心療内科って?

☆★☆ オーバードーズ ☆★☆

「医院が「心療内科」を掲げることができるようになったのは平成8年、1996年だから、「心療内科」ができてまだ20年足らずくらいしか経っていない。
「病は気から」という言葉は昔からあり、医学の分野では「心身医学」として、心と病の関係は早くから取り上げられてきたわけだが、それを具体化したのが「心療内科」である。
ちなみにこの「心療内科」という科目があるのは日本とドイツだけで、日本の大学の医学部でもこの講座がある大学は多くない。
本来、「心療内科」は「内科」という言葉が付いているように、消化器とか、循環器とかの疾患の治療にあたるのだが、原因が心(精神)にある場合、精神面から治療を施すことによって臓器の治療、回復を図るのが目的なのである。
ところが昨今、鬱とか、統合失調とか、今までなら「内科」ではなく「精神科」に通うべきはずの患者が、この「心療内科」に殺到しているそうだ。生徒の中にもそうした者が最近多くて気になっている。
「精神科」はどうも昔からの暗いイメージが染みついていて行きにくいが、その点「心療内科」は抵抗感なく気軽に行けそうな気がする。
なるほど、「心療内科」にも二系統あって、「内科」から衣替えしたのと、「精神科」から衣替えしたのとがあるそうで、もともと「精神科」であったところのほうが多いと、ものの本には書いてあるが、ぼくの知る限り、もともと「内科医院」だったほうが多い気がする。
それはそれとして、この行きやすい「心療内科」、あまりにも行きやすくなったものだから、どうも安易に行く向きが多いようで気になる。
鬱といえば鬱のような気もするし、なんやら障害といえばそのなんやら障害のような気もするんだが、別に病院にかかるほどでもないんじゃないと思えるような人まで、気軽にこの「心療内科」にかかる。
しかも問題なのはそれからなのだ。
この20年の間に精神医学が飛躍的に発展した。今までタブーにされてきた脳科学の研究が電子機器等の発達によってタブーでなくなり、それから生み出された成果が薬にも反映され、今まで精神療法でしか治療できなかった心の病が、大きく薬物治療に依存するようになった。今まで手の施しようがなかった重度の「鬱」も薬を飲めば劇的に効く。「心療内科」で処方される薬も実に効くそうだ。ちょっとしたイライラ感、睡眠不足、無力感、正常でなく心に引っかかりがあるとすぐ「心療内科」に行き、それもたいがい親が行かせるんだが、薬をもらい、正常に戻る、を繰り返している生徒に何人も出会った。
本来の薬物依存とまではいかないのかもしれないが、それに近いような安易さが気になってしょうがない。
今まで顕在化しなかった心のちょっとした異変が病院に行けば「…症候群」だったり、「・・・障害」だったり、必要もない病名が名付けられ、まるで10人いれば十人十色、その誰にでもそれなりの病名をつけられそうな状況だ。
怖いのは、精神医学が短期間に高度に発展した結果、こうして安易に薬に頼り、またまた「人間の浅知恵」に終わりはしないかということだ。

惑星探査衛星「はやぶさ」の成果

月までの距離が360,000km、小惑星「イトカワ」までの距離が300,000,000km、敢えて距離をこう表示したのも距離感を実感していただきたいからだ。
ちなみに、火星までの距離が80,000,000kmだから、「イトカワ」は月はおろか、火星のさらに彼方にある、直径わずか300m、長さ500mほどのジャガイモの形をした小惑星なのである。
しかも、ここ1億年の間に地球に衝突する可能性があり、衝突した暁には、恐竜絶滅の原因になった過去の小惑星衝突とは比べ物にならないほどの被害を地球にもたらし、人類絶滅の危険性もあるといわれるから、なんとも恐ろしい小惑星なのである。
その小惑星に、日本の惑星探査衛星「はやぶさ」が2003年5月に打ち上げられ、2005年11月ごろに着陸し、7年間、60億kmに及ぶ宇宙の旅を終えて、その土壌サンプルを持ち帰ったのだから、ぼくのように少し科学に関心を持つものならば、驚きと日本の宇宙科学の素晴らしさに、快哉を叫ばずにはいられないわけだ。
たとえて言えば、東京から鉄砲を打って、沖縄にあるゴルフ場のバンカーにあるゴルフボールを打ち抜くようなもの、それ以上なのである。
全重量500Kgだから、軽自動車800kgに比べても少し小さいくらいだが、最先端科学の粋を結集した探査衛星で、使われたエンジンは「イオンエンジン」という、これまた世界の最先端を行く未来エンジンなのである。日本の宇宙技術がNASAを越えたといわれるゆえんである。
テレビで「はやぶさ」がオーストラリアに帰還した様子が放映され、若者たちが万歳を三唱し、涙を流す者もいた、あの場面と意義をどれだけの人たちが理解できたであろうか。
これを一部の科学マニアの感傷だと放っておいていいのだろうか。未来に希望を託す若者たちを突き放していいのだろうか。
この「はやぶさ」プロジェクトにしても、予算は、当初17億円であったものが例の「事業仕訳」で7千万円に減額され、さらに今や3千万円である。 プロジェクトは中断を余儀なくさせられているのだ。
日本も今や経済大国2位の席を中国に譲り、韓国のサムスンには日本の電気メーカーが束になってもかなわなくなり、大学新卒生の就職もままならない、何もかもに閉塞感の漂う現状に甘んじていていいはずがない。
日本経済を引っ張ってきた自動車産業ももうぼつぼつ曲がり角に差し掛かっている今、これからの日本の未来を切り開いていくのは、こうした宇宙産業であり、原子力発電など新しいエネルギー技術であり、iPS細胞から創出される再生医療技術、環境技術である。
アメリカの宇宙産業は軍事面と深く結び付いていて、その成果が世界最大の武器輸出国になって跳ね返り国の財政を潤し、イギリスも、フランスも今や中国も同じなのである。世界が今最も注目する「武器輸出国家北朝鮮」をはるかにしのぐ武器輸出国なのである。
軍事産業が国の産業技術を先導し、発展させ、国家の財政を潤しているのは紛れもない事実であるが、日本はそういうわけにはいかない。
そうした中、「はやぶさ」の成果は、これからの日本の歩むべき方向を指し示しているだけでなく、今の若者に勇気を与え、希望を持って世界に伍していける未来産業の端緒になるのである。

母校を訪ねて

♪♪♪ 学生街の喫茶店 ♪♪♪

 

香港在住の友人が来日することになり、初夏の陽光も眩しい古都奈良を訪ねた。
先月5月2日にも「遷都1300年祭」を開催している平城京を訪れ、その際訪ねた奈良公園は、吹く風にもまだ肌寒さを感じるほどで、木々はまさしく若葉眩しいころであったが、たった1か月で緑も深まり、行き交う人もすっかり夏衣裳に変わっていた。
行きの車中、お互い昔同じ地域に住んでいたことは分かっていたが、同じ高校の同窓生であることまでは知らなかったから、それを聞いたときは奇遇の不思議さに二度びっくり、最初訪れる予定であった紫陽花の「矢田寺」もいつの間にか通り過ごし、ただただ思い出話に花を咲かせることになってしまった。
公園についても、歩けば歩くほど汗ばむほどで、涼を求めて入った食堂の和室で美味しいそうめんの定食を取りはしたが、それ以上の散策もあきらめ、それでは母校を訪ねてみようということになった。
奈良郊外もすっかり昔とは趣も変わり、新しい住宅街が延々と続くなか、大阪と奈良の県境を越えたところにあるわが母校を目指した。
幹線道路からどの道をたどれば母校にたどりつけるか、昔なら、この幹線道路から田んぼをへだててはるか向こうに見えた母校がもう今では家、家、家で全く見えない。
ええーい、ままよと入った道をたどると、昔はいかにも田舎の駅舎であった国鉄の駅舎はなく、モダンで大きなJRの駅ビルディングに変わっている。辻違いであった。
ここから少し離れた踏切りを渡って母校にも行けたが、いまは一方通行で車では渡れない。仕方なく元の幹線道路に引き返し、探し探しやっとのことで母校に辿り着くことができた。
と言っても最初は母校とは分からず、また道を間違えたのかと思ったほどだ。
学校を囲む高いコンクリート塀がモダンな鉄製のサッシ塀に代わり、薄汚れた校舎としか印象が残っていない校舎が薄く明るいベージュに色塗られ輝いている。校門もすっかり昔と違う。
しかし校門を入ると確かにわが母校だ。右に小さな庭園があり、こんもりとした木立は昔と変わらない。その横の校舎の入り口も昔のままだ。古い木製のドアで厚手のガラスが入っている。入ると大きな古い振り子時計があり、アーチ型の天井が向こうに続く廊下は何とも懐かしい。
土曜日だから学校は休みだが、クラブ活動の学生たちがあっちこっちにたくさんたむろしている。
友人は、校門の左にあった大きなクスノキがないとしきりにつぶやいている。
校門からすぐ向こうに見える小高い山のふもとには神社があり、友人はそこで「初キス」をしたと山を見上げて突然告白した。恥ずかしそうな姿が初々しい。
夏休み、裸で勉強した教室はどこだっけ、ぼくをよく呼んでお茶をすすめてくれた社会の先生はどの部屋だったけ、校門の前で仁王立ちになって遅刻生をにらみつけていた「ドンコ」(近藤先生)はもう立っていないのかなあ、・・・・・
思い出せば思い出すほど、ただ、胸が熱くなるばかりだ。

水無月そして薪能

♪♪♪ 薪能 ♪♪♪
 
今日から6月。旧暦でいう水無月だ。梅雨の月なのに水無月というのも変だが、旧暦の6月は新暦の7月後半に当たるから、まさに梅雨が明けて、カラカラの真夏で水も枯れるから水無月というのが有力な説だ。ただ奈良時代頃の古語では「無」は「の」の意味で、「水無月」は「水の月」という意味にもなるので、これも一説だ。
それにしても月日の経つのは全く早いものだ。月並みな感想だが実感だからしょうがない。
梅を追い、桜を追い、バラを追いかけていたらいつの間にか菖蒲ですぐ紫陽花だ。もう今年も半ばにさしかかっている。
花ばかり追いかけるのも歳のせいだといわれるのはしゃくだから言っておくが、昔は高山植物にとりつかれ命を賭して深い山々まで分け入ったこともある。
自然の造形はなぜかくも美しいのか、なぜこんなに美しくなければならないのか、人を喜ばせるために単に美しいわけではないだろう。
そこにはやはり己が生命の保全と種の永遠性を保つための進化と適応性から生まれ出た象形が美しさとして感知されるのだろう。
フィボナッチ数列というたわいもない数列が、自然の造形美を人に説明していることはつとに知られている。
オウム貝の渦巻き、ヒマワリの種の配置、松ぼっくりの鱗片の付き方、マウスの繁殖の仕方、植物の葉の付き方、はたまた、パルテノン神殿の構造美、北斎の「神奈川沖浪裏」にみられる構図の美しさ、数え上げればきりがない。
自然の造形美が数(すう)であらわされる神秘は、自然のそして人工の造形美にも法則があることを告知している。でたらめではないのだ。
その自然の美しさに人は見とれ、ため息をつき、歳をとればとるほどひきつけられるのは、暇だからでもなければ、心に余裕ができたからでもきっとない。
神にすがり、仏にすがるのと同じで、命の安全性、永遠性を願ってのことに違いない。目の前に具象化された花々の美しさにそれを観るのだ。
6月1日と言えば、京都では平安神宮で「薪能」が奉納され、学生時代には毎年のように出かけていたものだ。夕闇の中で篝火が焚かれ、平安神宮の朱塗りの社殿が映し出されるなか、特設の能舞台が闇夜に浮かび上がり、幻想的な雰囲気が辺りを包む「京都薪能」は、今や京都の初夏の風物詩となっている。
緩にして急、能舞いからも窺える人の一生は、まさに花と同じ、緩にして急なのである。

姥捨て山は今も

 
 リュックをしょって野道を行く人、サイクリングロードを颯爽と疾駆する人、二人仲好くジョギングするご夫婦、海辺でのどかに魚を釣る人、
 どれをとっても一服の写真になりそうな平和で幸せそうな光景だ。
 大型ショッピングセンターの大きなテレビを腰掛けて見入る中高年者たち、レジカウンターで食料品を手にして並んでいるひとり暮らしと思しき男たち、
 どれもみんな平日真昼間の光景だ。
 どこに行ってもどこに出かけてもこうした中高年の人たちがやたら目につく。
 自分も傍目から見ればその一員なんだが、その自覚が足りないまま、じっと観察しながら、この文章を書いている。
 果たしてこの人たちは本当に幸せなんだろうか、何を思いながら生きているんだろうか。
 もういいから静かに休んでください、私たちが面倒をみるから余生を楽しんでください、だと!
 いやいや、怒っちゃいけない、怒っちゃいけない、静かに静かに、腹を立ててはいけないよ。
 世の中そうなっているんだよ。もう十分働いてきたんだから、子供も育て、孫もできているんでしょ。
 そうかなあ、なんかだまされてる気分がするるんだけどなあ。
 誰が決めたの? いつ決めたの? その発想時代遅れじゃないの?
 いま人生、女性で84歳、男性で79歳の時代だよ。明治時代とは言わないまでも、大正、昭和の時代に形成された、例えば定年制をはじめとする労働観、そんな古臭い考え方で、ぼくらを追い払わないでくれよ。
 なんやら独立行政法人をご覧よ。バリバリ働いているかどうか知らないけど、とっくに定年過ぎているわが同輩たちが、法外な報酬を取って働いているんだよ。
 ずるいよ。
 われわれその日暮らせりゃ、何もそんな高いお給料ほしいと言ってるわけじゃなし、場合によっちゃ、お金なんていらない、とにかく働かせてくれって言っているだけなんだぜ。
 そうだろ、「勤労の義務」は憲法にだって謳われているんだよ。これなにも単に「国民はみんな働かなきゃいけないぞ」と言っているんじゃないんだよ。
 健康で文化的な生活を営むための国民の義務を規定してるんだよね。働かなきゃ、健康で文化的な生活は送れないよ、そのためにゃ働かなきゃいけないよ、って言っているんだと思うけどね。
 それともこうかい。お前たちはもう健康で文化的な生活を営むこともない、だから遊んでりゃいいだよ、ってーの。
 このまますね言言うのもいやだから、いっそのこと独立行政法人宇宙航空研究開発機構で「姥捨てロケット」でも作って、宇宙のかなたに放ってくれないかなあ。
 

中国人とパチンコ

中国人の友人と話していて、「中国にはどうしてパチンコがないの?」と聞くと、その答えがおもしろい。
中国でパチンコを解禁したら、とんでもないことになる。国中にパチンコ店ができ、パチンコ店に入り浸る人が一億人にはなるね。
だ、そうだそうだ。
一億人というと、日本の赤ちゃんからおじいちゃんおばあちゃんを含めて一億人だから、日本人全員がパチンコ店に入り浸ることになる。
ちょっと大げさに言ったのだろうが、友人の真顔から反論もはばかられた。
中国では、基本的には賭博は禁じられている。おそらく、中国人の賭博好きを知っての立法であろう。
それでも、マカオはアメリカのラスベガスに次ぐ政府公認の賭博が行われているのはよく知られたことであり、家庭内での賭け麻雀や賭けトランプは許されている。
実際、中国の至るところで、昼間から路上で麻雀卓囲んでいたり、テーブルでトランプに興じている光景をよく見かける。大概が賭けているそうだ。
マカオは国際賭博場であり、中国の外貨獲得という国の目的があり、庶民には手が届く賭博場ではないからいいとしても、家庭内の小賭博を認めてるところがまたおもしろい。
日本では競馬、競輪、宝くじ、TOTOといった政府公認の賭博以外は家庭内においても禁じられているから、窮鼠が猫を噛まない措置を講じているわけだ。
中国には1840年の「阿片戦争」に象徴されるように、国の存続さえ危うくするような「自制心のなさ」の自覚が底流にはあるのだろう。
「宗教は阿片」、ベートーベン、ゴッホ、ビートルズなど等「ブルジョア芸術は阿片」と、ひところはプロパガンダされたことがある。賭博も阿片なのだ。
魯迅が中国人の典型として描き出した「阿Q」は中国人インテリの頭からいまも消えず、自己の阿Q性を唾棄したくてもしきれない根性がくすぶり続け、権力を握る共産党幹部にはこの自縄自縛から解き放たれることなく、国民全体に真の自由を与えたら何をしでかすかわからない、中国には中国のやり方がある、人権よりも国の団結、と、國際社会では異質に見える「中国流」をいたるところで喧伝してはばからず、中国人同士では政府の悪口を口にし反目しあっても、対外的にはものの見事に一致団結、愛国心と中国こそ21世紀の覇者と胸を張る。
中国でパチンコが解禁されるのは、阿Qの非科学的思考、盲目的権威崇拝、際限なき自尊心、独善的「精神勝利法」から決別する時だろう。

ゴールデンウィーク

 
 毎年思うことだが、この五月の連休を4月29日から5月5日までぶっ通しにすればいいのに。
 実際そうしている企業もたくさんあるが、ぼくがみている生徒達はそうではない。
 今年に例をとると、公立中学校と高校は間の4月30日だけ登校、私学に通う生徒は4月30日と5月1日の2日は登校しなければならない。
 みんなブーブー言っている。当たり前だよな。何が連休だ。何がゴールデンだ。
 お父さんが休みで、せっかく家族揃ってみんなで何処かに行けるはずが行けない。
 そして学校に行っても、授業はなく、リクリエーションだったり、どこかに見学に行ったり、面白くもない行事に参加させられるそうだ。
 学校も、つまり先生もきっとつまらないんだ。仕方なくそうしてお茶を濁しているだけ。
 ここでもまたまた日本人の大好きな「我慢大会」!
 気がすすまないけど、考えても仕方ないんで、言ってもどうにもならなし、等々と心ではつぶやくんだけれど。
 どうも日本はこういう、ただそう成っているからとか、ただ昔からあるからとかということが多すぎる。
 だから、こういう事が積み重なると、今問題になっている「独立行政法人」も存続し続ける事になるだろうし、お役所仕事はお役所仕事のままだし、学校はますます荒れ放題だし、少子化はドンドン進むし、沖縄の基地問題だって、そもそも米軍基地が日本国内にこんなにあってもいいのかという根本を考えないから、国際社会からは振り向かれなくなるし、ろくなことはない。
 トドの詰まり、にっちもさっちも行かなくなるだけだ。
 まだまだ社会経験も浅く、窮屈さを肌で感じ、ブーブー言うだけの元気さはある若者も、やがてはその元気さも失い、けだるい社会に組み込まれ、「我慢大会」を忍んでいくしかない社会に未来はない。
 たかがゴールデンウィークのこと、されどゴールデンウィークのこと、ゴールデンがその名の通りゴールデンなのか、考えるだけでも今の日本が見えてくる。
 
 

西行と清盛、そして定家

 
               願わくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ
 
西行の辞世の句ではないが、遺言の句といった趣のある歌である。彼はこの句の通り、新暦でいえば3月29日に入滅し、彼が望んだ釈迦入滅のわずか一日後だったということが西行伝説にいっそうのミュトスを加えることとなった。
西行は奥州藤原の血をひく武家の出で、当時の武士集団ではエリート中のエリート「北面の武士」に18歳で任官している。将来を嘱望されながら23歳で出家したことが伝説の始まりで、当時から出家の動機がいろいろ取りざたされた。(1)仏に救済を求める心の強まり(2)急死した友人から人生の無常を悟った(3)皇位継承をめぐる政争への失望(4)自身の性格のもろさを克服したい(5)“申すも恐れある、さる高貴な女性”との失恋、といったところが通説である。
ここで別の視点を加えたい。平清盛の存在だ。
西行も清盛も1118年生まれ、同い年で、どちらも「北面の武士」として任官され、おそらくどちらも十代の若者として交流もあったであろうし、一方は権力の頂点に上り詰めた男であり、一方は歌人として「新古今」の筆頭に推挙された男、「北面の武士」数ある中でもこうして後世まで語り伝えられる二人は異色の存在であったに違いない。
西行は、言ってみれば、豊かな奥州藤原をバックに持つ素封家の御曹司、一方、清盛は武家集団のトップに君臨する「平」の跡取り息子、二人ののちの歩む姿から類推するに、立ち居振る舞いから考え方までまるで違った若者であったに違いない。共通するのは出自から来る「向こう意気の強さ」だけである。
西行は18歳で「尉」官、一方の清盛は12歳にして「佐」官である。今の軍隊の位と同じで大佐、中佐、少佐、大尉、中尉、少尉みたいなものであるから、「佐」と「尉」の階級差は歴然としている。西行は文武両道に優れ、周りの者からも、とりわけ宮中の女官たちからは、憧れの的の若武者であったであろうし、一方、清盛は十代のことはあまり語り伝えられていないことからおそらく「武骨」な、時には横暴な振る舞いも見せたであろう少年であったのではなかろうか。12歳にして「佐」官に抜擢されたのも、実は、平氏の棟梁忠盛の嫡子として生まれたのではなく、白河院と祇園女御との間に生まれた「蔭の子」だからだという説さえある。
西行は、この多感な十代に、清盛というのちに歴史上にも残る最高権力者とも交わり、人品の誉れだけでは世渡りできない現実社会に多くの矛盾を感じ、苛立ちを覚えたに違いない。
西行出家の動機には上にあげたように諸説はあるが、おそらくこれが根本動機であったのではないか。
漂泊の詩人、吟遊詩人、遁世の詩人といわれるにしては、最後まで俗世間から脱却しえず、東大寺再建の寄進要請が理由にしろ頼朝とひざを交えるなど、時の権力者とも常に交流を持ち続けたことをみても、また歌筋を観てもとことん「美」を求めた歌人ではない。「美」を衒ってはいるが、最後まで「生き方」にこだわった詩人である。
 三夕の歌を観ても、
   心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ(西行)
   見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫やの秋の夕暮れ(定家)
まるで歌風が違う。
歌が芸術だとしたら、定家の歌がはるかに優れていると思うのは、ぼくだけではあるまい。
 
 

大発見、大発見 ― ジェルソミーナ ―


ある人と映画の話をしていて、感動した映画は? と聞かれ、すぐ思い出したのが「道」。
イタリアの映画で、フェデリコ・フェリーニが監督し、荒くれ男の大道芸人ザンパノがアンソニー・クイン、知恵遅れで純真なジェルソミーナがジュリエッタ・マシーナ、脇を固める綱渡り芸人がリチャード・ベイスハート、のたった3人によって、ニーナ・ロータの哀愁に満ちた「ジェルソミーナ」が流れる中、物語られていく典型的な道行映画である。
1954年の作品というから、計算すると、ぼくが11か12の時に見たことになるんだが、ずいぶんませていたんだなあ、と今更ながら自分を振り返る。
きっと、ジュリエッタ・マシーナが演じるジェルソミーナの何とも言えない純真な愛くるしさが、その年ごろの少年の心にも響くものがあったのであろう。。
あらすじは、
「道」をクリック ⇒ ☆★☆「道」☆★☆
を、見ていただくとして、
またまた、これがきっかけで嬉しい出会いがあった。
You Tube に出ていたこの「ジェルソミーナ」だ。
「ジェルソミーナ」をクリック ⇒♪♪♪ 「ジェルソミーナ」♪♪♪
Brabo! 素晴らしい!
ニーナ・ロータといえば、コッポラの「ゴッドファーザー」、アラン・ドロンの「太陽がいっぱい」など、数多くの映画音楽で有名だが、この「ジェルソミーナ」がぼくにとっては一番だ。
ハーモニカには、これもぼくにはせつない思い出があり、ここのブログリスト「ハーモニカ」にも載せてある。
是非「道」も見ていただきたい。そしてこの「ジェルソミーナ」も一緒に聴いていただきたい。
ぼくの映画遍歴はこのブログの上欄 「My Favorite Movies」に載せています。ご覧ください。

After Twenty Years ―その後―

☆★☆ After Twenty Years☆★☆

アメリカの短編小説家オー・ヘンリーに「After Twenty Years」という名作がある。
New Yorkで兄弟同然に育った18歳のBobと20歳のJimmyは、レストラン「Big Joe」で20年後の再会を約束し、翌朝、西部に運命を託すBobは、New Yorkをこよなく愛し離れることができないJimmy を残し旅立っていく。そしてちょうど20年後の午後10時、ダイヤモンドをちりばめた腕時計姿の’Silky Bob’は、氷雨降るNew Yorkの約束の場所で立っている。そこに警ら中の警察官がやってきて、ふた言み言ことばを交わすが、警察官はそのまま立ち去っていく。すぐその後、Jmmyになり済ました私服刑事が近づいてきて、指名手配中の’Silky Bob’を逮捕、連行していく。刑事から手渡されたJimmyの手紙には・・・。と、ざっとこんな話だ。
Jimmyは、はたして、約束を覚えていてそこにやってきたんだろうか、偶然やってきて、といつも思うことだ。
お彼岸の中日、偶然出くわした人の群れに巻き込まれるまま、ある有名寺院に参詣することになった。
その人込みを歩いていく中、すれ違いざま、30歳前後の女性と一瞬視線があった。確かに見覚えのある顔だ。もう10年以上も前に教えたことのあるAさんに違いない。美人で特徴のある顔だったからよく覚えている。向こうは気づいたのかどうか、気になったぼくは、UターンしてそっとそのAさんの後を追った。ひとりで、ジーパン姿に大きなハンドバッグを肩からしょい、歩く姿に元気がない、どこか拗ねた歩き方だ、と思えた。ときどき立ち止まっては露天の店の商品を覗き込んでいる、その時見える横顔に、あの昔のはつらつとした表情とは打って変わった精気のなさに、わが身も顧みず、10年の歳月の流れと彼女がたどったその後の人生に思いを馳せた。極端にいえば全くの人違いかもしれない。たまたま、その日はそんな姿かたちであったのかもしれない。できたら、人違いでもいい、言葉をかけてみたかったが、そんな勇気も湧いてこず、たとえAさんであったとしても、Aさんは喜ぶはずもないだろうと、あきらめた。