やだねェ!
認めたくないんだよね。自分が歳を取っているってことをね。だから何が苦痛かって歳を聞かれることほど苦痛なことはない。
この間も、近くの中学校がボランティアを募集していてね、学習支援をしてくれないかってーの。
今勉強教えている生徒が、「先生応募しろよ、俺が書いてやる。」って折り込み広告の応募欄に勝手に書きだしてね。名前、住所、そして歳を書かねばならないの。
「先生、いくつ?」― とたんに応募する勢いが萎えてしまったね。歳書かねばならないんだったら「いいや」ってね。(ちなみに、アメリカではこれは差別だとして老人の社会的活動で年齢を確認することはない。年齢差別ーエイジズムー)
それでもしつこく聞くもんだから、「60前後って書いとけよ。」と言ったら、生徒、その通り書いちゃった。そして「あす、出しとくよ。」ってその応募用紙を持って帰って行っちゃった。
もう1週間も経っていて中学校からは何の連絡もないから、言った生徒が出していないか、歳をいい加減に書いたもんだから、いい加減な応募と思われたのか。はたまた、やはり歳が歳だからなのか。
(注;結局は要請があったんですがね)
ことさように歳を聞かれるのは、やだねェ。
それにね。
いちばん身近な人から、孫のことを話しているときによく「○○じいさん」って呼ばれるのも嫌で嫌でしょうがない。こんな呼び方、いじわるとしか思えないよね。
「お前さん、若くないんだよ!」って面と向かって言われているようなもんだもんね。自分と同じ年寄りに引きずり込みたいのか、この野郎!ってまったく顔が引きつるよ。
「老い」は避けがたいことで、自身もちょっとした動作にも苛立たしさを感じることもしばしば。逆らうにも逆らえようがないのがつらいね。
でも、人からは指摘されたくないし、ましてやそんな扱いをされたくもない、と思っているんですがね。
しかし社会の現実は、これでもかこれでもかと「老い」を押し付けてくる。
まず働かせてくれない。これでもまだお役にたてることはあるんだがなあ、とは思ってはみても、所詮は独りよがり。
しかたなく、スーパーマーケットに行ったり、コミュニティ広場に出かけてみたり、人が集まるところにはよく行くんだが、どこも老人だらけ。
こんな中に入りたくないと思ってはいても、結局は入ってしまっているんだよね。
やだねェ!まったく、やだ、やだ!