7時29分、金環食になっていて、太陽は最大食分(欠ける大きさの割合)は約0.97、面積でいうと90%近く隠れているそうだが、あたりは少し暗くなったかなという程度で、普段の快晴の日とほとんど変わらない。太陽って、こんなに明るいんだ!感動。
結局、金環日食の「き」も観測できなかったわけで、当然といえば当然。人に話しても笑われるだけだ。
ただ一つ、
砂浜の砂に映った自分の影に縁取りがされていて、はじめ乱視が進んだのかなと思ったことが、これも金環食で起きる現象だとか。
間接的にではあるが、世紀の金環日食に触れられたわけで、いつの間にかみなの仲間入りに相成ったという次第。
写真俳句(写俳)
★☆★ まほろば俳句会 ★☆★
世界最短の歌曲ってご存知だろうか。
Alone Alone Alone
という、たった3小節の歌曲である。
作詞作曲者がなんとあのベートーベンとお聞きになったら、なおさら驚かれるに違いない。
とは言ったはものの、昔むかーし、何かの本にそう紹介されていて強く印象に残り、いまだにぼくは信じているんだが、本当でしょうかね。
俳句もそうで、これも最短の詩である。
一時、前衛的な同人誌に、ページをめくってみたら何も書いていなくて真っ白けとか、「。」だけというような人を食ったというか、そんな詩(?)があったが、こんなのは論外として、世界広しといえども俳句ほど短い詩はない。
逆に世界最長の詩はと調べてみたら、チベットに「ケサル王伝」という叙事詩があって、なんとその単語数2000万語というから、五七五、17音という数え方をしたら、1億音は軽く超すことになる。
「詩」というジャンルでくくってしまえばなるほど同じ詩かもしれないが、叙事詩と抒情詩、俳句は抒情詩に分けられると思うが、似て非なるものであって、共通項は散文と違って韻律があるということだろう。
小説なども「言い尽くそう」とするから、いろんなお膳立てがいるし、一見本筋とは何の関係もない事細かい情景描写も必要で、こうしたお膳立てや情景描写が上手いか下手かで、小説の良し悪しをを左右するから無駄ではない。
しかし短歌や俳句は、できる限り無駄な言葉はそぎ落とし、たった31音や17音で情景や抒情を描き出そうとするのであるが、これは作り手の側からすればやはり無理があるのであって、究極「言いおほせて何かある」の境地に立ち、聞き手の側の直観力と想像力に頼らざるを得なくなる。
最近、知らなかったんだが、写真俳句、つづめて「写俳」というのがあるそうだ。
ぼくも、外に出るときは必ずiphoneを持ち歩くものだから、ちょっと気になった光景や花を写真に撮り、その時浮かんだ俳句を添えてTwitterにそれこそTwitterすることがよくあり、知らず知らずのうちに写真俳句の愛好者になっていたわけだ。
これだと、五七五、17音で伝えたい光景なり感動を言葉と画像で表現でき、言葉だけでは伝えきれないもどかしさを多少は軽減できる。
そういえば昔から「俳画」なるものがあった。南画の画家でもある与謝蕪村がその始祖らしいが、画が俳句を生かし、俳句が画を生かす。まさに言葉の芸術と絵画の芸術がコラボレートしたわけだ。
写真俳句は「俳画」の現代版ということになるのか。
ともかく、20世紀後半から始まったIT革命は、生活の隅々にまでいきわたり、芸術分野にも様々な革命をもたらしている。
俳句の世界にも「写真俳句」といった新しいジャンルが生まれてもおかしくはないし、今後ますます盛んになっていく気がする。
言いおほせて何かある
蕉門十哲第一の門弟、基角の句集にある、
下臥(したぶし)につかみ分けばやいとざくら
について去来が、「いと桜の十分に咲きたる形容、よく言ひおほせたるに侍らずや」(糸桜が華やかに咲き誇ったさまを言い尽くしたもの)と評したところ、芭蕉は言下に、「言ひおほせて何かある」(ものごと言い尽くしてしまえば、後に何が残ろうか)と言い放つ。これを聞いた去来は、「ここにおいて肝に銘ずる事あり。初めて発句に成るべき事と、成るまじき事を知れり。」と感嘆する。
実に興味深い対話であり、芭蕉の俳句の真髄をあらわした言葉である。
無駄をそぎ落とした五七五、十七音で表わした世界に無限の広がりを求めた芭蕉の句には、いたるところにその思想が読み取れる。
閑さや岩にしみ入る蝉の声
これほど閑寂をあらわした芸術作品はない。
奥の細道の道すがら、梅雨が明け、真夏の陽光がさし始めたころ、山形県立石寺の境内は人
影もなく、ニイニイゼミだけが夏の到来を告げるかのように、あたり一面に鳴きたてている。巨岩に囲まれたお寺はまるで大きなシンフォニーホールであったに違いない。その巨岩にも浸み込むほどの大音量こそがその背後の静寂を芭蕉の心に呼び起し、この句に結実したのではあるまいか。
「句は七八分にいひつめてはけやけし(くどい)。五六分の句はいつまでも聞きあかず」
とも、芭蕉は言う。
言い尽くしても言い尽くすことができないもどかしさは誰もが一度は体験することだ。それならいっそのこと言いつくすことは諦めて、もっとも端的な言葉で相手の魂に触れるしかない。無駄のない、誤解も生じないほど端的な言葉で。あとは相手の心の琴線に共鳴を呼び起こす方に掛けたのだ。
世界で最短の詩という俳句もそうして生まれた。
なにも芭蕉に始まったことではない。余情、余韻に重きを置く考えは日本文化の根底に流れる美学であり、日本人の心に染みついた感覚である。
こうした日本人独特の感覚が何に由来するのか。言語学的にはどうなのか。心理学的に見てどう見えるのか。また政治、経済、法律の面にどういう影響を及ぼしているのか。さらにこのグローバル化した国際社会における日本の意思決定の際にそれが吉と出ているのか凶と出ているのか。自身興味が尽きないし、若い学徒にも是非とも取り組んでいただきたいテーマである。
願わくは
いよいよ桜も佳境に入った。
Mixiのマイミクさんである「吾輩は三毛猫です」さんからは、もう1カ月ほど前から静岡の桜情報が届けられ、静岡ってそんなに暖っかいのかなあと、日本地図を見直しもした。
Yahoo!のホームページの「天気」サイトに「お花見特集2012」が出ていて、その「全国のお花見スポット」はこの時期になると毎日のように見ているが、先週の4月5日くらいだったか、「大阪」版21件中、満開はたしか1件か2件だったのが、1週間もたたない4月11日はもう17件、大阪もほとんどが満開になった。
あれほど、今年の桜は開花が遅れると言っていたのが嘘みたいだ。
念のため去年のアルバムを見てみたら、同じ4月11日に、京都の衣笠街道沿いの金閣寺、竜安寺、仁和寺、そして嵐山を辿っていて、どこも桜が満開である。
今日12日も、用事があって車で外に出たんだが、いたるところに桜が咲いていて、ちょっとしたところにも「おおっ!」という景観によく出くわした。普段は何でもないところも、桜が咲けば一流のお花見スポットだ。
それでも人はやはり名所に繰り出す。
もちろん桜もお目当てなんだろうが、そこに群れくる他人との対話なき交流が楽しみなんだろうとも思う。
友人、知人、肉親から恋人まで会話を楽しみながらの桜見物はもちろん多いんだろうが、根底には、むしろ赤の他人が群れ来て、すれ違い、表情をうかがい、歓声を聞き、しばし同じ景観に見とれ、そこから生まれる連帯感と安心感が心に言い知れぬ悦びと満足感を与えるからに違いない。
花見んと群れつつ人の来るのみぞあたら桜の咎(とが)にはありける
と詠った詩人西行は、群れくる花見の客を厭い、庵の八方に花見禁制のお札を立てたとか。
人の心をかき乱すのは桜、お前じゃないかと、老桜に愚痴を垂らす西行こそいちばん桜に狂っていたわけだが、その老いた桜の化身に、桜はただ咲くだけのもので、咎などあるわけがない、煩わしいと思うのも人の心だ、と諭され目が覚めるという世阿弥の能楽「西行桜」は、心なき身、つまり出家して世俗的な情趣にも心動かされることのない身でありながら、いまだに桜に心動かす生な西行を皮肉ったとも取れなくもない。
願わくは花のもとにて春死なん そのきさらぎの望月の頃
辞世の句と言ってもいいこの句通りに本懐を遂げた西行は、桜とは切っても切れない詩人になった。
釈迦入滅の日を意識した「その」には出家遁世した最後の願望が感じ取れるが、清盛との出会い、待賢門院とのなさぬ仲、白河院と鳥羽上皇そして崇徳院と後白河、乱世と世俗の極みに身を置いた西行が、桜に浄土を見たのもおかしくはない。
そんな思いで、河内の山ふところにある西行入滅の地、弘川寺を訪れると、ここも桜はもう満開だった。
春まだき
「春まだき」は造語だそうだ。「朝まだき」という使い方はあっても「春まだき」という使い方はないという。まあしかしいいだろう。
3週間前には2、30cmも雪が積もって、車の屋根の雪かきで汗をかいたのに、静岡ではもう早咲きの桜が咲いたという。
今年は寒さが厳しく、大阪では大阪城の梅が3月1日に開花宣言が出て、例年に比べて19日遅れだそうだ。
梅が2月、桃が3月、桜が4月と言われるからなるほど遅い。
琵琶湖畔にある我が家の近くにも梅、桃、桜があり、沈丁花も植わっているが、漂ってくるのは梅の香ばかりで、沈丁花のかぐわしい香りは聞こえてこないし、桃がやや、桜はまだまだ蕾は堅い。
「はーるよこい、はーるよこい」という歌がいつもこのころになると耳の奥から聞こえてくるが、相馬御風作詞、弘田龍太郎作曲のこの童謡は「おうちの前の桃の木の 蕾もみんなふくらんで」と歌い、松任谷由美の「春よ、来い」は「いとし面影の沈丁花 あふるる涙のつぼみから」と歌っていて、誰もが今か今かと春を待ち焦がれている。
重く沈んだ雪景色は水墨画にぴったりだし、梅が咲き、桃が咲き、桜も咲けばもう濃絵の世界だ。
春夏秋冬、時折々の景色が人の心に浸み込み、耐えること、弾けること、闘うこと、想うことに人をいざない、そして様々な情念を生み出してきた。
ほんとうに日本はいい国だ。
リメンバー311
ドイツ国営テレビ放送ZDF『福島の嘘』
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=ln9A4wHteiU&feature=related[/youtube]
ちょうど買い物からの帰り、車に乗っていたんだが、突然 iphoneアプリの「ゆれくるコール」のサイン音が鳴った。間もなくカーラジオから同じサイン音が流れ、「ただ今東北地方でかなり強い地震が起きました。沿岸部のみなさんは津波のご注意ください。」と言う。
アプリの設定は「予測地点=大阪、通知震度=震度1以上」に設定してあったから、東北と言えばずいぶん離れているわけで、これはかなり強い地震なんだなとは思った。
ラジオは続けて「東北地方沿岸部には6m以上の津波が押し寄せる可能性があります。・・・」と何度も警告を発している。
家に帰ってテレビをつけるともう実況中継が始まっていて、これは何だ!たくさんの車が電気洗濯機に投げ込まれたように舞い、大きな漁船が高速道路の橋げたにポールをぶつけている。家が通りを何軒も何軒も流されていく。まるでCG映画を見ているような光景だ。うーむ・・・
あれからはや1年。テレビ各局が流す特別番組を見るたびに、あらためてこの大震災の凄まじさといまだに進んでいない復興状況にいらだちを覚える。
今回の大震災は地震と津波の災害に加えて原子力発電所の事故が追い打ちをかけたのが特徴だ。
今までにも地震国日本には何度も同じような規模の地震が襲いかかったが、あくまでも天災の範囲でとどまり、誰に怒りをぶつけようもない、誰を恨むにも恨みようのない、諦めるしか仕方のない災害だった。
日ごろから多くの恩恵を被り、苦しいときにも悲しいときにもその懐に抱かれて癒されてはまた新しい活力を与えてくれた自然は、怒りをぶつける対象でもなければ、恨みに思う対象でもない。
天罰だと、かえって自己を顧み、せっせと復興、復旧に取り組み、新しい暮らしに工夫を加え、様々な災害にも耐える生活を生み出してきた。
しかし今回の地震と津波による原発事故による災害は違う。天災以上の人災が諦めようがない現実を次から次に生み出している。
日本でも最も危険な太平洋岸の地域に建てられた福島原発は、35mのせっかくの台地を削り、5,6mの津波を想定した言い訳程度の津波対策を施し、災害時に備える二次電源は屋上にではなく地下に設置して作られたわけだから、設置当初からそもそも安全性確保は全く放棄されていたに等しい(詳しくはWikipedia;福島第一原子力発電所)。
およそ40年前に設置された原発だから原発初期の時代物である上に、40年間ほぼ安全に稼働していたものだから非常時の対策とか訓練もなおざりにされていたのであろう。原子炉の暴走を食い止めるベントという作業も、二次電源喪失時の手動による作業工程が定かでなかったという事実がその証左の一つである。
一時は所長一人を残して職員全員の避難を画策、菅の一喝でそれは食い止められたというから、身の毛もよだつ東電の周章狼狽ぶりと無責任ぶりが明らかになっている。
その後の政府の対応も目を覆うばかり。最近明らかにされた通り、当初はどこが司令塔なのか定かでなかったと当時の閣僚が証言している混乱ぶり。
アメリカには福島原発事故に関して3200ページに及ぶ詳細な記録と録音が残され、事態の深刻さと自国民の80㎞以遠への避難を早々と勧告していたのに、当事国の日本では100億円以上をかけて作られたSPEEDⅠ(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)はなぜかその機能をまったく果たせず、地域住民の避難対策が後手に後手に回ったとか、当然記録しておくべき政府機関のやり取りに至っては、今になってやっと聞き取り調査から起こした72ページというお粗末極まりない当時の記録(?)が再現されたという。
自衛隊や警察や消防はもちろん、多くの地方自治体、政府関係者の多くもそれなりに必死に事に当たったことは理解しているから、粗探しばかりをしているわけではないけれども、政府中枢、当事者の東電のお粗末ぶりが天災を超えた人災をもたらした事実は否めない。
さてさて、これからの日本をどう立て直していくのか、待ったなしの財政再建、景気対策、税制と年金問題、沖縄問題、外には緊急のホルムズ海峡問題、中国やロシアとの領土問題、まさに崖っぷちに立たされている日本だ。
東北復興はぜひともやり遂げねばならなし、日本国民こぞってこの国難を背負って立つ覚悟を持たなければならない。