妓王の事

 
♪♪♪ 嵯峨野さやさや (オペラ岸さんの作品です)♪♪♪

HKの大河ドラマ「平清盛」の人気がもう一つということだそうだ。ぼくも最初の何回かは見たが、長続きしなかった。
清盛人気にあやかろうと目論んでいた兵庫県知事が「画面が汚い」とクレームをつけ問題になったそうだが、確かにあの煙った画面を見ていると息苦しくなってくる。俳優たちの健康も気になってしようがなかった。 NHKは「当時の空気感を出している」と反論したそうだが、史実に基づいた時代考証も大切なことはわかるが、あの空気感がこのドラマに果たしてどれだけプラス効果を出しているのかはなはだ疑問だ。
平清盛といえば「平家物語」だが、「平家物語」には読んでいてももっと清澄感がある。
「祇園精舎の鐘のこえ、諸行無常のひびきあり」で始まる格調高い文章に初めて接した時の感動は今でも覚えている。なるほど琵琶弾きで語られた様に文章にもリズムがあり、流れる文章の中に哀感漂う「無常観」が自然と伝わってきた。ぼくのその後の人生観にも大きな影響を与えたであろうし、ぼくだけでなく、おそらく日本人の精神世界の中核になっているのではなかろうか。
東北大震災に示され、世界に賞賛された日本人の言動や行動様式もおそらく「平家物語」に流れる日本人特有の「無常観」とは無縁ではあるまい。
この間もあるテレビのクイズ番組で、「平家物語と同じジャンルはどれですか?」と問い、答えに「源氏物語、伊勢物語、栄花物語、太平記、方丈記」が用意され、「平家物語」は軍記物語だから正解は「太平記」というのがあった。 高校なんかの文学史でもそう習ったわけだが、「平家物語」は決してそんなジャンルにとどまる物語ではない。 生死をかけた戦の中に描かれた様々な男たちの人間模様もさることながら、見出しに挙げた「祇王の事」、さらに「小督の事」、祇園女御の事」、「横笛の事」といった女性にまつわる物語は数は少なくとも、この「平家物語」に言いようのない彩りを添えている。
京都嵯峨野にはこうした「平家物語」ゆかりの場所はたくさんあるが、やはり「祇王寺」が何度行っても心洗われる。
はじめ清盛に寵愛された妓王、妓女も、仏(御前)が現れるや手の平を返した仕打ちを受け、寵愛を受ける真っ只中の仏御前も明日は我が身と、すでに出家し今の祇王寺あたりに庵を構える妓王、妓女を頼って尼になるという物語は、能・狂言でもその花といわれるほど有名である。
大河ドラマ「平清盛」ではこの辺りをどう描くのか楽しみだが、そのあたりの場面ではあの煙りをぜひ取ってもらいたい。

金環日食の日

☆★☆ 金環日食 ☆★☆

金環日食が近々あることは知っていた。という程度の関心しかなかった。
連日テレビで取り上げられ、大騒ぎになっているので、知らずとも知ることになるわけだが、だからと言って、いついっか、何時に起こることやら、まったくと言っていいほど予備知識もなかった。
金環日食がどういう現象で、どうして起こり、なぜ「金環」なのかも、いろんな写真を見ていたので知っていたから、ことあらためて見たいという願望もなかったのだろう。
5月21日月曜日のあさ7時少し前、犬の散歩に出かけようとしていたら、点けているテレビからまた金環日食のことが出ていて、今日あさ7時から8時にかけて見られるという。金環食は関西地方だと7時半少し前だそうだ。
せっかくだから、濃いめのサングラスをかけて外に出た。
快晴だ。先々週に植えられた稲の苗がみるみる育っている。向こうの山は、新緑に輝く広葉樹林の中に幾何学模様を描くくすんだ杉林が嫌なコントラストをなしている。
さっそくサングラス越しにちらっと太陽を見たんだが、ただ眩しいだけで普段の太陽と全く変わらない。時計を見ると7時15分だから、太陽も相当欠けているはずなんだが、眩しいのなんの。こりゃダメだ。テレビでも、直接見ないよう注意していたので、ほんの瞬間にしか見ないんだが、強烈な光線だ。
やがて時刻は7時29分、金環食になっていて、太陽は最大食分(欠ける大きさの割合)は約0.97、面積でいうと90%近く隠れているそうだが、あたりは少し暗くなったかなという程度で、普段の快晴の日とほとんど変わらない。太陽って、こんなに明るいんだ!感動。

結局、金環日食の「き」も観測できなかったわけで、当然といえば当然。人に話しても笑われるだけだ。
ただ一つ、
砂浜の砂に映った自分の影に縁取りがされていて、はじめ乱視が進んだのかなと思ったことが、これも金環食で起きる現象だとか。
間接的にではあるが、世紀の金環日食に触れられたわけで、いつの間にかみなの仲間入りに相成ったという次第。

写真俳句(写俳)

 

★☆★ まほろば俳句会 ★☆★

世界最短の歌曲ってご存知だろうか。
Alone Alone Alone
という、たった3小節の歌曲である。
作詞作曲者がなんとあのベートーベンとお聞きになったら、なおさら驚かれるに違いない。
とは言ったはものの、昔むかーし、何かの本にそう紹介されていて強く印象に残り、いまだにぼくは信じているんだが、本当でしょうかね。
俳句もそうで、これも最短の詩である。
一時、前衛的な同人誌に、ページをめくってみたら何も書いていなくて真っ白けとか、「。」だけというような人を食ったというか、そんな詩(?)があったが、こんなのは論外として、世界広しといえども俳句ほど短い詩はない。
逆に世界最長の詩はと調べてみたら、チベットに「ケサル王伝」という叙事詩があって、なんとその単語数2000万語というから、五七五、17音という数え方をしたら、1億音は軽く超すことになる。
「詩」というジャンルでくくってしまえばなるほど同じ詩かもしれないが、叙事詩と抒情詩、俳句は抒情詩に分けられると思うが、似て非なるものであって、共通項は散文と違って韻律があるということだろう。
小説なども「言い尽くそう」とするから、いろんなお膳立てがいるし、一見本筋とは何の関係もない事細かい情景描写も必要で、こうしたお膳立てや情景描写が上手いか下手かで、小説の良し悪しをを左右するから無駄ではない。
しかし短歌や俳句は、できる限り無駄な言葉はそぎ落とし、たった31音や17音で情景や抒情を描き出そうとするのであるが、これは作り手の側からすればやはり無理があるのであって、究極「言いおほせて何かある」の境地に立ち、聞き手の側の直観力と想像力に頼らざるを得なくなる。
最近、知らなかったんだが、写真俳句、つづめて「写俳」というのがあるそうだ。
ぼくも、外に出るときは必ずiphoneを持ち歩くものだから、ちょっと気になった光景や花を写真に撮り、その時浮かんだ俳句を添えてTwitterにそれこそTwitterすることがよくあり、知らず知らずのうちに写真俳句の愛好者になっていたわけだ。
これだと、五七五、17音で伝えたい光景なり感動を言葉と画像で表現でき、言葉だけでは伝えきれないもどかしさを多少は軽減できる。
そういえば昔から「俳画」なるものがあった。南画の画家でもある与謝蕪村がその始祖らしいが、画が俳句を生かし、俳句が画を生かす。まさに言葉の芸術と絵画の芸術がコラボレートしたわけだ。
写真俳句は「俳画」の現代版ということになるのか。
ともかく、20世紀後半から始まったIT革命は、生活の隅々にまでいきわたり、芸術分野にも様々な革命をもたらしている。
俳句の世界にも「写真俳句」といった新しいジャンルが生まれてもおかしくはないし、今後ますます盛んになっていく気がする。

言いおほせて何かある

蕉門十哲第一の門弟、基角の句集にある、

下臥(したぶし)につかみ分けばやいとざくら

について去来が、「いと桜の十分に咲きたる形容、よく言ひおほせたるに侍らずや」(糸桜が華やかに咲き誇ったさまを言い尽くしたもの)と評したところ、芭蕉は言下に、「言ひおほせて何かある」(ものごと言い尽くしてしまえば、後に何が残ろうか)と言い放つ。これを聞いた去来は、「ここにおいて肝に銘ずる事あり。初めて発句に成るべき事と、成るまじき事を知れり。」と感嘆する。

実に興味深い対話であり、芭蕉の俳句の真髄をあらわした言葉である。
無駄をそぎ落とした五七五、十七音で表わした世界に無限の広がりを求めた芭蕉の句には、いたるところにその思想が読み取れる。

閑さや岩にしみ入る蝉の声

これほど閑寂をあらわした芸術作品はない。
奥の細道の道すがら、梅雨が明け、真夏の陽光がさし始めたころ、山形県立石寺の境内は人

影もなく、ニイニイゼミだけが夏の到来を告げるかのように、あたり一面に鳴きたてている。巨岩に囲まれたお寺はまるで大きなシンフォニーホールであったに違いない。その巨岩にも浸み込むほどの大音量こそがその背後の静寂を芭蕉の心に呼び起し、この句に結実したのではあるまいか。

 

「句は七八分にいひつめてはけやけし(くどい)。五六分の句はいつまでも聞きあかず」

とも、芭蕉は言う。
言い尽くしても言い尽くすことができないもどかしさは誰もが一度は体験することだ。それならいっそのこと言いつくすことは諦めて、もっとも端的な言葉で相手の魂に触れるしかない。無駄のない、誤解も生じないほど端的な言葉で。あとは相手の心の琴線に共鳴を呼び起こす方に掛けたのだ。
世界で最短の詩という俳句もそうして生まれた。

なにも芭蕉に始まったことではない。余情、余韻に重きを置く考えは日本文化の根底に流れる美学であり、日本人の心に染みついた感覚である。
こうした日本人独特の感覚が何に由来するのか。言語学的にはどうなのか。心理学的に見てどう見えるのか。また政治、経済、法律の面にどういう影響を及ぼしているのか。さらにこのグローバル化した国際社会における日本の意思決定の際にそれが吉と出ているのか凶と出ているのか。自身興味が尽きないし、若い学徒にも是非とも取り組んでいただきたいテーマである。

願わくは

いよいよ桜も佳境に入った。
Mixiのマイミクさんである「吾輩は三毛猫です」さんからは、もう1カ月ほど前から静岡の桜情報が届けられ、静岡ってそんなに暖っかいのかなあと、日本地図を見直しもした。
Yahoo!のホームページの「天気」サイトに「お花見特集2012」が出ていて、その「全国のお花見スポット」はこの時期になると毎日のように見ているが、先週の4月5日くらいだったか、「大阪」版21件中、満開はたしか1件か2件だったのが、1週間もたたない4月11日はもう17件、大阪もほとんどが満開になった。
あれほど、今年の桜は開花が遅れると言っていたのが嘘みたいだ。
念のため去年のアルバムを見てみたら、同じ4月11日に、京都の衣笠街道沿いの金閣寺、竜安寺、仁和寺、そして嵐山を辿っていて、どこも桜が満開である。
今日12日も、用事があって車で外に出たんだが、いたるところに桜が咲いていて、ちょっとしたところにも「おおっ!」という景観によく出くわした。普段は何でもないところも、桜が咲けば一流のお花見スポットだ。

それでも人はやはり名所に繰り出す。
もちろん桜もお目当てなんだろうが、そこに群れくる他人との対話なき交流が楽しみなんだろうとも思う。
友人、知人、肉親から恋人まで会話を楽しみながらの桜見物はもちろん多いんだろうが、根底には、むしろ赤の他人が群れ来て、すれ違い、表情をうかがい、歓声を聞き、しばし同じ景観に見とれ、そこから生まれる連帯感と安心感が心に言い知れぬ悦びと満足感を与えるからに違いない。

花見んと群れつつ人の来るのみぞあたら桜の咎(とが)にはありける

と詠った詩人西行は、群れくる花見の客を厭い、庵の八方に花見禁制のお札を立てたとか。
人の心をかき乱すのは桜、お前じゃないかと、老桜に愚痴を垂らす西行こそいちばん桜に狂っていたわけだが、その老いた桜の化身に、桜はただ咲くだけのもので、咎などあるわけがない、煩わしいと思うのも人の心だ、と諭され目が覚めるという世阿弥の能楽「西行桜」は、心なき身、つまり出家して世俗的な情趣にも心動かされることのない身でありながら、いまだに桜に心動かす生な西行を皮肉ったとも取れなくもない。

願わくは花のもとにて春死なん そのきさらぎの望月の頃

辞世の句と言ってもいいこの句通りに本懐を遂げた西行は、桜とは切っても切れない詩人になった。
釈迦入滅の日を意識した「その」には出家遁世した最後の願望が感じ取れるが、清盛との出会い、待賢門院とのなさぬ仲、白河院と鳥羽上皇そして崇徳院と後白河、乱世と世俗の極みに身を置いた西行が、桜に浄土を見たのもおかしくはない。
そんな思いで、河内の山ふところにある西行入滅の地、弘川寺を訪れると、ここも桜はもう満開だった。

春まだき

 

「春まだき」は造語だそうだ。「朝まだき」という使い方はあっても「春まだき」という使い方はないという。まあしかしいいだろう。
3週間前には2、30cmも雪が積もって、車の屋根の雪かきで汗をかいたのに、静岡ではもう早咲きの桜が咲いたという。
今年は寒さが厳しく、大阪では大阪城の梅が3月1日に開花宣言が出て、例年に比べて19日遅れだそうだ。
梅が2月、桃が3月、桜が4月と言われるからなるほど遅い。
琵琶湖畔にある我が家の近くにも梅、桃、桜があり、沈丁花も植わっているが、漂ってくるのは梅の香ばかりで、沈丁花のかぐわしい香りは聞こえてこないし、桃がやや、桜はまだまだ蕾は堅い。
はーるよこい、はーるよこい」という歌がいつもこのころになると耳の奥から聞こえてくるが、相馬御風作詞、弘田龍太郎作曲のこの童謡は「おうちの前の桃の木の 蕾もみんなふくらんで」と歌い、松任谷由美の「春よ、来い」は「いとし面影の沈丁花 あふるる涙のつぼみから」と歌っていて、誰もが今か今かと春を待ち焦がれている。
重く沈んだ雪景色は水墨画にぴったりだし、梅が咲き、桃が咲き、桜も咲けばもう濃絵の世界だ。
春夏秋冬、時折々の景色が人の心に浸み込み、耐えること、弾けること、闘うこと、想うことに人をいざない、そして様々な情念を生み出してきた。
ほんとうに日本はいい国だ。

リメンバー311

ドイツ国営テレビ放送ZDF『福島の嘘』
 

[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=ln9A4wHteiU&feature=related[/youtube]

ちょうど買い物からの帰り、車に乗っていたんだが、突然 iphoneアプリの「ゆれくるコール」のサイン音が鳴った。間もなくカーラジオから同じサイン音が流れ、「ただ今東北地方でかなり強い地震が起きました。沿岸部のみなさんは津波のご注意ください。」と言う。
アプリの設定は「予測地点=大阪、通知震度=震度1以上」に設定してあったから、東北と言えばずいぶん離れているわけで、これはかなり強い地震なんだなとは思った。
ラジオは続けて「東北地方沿岸部には6m以上の津波が押し寄せる可能性があります。・・・」と何度も警告を発している。
家に帰ってテレビをつけるともう実況中継が始まっていて、これは何だ!たくさんの車が電気洗濯機に投げ込まれたように舞い、大きな漁船が高速道路の橋げたにポールをぶつけている。家が通りを何軒も何軒も流されていく。まるでCG映画を見ているような光景だ。うーむ・・・
あれからはや1年。テレビ各局が流す特別番組を見るたびに、あらためてこの大震災の凄まじさといまだに進んでいない復興状況にいらだちを覚える。
今回の大震災は地震と津波の災害に加えて原子力発電所の事故が追い打ちをかけたのが特徴だ。
今までにも地震国日本には何度も同じような規模の地震が襲いかかったが、あくまでも天災の範囲でとどまり、誰に怒りをぶつけようもない、誰を恨むにも恨みようのない、諦めるしか仕方のない災害だった。
日ごろから多くの恩恵を被り、苦しいときにも悲しいときにもその懐に抱かれて癒されてはまた新しい活力を与えてくれた自然は、怒りをぶつける対象でもなければ、恨みに思う対象でもない。
天罰だと、かえって自己を顧み、せっせと復興、復旧に取り組み、新しい暮らしに工夫を加え、様々な災害にも耐える生活を生み出してきた。
しかし今回の地震と津波による原発事故による災害は違う。天災以上の人災が諦めようがない現実を次から次に生み出している。
日本でも最も危険な太平洋岸の地域に建てられた福島原発は、35mのせっかくの台地を削り、5,6mの津波を想定した言い訳程度の津波対策を施し、災害時に備える二次電源は屋上にではなく地下に設置して作られたわけだから、設置当初からそもそも安全性確保は全く放棄されていたに等しい(詳しくはWikipedia;福島第一原子力発電所)。
およそ40年前に設置された原発だから原発初期の時代物である上に、40年間ほぼ安全に稼働していたものだから非常時の対策とか訓練もなおざりにされていたのであろう。原子炉の暴走を食い止めるベントという作業も、二次電源喪失時の手動による作業工程が定かでなかったという事実がその証左の一つである。
一時は所長一人を残して職員全員の避難を画策、菅の一喝でそれは食い止められたというから、身の毛もよだつ東電の周章狼狽ぶりと無責任ぶりが明らかになっている。
その後の政府の対応も目を覆うばかり。最近明らかにされた通り、当初はどこが司令塔なのか定かでなかったと当時の閣僚が証言している混乱ぶり。
アメリカには福島原発事故に関して3200ページに及ぶ詳細な記録と録音が残され、事態の深刻さと自国民の80㎞以遠への避難を早々と勧告していたのに、当事国の日本では100億円以上をかけて作られたSPEEDⅠ(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)はなぜかその機能をまったく果たせず、地域住民の避難対策が後手に後手に回ったとか、当然記録しておくべき政府機関のやり取りに至っては、今になってやっと聞き取り調査から起こした72ページというお粗末極まりない当時の記録(?)が再現されたという。
自衛隊や警察や消防はもちろん、多くの地方自治体、政府関係者の多くもそれなりに必死に事に当たったことは理解しているから、粗探しばかりをしているわけではないけれども、政府中枢、当事者の東電のお粗末ぶりが天災を超えた人災をもたらした事実は否めない。
さてさて、これからの日本をどう立て直していくのか、待ったなしの財政再建、景気対策、税制と年金問題、沖縄問題、外には緊急のホルムズ海峡問題、中国やロシアとの領土問題、まさに崖っぷちに立たされている日本だ。
東北復興はぜひともやり遂げねばならなし、日本国民こぞってこの国難を背負って立つ覚悟を持たなければならない。

傍若無人

お昼にたまたま通り掛かりのマクドナルドに入った。別にハンバーグが好きなわけではなく、ここでは公衆LANが使えるので、外出時にはよく利用する。
注文するのは決まって「照り焼きハンバーグセット」。照り焼きハンバーグとポテトフライとホットコーヒがセットになっていて、しめていくらだったっけ、500円くらいだったかな。いろんなメニューがあるが、迷ったこともない。
カウンターで支払いも済ませ、トレイに載ったセットに気を配りながら二階に上ると、お昼時もあって結構お客が入っている。見渡すといちばん奥まったところで一人パソコンをしている男がいて、そのすぐ手前には30前後の同じ歳格好の女性たち10人前後が車座になってハンバーグをぱくついている。ちょっと煩さそうなので避けたかったが、パソコンの男の前しか席が空いていない。女性たちのすぐ近くだ。
昼食も手短に済ませてパソコンを開け、メールの送受信を始めるころになると、グループの女性たちも昼食を済ませたのか、がぜん煩さくなりだした。どうも保育園に子供たちを預けた若い母親たちの集まりらしい。
何をお喋りしているのか、こちらも関心はないし、パソコンに気をとられているのでよくわからなかったが、嬌声と一斉に発する笑い声の凄まじいこと。窓も割れんばかりだ。それも一度や二度ではない。小一時間ばかり、まるで店内は我が物顔、ほかにもお客がいるなんて気遣いはまるでない。パソコンの男は早々とパソコンをたたみ席を立ち、前でひとり座って昼食をとっている若い女性はイヤホーンを取り出している。
こちらも早く店を出たかったがそう言う訳にもいかず、じっとじっと我慢。よほど店の人に言おうと思ってもみたが、この騒々しさが店の人にも聞こえないわけがなく、この無関心さは店の人も同人類でこちらが異邦人になりかねない。
いちど中国で同じような場面に出くわしたが、その時は別の客が怒鳴り込んで行って静かになったことがある。
別に怒鳴り込まなくてもいいが、注意してもはたして聞き入れてくれるものか、そんな勇気もないし、どうせ毛虫扱いが落ちのような気がする。
公衆道徳の低下が叫ばれて久しいが、いつの時代ににもこういう手合いがいたのか、今の時代の特徴なのか。ともかく店の側の対応があってもよいのにと、苦々しい思いでやっと店を出た。

1995年1月17日

 

明け方、激しい揺れに目が覚めた。家がきしみ、つぶれるんではないかと思った。
すぐにテレビをつけると、画面にテロップが流れ、阪神間で震度6前後の地震が起きたと報じている。奈良でもこれだけの揺れだからよほど大きな地震なんだと思った。
間もなく画像が飛び込んできて神戸市内の様子を映している。大きな煙が数か所から立ち上っている。死者が出ている模様。初めはそんな調子だった。
朝食もそこそこに身支度を整えてすぐ家を出た。阪急武庫之荘の教室が気がかりだ。
近鉄は動いていたが、大阪市内の地下鉄は御堂筋線が不通、堺筋線は動いているというので近鉄日本橋から乗り換え、南森町までそれで行った。そこから阪急梅田駅までは歩いて30分ほどだが、途中のことは全く覚えていない。
阪急梅田駅に着くと、紀伊国屋書店の前にある大画面のテレビの前は人だかり。大画面にはやはり神戸の様子が空から写っていて、死者15人と出ている。
駅の張り紙には、「ただ今神戸線は地震のため不通です。」と出ている。ただ今不通なんだから、待てばやがて電車も動くだろうと待つこと2時間。
一向に電車が動く気配はなく、テレビ画面に、死者が50人、100人、200人とみるみる増えていく。これはただ事ではない。周りの人たちにもやっと事の重大さがわかり始めたようだ。
もう電車は諦めて、家に帰って車で行こうと思った。
2時間ほどかかって家に帰り、車に飛び乗って阪奈道路を通り、国道1号、国道2号と辿ろうとしたが、京橋近くの国道1号あたりでもう大渋滞。普段ならそこから20分あたりで行ける国道2号の大阪市内桜橋まで3時間はかかっただろうか。途中、道路脇に立つビルの窓ガラスがいたるところで割れている。もう自動車は1㎝も動かない。後ろを振り向くと、岐阜だとか愛知だとかのぼりを立てた消防車がサイレンだけを流しているがこれも全く動けない。もう車、車で消防車も動けないのだ。諦めた。
普段でもここからさらに小1時間はかかる武庫之荘まで行けるはずがない。
その日の深夜やっとの思いで家に帰りつけた。

新年に思うこと

山から
もしも、愛するリリーよ、お前を愛していなかったら、
このながめは私にどんな喜びを与えてくれるだろう!
だが、もしも私が、リリーよ、お前を愛していなかったら、
ここかしこに幸福を見い出すことができようか。

いまだに諳んじているゲーテ詩集の中の一つである。
自分の感情や感動をどう表現すればいいのか、多感な折のもどかしさを的確に言い表してくれたのがこの詩集だ。ドイツ文学者の高橋健二先生による日本訳が素晴らしい。
日本にも短歌や俳句、そして明治以降の近代詩があってそれなりに素晴らしんだが、恋歌にしてもどうも日本のそれは個人の領域に留まっていて普遍性がないというか、広がりとか深さが感じられない。感情細やかなのはいいんだが魂をゆすぶられるほどの迫力がない。
だから、ぼくなどは文学にしても愛好したのは西洋文学であり、哲学もそうだった。
これは音楽や絵画、芸術万般にわたっていえることで、なぜなんだろうと思う。
ひとつには、受けた教育の影響も大きい。
音楽などはまず西洋音楽から学ぶわけで、日本古来の音楽、なんだろう?雅楽?民謡?筝曲?と今でもこんな状態で、ともかく日本の伝統音楽を学んだことがない。童謡にしろ唱歌にしろ洋楽で、オーケストラとかアンサンブルになるとなおさらだ。
そういえば、小学校のとき、音楽教室の壁に世界の音楽家の似顔絵が並んでいて、その中にひとり日本の滝廉太郎が載っていた記憶があるが、あとでベートーベンやモーツアルトの音楽を聴いて知ったとき、滝廉太郎といえば「荒城の月」しか知らないもんだから愕然としたことがある。
今にして日本の伝統芸術の良さがわかってきたわけだが、まだまだ「西洋かぶれ」から抜け出ていないことを実感することがよくある。
詩にしても、高校時代に萩原朔太郎の「月に吠える」がいたく気に入り、読書感想文でなんやら賞をもらったこともあるが、今は一編の詩も思い出せないどころか、ここに書いた作者名と作品くらいしか記憶に残っていない。朔太郎の少し後だったように思うが、上のゲーテの詩集ははるかに衝撃的で、その後も幾度となく読み返し、多くの言葉を学ん今に至っている。
小説にしても夏目漱石なんかもよく読んだんだが、ドストエフスキーの「罪と罰」を読んだ時の衝撃力はまるで別次元だ。
こういう体験はぼく個人の特性によるものか、西洋と日本の文化の根底にある違いによるものか判らないが、これからの日本を考えるとき、文化面だけでなく、社会、経済、政治、外交、軍事、エネルギー、あらゆる面で、よって立つアイデンティティをよりいっそう明確にし、強固にしなければ、これからの国際社会の荒波を乗り切っていけないような気がする。
今の日本を見ていると危うさばかりが目につく。杞憂であればいいが。