夏の夕暮れ ― 金星、火星、土星、レグルス ―

7月20日、二日前に梅雨が明けた。途端にもう夏の真っ盛り、全国的に猛暑日が続き、気温35度を越えるところが続出。テレビでは盛んに「熱中症」の警告と予防を訴えている。
夕方、近くのスーパーに買い物に出かけたその帰り道、午後7時は過ぎているのに西の空はまだまだ明りをとどめ、青く澄みきった空には橙色から赤に染まったうす雲が、刷毛でなぞられたように、あっちにサーッ、こっちにサーッと漂っている。はるか向こうには淡路島の山並みが低く濃紺に沈み、右に展開する六甲山脈をはじめ、北も東ももうかなり薄暗いから、西の明るさは、まるで劇場の舞台のようだ。
その明るい西空に、ひときわ明るく光っているのが金星だ。宵の明星の形容にふさわしい明るさだ。さらにその少し南の上に心なしか赤い火星が、さらにその上に土星が、金星ほどではないが、それでも西空の明るさに負けないくらいの明るさで、見事に連なって見える。レグルスという恒星も見える。ずっと南に首を振ると、スポットライトが当たった舞台の天井の暗がりあたりに上弦の月が大きく輝いている。
目の前に広がるこの大パノラマを、いったい何人の人たちが見ているのだろう。まさかぼくだけではあるまい。しかし、ぼくの周りの観客席には誰もいない。耳にさしたイヤホーンからモーツアルトのレクイエム「入祭唄」が聞こえてくる。
さあ、長居はできない。舞台を背に農道を歩き出すと、4,50センチに伸びた田んぼの稲に大きなぼくの影が映って動く。
今年の夏も暑そうだぞ。でもいっぺんに元気が出てきた。しこたま買い込んだ食料品もそんなに重くは感じない。
遠くでまだ鳴いている蝉がいる。

余命いくばく ― 方丈記再読 ―

☆★☆ 方丈記 朗読 ☆★☆
 

『住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、何によりてか目をよろこばしむる。そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、いはゞ朝顏の露にことならず。或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。或は花はしぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、ゆふべを待つことなし。』

 

方丈記、冒頭の一節である。

高校生の時、この方丈記を初めて読んだ時の衝撃と言おうか、感動と言おうか、今でもこうして読み直してみて、また新たな思いでよみがえってくる。

自我に目覚め、我思うゆえに我あり、己を客体化して眺めることができるようになった時、そして「死」というものがとてつもない恐怖として感じ始めた時に出くわしたこの長明の文章は衝撃的であった。

しかしその時の死の恐怖は、その恐怖にも立ち向かっていくぞという、力強い生への決意と裏腹である。いわば、大海原を前にして、これからどんな大嵐に遭遇し、ひょっとしたら命を失うかもしれない、しかし船出するんだという果敢な決意を秘めていた。

だから、この長明の一節を読んだとき、なるほど死の恐怖を感じさせられはしたが、一面、その美文に酔い、死への陶酔さえ感じられる余裕すらあった。

今は違う。死は差し迫った現実だ。

 

今日、高校生と話していて、iPhoneにおもしろいアプリケーションがあるからダウンロードしろという。

なんだと聞いたら、余命を予告するプログラムで、それによると彼の余命は60年だそうだ。今彼は16歳だから76歳まで生きられるという。60年は短い。もっと生きたいと彼が言うんで、そんなこと信じるな、もっと生きられるよ、と励ましたが、まだこれから60年も生きられるなんて羨ましい限りだ。

ぼくなんて怖くて怖くて、こんなアプリケーション、ダウンロードできるはずがない。そこに突き付けられた余命は長くても知れているわけで、短かければショックでその場を取り乱すかもしれない。

いいよ、と断ると、察しのいい彼はすぐ別の話題に切り替えたが、はしなくも、最近どうも体調が思わしくなく、病院通いが増えて、その都度胸をよぎる「死」が、16,7歳前後に感じた「死」とは全く異質で、「美」のかけらもない現実なんだと改めて感じさせられた次第である。

 

孤独な群衆

 

コミュニティ・サイトが花盛りだ。ブログ、SNS、電子掲示板、チャット、メーリングリスト、ウィキ、数え上げたらきりがない。街中を歩いていても、携帯電話でピコピコしているのもこうしたサイトにアクセスしているんだろう。

Yahoo!パートナーやMatch.comといった出会いサイトを見ても、真剣な相手探しからひっかけ半分の投稿記事まで万とあり、mixiでは「マイミク」さん(仲よしさん)を何百人と持って、そんなにたくさんの仲よしさんとどう付き合うつもりなんだろう?と思える人たちがいたり、twitterと言って、ひとりブツブツつぶやくと、たちどころに見も知らぬ人から相づちを打ってくるものだから、つぶやくいている暇もないといったたぐいまで、実に多種多様だ。

一人が暮らす空間が地域だとか、学校だとか、ごく限られたものであったのが、ある意味、無限大に拡大したこうした世界が開けてまだたかだか20年かそこらだ。 バスが走り、鉄道が走り、誰もが車を持つ社会になって、ひと昔前なら「ど田舎」で、都会に出ることもままならなかっただろうと思える地域が、もう今では気軽に都会にも出られ、何不自由なく都会と同じ生活ができるようになったのと同じように、インターネットを利用した生活空間の広がりは、飛躍的どころか革命的といってもいいくらいの拡大をもたらした。

しかしよく考えてみると、交通手段の発展、交通網の拡大による人的交流とインターネットによるコミュニティ社会の拡大は本質的に大きな違いがある。

生身の人と人が接触するかしないかの違いだ。 インターネットによる生活空間はよく言われる「ヴァーチャル・リアリティ」の空間であって、そこで出会う人と人はあくまでヴァーチャル、幻想の人どうしなのである。インターネットを通しての言葉のやり取り、音声のやり取り、もっと便利になって映像のやり取りは限りなくリアリティを持つけれども、実物ではないし、実像ではない。

こうして出会いの場が増え、多くの人との交流が図れる世の中になっても、人の孤独は一向に解消されないどころか、その孤独から耐え切れず、自殺者は年間3万人を常に超え、自ら命を絶つ勇気も持たないまま、全く見ず知らずの他人を殺害して、死刑を志願する輩がここ最近増えてきた。

 もう半世紀以上も前になるが、アメリカの社会学者リースマンが「孤独なる群衆」で描きだした現代社会の病理はますます真実味を帯びてきた。

彼は言う。

土地に縛られ、階級に縛られ、社会的・地理的な移動はほとんどなく、個人の生れついた性別・身分に由来する特定社会の役割に限定されはするが、安定的な「伝統指向型」人間社会。

容易に土地を離れることができるようになり、共同体への恭順を逃れ、自己の持つ目的・目標に向かって、例えばそれはお金であったり、名誉であったり、善であったり、その方向を決めるのは自我を確立した個人であり、近代資本主義の担い手が中心になる「内部指向型」人間社会。

通信や交通が目覚ましい発展を遂げ、社会はますます流動化し、内面への指向すら立ち行かなくなった現代人は、他人との同調性を何よりとし、同時代人の反応にやたら敏感になり、他人の視線を常に気にする「他人指向型」人間社会。

このように、豊かな現代社会は、「伝統指向型」→「内部指向型」→「他人指向型」をたどり、今や誰もが、いっけん無関心を装いつつも、他人の監視のもと、常に他人を意識しなければ生きていくことができない大衆社会の中で、その大衆性とは裏腹な「孤独」に耐えながら生きている。

と、リーマンは分析する。

 なんと鮮やかな予言。「孤独なる群衆」はリースマン、1950年の著書である。

 

心療内科って?

☆★☆ オーバードーズ ☆★☆

「医院が「心療内科」を掲げることができるようになったのは平成8年、1996年だから、「心療内科」ができてまだ20年足らずくらいしか経っていない。
「病は気から」という言葉は昔からあり、医学の分野では「心身医学」として、心と病の関係は早くから取り上げられてきたわけだが、それを具体化したのが「心療内科」である。
ちなみにこの「心療内科」という科目があるのは日本とドイツだけで、日本の大学の医学部でもこの講座がある大学は多くない。
本来、「心療内科」は「内科」という言葉が付いているように、消化器とか、循環器とかの疾患の治療にあたるのだが、原因が心(精神)にある場合、精神面から治療を施すことによって臓器の治療、回復を図るのが目的なのである。
ところが昨今、鬱とか、統合失調とか、今までなら「内科」ではなく「精神科」に通うべきはずの患者が、この「心療内科」に殺到しているそうだ。生徒の中にもそうした者が最近多くて気になっている。
「精神科」はどうも昔からの暗いイメージが染みついていて行きにくいが、その点「心療内科」は抵抗感なく気軽に行けそうな気がする。
なるほど、「心療内科」にも二系統あって、「内科」から衣替えしたのと、「精神科」から衣替えしたのとがあるそうで、もともと「精神科」であったところのほうが多いと、ものの本には書いてあるが、ぼくの知る限り、もともと「内科医院」だったほうが多い気がする。
それはそれとして、この行きやすい「心療内科」、あまりにも行きやすくなったものだから、どうも安易に行く向きが多いようで気になる。
鬱といえば鬱のような気もするし、なんやら障害といえばそのなんやら障害のような気もするんだが、別に病院にかかるほどでもないんじゃないと思えるような人まで、気軽にこの「心療内科」にかかる。
しかも問題なのはそれからなのだ。
この20年の間に精神医学が飛躍的に発展した。今までタブーにされてきた脳科学の研究が電子機器等の発達によってタブーでなくなり、それから生み出された成果が薬にも反映され、今まで精神療法でしか治療できなかった心の病が、大きく薬物治療に依存するようになった。今まで手の施しようがなかった重度の「鬱」も薬を飲めば劇的に効く。「心療内科」で処方される薬も実に効くそうだ。ちょっとしたイライラ感、睡眠不足、無力感、正常でなく心に引っかかりがあるとすぐ「心療内科」に行き、それもたいがい親が行かせるんだが、薬をもらい、正常に戻る、を繰り返している生徒に何人も出会った。
本来の薬物依存とまではいかないのかもしれないが、それに近いような安易さが気になってしょうがない。
今まで顕在化しなかった心のちょっとした異変が病院に行けば「…症候群」だったり、「・・・障害」だったり、必要もない病名が名付けられ、まるで10人いれば十人十色、その誰にでもそれなりの病名をつけられそうな状況だ。
怖いのは、精神医学が短期間に高度に発展した結果、こうして安易に薬に頼り、またまた「人間の浅知恵」に終わりはしないかということだ。

惑星探査衛星「はやぶさ」の成果

月までの距離が360,000km、小惑星「イトカワ」までの距離が300,000,000km、敢えて距離をこう表示したのも距離感を実感していただきたいからだ。
ちなみに、火星までの距離が80,000,000kmだから、「イトカワ」は月はおろか、火星のさらに彼方にある、直径わずか300m、長さ500mほどのジャガイモの形をした小惑星なのである。
しかも、ここ1億年の間に地球に衝突する可能性があり、衝突した暁には、恐竜絶滅の原因になった過去の小惑星衝突とは比べ物にならないほどの被害を地球にもたらし、人類絶滅の危険性もあるといわれるから、なんとも恐ろしい小惑星なのである。
その小惑星に、日本の惑星探査衛星「はやぶさ」が2003年5月に打ち上げられ、2005年11月ごろに着陸し、7年間、60億kmに及ぶ宇宙の旅を終えて、その土壌サンプルを持ち帰ったのだから、ぼくのように少し科学に関心を持つものならば、驚きと日本の宇宙科学の素晴らしさに、快哉を叫ばずにはいられないわけだ。
たとえて言えば、東京から鉄砲を打って、沖縄にあるゴルフ場のバンカーにあるゴルフボールを打ち抜くようなもの、それ以上なのである。
全重量500Kgだから、軽自動車800kgに比べても少し小さいくらいだが、最先端科学の粋を結集した探査衛星で、使われたエンジンは「イオンエンジン」という、これまた世界の最先端を行く未来エンジンなのである。日本の宇宙技術がNASAを越えたといわれるゆえんである。
テレビで「はやぶさ」がオーストラリアに帰還した様子が放映され、若者たちが万歳を三唱し、涙を流す者もいた、あの場面と意義をどれだけの人たちが理解できたであろうか。
これを一部の科学マニアの感傷だと放っておいていいのだろうか。未来に希望を託す若者たちを突き放していいのだろうか。
この「はやぶさ」プロジェクトにしても、予算は、当初17億円であったものが例の「事業仕訳」で7千万円に減額され、さらに今や3千万円である。 プロジェクトは中断を余儀なくさせられているのだ。
日本も今や経済大国2位の席を中国に譲り、韓国のサムスンには日本の電気メーカーが束になってもかなわなくなり、大学新卒生の就職もままならない、何もかもに閉塞感の漂う現状に甘んじていていいはずがない。
日本経済を引っ張ってきた自動車産業ももうぼつぼつ曲がり角に差し掛かっている今、これからの日本の未来を切り開いていくのは、こうした宇宙産業であり、原子力発電など新しいエネルギー技術であり、iPS細胞から創出される再生医療技術、環境技術である。
アメリカの宇宙産業は軍事面と深く結び付いていて、その成果が世界最大の武器輸出国になって跳ね返り国の財政を潤し、イギリスも、フランスも今や中国も同じなのである。世界が今最も注目する「武器輸出国家北朝鮮」をはるかにしのぐ武器輸出国なのである。
軍事産業が国の産業技術を先導し、発展させ、国家の財政を潤しているのは紛れもない事実であるが、日本はそういうわけにはいかない。
そうした中、「はやぶさ」の成果は、これからの日本の歩むべき方向を指し示しているだけでなく、今の若者に勇気を与え、希望を持って世界に伍していける未来産業の端緒になるのである。

母校を訪ねて

♪♪♪ 学生街の喫茶店 ♪♪♪

 

香港在住の友人が来日することになり、初夏の陽光も眩しい古都奈良を訪ねた。
先月5月2日にも「遷都1300年祭」を開催している平城京を訪れ、その際訪ねた奈良公園は、吹く風にもまだ肌寒さを感じるほどで、木々はまさしく若葉眩しいころであったが、たった1か月で緑も深まり、行き交う人もすっかり夏衣裳に変わっていた。
行きの車中、お互い昔同じ地域に住んでいたことは分かっていたが、同じ高校の同窓生であることまでは知らなかったから、それを聞いたときは奇遇の不思議さに二度びっくり、最初訪れる予定であった紫陽花の「矢田寺」もいつの間にか通り過ごし、ただただ思い出話に花を咲かせることになってしまった。
公園についても、歩けば歩くほど汗ばむほどで、涼を求めて入った食堂の和室で美味しいそうめんの定食を取りはしたが、それ以上の散策もあきらめ、それでは母校を訪ねてみようということになった。
奈良郊外もすっかり昔とは趣も変わり、新しい住宅街が延々と続くなか、大阪と奈良の県境を越えたところにあるわが母校を目指した。
幹線道路からどの道をたどれば母校にたどりつけるか、昔なら、この幹線道路から田んぼをへだててはるか向こうに見えた母校がもう今では家、家、家で全く見えない。
ええーい、ままよと入った道をたどると、昔はいかにも田舎の駅舎であった国鉄の駅舎はなく、モダンで大きなJRの駅ビルディングに変わっている。辻違いであった。
ここから少し離れた踏切りを渡って母校にも行けたが、いまは一方通行で車では渡れない。仕方なく元の幹線道路に引き返し、探し探しやっとのことで母校に辿り着くことができた。
と言っても最初は母校とは分からず、また道を間違えたのかと思ったほどだ。
学校を囲む高いコンクリート塀がモダンな鉄製のサッシ塀に代わり、薄汚れた校舎としか印象が残っていない校舎が薄く明るいベージュに色塗られ輝いている。校門もすっかり昔と違う。
しかし校門を入ると確かにわが母校だ。右に小さな庭園があり、こんもりとした木立は昔と変わらない。その横の校舎の入り口も昔のままだ。古い木製のドアで厚手のガラスが入っている。入ると大きな古い振り子時計があり、アーチ型の天井が向こうに続く廊下は何とも懐かしい。
土曜日だから学校は休みだが、クラブ活動の学生たちがあっちこっちにたくさんたむろしている。
友人は、校門の左にあった大きなクスノキがないとしきりにつぶやいている。
校門からすぐ向こうに見える小高い山のふもとには神社があり、友人はそこで「初キス」をしたと山を見上げて突然告白した。恥ずかしそうな姿が初々しい。
夏休み、裸で勉強した教室はどこだっけ、ぼくをよく呼んでお茶をすすめてくれた社会の先生はどの部屋だったけ、校門の前で仁王立ちになって遅刻生をにらみつけていた「ドンコ」(近藤先生)はもう立っていないのかなあ、・・・・・
思い出せば思い出すほど、ただ、胸が熱くなるばかりだ。

水無月

♪♪♪ 薪能 ♪♪♪
月日の経つのは全く早いものだ。月並みな感想だが実感だからしょうがない。
梅を追い、桜を追い、バラを追いかけていたらいつの間にか菖蒲ですぐ紫陽花だ。もう今年も半ばにさしかかっている。
花ばかり追いかけるのも歳のせいだといわれるのはしゃくだから言っておくが、昔は高山植物にとりつかれ命を賭して深い山々まで分け入ったこともある。
自然の造形はなぜかくも美しいのか、なぜこんなに美しくなければならないのか、人を喜ばせるために単に美しいわけではないだろう。
そこにはやはり己が生命の保全と種の永遠性を保つための進化と適応性から生まれ出た象形が美しさとして感知されるのだろう。
フィボナッチ数列というたわいもない数列が、自然の造形美を人に説明していることはつとに知られている。
オウム貝の渦巻き、ヒマワリの種の配置、松ぼっくりの鱗片の付き方、マウスの繁殖の仕方、植物の葉の付き方、はたまた、パルテノン神殿の構造美、北斎の「神奈川沖浪裏」にみられる構図の美しさ、数え上げればきりがない。
自然の造形美が数(すう)であらわされる神秘は、自然のそして人工の造形美にも法則があることを告知している。でたらめではないのだ。
その自然の美しさに人は見とれ、ため息をつき、歳をとればとるほどひきつけられるのは、暇だからでもなければ、心に余裕ができたからでもきっとない。
神にすがり、仏にすがるのと同じで、命の安全性、永遠性を願ってのことに違いない。目の前に具象化された花々の美しさにそれを観るのだ。
6月1日と言えば、京都では平安神宮で「薪能」が奉納され、学生時代には毎年のように出かけていたものだ。
緩にして急、能舞いからもうかがえる人の一生は、まさに花と同じ、緩にして急なのである。

姥捨て山は今も

 
 リュックをしょって野道を行く人、サイクリングロードを颯爽と疾駆する人、二人仲好くジョギングするご夫婦、海辺でのどかに魚を釣る人、
 どれをとっても一服の写真になりそうな平和で幸せそうな光景だ。
 大型ショッピングセンターの大きなテレビを腰掛けて見入る中高年者たち、レジカウンターで食料品を手にして並んでいるひとり暮らしと思しき男たち、
 どれもみんな平日真昼間の光景だ。
 どこに行ってもどこに出かけてもこうした中高年の人たちがやたら目につく。
 自分も傍目から見ればその一員なんだが、その自覚が足りないまま、じっと観察しながら、この文章を書いている。
 果たしてこの人たちは本当に幸せなんだろうか、何を思いながら生きているんだろうか。
 もういいから静かに休んでください、私たちが面倒をみるから余生を楽しんでください、だと!
 いやいや、怒っちゃいけない、怒っちゃいけない、静かに静かに、腹を立ててはいけないよ。
 世の中そうなっているんだよ。もう十分働いてきたんだから、子供も育て、孫もできているんでしょ。
 そうかなあ、なんかだまされてる気分がするるんだけどなあ。
 誰が決めたの? いつ決めたの? その発想時代遅れじゃないの?
 いま人生、女性で84歳、男性で79歳の時代だよ。明治時代とは言わないまでも、大正、昭和の時代に形成された、例えば定年制をはじめとする労働観、そんな古臭い考え方で、ぼくらを追い払わないでくれよ。
 なんやら独立行政法人をご覧よ。バリバリ働いているかどうか知らないけど、とっくに定年過ぎているわが同輩たちが、法外な報酬を取って働いているんだよ。
 ずるいよ。
 われわれその日暮らせりゃ、何もそんな高いお給料ほしいと言ってるわけじゃなし、場合によっちゃ、お金なんていらない、とにかく働かせてくれって言っているだけなんだぜ。
 そうだろ、「勤労の義務」は憲法にだって謳われているんだよ。これなにも単に「国民はみんな働かなきゃいけないぞ」と言っているんじゃないんだよ。
 健康で文化的な生活を営むための国民の義務を規定してるんだよね。働かなきゃ、健康で文化的な生活は送れないよ、そのためにゃ働かなきゃいけないよ、って言っているんだと思うけどね。
 それともこうかい。お前たちはもう健康で文化的な生活を営むこともない、だから遊んでりゃいいだよ、ってーの。
 このまますね言言うのもいやだから、いっそのこと独立行政法人宇宙航空研究開発機構で「姥捨てロケット」でも作って、宇宙のかなたに放ってくれないかなあ。
 

中国人とパチンコ

中国人の友人と話していて、「中国にはどうしてパチンコがないの?」と聞くと、その答えがおもしろい。
中国でパチンコを解禁したら、とんでもないことになる。国中にパチンコ店ができ、パチンコ店に入り浸る人が一億人にはなるね。
だ、そうだそうだ。
一億人というと、日本の赤ちゃんからおじいちゃんおばあちゃんを含めて一億人だから、日本人全員がパチンコ店に入り浸ることになる。
ちょっと大げさに言ったのだろうが、友人の真顔から反論もはばかられた。
中国では、基本的には賭博は禁じられている。おそらく、中国人の賭博好きを知っての立法であろう。
それでも、マカオはアメリカのラスベガスに次ぐ政府公認の賭博が行われているのはよく知られたことであり、家庭内での賭け麻雀や賭けトランプは許されている。
実際、中国の至るところで、昼間から路上で麻雀卓囲んでいたり、テーブルでトランプに興じている光景をよく見かける。大概が賭けているそうだ。
マカオは国際賭博場であり、中国の外貨獲得という国の目的があり、庶民には手が届く賭博場ではないからいいとしても、家庭内の小賭博を認めてるところがまたおもしろい。
日本では競馬、競輪、宝くじ、TOTOといった政府公認の賭博以外は家庭内においても禁じられているから、窮鼠が猫を噛まない措置を講じているわけだ。
中国には1840年の「阿片戦争」に象徴されるように、国の存続さえ危うくするような「自制心のなさ」の自覚が底流にはあるのだろう。
「宗教は阿片」、ベートーベン、ゴッホ、ビートルズなど等「ブルジョア芸術は阿片」と、ひところはプロパガンダされたことがある。賭博も阿片なのだ。
魯迅が中国人の典型として描き出した「阿Q」は中国人インテリの頭からいまも消えず、自己の阿Q性を唾棄したくてもしきれない根性がくすぶり続け、権力を握る共産党幹部にはこの自縄自縛から解き放たれることなく、国民全体に真の自由を与えたら何をしでかすかわからない、中国には中国のやり方がある、人権よりも国の団結、と、國際社会では異質に見える「中国流」をいたるところで喧伝してはばからず、中国人同士では政府の悪口を口にし反目しあっても、対外的にはものの見事に一致団結、愛国心と中国こそ21世紀の覇者と胸を張る。
中国でパチンコが解禁されるのは、阿Qの非科学的思考、盲目的権威崇拝、際限なき自尊心、独善的「精神勝利法」から決別する時だろう。

ゴールデンウィーク

 
 毎年思うことだが、この五月の連休を4月29日から5月5日までぶっ通しにすればいいのに。
 実際そうしている企業もたくさんあるが、ぼくがみている生徒達はそうではない。
 今年に例をとると、公立中学校と高校は間の4月30日だけ登校、私学に通う生徒は4月30日と5月1日の2日は登校しなければならない。
 みんなブーブー言っている。当たり前だよな。何が連休だ。何がゴールデンだ。
 お父さんが休みで、せっかく家族揃ってみんなで何処かに行けるはずが行けない。
 そして学校に行っても、授業はなく、リクリエーションだったり、どこかに見学に行ったり、面白くもない行事に参加させられるそうだ。
 学校も、つまり先生もきっとつまらないんだ。仕方なくそうしてお茶を濁しているだけ。
 ここでもまたまた日本人の大好きな「我慢大会」!
 気がすすまないけど、考えても仕方ないんで、言ってもどうにもならなし、等々と心ではつぶやくんだけれど。
 どうも日本はこういう、ただそう成っているからとか、ただ昔からあるからとかということが多すぎる。
 だから、こういう事が積み重なると、今問題になっている「独立行政法人」も存続し続ける事になるだろうし、お役所仕事はお役所仕事のままだし、学校はますます荒れ放題だし、少子化はドンドン進むし、沖縄の基地問題だって、そもそも米軍基地が日本国内にこんなにあってもいいのかという根本を考えないから、国際社会からは振り向かれなくなるし、ろくなことはない。
 トドの詰まり、にっちもさっちも行かなくなるだけだ。
 まだまだ社会経験も浅く、窮屈さを肌で感じ、ブーブー言うだけの元気さはある若者も、やがてはその元気さも失い、けだるい社会に組み込まれ、「我慢大会」を忍んでいくしかない社会に未来はない。
 たかがゴールデンウィークのこと、されどゴールデンウィークのこと、ゴールデンがその名の通りゴールデンなのか、考えるだけでも今の日本が見えてくる。