老い

 
やだねェ!
認めたくないんだよね。自分が歳を取っているってことをね。だから何が苦痛かって歳を聞かれることほど苦痛なことはない。
この間も、近くの中学校がボランティアを募集していてね、学習支援をしてくれないかってーの。
今勉強教えている生徒が、「先生応募しろよ、俺が書いてやる。」って折り込み広告の応募欄に勝手に書きだしてね。名前、住所、そして歳を書かねばならないの。
「先生、いくつ?」― とたんに応募する勢いが萎えてしまったね。歳書かねばならないんだったら「いいや」ってね。(ちなみに、アメリカではこれは差別だとして老人の社会的活動で年齢を確認することはない。年齢差別ーエイジズムー
それでもしつこく聞くもんだから、「60前後って書いとけよ。」と言ったら、生徒、その通り書いちゃった。そして「あす、出しとくよ。」ってその応募用紙を持って帰って行っちゃった。
もう1週間も経っていて中学校からは何の連絡もないから、言った生徒が出していないか、歳をいい加減に書いたもんだから、いい加減な応募と思われたのか。はたまた、やはり歳が歳だからなのか。
(注;結局は要請があったんですがね)
ことさように歳を聞かれるのは、やだねェ。
それにね。
いちばん身近な人から、孫のことを話しているときによく「○○じいさん」って呼ばれるのも嫌で嫌でしょうがない。こんな呼び方、いじわるとしか思えないよね。
「お前さん、若くないんだよ!」って面と向かって言われているようなもんだもんね。自分と同じ年寄りに引きずり込みたいのか、この野郎!ってまったく顔が引きつるよ。
 
「老い」は避けがたいことで、自身もちょっとした動作にも苛立たしさを感じることもしばしば。逆らうにも逆らえようがないのがつらいね。
でも、人からは指摘されたくないし、ましてやそんな扱いをされたくもない、と思っているんですがね。
しかし社会の現実は、これでもかこれでもかと「老い」を押し付けてくる。
まず働かせてくれない。これでもまだお役にたてることはあるんだがなあ、とは思ってはみても、所詮は独りよがり。
しかたなく、スーパーマーケットに行ったり、コミュニティ広場に出かけてみたり、人が集まるところにはよく行くんだが、どこも老人だらけ。
こんな中に入りたくないと思ってはいても、結局は入ってしまっているんだよね。
やだねェ!まったく、やだ、やだ!

温室効果ガス25%削減

☆★☆ 地球温暖化の影響 ☆★☆
鳩山首相が国連で、2020年までに温室効果ガスを1990年比で25削減する新たな日本の中期目標を国際公約としたことについて国内外に大きな波紋が広がった。
「温室効果ガス」という話題の言葉もそうだが、みんなは何とはなく分った言葉として流通させているわけだが、できたらその内実をもう少し理解したうえで流通させるに越したことはない。
地球の現在の平均気温は約15度で、この「温室効果ガス」がなければ、地球の平均気温はマイナス約18度になっているはずで、今の地球の環境とは少し事情の違った地球になっているということはあまり知られていない。
つまり、今の地球環境に「温室効果ガス」は一定の寄与をしているわけだ。太陽光が地上に降り注ぎ地球を暖めているのは確かだが、もし「温室効果ガス」がなければ、地上に降り注いだ太陽熱の大半は再び宇宙空間に放出するわけで、地球を取り囲むオゾン層、二酸化炭素などの気体が地上からの放射熱を保留し、今の平均気温15度を保っている。それを「温室効果ガス」というわけだ。
このことをまず認識したうえで、いま語られている温室効果ガス問題であるが、18世紀におこった産業革命以来、人類は大量でかつ効果的なエネルギーを必要とし作り出してきた。その累積と二十世紀に入ってからのさらに大規模なエネルギー革命、それに伴う地球環境の破壊が、今の平均気温15度を上回る気温上昇を招くだろうと危惧され始めてきたわけだ。
自分の体温に引き換えればよくわかるわけだが、平熱が36度の人が37度になったらどうだろう。体の調子がちょっと変だなあと思うだろうし、38度つまり2度上がればかなりしんどく(注;「しんどい」は方言で「疲れた」が標準語だそうだが、?)なるだろう。3度上昇すれば寝込んでしまうし、4度上がって40度になればもう危険体温だ。それと同じことが今地球におこることが予想されているわけだからことは重大だ。実際このまま事態を放置すれば、21世紀末には今から5~6度の気温上昇するだろうというかなり確かな予測をする学者もたくさんいる。体温だと42度だ。ペストで死んだと言われている平清盛が死に際、お腹で湯を沸かしたと面白おかしく言い伝えられているけれども、その体温が42度くらいだ。
今はまだ1度上昇したくらいだからしんどいとやっと自覚し始めたところだが、今から早急に対策を打っていかなければ、10年から20年、後手に回ればもう加速度的に気温が上昇し、どんな対策も効果なしの状態になることも予測されている。北極海から氷が消え、南極の氷の層がが大幅に薄くなり、氷河が消え始め、ツバルという南太平洋ある国が水没し、世界のいたるところで異常気象が猛威をふるい、その兆候はいたるところで起こり始めている。
鳩山演説は政治家の演説ではない。科学者の演説だ。
実業に携わる方面からの批判は保身のためだとしか思えない。冷やかで反応の鈍い国家指導者もまたしかり。世界のみんなが正しい知識と判断力と実行力を持たなければ、一握りの「指導者」に任せていては、手遅れになる恐れがある。
核拡散不拡大、核放棄は本当に世界がその気になれば短期間で解決できるが、温室効果ガス問題はそういうわけにはいかないから早く覚悟を決めなければならない。
科学・技術立国、平和立国の日本が21世紀の世界をリードする絶好のチャンスでもある。

晩夏と初秋

 
☆★☆ 坊が鶴賛歌 ☆★☆
 
山に入るともう秋の気配、海辺を歩くとまだ夏の名残り、秋のシルバーウィークはくしくも「折節の移り変わるこそ 物ごとにあわれなれ」を体感した。
標高八百メートルちょっとの山だったが、木々の葉はぼつぼつ黄ばみ、時折吹きあがってくる沢風に冷っとするものを感じる。山道は千メートルを超える山もこの山もしんどさは一緒だ。上を見ずに足元だけを見て一歩一歩歩まないとこのしんどさに耐えられない。真夏ならいくら木々が生い茂っていても道は明るいが、今歩く道はもう暗い。時折聞こえてくるツクツクボウシの鳴き声も鳴き方がへたくそだ。秋の山道は音も静かだが、気配がそれ以上に静かだ。やっと辺りが明るくなって見上げた空には、雲ひとつなく晴れ渡っているけれど、上空高くに寒気が覆っているのだろう、薄く薄く霞が漂っている。ふもとの小さな食堂で、おやじにせかせて作らせた弁当がうまい。塩鮭が塩分の補給になったのか食べると元気になってきた。頂上から七キロくらい下がったところに温泉がある。さあ、その温泉を目指して下るとするか。

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さざ波が立ち、時々白い波頭が見える。その海風が耳元をかすめると心が躍る。ぎらつく太陽はまだ夏をとどめ、さざ波に散乱させられた光線が真昼のイルミネーションを作り出している。ここも静かだ。遠くのほうに釣り人が見えるがそのリールの音が間近に聞こえる。漁船が一隻、はるか沖合をゆっくり右から左に動いているがそのエンジン音もかすかに聞こえてくる。あとは足元に寄せては返すひたひた音だけだ。耳をじっとすますと、そのひたひた音の中から死んだおやじとおふくろの話し声が聞こえてくる。一緒に暮らした叔母の声が聞こえる。なんだこれは。風が運んでくるのか、波が運んでくるのか、自然に帰った魂がきっとここでは聞こえるのだ。
それにしてもみんなどこへ行ったんだろう。山にもいない。海にもいない。これがぼくが見た晩夏と初秋の風景だ。

民主党政権と維新

 
 ・三条実美(31歳) ・岩倉具視(43歳)・木戸孝充(35歳) ・西郷隆盛(40歳) ・大久保利通(38歳) ・伊藤博文(27歳) ・井上馨(32歳) ・山形有朋(30歳) ・西園寺公望(19歳)
 ここにあげた9名はいわゆる「明治の元勲」といわれる人たちと、明治元年つまり西暦1868年当時の年齢である。
 江戸幕府を倒し、明治維新を切り開き、明治の政治に重要な位置を占めた勤王志士出身の政治家たちをのちに「明治の元勲」と呼ぶようになったわけだが、広義には、板垣退助(31歳)、福沢諭吉(33歳)、大隈重信(30歳)といった人たちも含めていうこともある。
 短期間でほぼ独力で立憲制度に基づく近代国家を作り上げ、西洋列強に肩を並べる国家に築きあげたことは、諸外国からも奇跡と受け止められ、特にアジア諸国においては、明治維新を模範とする改革や独立運動を行おうとする動きが活発になり、中国からは大量の留学生が送り込まれ、中国近代化の父と呼ばれる孫文をはじめ、周恩来、魯迅といった人たちも日本で学ぶことになるのであるが、そうした礎を築いたのが「明治の元勲」といわれる人たちだ。
 地方を旅していつも驚くのは、山を抜け、谷をわたる鉄道だが、この鉄道網も明治の初めには全国通津裏裏に張り巡らし、どんな人里離れた所にも学校を建てて学制を敷き、近代教育を国民全員に施したことが、その後の国の発展にどれだけ寄与したことか、今や思いを致す人は少ない。
 そして今、民主党が50余年来の自民党支配を打倒し、「維新」にも匹敵するかのようにいう人たちもいるが、果たしてどれだけ世の中が変わるやら。
 何をやるにもやはり「若さ」は大切だ。物事をたくさん知り、経験を多く積んだことよりも、怖さ知らずで突き進む馬力が必要な時もある。
 鳩山さんやら小沢さんも、またそのほかの政治家たちも、「明治の元勲」に勝る馬力があるとはとても思えない。

中国人の見た日本

 
サーチナ(Searchina)という、中国情報、特にファイナンス情報を中心に、日本を含めたアジアや新興国に関する情報を配信しているポータルサイト(Yahoo!のようにあらゆる情報を発信している巨大サイト)がある。ここに「中国ブログ」というコーナーがあって、おもに、日本にやってきた中国人たちの「日本印象記」が載っていて、いつも興味深く読んでいる。
中国という国がいまだに情報管理国家だということは誰しも認めるところであり、国の秩序を乱すあらゆる情報をチェックし、時には平気で都合の悪い情報は削除してはばからぬ国である。特に教育においては、戦後半世紀もたった今も日本の侵略戦争を糾弾し続け、テレビでも毎日どこかのチャネルをひねれば必ず日中戦争を題材にした映画やドラマが流されていて、日本軍人の残酷さをこれでもかこれでもかというほどリアルに描いて見せている。こういうわけだから、一般中国人の日本、および日本人に対する印象はすこぶる悪い。
そんな中、最近は日本に観光でやってくる中国人も急増し、デパートや電気街には中国語が飛び交っているという光景を、きっと皆さんも体験しているだろう。こうした観光客も含め、仕事で日本にやってきた中国人、留学してきた中国人が、この「中国ブログ」に「日本印象記」を投稿しているのである。
そして一様に、来日する前に持っていた日本に対するイメージと現実に接した日本とがあまりにもかけ離れているのにびっくりしている。
一番に秩序の正しさ、清潔なこと、礼儀正しいこと、親切なこと、気品のある人格、日本女性の美しさ、自国中国と日本の差はこうした「民度」にあると、読んでいてもこちらがこそばゆくなるほどの礼賛ぶりである。そして中には「真の愛国心」を発揮して、中国も日本にもっと学び、日本をハード面だけでなくソフト面においても凌駕することを願っている。
正しい判断である。日本を買いかぶりすぎている面も無きにしも非ずだが、あまりにも偏った情報でしか知らない日本と、自分の目で見、膚で触れた日本との違いが分かることは、たとえ一握りの人たちによって実現されたことであるにせよ、その成果は大きい。こうしたブログをまた多くの人が見、中国人の日本に対する見方が変化していけば、両国にとって決して悪いはずがない。
と同時に、はたして今の日本が、中国人たちが見て感じたほどほんとうにいい国なのか、過去、日本が中国に学び、今、中国が日本に学ぼうとしているわけだが、また、日本が中国に学ばなければとなりはしないか、そんなこともちらっと頭をかすめた。
 

婚活と離活

 「婚活」という言葉が流行してもう久しくなりますが、すたれやすい流行語の中では息の長い言葉です。「結婚活動」を略した造語であることはみなさんすでにご存じのとおりです。
 結婚を意識して積極的に活動しなければならないというニュアンスがありますから、おそらく20代の男女を対象にした言葉ではなく、20代も後半、むしろ30代以降の世代に適用される言葉ではないかと思われます。
 今の30代40代の世代が育った環境は、日本がまだ「バブル」に向けて経済活動も活発化した時代でしたし、大学への進学率、特に女性の進学率が一気に上昇し始め、大手予備校が全国展開を果たし始めた時代に符合します。それまでの「鍋かめ下げて」という結婚観から「三高(高収入・高学歴・高身長)」を求めての結婚観に変化するのもこのころからで、女性の高学歴化に伴う社会進出が、それまでの結婚事情をすっかり変えてしまいました。昭和45年の平均初婚年齢をみると、男性26.9歳、女性24.2歳だったのが、子供世代になった平成19年では、男性30.1歳、女性が28.3歳と初婚年齢は遅くなっています。
 女性も大学を出れば22,3歳、就職して2,3年はまだ「かけだし」、4,5年経つと仕事の面白さが分かり始め、それなりの地位も獲得し、「キャリア・ウーマン」と呼ばれ始めるのもこのころ、30歳前後ですね。仕事をとるか結婚をとるか、二者択一を迫られるけれども、できたら結婚も、ということで始めるのが「婚活」ということになるのではないでしょうか。
 そして幸いにして結婚はしたものの、夢と現実は大違い。収入も自分とは大差なく、仕事にくたびれて、夫は単なる同居人、それならいっそ離婚して、といとも簡単に離婚してしまうのもこの世代。僕が教えている子の半数は片親、お母さんが大概子どもを引き取っているんですね。
 もう少し上の世代になると、子供を育て上げるために我慢し、耐えてきたけれど、もう子供も手を離れ、もう一度自由に羽ばたきたいと「離活」に走る。
 こうして事情は様々ですが、離婚率が上昇の一途をたどっているのも事実。そして離婚はしたものの、しばらくは自由は満喫できても忍び寄る「さびしさ」には堪え切らない。またまた「婚活」を活発化させる。
 「婚活」の勢いは止まりません。今や、老いも若きも「婚活」花盛りの様相です。 
 
 

生物と無生物のあいだー福岡伸一

 
「新書大賞、サントリー学芸賞、ダブル受賞」、「60万部突破!」、のっけから仰々しいタイトルが表紙を飾っている。前にも言ったが、僕はあんまりこんな仰々しいタイトルの本は読まない。本屋さんにはよく行くんだが、これはという本がない中、「サントリー学芸賞」という、ヘエー、あのサントリーがと思って手に取ったのがこの本だ。表紙の裏をめくってみると、筆者「福岡伸一」さんの写真が載っていて、僕の友人そっくりなのも身近に感じプロローグを読んでみるとなかなか面白そうだ。買ってみた。
科学者が書いた本はどちらかというと味もそっけもない本が多い。湯川秀樹先生が書いた「旅人」が印象に残っているくらいだ。ところがこの本を読んでいくうちに自然と中に引っ張り込まれていく。なぜか。各章の初めには、ボストンだとか、ニューヨークだとか、筆者が過ごした研究所の土地の風景が描かれていて、実によい。自分がまるでそこに佇んでいるかのように、細やかに季節季節の風景が描かれている。もちろん内容は「分子生物学」というお硬い内容なんだが、そのお硬い内容にスーッと入り込んでいける。これは大切なことだ。どんな名画もよい額縁に入っているからこそ、いっそう引き立つのと同じだ。
さて内容なんだが、今よく話題に上るDNA、その構造の解明の歴史とそれに携わった科学者のあくなき闘いとそれにまつわる科学者同士の暗闘。生命体が、ミクロなパーツからなる精巧なプラモデル、すなわち分子機械の集合体と言えるまでに行きついた生命科学、しかし、無数の電子部品からなるコンピュータがたった一つの部品が欠落しても動作しなくなるのに対し、生命体はひとつの重要部品を取り去っても、何らかの方法でその欠落を補い、全体的にはその欠落がないかのように生き続ける生命体の不思議とダイナミズム。
筆者は血糖値をコントロールするインシュリン分泌のメカニズムが、究極、細胞内の分泌顆粒膜の特殊たんぱく「GP2」によることを突き止め、それを検証するために、苦心惨澹の末「GP2」の欠落したマウスを作り出すことに成功するが、驚くなかれ、「GP2」が欠落しインシュリン分泌のコントロールが効かなくなってその障害が発症するはずのマウスが、他の健常マウスとなんら変わりなく生き続けるという結末に、筆者の落胆ぶりと、筆者の生命に対する畏敬と感動が同時に伝わってくる。しかし明らかに筆者は、落胆よりも、生命体のダイナミズムに感動したのだ。そしてそれはおそらく筆者にしか感じ得ない感動なのだ。
何事においてもそうだが、究めれば究めるほど、自分の非力と無知を知る。だからこそ、それがいっそうの励みにもなるし、謙虚さのなんたるかを知ることにもなり、人にも無限の寛容で接することができるのだ。
いい本だった。

「さん太」から「Santa」

 
なぜ「Santa」なんだと時々聞かれる。話せば長くなるから「うーん」といっただけで、もうそれ以上は誰も聞かない。
別に聞いてほしいわけでもないんだが、その由来を考えると、今の時代をふと考えてしまう。
「Santa」はこうしたwebの時代に合わせたニックネームというか、ハンドルネームで、もともとは「さん太」というのが僕のニックネームだった。
中学生の時、阿部次郎の「三太郎の日記」という本をたまたま持っていたら、ぼくの取り巻きの悪童たちが「なんじゃ、これ、さんたか」とあざけった事から、それ以来みんなが僕を「さん太」、「さん太」と呼ぶようになった。皆はもちろんこんな小説を知っていた訳はないんで、ときには多少揶揄するような口調で呼ぶこともあったが、僕は決して不愉快には思わなかった。なにぶん中学生だからそんなに深い意味が分かってたわけではないんだろうが、「三太郎」がとても好きだったし、そんな考え方、生き方に憧れをもっていたからだ。
ところで今の中学生や高校生はどんな本を読んでいるんだろう。いや大人でもそうだが、書店に並べられている本であまり哲学的な本を見たことがない。今の読書事情をよく知って言うわけじゃないから偉そうなことは言えないし、ぼく自身だって最近はそんなたぐいの本はあまり読まないんだけれど、新刊本のコーナーを見て思うのは、「軽い」本がやたら多い。読んでみれば中には手ごたえのある本もあるのだろうが、表題からして「人受け」を狙っているようで、それだけで僕などは読む気がしない。
最近では村上春樹の「1Q84」が話題に上って、予約しても手に入れることができなかったとか、200万部を超えたとか言っているけれど、だから当分は読まないつもりだ。しばらくしたらみんなの評価も定まるだろうから、読むに値する本なのかどうかわかるだろうからそれまで待つつもりだ。
「ハリーポッター」なども話題に事欠かない本だが、まだ読んだことがない。生徒などはよく読んでいて、あらすじを教えてくれるんだが、今の僕には読書欲をそそられる本ではない気がする。
概して、これも時代の流れなんだろうが、じっくり腰を落ち着けて沈思黙考、本と対決するような本が少なくなってきているように思うんだが、みなさんどうだろう。
「三太郎の日記」は今でも深く心に残っているし、今読んでもまた心にさざ波が立つ。ひょっとしたら、僕が成長せんじまいにこの歳まで来てしまったのかもしれない。
 

ああモンテンルパの夜は更けて

悲しいことに、人の心を揺さぶる感動は往々にして悲惨な出来事の中から生まれることが多い。幸か不幸か今の日本のような状況からは生まれえない。日常生活に大きな不満があるわけではなく、と言って満足しているわけでもない状況は人の心を怠惰にしてしまう。
また時代が変わったからということもあろう。テレビ、インターネット、その他さまざまなメディアはいやがうえにもわれわれを情報の渦中に放り込んでしまい、ひとつひとつはびっくりするような事件であったり、心動かす出来事であるかもしれないが、量の多さと次から次に送り込まれてくるそのめまぐるしさに翻弄されるだけ、感動しているいとまもないのだろう。
「ああモンテンルパの夜は更けて」― 歌手「渡辺はま子」によって紹介されたこの歌には、日本の悲惨な時代に生まれた心揺さぶられる感動秘話がある。インターネットを検索してももたくさん紹介されているから、ご存知の方も多いだろうが、またご存じでない方ももっと多いだろう。
ぜひとも語り継いでいってほしい秘話である。
太平洋戦争が終わり、敗戦。フィリピンで戦争犯罪の罪の問われ、「死刑」もしくは「終身刑」で故国に帰ることができなくなった100余人の虜囚は「モンテンルパ刑務所」に収容されていた。そのうちの二人が、もう二度とふたたび踏むことはあるまい故国を想い、詩を書き、曲をつけて囚人仲間に歌われていたのがこの歌だ。
戦前から戦後にかけて活躍した日本の流行歌手、渡辺はま子は戦後の慰問活動にも積極的に参加し、たまたまモンテンルパ刑務所の日本人教誨師から送られてきたこの歌に出会う。その曲の美しさと詩の内容に心打たれた渡辺はすぐさまこれをレコードにし、なんとかモンテンルパ刑務所を訪ねようとするが、戦時中の慰問活動が災いして、なかなか渡航許可がおりない。しかし渡辺の執念はモンテンルパ刑務所慰問を実現することとなり、刑務所を訪ねた渡辺は振り袖姿で「ああモンテンルパの夜は更けて」を歌いだす。囚人たちは歌いなれたこの歌が母が歌う子守歌にも聞こえ、いつしか涙なみだの大合唱になっていく。
そして後日談。
この「ああモンテンルパの夜は更けて」は日本でも大ヒットし、そのオルゴールを持って刑務所を慰問した例の教誨師は、時のフィリピン大統領キリノに面会を許され、そのオルゴールの曲を披露したところ、一息ついた大統領は目に涙を浮かべながら、自身の妻と娘を対日戦で亡くしたことを語りだし、「私がおそらく一番日本や日本兵を憎んでいるだろう。しかし、戦争を離れれば、こんなに優しい悲しい歌を作る人たちなのだ。戦争が悪いのだ。憎しみをもってしようとしても戦争は無くならないだろう。どこかで愛と寛容が必要だ。」と語り終えて執務室から消えていった。
その1ヶ月後、「モンテンルパ刑務所」に収容されていたB・C級戦犯全員に特赦が下り、全員日本に送還されることとなる。

フェルマーの最終定理ーアンドリュー・ワイルズ


久しぶりで骨のある読み物を手にし読破することができた。数学好きの高校生諸君にはぜひともこの夏の読み物として読んでいただきたい。いや数学好き、また高校生諸君だけではない。物事にまともに取り組もうとする人であればだれもがきっと夢中になって読める本だと思う。平成18年6月1日に初版が発行され、平成20年6月10日に15刷が発行されているのだから、もうずいぶん多くの人が読んでいて、ぼくが紹介するのもおこがましい限りだが、それでも呼びかけたいと思える本だ。
前置きは長くなったが、この記事のタイトルにも書いた「フェルマーの最終定理」という表題で、著者はイギリス生まれのインド人サイモン・シン、訳者は青木薫という女性物理学者による「感動の数学ノンフィクション!」、500ページの新潮文庫本である。
面白いのは、著者も訳者も最初は数学を志したが、最後は物理学に進んだ経歴の持ち主ということだ。著者サイモン・シンはその後英テレビ局BBCに転職し、今は作家生活というからなお面白い。数学に対する憧れと羨望の気持ちは持ちながら、自分の才能と適正を判断しての方向転換だったのだろうが、数学の持つ美しさは忘れられず、門外から眺めた数学だからこそ、もっと門外漢である僕などにも分かりやすく、わくわくさせながら読ませたのだと思う。著者の力量と訳者の手腕がマッチした実に読みやすい本だ
「フェルマーの最終定理」はそれこそGoogleの検索にかけてもらえばすぐにでも概要はつかんでもらえるだろうから詳しい説明は省かせてもらうが、1600年代初頭のアマチュア数学者フェルマーが、本職の法律書の余白に書き残したきわめてシンプルな定理である。誰もが中学校の数学で学んだ「三平方の定理」またの名を「ピタゴラスの定理」と聞けば「ああ」とおぼろげにでも思い出せるあの定理を発展させたものだと思えばいい。
このアマチュア数学者が提出し「真に驚くべき証明方法」を発見したが余白がないので書き残さなかったというこの「大定理」に、過去360年間世界の名だたる天才数学者達が挑戦してきたがついえず、しかしその過程で数学のすそ野が大きく広がり、数学発展に大きく寄与した点でもまさしく「大定理」なんだが、「底なし沼」に吸い込まれていった人たちも数知れず、「数論だけには手を出すな!」と言われるほどの魔境でもあったわけだ。
そして20世紀も残り少なくなった1995年,ついにイギリス人数学者アンドリュー・ワイルズがこの「フェルマーの大定理」の証明に悪戦苦闘の末成功したわけだが、この本にはワイルズの戦いぶりとそれにまつわる様々なエピソードが盛り込まれていて、中でも日本人数学者、谷山、志村両氏の提出した「谷山・志村予想」というこれまた数学での難問題が、ワイルズの成功に大きく示唆を与え、貢献したことを正当に評価している点などもわれわれ日本人の心を揺さぶる。
関心のある人にはぜひとも一読をお勧めしたい一冊だ。