民主党政権と維新

 
 ・三条実美(31歳) ・岩倉具視(43歳)・木戸孝充(35歳) ・西郷隆盛(40歳) ・大久保利通(38歳) ・伊藤博文(27歳) ・井上馨(32歳) ・山形有朋(30歳) ・西園寺公望(19歳)
 ここにあげた9名はいわゆる「明治の元勲」といわれる人たちと、明治元年つまり西暦1868年当時の年齢である。
 江戸幕府を倒し、明治維新を切り開き、明治の政治に重要な位置を占めた勤王志士出身の政治家たちをのちに「明治の元勲」と呼ぶようになったわけだが、広義には、板垣退助(31歳)、福沢諭吉(33歳)、大隈重信(30歳)といった人たちも含めていうこともある。
 短期間でほぼ独力で立憲制度に基づく近代国家を作り上げ、西洋列強に肩を並べる国家に築きあげたことは、諸外国からも奇跡と受け止められ、特にアジア諸国においては、明治維新を模範とする改革や独立運動を行おうとする動きが活発になり、中国からは大量の留学生が送り込まれ、中国近代化の父と呼ばれる孫文をはじめ、周恩来、魯迅といった人たちも日本で学ぶことになるのであるが、そうした礎を築いたのが「明治の元勲」といわれる人たちだ。
 地方を旅していつも驚くのは、山を抜け、谷をわたる鉄道だが、この鉄道網も明治の初めには全国通津裏裏に張り巡らし、どんな人里離れた所にも学校を建てて学制を敷き、近代教育を国民全員に施したことが、その後の国の発展にどれだけ寄与したことか、今や思いを致す人は少ない。
 そして今、民主党が50余年来の自民党支配を打倒し、「維新」にも匹敵するかのようにいう人たちもいるが、果たしてどれだけ世の中が変わるやら。
 何をやるにもやはり「若さ」は大切だ。物事をたくさん知り、経験を多く積んだことよりも、怖さ知らずで突き進む馬力が必要な時もある。
 鳩山さんやら小沢さんも、またそのほかの政治家たちも、「明治の元勲」に勝る馬力があるとはとても思えない。

中国人の見た日本

 
サーチナ(Searchina)という、中国情報、特にファイナンス情報を中心に、日本を含めたアジアや新興国に関する情報を配信しているポータルサイト(Yahoo!のようにあらゆる情報を発信している巨大サイト)がある。ここに「中国ブログ」というコーナーがあって、おもに、日本にやってきた中国人たちの「日本印象記」が載っていて、いつも興味深く読んでいる。
中国という国がいまだに情報管理国家だということは誰しも認めるところであり、国の秩序を乱すあらゆる情報をチェックし、時には平気で都合の悪い情報は削除してはばからぬ国である。特に教育においては、戦後半世紀もたった今も日本の侵略戦争を糾弾し続け、テレビでも毎日どこかのチャネルをひねれば必ず日中戦争を題材にした映画やドラマが流されていて、日本軍人の残酷さをこれでもかこれでもかというほどリアルに描いて見せている。こういうわけだから、一般中国人の日本、および日本人に対する印象はすこぶる悪い。
そんな中、最近は日本に観光でやってくる中国人も急増し、デパートや電気街には中国語が飛び交っているという光景を、きっと皆さんも体験しているだろう。こうした観光客も含め、仕事で日本にやってきた中国人、留学してきた中国人が、この「中国ブログ」に「日本印象記」を投稿しているのである。
そして一様に、来日する前に持っていた日本に対するイメージと現実に接した日本とがあまりにもかけ離れているのにびっくりしている。
一番に秩序の正しさ、清潔なこと、礼儀正しいこと、親切なこと、気品のある人格、日本女性の美しさ、自国中国と日本の差はこうした「民度」にあると、読んでいてもこちらがこそばゆくなるほどの礼賛ぶりである。そして中には「真の愛国心」を発揮して、中国も日本にもっと学び、日本をハード面だけでなくソフト面においても凌駕することを願っている。
正しい判断である。日本を買いかぶりすぎている面も無きにしも非ずだが、あまりにも偏った情報でしか知らない日本と、自分の目で見、膚で触れた日本との違いが分かることは、たとえ一握りの人たちによって実現されたことであるにせよ、その成果は大きい。こうしたブログをまた多くの人が見、中国人の日本に対する見方が変化していけば、両国にとって決して悪いはずがない。
と同時に、はたして今の日本が、中国人たちが見て感じたほどほんとうにいい国なのか、過去、日本が中国に学び、今、中国が日本に学ぼうとしているわけだが、また、日本が中国に学ばなければとなりはしないか、そんなこともちらっと頭をかすめた。
 

婚活と離活

 「婚活」という言葉が流行してもう久しくなりますが、すたれやすい流行語の中では息の長い言葉です。「結婚活動」を略した造語であることはみなさんすでにご存じのとおりです。
 結婚を意識して積極的に活動しなければならないというニュアンスがありますから、おそらく20代の男女を対象にした言葉ではなく、20代も後半、むしろ30代以降の世代に適用される言葉ではないかと思われます。
 今の30代40代の世代が育った環境は、日本がまだ「バブル」に向けて経済活動も活発化した時代でしたし、大学への進学率、特に女性の進学率が一気に上昇し始め、大手予備校が全国展開を果たし始めた時代に符合します。それまでの「鍋かめ下げて」という結婚観から「三高(高収入・高学歴・高身長)」を求めての結婚観に変化するのもこのころからで、女性の高学歴化に伴う社会進出が、それまでの結婚事情をすっかり変えてしまいました。昭和45年の平均初婚年齢をみると、男性26.9歳、女性24.2歳だったのが、子供世代になった平成19年では、男性30.1歳、女性が28.3歳と初婚年齢は遅くなっています。
 女性も大学を出れば22,3歳、就職して2,3年はまだ「かけだし」、4,5年経つと仕事の面白さが分かり始め、それなりの地位も獲得し、「キャリア・ウーマン」と呼ばれ始めるのもこのころ、30歳前後ですね。仕事をとるか結婚をとるか、二者択一を迫られるけれども、できたら結婚も、ということで始めるのが「婚活」ということになるのではないでしょうか。
 そして幸いにして結婚はしたものの、夢と現実は大違い。収入も自分とは大差なく、仕事にくたびれて、夫は単なる同居人、それならいっそ離婚して、といとも簡単に離婚してしまうのもこの世代。僕が教えている子の半数は片親、お母さんが大概子どもを引き取っているんですね。
 もう少し上の世代になると、子供を育て上げるために我慢し、耐えてきたけれど、もう子供も手を離れ、もう一度自由に羽ばたきたいと「離活」に走る。
 こうして事情は様々ですが、離婚率が上昇の一途をたどっているのも事実。そして離婚はしたものの、しばらくは自由は満喫できても忍び寄る「さびしさ」には堪え切らない。またまた「婚活」を活発化させる。
 「婚活」の勢いは止まりません。今や、老いも若きも「婚活」花盛りの様相です。 
 
 

生物と無生物のあいだー福岡伸一

 
「新書大賞、サントリー学芸賞、ダブル受賞」、「60万部突破!」、のっけから仰々しいタイトルが表紙を飾っている。前にも言ったが、僕はあんまりこんな仰々しいタイトルの本は読まない。本屋さんにはよく行くんだが、これはという本がない中、「サントリー学芸賞」という、ヘエー、あのサントリーがと思って手に取ったのがこの本だ。表紙の裏をめくってみると、筆者「福岡伸一」さんの写真が載っていて、僕の友人そっくりなのも身近に感じプロローグを読んでみるとなかなか面白そうだ。買ってみた。
科学者が書いた本はどちらかというと味もそっけもない本が多い。湯川秀樹先生が書いた「旅人」が印象に残っているくらいだ。ところがこの本を読んでいくうちに自然と中に引っ張り込まれていく。なぜか。各章の初めには、ボストンだとか、ニューヨークだとか、筆者が過ごした研究所の土地の風景が描かれていて、実によい。自分がまるでそこに佇んでいるかのように、細やかに季節季節の風景が描かれている。もちろん内容は「分子生物学」というお硬い内容なんだが、そのお硬い内容にスーッと入り込んでいける。これは大切なことだ。どんな名画もよい額縁に入っているからこそ、いっそう引き立つのと同じだ。
さて内容なんだが、今よく話題に上るDNA、その構造の解明の歴史とそれに携わった科学者のあくなき闘いとそれにまつわる科学者同士の暗闘。生命体が、ミクロなパーツからなる精巧なプラモデル、すなわち分子機械の集合体と言えるまでに行きついた生命科学、しかし、無数の電子部品からなるコンピュータがたった一つの部品が欠落しても動作しなくなるのに対し、生命体はひとつの重要部品を取り去っても、何らかの方法でその欠落を補い、全体的にはその欠落がないかのように生き続ける生命体の不思議とダイナミズム。
筆者は血糖値をコントロールするインシュリン分泌のメカニズムが、究極、細胞内の分泌顆粒膜の特殊たんぱく「GP2」によることを突き止め、それを検証するために、苦心惨澹の末「GP2」の欠落したマウスを作り出すことに成功するが、驚くなかれ、「GP2」が欠落しインシュリン分泌のコントロールが効かなくなってその障害が発症するはずのマウスが、他の健常マウスとなんら変わりなく生き続けるという結末に、筆者の落胆ぶりと、筆者の生命に対する畏敬と感動が同時に伝わってくる。しかし明らかに筆者は、落胆よりも、生命体のダイナミズムに感動したのだ。そしてそれはおそらく筆者にしか感じ得ない感動なのだ。
何事においてもそうだが、究めれば究めるほど、自分の非力と無知を知る。だからこそ、それがいっそうの励みにもなるし、謙虚さのなんたるかを知ることにもなり、人にも無限の寛容で接することができるのだ。
いい本だった。

「さん太」から「Santa」

 
なぜ「Santa」なんだと時々聞かれる。話せば長くなるから「うーん」といっただけで、もうそれ以上は誰も聞かない。
別に聞いてほしいわけでもないんだが、その由来を考えると、今の時代をふと考えてしまう。
「Santa」はこうしたwebの時代に合わせたニックネームというか、ハンドルネームで、もともとは「さん太」というのが僕のニックネームだった。
中学生の時、阿部次郎の「三太郎の日記」という本をたまたま持っていたら、ぼくの取り巻きの悪童たちが「なんじゃ、これ、さんたか」とあざけった事から、それ以来みんなが僕を「さん太」、「さん太」と呼ぶようになった。皆はもちろんこんな小説を知っていた訳はないんで、ときには多少揶揄するような口調で呼ぶこともあったが、僕は決して不愉快には思わなかった。なにぶん中学生だからそんなに深い意味が分かってたわけではないんだろうが、「三太郎」がとても好きだったし、そんな考え方、生き方に憧れをもっていたからだ。
ところで今の中学生や高校生はどんな本を読んでいるんだろう。いや大人でもそうだが、書店に並べられている本であまり哲学的な本を見たことがない。今の読書事情をよく知って言うわけじゃないから偉そうなことは言えないし、ぼく自身だって最近はそんなたぐいの本はあまり読まないんだけれど、新刊本のコーナーを見て思うのは、「軽い」本がやたら多い。読んでみれば中には手ごたえのある本もあるのだろうが、表題からして「人受け」を狙っているようで、それだけで僕などは読む気がしない。
最近では村上春樹の「1Q84」が話題に上って、予約しても手に入れることができなかったとか、200万部を超えたとか言っているけれど、だから当分は読まないつもりだ。しばらくしたらみんなの評価も定まるだろうから、読むに値する本なのかどうかわかるだろうからそれまで待つつもりだ。
「ハリーポッター」なども話題に事欠かない本だが、まだ読んだことがない。生徒などはよく読んでいて、あらすじを教えてくれるんだが、今の僕には読書欲をそそられる本ではない気がする。
概して、これも時代の流れなんだろうが、じっくり腰を落ち着けて沈思黙考、本と対決するような本が少なくなってきているように思うんだが、みなさんどうだろう。
「三太郎の日記」は今でも深く心に残っているし、今読んでもまた心にさざ波が立つ。ひょっとしたら、僕が成長せんじまいにこの歳まで来てしまったのかもしれない。
 

ああモンテンルパの夜は更けて

 
 
悲しいことに、人の心を揺さぶる感動は往々にして悲惨な出来事の中から生まれることが多い。幸か不幸か今の日本のような状況からは生まれえない。日常生活に大きな不満があるわけではなく、と言って満足しているわけでもない状況は人の心を怠惰にしてしまう。
また時代が変わったからということもあろう。テレビ、インターネット、その他さまざまなメディアはいやがうえにもわれわれを情報の渦中に放り込んでしまい、ひとつひとつはびっくりするような事件であったり、心動かす出来事であるかもしれないが、量の多さと次から次に送り込まれてくるそのめまぐるしさに翻弄されるだけ、感動しているいとまもないのだろう。
「ああモンテンルパの夜は更けて」― 歌手「渡辺はま子」によって紹介されたこの歌には、日本の悲惨な時代に生まれた心揺さぶられる感動秘話がある。インターネットを検索してももたくさん紹介されているから、ご存知の方も多いだろうが、またご存じでない方ももっと多いだろう。
ぜひとも語り継いでいってほしい秘話である。
 
太平洋戦争が終わり、敗戦。フィリピンで戦争犯罪の罪の問われ、「死刑」もしくは「終身刑」で故国に帰ることができなくなった100余人の虜囚は「モンテンルパ刑務所」に収容されていた。そのうちの二人が、もう二度とふたたび踏むことはあるまい故国を想い、詩を書き、曲をつけて囚人仲間に歌われていたのがこの歌だ。
戦前から戦後にかけて活躍した日本の流行歌手、渡辺はま子は戦後の慰問活動にも積極的に参加し、たまたまモンテンルパ刑務所の日本人教誨師から送られてきたこの歌に出会う。その曲の美しさと詩の内容に心打たれた渡辺はすぐさまこれをレコードにし、なんとかモンテンルパ刑務所を訪ねようとするが、戦時中の慰問活動が災いして、なかなか渡航許可がおりない。しかし渡辺の執念はモンテンルパ刑務所慰問を実現することとなり、刑務所を訪ねた渡辺は振り袖姿で「ああモンテンルパの夜は更けて」を歌いだす。囚人たちは歌いなれたこの歌が母が歌う子守歌にも聞こえ、いつしか涙なみだの大合唱になっていく。
そして後日談。
この「ああモンテンルパの夜は更けて」は日本でも大ヒットし、そのオルゴールを持って刑務所を慰問した例の教誨師は、時のフィリピン大統領キリノに面会を許され、そのオルゴールの曲を披露したところ、一息ついた大統領は目に涙を浮かべながら、自身の妻と娘を対日戦で亡くしたことを語りだし、「私がおそらく一番日本や日本兵を憎んでいるだろう。しかし、戦争を離れれば、こんなに優しい悲しい歌を作る人たちなのだ。戦争が悪いのだ。憎しみをもってしようとしても戦争は無くならないだろう。どこかで愛と寛容が必要だ。」と語り終えて執務室から消えていった。
その1ヶ月後、「モンテンルパ刑務所」に収容されていたB・C級戦犯全員に特赦が下り、全員日本に送還されることとなる。
 
 

フェルマーの最終定理ーアンドリュー・ワイルズ


久しぶりで骨のある読み物を手にし読破することができた。数学好きの高校生諸君にはぜひともこの夏の読み物として読んでいただきたい。いや数学好き、また高校生諸君だけではない。物事にまともに取り組もうとする人であればだれもがきっと夢中になって読める本だと思う。平成18年6月1日に初版が発行され、平成20年6月10日に15刷が発行されているのだから、もうずいぶん多くの人が読んでいて、ぼくが紹介するのもおこがましい限りだが、それでも呼びかけたいと思える本だ。
前置きは長くなったが、この記事のタイトルにも書いた「フェルマーの最終定理」という表題で、著者はイギリス生まれのインド人サイモン・シン、訳者は青木薫という女性物理学者による「感動の数学ノンフィクション!」、500ページの新潮文庫本である。
面白いのは、著者も訳者も最初は数学を志したが、最後は物理学に進んだ経歴の持ち主ということだ。著者サイモン・シンはその後英テレビ局BBCに転職し、今は作家生活というからなお面白い。数学に対する憧れと羨望の気持ちは持ちながら、自分の才能と適正を判断しての方向転換だったのだろうが、数学の持つ美しさは忘れられず、門外から眺めた数学だからこそ、もっと門外漢である僕などにも分かりやすく、わくわくさせながら読ませたのだと思う。著者の力量と訳者の手腕がマッチした実に読みやすい本だ
「フェルマーの最終定理」はそれこそGoogleの検索にかけてもらえばすぐにでも概要はつかんでもらえるだろうから詳しい説明は省かせてもらうが、1600年代初頭のアマチュア数学者フェルマーが、本職の法律書の余白に書き残したきわめてシンプルな定理である。誰もが中学校の数学で学んだ「三平方の定理」またの名を「ピタゴラスの定理」と聞けば「ああ」とおぼろげにでも思い出せるあの定理を発展させたものだと思えばいい。
このアマチュア数学者が提出し「真に驚くべき証明方法」を発見したが余白がないので書き残さなかったというこの「大定理」に、過去360年間世界の名だたる天才数学者達が挑戦してきたがついえず、しかしその過程で数学のすそ野が大きく広がり、数学発展に大きく寄与した点でもまさしく「大定理」なんだが、「底なし沼」に吸い込まれていった人たちも数知れず、「数論だけには手を出すな!」と言われるほどの魔境でもあったわけだ。
そして20世紀も残り少なくなった1995年,ついにイギリス人数学者アンドリュー・ワイルズがこの「フェルマーの大定理」の証明に悪戦苦闘の末成功したわけだが、この本にはワイルズの戦いぶりとそれにまつわる様々なエピソードが盛り込まれていて、中でも日本人数学者、谷山、志村両氏の提出した「谷山・志村予想」というこれまた数学での難問題が、ワイルズの成功に大きく示唆を与え、貢献したことを正当に評価している点などもわれわれ日本人の心を揺さぶる。
関心のある人にはぜひとも一読をお勧めしたい一冊だ。

遠くへ行きたい

 
♪♪♪ 遠くへ行きたい ♪♪♪
 
ジェリー藤尾の歌った歌に「遠くへ行きたい」という歌がある。
学生時代に「歌声喫茶」というのがあり、大阪梅田のどこだったか、本を買いに「旭屋書店」に行った帰り、ふと立ち寄ったときに耳にし、喫茶店内の熱気と客の歌う澄んだ歌声に胸がジーンとなったことを覚えている。
それ以来、大阪の梅田、とくに今でいう「JR大阪駅」のプラットホームに立つと、何番線か向こうに停車している長距離列車にいつも旅愁を掻き立てられるような思いをしたものだ。
実際一度なんかは、いてもたってもおられず、大阪駅構内の「交通公社」に行って、当時「周遊券」というのがあったんだが、学生だといっそう割安でこれが買えたんで、大阪から山陰線、山陽線を経由して中国地方をぐるっと一周する旅に出たことがある。
夜11時発の夜行列車「立山5号」に飛び乗っての「立山」行き、信州への幾度もの旅立ち、すべてそうした思いからだった。
今は大阪駅に立ってもそんな思いが起こらない。新幹線ができて、遠くに行くのは「新幹線」と決まっているからだろう。それも、東京であろうが博多であろうがほんの数時間で行ける時代になり、なんだか遠くに行くという感覚ではなくなった。
 
今日も自転車で関空、関西空港だが、そこへ出かけた。といっても橋を渡って行くんではなく、こちらの海岸から眺めに行くんだが、行くと決まってあの「大阪駅」の感覚が蘇ってくる。
急角度で上昇していく飛行機、徐々に高度を下げて水平に入港してくる飛行機。これからあの飛行機はどこに行くのだろう、上海だろうか、ロサンゼルスだろうか、飽かず眺めながら「遠くへ行きたい」気持ちがムラムラっと湧いてくる。
遠い街、遠い海、行きたいなあ、どこか遠くへ行きたい、そんな抑えがたい気持ちも、今はこうして日本だけではなく、世界のどこかに変わってしまった。
 

掲示板荒らし

 
 ぼくのホームページに、もう今はほとんど投稿もないし、見てくれる人があれば見てくれればいいという掲示板がある。
 ひとつは学生たちが質問をしてきてそれにこたえる掲示板、もうひとつは、「喜怒哀楽」何でも自由に書き込んで、たまにぼくも応える掲示板である。
 この二つの掲示板に、もう2年にはなるだろうか、毎日毎日、消しても消しても、およそ無関係なリンクを貼り付けてくるヤツがいて困り果てている。
 掲示板に投稿があれば自動的に投稿内容を記載したメールをこちらに届けるようにしてあるんだが、毎日毎日とは言ったがそんな生易しいものではない。
 メールの受信は普通30分ごとに設定してあるが、その30分の間に多いときは5件から10件の貼り付けがあり、それを消すと次の30分間にまた同数の書き込み通知が来る。
 受信サイクルを5分に設定しておくとその5分間のうちに必ず1件の投稿がある。それを消したらまた次の5分間に1件、まるでどこかでこちらを監視していて、それに合わせて書きこんでくるといった具合だ。
  この記事を書いている今もメールの届いた信号音が鳴るんだが、受信箱を開けたら案の定何件かのリンク貼り付け通知のメールが届いている。
 たまに掲示板を1日とか1週間とか、また1カ月間閉鎖してみて再開すると、待っていましたとばかりすぐさま同じ調子でリンクを貼り付けてくる。
 その執拗さはまさに病的だ。
 コイツ、1日いったい何をしているんだろう、働いていたり、学生だったらこんなことはできないだろうし、一体いつ寝ているんだろう、いつ食事しているんだろう、付き合っていたらおそらく24時間こんな調子なんだろうが、その異常さは「病的」では済まされない心の深い闇がある。
 貼り付けたリンクの内容から、どうもアメリカからのような気がするが、もしそうならこちらの昼はあちらの夜だ。昼も上に述べたような調子で貼り付けてくるし、夜中は放っておくと貼り付けられたリンクで掲示板は溢れかえっている。
 それなら、掲示板を閉鎖したらいいようなもんだが、コイツに屈したくないし、せっかくの掲示板に未練もある。
 これに便乗した大阪の「出会い」系サイトが同じようなリンクを単発的だが、これも数ヶ月間、何度警告しても執拗に貼り付けてきたので、関係プロバイダーに強く申し入れ、これは撃退した。
 
 こういう時代なんだなあ。こうでしか人との関わりを持てない人もいるんだ。
 リンクを貼り付ける、消される、そこでまた貼り付ける、この遣り取りに人とのつながりを留めているんだ。そう思うとコイツが可哀そうになってくる。
 ぼくも、だから、この掲示板を閉ざせないのかもしれんなあ。
 皆さんはいかがですか?
 
[追記]
  以下のサイトがとても役に立ちました。
  http://swanbay-web.hp.infoseek.co.jp/
  
 
 

さくらーそして日本人ー

♪♪♪ さくら ♪♪♪

さくら最前線もここ関西からははるか北、もしくは高山に遠のいた。
一年のうちのほんの一週間、日本人の多くが待ち望み、熱狂し、そして春の嵐とともに散っていく。
「貴様とおれとは同期のさくら」と歌う人たちも少なくなったが、この時期日本人の心をとらえて今だやまず、「さくら最前線情報」、「花見」、「新入生」、「新入社員」、等などの言葉には「さくら」が付きまとう。桜と日本人は切っても切れない縁で結びついているのは確かだ。
一輪の花は、おとなしく、これといった香りもなく、淡い淡いピンク色もそれ自体人目を引くほどの色合いでもない。しかし、一本の桜となれば、どこそこの「一本桜」と名物になるほど人を引き寄せる。ましてや、何百本、何千本の桜が咲き乱れるとなればもう圧巻だ。あたりの景観を「さくら」一色でおおい尽くす。山があり、お城があり、どんな高層ビルがあってもほんの添え物だ。青い空にひらひらと散っていく桜の花びらは天女の舞とも祇園舞妓の舞とも見まがうばかり。そして、そこにはたくさんの人が群れ、手をつなぎ、写真を撮り、誰一人として笑顔のない者はない。青い敷物が所狭しと敷き詰められた場所は、夜ともなれば人が踊り出し、歌い、わめき散らし、酒の匂いと食べ物の香りが満ち満ちる。耐え忍んだ寒さから解放され、日頃の鬱憤を吐き出し、つかの間のひと時に我を忘れる。また巡ってきた新しい門出に向けて鋭気を養っているのだろう。
日本人、一人ひとりは実におとなしく、勤勉実直で、清潔、お人好しででしゃばりもせず、一見何のとりえもなさそうにさえ見える。しかしその日本人がいったん群れると、桜に浮かれて豹変し、まるでブルドーザーのごとく、第二次世界大戦の主役になり、足腰の立たぬほどコテンパンにやられてもまたたくうちに世界第二位の経済大国にのし上がる。世界のだれが見ても不思議の国「日本」であり、「日本人」だ。
パッと咲いてパッと散る、「祇園精舎の鐘の声」あたりから形作られたであろう日本人の「無常観」にぴったしの「さくら」と日本人は、21世紀の世界にどう彩りを添えて行くのだろう。