形骸化ー例えば教育現場ー

 
早いものでもう21世紀も10年も経ってしまった。
昨年はリーマンショックに端を発した世界同時不況は、本家本元のアメリカはその不況から脱し得ていないのは自業自得といえば自業自得なんだが、バブル崩壊後、各企業はスリム化し足腰が強化され、リーマンショックにもそれほど影響を受けることはあるまいとたかをくくっていた日本が、未だに低迷しているどころか、デフレ、デフレのスパイラルで民主党が掲げる「国内需要喚起」もままならず、40兆近くの税収不足はさらなる借金地獄に飲み込まれていく状況だ。
民主党政権が生まれ、明治維新に匹敵する革命だという人もおれば、どうせ自民党政権時代とは大して変わったこともあるまいという向きもある。どちらの予測が正鵠を穿っているのか判断できないが、社会の仕組全体が形骸化しているのは事実だ。状況状況に即して対応出来ていない現実がそこかしこに見受けられる。
長年教育の分野に携わってきたが、この分野はその最右翼と見ても差し支えあるまい。
第二次世界大戦以後も様々な教育改革がなされてきたが、屋台骨は結局は明治新政府が構築した学制の上に乗っかっているだけで、それ以来100有余年も経ち、当時とはまるで変化してしまった社会状況になっているにも関わらず、それに対応した教育環境が再構築されないままの状態で来ている。これは大枠から見た日本の教育事情で、もっと具体的、日常的に見受けられる様々な教育問題が例示的でわかり易い。
例えば高校の数学の授業。その現場をつぶさに見たわけではなく、いま家庭教師的に教えている生徒から聞く話で判断しているわけだが、先生も生徒もまるで「我慢大会」をしている授業の様子が見えてくる。
それほど学力の高い高校ではなく、文系の2年のクラスの「数学Ⅱ」の授業風景であるが、先生は黒板にひたすら解答を書いていて、大半の子はまじめでそれをノートに書き写しているが、それもただ写しているだけだと推測されるんだが、机の下でゲームをしている子、マンガ本を読んでいる子、居眠りをしている子、うわの空でただぼーっと黒板を見ている子、そんな生徒も結構いるそうだ。そのクラスの子達は一応大学受験を目指している子が多いそうだが、「数学Ⅱ」までいる子はほとんどいないという。教えている生徒が持ってくる問題集も、およそこの生徒には無理難題の「赤本」という最高レベルの問題集だ。それでも何時何日までに出された宿題をやっていかねばと、教えて欲しいと持ってくる。一所懸命教えてはやるが、わかってくれているのやらどうやら、なにか虚しい。こうして「我慢大会」に付き合せられるハメになることしばしばである。
「我慢大会」のような授業から得られるのは先生も生徒も「忍耐力」だけだ。
こと「数学Ⅱ」だけではない。「英語」その他の科目もまた然り。教育現場の至る所でこうした形骸化した、古くさい授業形態や、使いもしないのに常に最新のコンピューターが並ぶ「コンピュータ教室」、ただ上からだけの教育改革、そんなもので満ち溢れている。
敷衍すると社会全般にもこんなこと、つまり「形骸化」が満ち溢れているわけで、これが無駄を生み、国中借金にまみれ、ますます世の中を住みにくくしている。
やはりどこかで、「革命」ってやつがいるのかな!?
 
 

これってホント?ーインフルエンザウィルスは寒さと乾燥に強いー

 
 ある大手製薬会社の健康サイトに、「寒さと乾燥に強く、暑さと湿気に弱いインフルエンザウイルスにとって、冬は最も活発になれる季節。インフルエンザが冬に流行るのは、そのためです。」と書いてあるんですね。ちなみに、他の「インフルエンザ」とか「風邪」とかで検索して調べてみたら、例えば、「のどの粘膜が乾くと風邪の原因となるウイルスが体内に侵入しやすくなってしまいます。のどの乾燥を防ぐため室内では加湿器 を使うとよいでしょう。湿度は60~80%くらいに設定します。ウイルスは空気が乾燥した状態で活動が活発になり、逆に湿度が高いと死滅します。」といったように、どれもこれと似たり寄ったりの表現が多いんです。
 果たしてそうでしょうか。ウイルスの専門家ではありませんので、ここに言われている事の真偽を判定する能力は持ち合わせていませんが、ウイルスといえども生物の範疇、つまり、細胞をベースにして生命活動を行う生命体とは言えないかもしれませんが、自己増殖をおこなうという意味では限りなく生物に近い存在で、適度の温度と適度の湿度は生命体維持にとって重要条件になると思います。
 ですから、インフルエンザウィルスが「寒さと乾燥」に強く「冬に最も活発になれる」のではなくて、冬は外気が寒くて乾燥していて活発に活動できないから、暖かくて湿潤な人の体内は格好のすみかになり、他の季節に比べて圧倒的に体内に入ってくるウィルスが多くなる。ウィルス自体は季節のいかん、自然環境のいかんを問わず常時、体の内外に存在するけれどもその数が問題で、ある限度以上に体内で増殖するといろんな悪さをしだすわけで、冬にインフルエンザウィルスが猛威をふるうのは、「寒さと乾燥に弱く、適度な暑さと湿気に強いインフルエンザウィルスにとって、冬は人の体内で最も活発になれる季節。インフルエンザが冬に流行るのは、そのためです。」となるんではないかと、だから、部屋を暖かくして湿度を60~80%くらいに設定するとウィルスは何も人の体内に逃げ込む必要がないわけで、部屋の中に居場所を移す、よって体内のウィルスは絶対量が減るからインフルエンザにかかりにくくなる、と、こう考えるのが正しいんじゃないかと思うんですがね。
 誰かウィルスに詳しい人、教えてくれませんかね。
【追伸:2019年】
今年は8月から全国的にインフルエンザが流行っているそうです。沖縄では警報も出ています。この原因も同じで、猛暑でインフルエンザ菌は耐えられず、環境的に好都合な人体に避難してくるからです。早く学者諸君、検証してください。
 
【参考】

私信ー大原の里を訪ねてー


今朝の朝食は身も心も暖まる朝食になりました。
いただいた大根はふろふきにして、昨日大原で買っていただいた「ゆず味噌」をたっぷりとぬり、暖かい玄米ご飯で食べたらもう最高でした。
それと、この大根に付いていた葉っぱ、普段買う大根にはこれが付いていなくて、それも沢山付いているのでどうしたものかと思案していてですね、ちょっと葉っぱの端っこを生のまま食べてみたら、とても柔らかくほろ苦みがあって美味しんです。これはもったいない、さっそく買ってあった鶏肉と醤油の薄味で、葉っぱの緑が消えない程度に煮込んで食べてみたら、これがまた実に美味しい。
最後に食べた赤かぶらのお漬物も美味しいし、最高の朝食になりました。
京都大原といえば、たしか寂光院が焼ける前だったからもう十年以上になりますか、それまでにも何回かは行ったことがあるんですが、その時は鞍馬からひと山越えて歩いていったことを思い出しました。昨日もそうですが、大原は里道がいいですね。至る所に清流があり、美しい野草を見て歩くのも楽しいし、ちょっとしたお店で民芸品や焼き物を見るのも楽しい。どこからともなく芳香が漂ってくるので先を見ると、テントの中でお茶を炒っているお店がある。挽き茶を摘んでみると香りがぱあっと口に広がり、心もやすらぎました。
寂光院のお堂はすっかり新しくなっていて、六万体地蔵菩薩も当初の彩りを蘇らせ、それはそれなりに美しく、これからも多くの人達のご礼拝をお迎えになるのでしょうが、お堂が焼けたときは本当にびっくりしましたね。金閣寺の時もそうでしたが、昼間の喧騒がおさまり、本当の静寂が訪れたとき、闇夜の静寂にたたずむ無限に美しきものを独占したいという気持ちと、おのが身と心の醜さに引き比べて嫉妬し、炎という情念の中にかき消したいという人の魔性を引き出した結果だと思いました。
紅葉はもう盛りを過ぎ、温かい陽だまりの所だけかろうじて大原の紅葉をとどめていましたが、それもそのはず、昨日食べに入ったお店は客席が全部電気炬燵でしたものね。白いお餅の入った小豆ぜんざいで体が暖まりほっとしましたよ。
もう今年もあとわずか、お互い元気に年を越せますよう。合掌。
035大原にて

西国三十三箇所を巡り終えて

♪♪♪ 西国三十三箇所御詠歌 ♪♪♪

「西国三十三箇所巡礼」とタイトルに謳いたいところだが、おこがましくも「巡礼」というほどの信仰心をもっての旅ではなかった。
4年前の2005年(平成17年)9月18日、第一番札所である和歌山県紀伊勝浦町にある「那智山青岸渡寺」から始まった西国三十三箇所巡りを先日、2009年(平成21年)11月23日、最後の第三十三番札所である岐阜県揖斐川町にある「谷汲山華厳寺」でやっとのことで終えた。
思えば、本屋さんでたまたま西陣織の表紙の付いた「西国三三所観音霊場御納経帳」を見かけたのが動機といえば動機だった。
本の見開きに「観音菩薩」の絵があって、各ページには札所札所のお寺の水彩画が描かれてある。昔住んでいたところに「富田」さんという画家がおられて、画風がとてもよく似ているが、納経帳のどこを探しても作者の名前が見当たらない。どなたが描いた水彩画か知らないが、ここに描かれたお寺をこの目で見たいという思いと、そこを1,000年余という歳月を超えて巡ってきた人たちの思いを探ってみたかったというのも動機の一つにはなったような気がする。
札所一番の「青岸渡寺」は和歌山県の紀伊勝浦にあるので、車を持たない僕は、世界最軽量の自転車DAHONを買い、これを担いでJR紀勢西線の「くろしお号」に乗ったのが旅の始まりだ。「ホテル浦島」の洞窟温泉で旅支度を解いた翌日、標高600m位の「青岸渡寺」を目指し一気に駆け上った思い出が沸々と蘇ってくる。
思い起こせば、三十三のどのお寺にもその石段には過去幾多の人たちが踏み込んだ足跡が刻みこまれ、寺門や御堂の至る所に張られた「千社札(せんしゃふだ)」という紙のお札には、現世でへばりついた垢を少しでも拭い去り極楽往生を願う、ある意味強欲な「人の身勝手」も感じられなくもなかった。
それにしても総行程1,000kmに及ぶといわれる「西国三十三箇所」を昔の人たちは歩いて巡ったわけだが、どのお寺も総じて険しい山道をたどらねばならない場所にあり、いったい人をして今に至るまで何がここまでに執着させるのか、どんな思いも一点、やはり誰も避けることのできない「死」に対する恐怖、戸惑い、心づもりからであり、そしてそれらをいっとき忘れことができる巡礼の苦しさ、また楽しさなのだろう。

老い

 
やだねェ!
認めたくないんだよね。自分が歳を取っているってことをね。だから何が苦痛かって歳を聞かれることほど苦痛なことはない。
この間も、近くの中学校がボランティアを募集していてね、学習支援をしてくれないかってーの。
今勉強教えている生徒が、「先生応募しろよ、俺が書いてやる。」って折り込み広告の応募欄に勝手に書きだしてね。名前、住所、そして歳を書かねばならないの。
「先生、いくつ?」― とたんに応募する勢いが萎えてしまったね。歳書かねばならないんだったら「いいや」ってね。(ちなみに、アメリカではこれは差別だとして老人の社会的活動で年齢を確認することはない。年齢差別ーエイジズムー
それでもしつこく聞くもんだから、「60前後って書いとけよ。」と言ったら、生徒、その通り書いちゃった。そして「あす、出しとくよ。」ってその応募用紙を持って帰って行っちゃった。
もう1週間も経っていて中学校からは何の連絡もないから、言った生徒が出していないか、歳をいい加減に書いたもんだから、いい加減な応募と思われたのか。はたまた、やはり歳が歳だからなのか。
(注;結局は要請があったんですがね)
ことさように歳を聞かれるのは、やだねェ。
それにね。
いちばん身近な人から、孫のことを話しているときによく「○○じいさん」って呼ばれるのも嫌で嫌でしょうがない。こんな呼び方、いじわるとしか思えないよね。
「お前さん、若くないんだよ!」って面と向かって言われているようなもんだもんね。自分と同じ年寄りに引きずり込みたいのか、この野郎!ってまったく顔が引きつるよ。
 
「老い」は避けがたいことで、自身もちょっとした動作にも苛立たしさを感じることもしばしば。逆らうにも逆らえようがないのがつらいね。
でも、人からは指摘されたくないし、ましてやそんな扱いをされたくもない、と思っているんですがね。
しかし社会の現実は、これでもかこれでもかと「老い」を押し付けてくる。
まず働かせてくれない。これでもまだお役にたてることはあるんだがなあ、とは思ってはみても、所詮は独りよがり。
しかたなく、スーパーマーケットに行ったり、コミュニティ広場に出かけてみたり、人が集まるところにはよく行くんだが、どこも老人だらけ。
こんな中に入りたくないと思ってはいても、結局は入ってしまっているんだよね。
やだねェ!まったく、やだ、やだ!

温室効果ガス25%削減

☆★☆ 地球温暖化の影響 ☆★☆
鳩山首相が国連で、2020年までに温室効果ガスを1990年比で25削減する新たな日本の中期目標を国際公約としたことについて国内外に大きな波紋が広がった。
「温室効果ガス」という話題の言葉もそうだが、みんなは何とはなく分った言葉として流通させているわけだが、できたらその内実をもう少し理解したうえで流通させるに越したことはない。
地球の現在の平均気温は約15度で、この「温室効果ガス」がなければ、地球の平均気温はマイナス約18度になっているはずで、今の地球の環境とは少し事情の違った地球になっているということはあまり知られていない。
つまり、今の地球環境に「温室効果ガス」は一定の寄与をしているわけだ。太陽光が地上に降り注ぎ地球を暖めているのは確かだが、もし「温室効果ガス」がなければ、地上に降り注いだ太陽熱の大半は再び宇宙空間に放出するわけで、地球を取り囲むオゾン層、二酸化炭素などの気体が地上からの放射熱を保留し、今の平均気温15度を保っている。それを「温室効果ガス」というわけだ。
このことをまず認識したうえで、いま語られている温室効果ガス問題であるが、18世紀におこった産業革命以来、人類は大量でかつ効果的なエネルギーを必要とし作り出してきた。その累積と二十世紀に入ってからのさらに大規模なエネルギー革命、それに伴う地球環境の破壊が、今の平均気温15度を上回る気温上昇を招くだろうと危惧され始めてきたわけだ。
自分の体温に引き換えればよくわかるわけだが、平熱が36度の人が37度になったらどうだろう。体の調子がちょっと変だなあと思うだろうし、38度つまり2度上がればかなりしんどく(注;「しんどい」は方言で「疲れた」が標準語だそうだが、?)なるだろう。3度上昇すれば寝込んでしまうし、4度上がって40度になればもう危険体温だ。それと同じことが今地球におこることが予想されているわけだからことは重大だ。実際このまま事態を放置すれば、21世紀末には今から5~6度の気温上昇するだろうというかなり確かな予測をする学者もたくさんいる。体温だと42度だ。ペストで死んだと言われている平清盛が死に際、お腹で湯を沸かしたと面白おかしく言い伝えられているけれども、その体温が42度くらいだ。
今はまだ1度上昇したくらいだからしんどいとやっと自覚し始めたところだが、今から早急に対策を打っていかなければ、10年から20年、後手に回ればもう加速度的に気温が上昇し、どんな対策も効果なしの状態になることも予測されている。北極海から氷が消え、南極の氷の層がが大幅に薄くなり、氷河が消え始め、ツバルという南太平洋ある国が水没し、世界のいたるところで異常気象が猛威をふるい、その兆候はいたるところで起こり始めている。
鳩山演説は政治家の演説ではない。科学者の演説だ。
実業に携わる方面からの批判は保身のためだとしか思えない。冷やかで反応の鈍い国家指導者もまたしかり。世界のみんなが正しい知識と判断力と実行力を持たなければ、一握りの「指導者」に任せていては、手遅れになる恐れがある。
核拡散不拡大、核放棄は本当に世界がその気になれば短期間で解決できるが、温室効果ガス問題はそういうわけにはいかないから早く覚悟を決めなければならない。
科学・技術立国、平和立国の日本が21世紀の世界をリードする絶好のチャンスでもある。

晩夏と初秋

 
☆★☆ 坊が鶴賛歌 ☆★☆
 
山に入るともう秋の気配、海辺を歩くとまだ夏の名残り、秋のシルバーウィークはくしくも「折節の移り変わるこそ 物ごとにあわれなれ」を体感した。
標高八百メートルちょっとの山だったが、木々の葉はぼつぼつ黄ばみ、時折吹きあがってくる沢風に冷っとするものを感じる。山道は千メートルを超える山もこの山もしんどさは一緒だ。上を見ずに足元だけを見て一歩一歩歩まないとこのしんどさに耐えられない。真夏ならいくら木々が生い茂っていても道は明るいが、今歩く道はもう暗い。時折聞こえてくるツクツクボウシの鳴き声も鳴き方がへたくそだ。秋の山道は音も静かだが、気配がそれ以上に静かだ。やっと辺りが明るくなって見上げた空には、雲ひとつなく晴れ渡っているけれど、上空高くに寒気が覆っているのだろう、薄く薄く霞が漂っている。ふもとの小さな食堂で、おやじにせかせて作らせた弁当がうまい。塩鮭が塩分の補給になったのか食べると元気になってきた。頂上から七キロくらい下がったところに温泉がある。さあ、その温泉を目指して下るとするか。

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さざ波が立ち、時々白い波頭が見える。その海風が耳元をかすめると心が躍る。ぎらつく太陽はまだ夏をとどめ、さざ波に散乱させられた光線が真昼のイルミネーションを作り出している。ここも静かだ。遠くのほうに釣り人が見えるがそのリールの音が間近に聞こえる。漁船が一隻、はるか沖合をゆっくり右から左に動いているがそのエンジン音もかすかに聞こえてくる。あとは足元に寄せては返すひたひた音だけだ。耳をじっとすますと、そのひたひた音の中から死んだおやじとおふくろの話し声が聞こえてくる。一緒に暮らした叔母の声が聞こえる。なんだこれは。風が運んでくるのか、波が運んでくるのか、自然に帰った魂がきっとここでは聞こえるのだ。
それにしてもみんなどこへ行ったんだろう。山にもいない。海にもいない。これがぼくが見た晩夏と初秋の風景だ。

民主党政権と維新

 
 ・三条実美(31歳) ・岩倉具視(43歳)・木戸孝充(35歳) ・西郷隆盛(40歳) ・大久保利通(38歳) ・伊藤博文(27歳) ・井上馨(32歳) ・山形有朋(30歳) ・西園寺公望(19歳)
 ここにあげた9名はいわゆる「明治の元勲」といわれる人たちと、明治元年つまり西暦1868年当時の年齢である。
 江戸幕府を倒し、明治維新を切り開き、明治の政治に重要な位置を占めた勤王志士出身の政治家たちをのちに「明治の元勲」と呼ぶようになったわけだが、広義には、板垣退助(31歳)、福沢諭吉(33歳)、大隈重信(30歳)といった人たちも含めていうこともある。
 短期間でほぼ独力で立憲制度に基づく近代国家を作り上げ、西洋列強に肩を並べる国家に築きあげたことは、諸外国からも奇跡と受け止められ、特にアジア諸国においては、明治維新を模範とする改革や独立運動を行おうとする動きが活発になり、中国からは大量の留学生が送り込まれ、中国近代化の父と呼ばれる孫文をはじめ、周恩来、魯迅といった人たちも日本で学ぶことになるのであるが、そうした礎を築いたのが「明治の元勲」といわれる人たちだ。
 地方を旅していつも驚くのは、山を抜け、谷をわたる鉄道だが、この鉄道網も明治の初めには全国通津裏裏に張り巡らし、どんな人里離れた所にも学校を建てて学制を敷き、近代教育を国民全員に施したことが、その後の国の発展にどれだけ寄与したことか、今や思いを致す人は少ない。
 そして今、民主党が50余年来の自民党支配を打倒し、「維新」にも匹敵するかのようにいう人たちもいるが、果たしてどれだけ世の中が変わるやら。
 何をやるにもやはり「若さ」は大切だ。物事をたくさん知り、経験を多く積んだことよりも、怖さ知らずで突き進む馬力が必要な時もある。
 鳩山さんやら小沢さんも、またそのほかの政治家たちも、「明治の元勲」に勝る馬力があるとはとても思えない。

中国人の見た日本

 
サーチナ(Searchina)という、中国情報、特にファイナンス情報を中心に、日本を含めたアジアや新興国に関する情報を配信しているポータルサイト(Yahoo!のようにあらゆる情報を発信している巨大サイト)がある。ここに「中国ブログ」というコーナーがあって、おもに、日本にやってきた中国人たちの「日本印象記」が載っていて、いつも興味深く読んでいる。
中国という国がいまだに情報管理国家だということは誰しも認めるところであり、国の秩序を乱すあらゆる情報をチェックし、時には平気で都合の悪い情報は削除してはばからぬ国である。特に教育においては、戦後半世紀もたった今も日本の侵略戦争を糾弾し続け、テレビでも毎日どこかのチャネルをひねれば必ず日中戦争を題材にした映画やドラマが流されていて、日本軍人の残酷さをこれでもかこれでもかというほどリアルに描いて見せている。こういうわけだから、一般中国人の日本、および日本人に対する印象はすこぶる悪い。
そんな中、最近は日本に観光でやってくる中国人も急増し、デパートや電気街には中国語が飛び交っているという光景を、きっと皆さんも体験しているだろう。こうした観光客も含め、仕事で日本にやってきた中国人、留学してきた中国人が、この「中国ブログ」に「日本印象記」を投稿しているのである。
そして一様に、来日する前に持っていた日本に対するイメージと現実に接した日本とがあまりにもかけ離れているのにびっくりしている。
一番に秩序の正しさ、清潔なこと、礼儀正しいこと、親切なこと、気品のある人格、日本女性の美しさ、自国中国と日本の差はこうした「民度」にあると、読んでいてもこちらがこそばゆくなるほどの礼賛ぶりである。そして中には「真の愛国心」を発揮して、中国も日本にもっと学び、日本をハード面だけでなくソフト面においても凌駕することを願っている。
正しい判断である。日本を買いかぶりすぎている面も無きにしも非ずだが、あまりにも偏った情報でしか知らない日本と、自分の目で見、膚で触れた日本との違いが分かることは、たとえ一握りの人たちによって実現されたことであるにせよ、その成果は大きい。こうしたブログをまた多くの人が見、中国人の日本に対する見方が変化していけば、両国にとって決して悪いはずがない。
と同時に、はたして今の日本が、中国人たちが見て感じたほどほんとうにいい国なのか、過去、日本が中国に学び、今、中国が日本に学ぼうとしているわけだが、また、日本が中国に学ばなければとなりはしないか、そんなこともちらっと頭をかすめた。
 

婚活と離活

 「婚活」という言葉が流行してもう久しくなりますが、すたれやすい流行語の中では息の長い言葉です。「結婚活動」を略した造語であることはみなさんすでにご存じのとおりです。
 結婚を意識して積極的に活動しなければならないというニュアンスがありますから、おそらく20代の男女を対象にした言葉ではなく、20代も後半、むしろ30代以降の世代に適用される言葉ではないかと思われます。
 今の30代40代の世代が育った環境は、日本がまだ「バブル」に向けて経済活動も活発化した時代でしたし、大学への進学率、特に女性の進学率が一気に上昇し始め、大手予備校が全国展開を果たし始めた時代に符合します。それまでの「鍋かめ下げて」という結婚観から「三高(高収入・高学歴・高身長)」を求めての結婚観に変化するのもこのころからで、女性の高学歴化に伴う社会進出が、それまでの結婚事情をすっかり変えてしまいました。昭和45年の平均初婚年齢をみると、男性26.9歳、女性24.2歳だったのが、子供世代になった平成19年では、男性30.1歳、女性が28.3歳と初婚年齢は遅くなっています。
 女性も大学を出れば22,3歳、就職して2,3年はまだ「かけだし」、4,5年経つと仕事の面白さが分かり始め、それなりの地位も獲得し、「キャリア・ウーマン」と呼ばれ始めるのもこのころ、30歳前後ですね。仕事をとるか結婚をとるか、二者択一を迫られるけれども、できたら結婚も、ということで始めるのが「婚活」ということになるのではないでしょうか。
 そして幸いにして結婚はしたものの、夢と現実は大違い。収入も自分とは大差なく、仕事にくたびれて、夫は単なる同居人、それならいっそ離婚して、といとも簡単に離婚してしまうのもこの世代。僕が教えている子の半数は片親、お母さんが大概子どもを引き取っているんですね。
 もう少し上の世代になると、子供を育て上げるために我慢し、耐えてきたけれど、もう子供も手を離れ、もう一度自由に羽ばたきたいと「離活」に走る。
 こうして事情は様々ですが、離婚率が上昇の一途をたどっているのも事実。そして離婚はしたものの、しばらくは自由は満喫できても忍び寄る「さびしさ」には堪え切らない。またまた「婚活」を活発化させる。
 「婚活」の勢いは止まりません。今や、老いも若きも「婚活」花盛りの様相です。