遠くへ行きたい

♪♪♪ 遠くへ行きたい ♪♪♪

 

ジェリー藤尾の歌った歌に「遠くへ行きたい」という歌がある。
学生時代に「歌声喫茶」というのがあり、大阪梅田のどこだったか、本を買いに「旭屋書店」に行った帰り、ふと立ち寄ったときに耳にし、喫茶店内の熱気と客の歌う澄んだ歌声に胸がジーンとなったことを覚えている。
それ以来、大阪の梅田、とくに今でいう「JR大阪駅」のプラットホームに立つと、何番線か向こうに停車している長距離列車にいつも旅愁を掻き立てられるような思いをしたものだ。実際一度なんかは、いてもたってもおられず、大阪駅構内の「交通公社」に行って、当時「周遊券」というのがあったんだが、学生だといっそう割安でこれが買えたんで、大阪から山陰線、山陽線を経由して中国地方をぐるっと一周する旅に出たことがある。
夜11時発の夜行列車に飛び乗っての「立山」行き、信州への幾度もの旅立ち、すべてそうした思いからだった。
今は大阪駅に立ってもそんな思いが起こらない。新幹線ができて、遠くに行くのは「新幹線」と決まっているからだろう。それも、東京であろうが博多であろうがほんの数時間で行ける時代になり、なんだか遠くに行くという感覚ではなくなった。
今日も自転車で関空、関西空港だが、そこへ出かけた。といっても橋を渡って行くんではなく、こちらの海岸から眺めに行くんだが、行くと決まってあの「大阪駅」の感覚が蘇ってくる。
急角度で上昇していく飛行機、徐々に高度を下げて水平に入港してくる飛行機。これからあの飛行機はどこに行くのだろう、上海だろうか、ロサンゼルスだろうか、飽かず眺めながら「遠くへ行きたい」気持ちがムラムラっと湧いてくる。
遠い街、遠い海、行きたいなあ、どこか遠くへ行きたい、そんな抑えがたい気持ちも、今はこうして日本だけではなく、世界のどこかに変わってしまった。

掲示板荒らし

 
 ぼくのホームページに、もう今はほとんど投稿もないし、見てくれる人があれば見てくれればいいという掲示板がある。
 ひとつは学生たちが質問をしてきてそれにこたえる掲示板、もうひとつは、「喜怒哀楽」何でも自由に書き込んで、たまにぼくも応える掲示板である。
 この二つの掲示板に、もう2年にはなるだろうか、毎日毎日、消しても消しても、およそ無関係なリンクを貼り付けてくるヤツがいて困り果てている。
 掲示板に投稿があれば自動的に投稿内容を記載したメールをこちらに届けるようにしてあるんだが、毎日毎日とは言ったがそんな生易しいものではない。
 メールの受信は普通30分ごとに設定してあるが、その30分の間に多いときは5件から10件の貼り付けがあり、それを消すと次の30分間にまた同数の書き込み通知が来る。
 受信サイクルを5分に設定しておくとその5分間のうちに必ず1件の投稿がある。それを消したらまた次の5分間に1件、まるでどこかでこちらを監視していて、それに合わせて書きこんでくるといった具合だ。
  この記事を書いている今もメールの届いた信号音が鳴るんだが、受信箱を開けたら案の定何件かのリンク貼り付け通知のメールが届いている。
 たまに掲示板を1日とか1週間とか、また1カ月間閉鎖してみて再開すると、待っていましたとばかりすぐさま同じ調子でリンクを貼り付けてくる。
 その執拗さはまさに病的だ。
 コイツ、1日いったい何をしているんだろう、働いていたり、学生だったらこんなことはできないだろうし、一体いつ寝ているんだろう、いつ食事しているんだろう、付き合っていたらおそらく24時間こんな調子なんだろうが、その異常さは「病的」では済まされない心の深い闇がある。
 貼り付けたリンクの内容から、どうもアメリカからのような気がするが、もしそうならこちらの昼はあちらの夜だ。昼も上に述べたような調子で貼り付けてくるし、夜中は放っておくと貼り付けられたリンクで掲示板は溢れかえっている。
 それなら、掲示板を閉鎖したらいいようなもんだが、コイツに屈したくないし、せっかくの掲示板に未練もある。
 これに便乗した大阪の「出会い」系サイトが同じようなリンクを単発的だが、これも数ヶ月間、何度警告しても執拗に貼り付けてきたので、関係プロバイダーに強く申し入れ、これは撃退した。
 
 こういう時代なんだなあ。こうでしか人との関わりを持てない人もいるんだ。
 リンクを貼り付ける、消される、そこでまた貼り付ける、この遣り取りに人とのつながりを留めているんだ。そう思うとコイツが可哀そうになってくる。
 ぼくも、だから、この掲示板を閉ざせないのかもしれんなあ。
 皆さんはいかがですか?
 
[追記]
  以下のサイトがとても役に立ちました。
  http://swanbay-web.hp.infoseek.co.jp/
  
 
 

さくらーそして日本人ー

♪♪♪ さくら ♪♪♪

さくら最前線もここ関西からははるか北、もしくは高山に遠のいた。
一年のうちのほんの一週間、日本人の多くが待ち望み、熱狂し、そして春の嵐とともに散っていく。
「貴様とおれとは同期のさくら」と歌う人たちも少なくなったが、この時期日本人の心をとらえて今だやまず、「さくら最前線情報」、「花見」、「新入生」、「新入社員」、等などの言葉には「さくら」が付きまとう。桜と日本人は切っても切れない縁で結びついているのは確かだ。
一輪の花は、おとなしく、これといった香りもなく、淡い淡いピンク色もそれ自体人目を引くほどの色合いでもない。しかし、一本の桜となれば、どこそこの「一本桜」と名物になるほど人を引き寄せる。ましてや、何百本、何千本の桜が咲き乱れるとなればもう圧巻だ。あたりの景観を「さくら」一色でおおい尽くす。山があり、お城があり、どんな高層ビルがあってもほんの添え物だ。青い空にひらひらと散っていく桜の花びらは天女の舞とも祇園舞妓の舞とも見まがうばかり。そして、そこにはたくさんの人が群れ、手をつなぎ、写真を撮り、誰一人として笑顔のない者はない。青い敷物が所狭しと敷き詰められた場所は、夜ともなれば人が踊り出し、歌い、わめき散らし、酒の匂いと食べ物の香りが満ち満ちる。耐え忍んだ寒さから解放され、日頃の鬱憤を吐き出し、つかの間のひと時に我を忘れる。また巡ってきた新しい門出に向けて鋭気を養っているのだろう。
日本人、一人ひとりは実におとなしく、勤勉実直で、清潔、お人好しででしゃばりもせず、一見何のとりえもなさそうにさえ見える。しかしその日本人がいったん群れると、桜に浮かれて豹変し、まるでブルドーザーのごとく、第二次世界大戦の主役になり、足腰の立たぬほどコテンパンにやられてもまたたくうちに世界第二位の経済大国にのし上がる。世界のだれが見ても不思議の国「日本」であり、「日本人」だ。
パッと咲いてパッと散る、「祇園精舎の鐘の声」あたりから形作られたであろう日本人の「無常観」にぴったしの「さくら」と日本人は、21世紀の世界にどう彩りを添えて行くのだろう。

鳥の歌ーカタロニア民謡ー


あれからもう41年も経っちゃたなあ。ヴェトナム戦争は拡大の一途をたどり、神出鬼没のベトコンを追って南ヴェトナム軍と米軍がカンボジアに侵攻したのもこのころだ。
抜き差しならないほど深入りしたアメリカでは、国内にも厭戦機運が漂い、反戦運動が盛り上がる中、国連でもヴェトナム戦争終結を目指す様々な動きが活発化していた。
そんな中の1971年10月、ニューヨークの国連本部に招かれた94歳のパブロ・カザルスは愛用のチェロ「ゴフラリー」にすがりながら、「私の生まれ故郷カタロニアの鳥は、ピース、ピースと鳴くのです」とだけ語り、カタロニア民謡「鳥の歌」を弾き始めた。そしてその様子は全世界に放映された。
広い国連本部の会議場は静まり返り、「鳥の歌」だけが静かに、物悲しく、しかし、凛として流れてゆく。目頭を押さえる者、下を向いたまま身動きもしない者、各国のエゴを背負った代表者達の心が一点に凝縮していくのを感じる。ぼく自身も、短いがこんなにも深く魂の底までゆすぶられたことはない。
演奏が終わった時は、もう物音一つしない。会議場の全員もきっと魂の底まで突き落とされたのであろう。次の瞬間、我に返った会議場は割れんばかりの喝采だ。世界が一つになった一瞬だ。涙が止まらない。
それからちょうど2年後の1973年10月、20世紀最大のチェロ奏者パブロ・カザルスは96歳の生涯を閉じ、その2年後の1975年、ついにヴェトナム和平が成立した。
弦楽器と言えば誰もが眼の色を変えるストラディヴァリウスには「自分にはもったいない」、「自分には合わない」といって振り向きもせず、傷だらけの「ゴフラリー」を片時も離さなかったこの頑固者は、生涯を反戦、反ファシズムで貫き通し、音楽を通じて世界平和のために活動した。

睡眠障害

 
 今日はテレビで「睡眠障害」の特番をやっていた。
 睡眠障害に悩む人たちと、親子3代にわたってその治療にあたり実績を上げているクリニックの先生の物語だ。
 睡眠状態を記録したグラフで患者の睡眠がいかに不正常な状態かを分析し、血液検査で「コルチゾール」が増加していること、睡眠中の「メラトニン」の分泌の減少していることがその原因であることを指摘する。患者は「なるほど、なるほど」とその的確な診断に敬服する。ここまではそれはそれでいいだろう。
 さてそれではどうすればこの睡眠障害を取り除くことができるのか。先生はアメリカに留学して睡眠障害治療の先駆者に学んだ「光学的治療」が最適な治療法と信じ、それを実践している。簡単にいえば、室内照明はできる限り間接照明にしなさい、朝太陽が昇ったら窓をいっぱいに開けて朝の光を室内に入れなさい、そうすれば睡眠中の「メラトニン」の分泌量が増え、快適な睡眠を得られるようになる、と説く。もっぱら住環境の改善が睡眠障害の改善を促すという考え方だ。3か月これを実践した患者が出てきて、確かに効果があるような気がするとインタビューに答える。
 さてさて、門外漢がとやかく言うことはないだろうが、ちょっと待てよ、どうもこれは根本的な治療法ではないなあ、という気がする。本当にこんな治療法で睡眠障害が改善されているんだろうか。一時的には改善されても根本的には克服されないことを危惧する。取り上げるならもっと大きな視点から、さまざまな視点から取り上げてほしかった、このままでは「番組広告」とも取られかねない、とマスコミにも苦言を呈したい。
 前回のブログ投稿「肩こり」でもふれたように、この「睡眠障害」の多くはやはり体を動かさない、つまり肉体的疲労を伴わない睡眠のとり方にその原因の多くがあるんだ、と思うんだが、この高名な先生にはこの指摘が全くない。一所懸命、患者の身になって治療に当たられている様子は十分伝わってくるんだが、今は学問があまりにも多岐仔細に進みすぎて、針小棒大、この先生もその虜になっている気がしてならない。
 現代病の多くはこうした肉体と精神のアンバランスから来ている。肉体を鍛える人は極限にまで肉体を鍛え、精神(頭)を鍛える人は極限にまで精神(頭)を鍛えはするが、そのバランスをとることが大変難しくなってきているのが現代だ。病に限らず、現代文明の抱えるあらゆる病巣がこの辺にあるような気がする。
 

肩こり

 
 今朝もテレビのモーニングショーで「肩こり」が取り上げられていた。
 肩こりに長年悩まされている人のインタビューから始まり、肩こりが起こるメカニズム、肩こり解消の体操法などなど。どれもこれも、複雑で、むつかしい、むつかしい。
 ぼくから言わせりゃ、かんたん、かんたん。肩こりの原因は上半身を動かしていないから。解消法ももっと簡単。
 ①ラジオ体操をし、②首の回転運動を右回りに1,2,3,4、左回りに1,2,3,4、これを2サイクル、③右腕をおもいっきり1,2,3、・・・8と回転させ、今度は反対回しに1.2.3、・・・8、次に左腕を同様に。
 これでよろしい。これを毎日繰り返せば、その日から肩こりは解消します。体験済み。
 テレビでやっているような原因探求から、ああだ、こうだのむつかしい体操はしなくてもじゅうぶん治せます。
 
 ことさように、現代人を悩ます「現代病」の大半は、その原因から解決法まで、頭を使うことばかりに関心が行っちゃって、結局はその病から解放されないままということが多すぎる。要はその病から解放されればいいんで、やれば誰だってできるごく簡単なことをやりぬける解決法が一番なんだ。
 
 また「鬱(うつ)」の季節がやってきたが、身の回りにもこの「うつ」にかかっている人が、しかも若い人たちがちょっと多すぎる。この人たちの共通項も「体を動かさない」こと、そして安易に、「心療内科」という「軽度の精神科」と見まがう医院に行き、「効果ある薬」を処方してもらい、やがて「薬、いやだ、いやだ!」と思いつつ飲み続けることだ。
 これだって、「心療内科」に行くには及ばない、ましてや「薬」なんて全く要らないと思えるケースがほとんど。
 外に出て、歩いて、適度に肉体を動かして疲労させ、規則正しい生活習慣を身につければ、まず睡眠障害から解放されるだろうし、そうすりゃ「うつ」の大半は治る。
 
 現代は何もかもがますます複雑化していくが、その複雑さに迷いこんじゃって、ああでもないこうでもない、現代病の多くは原始人間の本質を忘れてしまって、肉体に負荷をかけることの大切さを忘れてしまって、何事も頭だけで解決しようとする横着者がかかることが多いし、治し方もまたまことに横着、薬、薬、薬、・・・、薬を飲む前にやらなきゃならないことがあるでしょ、あなたが面倒くさがって嫌がっているしんどいことを単純に続けることでほとんど完治することが多いですよ、と言いたいね。 
 
 
 

風邪と免疫機構

 
やっと治ったという感じだ。今回ひいた風邪はきつかった。
この冬は2回目で、前回はお正月をはさんだ2週間、大した熱も出ず、しんどかったのは2、3日であとはぐずぐず、のど、鼻、せきが不快の毎日だった。
今回のは、まずのどのいがらっぽさから始まり、インフルエンザ流行のうわさを聞いていたので、翌日近くの医院に行ったんだが、狭くて薄暗い待合室に診断を待つ患者がいっぱい。これじゃ、待っているだけでもっとひどくなりそう、と諦めて近くの薬屋で三共の総合感冒薬を買って帰った。その日は小康を得たが、翌日には体温が37度を超えたので、総合病院に行ってインフルエンザではないことを確認して処方薬と解熱剤を得て帰宅したが、熱は下がるどころか38度を超え、とうとう危険ラインの39度を突破。飲むのは控えたほうが良いとは理解していたが、もうしんどさに耐えきらず解熱剤を一錠を飲む。これがまた嫌というほど効いてわずか数時間で体温35.7度にまで低下。こんなにも解熱剤は効くのかと驚くと共に、逆にこのままじゃ済まないぞ、とその反動に一抹の不安を覚える。案の定、またまた36度を超え、37度を超え、体は節々痛くなるは、眠りに落ちても今制作中のホームページの同じ画面の夢ばかりくり返しくり返し出てきて気が変になりそうで、これはかなりきつくなりそうと覚悟を決める。そしてとうとうまた再び39度を突破したが、今度は我慢と何時間だろうか、ふと目が覚めるとすーと楽になり始め、夜店の店じまいのようにばたばたとウィルス君が退散してしまった。さすがに体力は消耗しきって立ち上がるのもおぼつかない。
驚きまた同時に感動した。これが人間の持つ免疫機構なんだと。体重70kgの男の体を何時間どころか何日間にもわたって平常体温から2~4度も押し上げる莫大なエネルギーによってウィルスに立ち向かうこの防御機構こそが、人類をして種を永劫あらしめている主原因なんだと。それと同時にたかが風邪ウィルスに対してだけにでもこれだけ莫大なエネルギーを費やさなければ生命を維持できない自然界のきびしさ、それだけのエネルギーの補給をし終えなくなったときには死あるのみなんだという宿命を、今回の風邪でいやというほど思い知らされた。自分の体であって、自分の体でないような体験だった。
 

日本の戦後教育

12月17日に本ブログに投稿した「昭和の遺書」は、文芸春秋2009年1月号の特集『昭和の遺書[53通]』から引用させてもらったものだが、ここには昭和天皇をはじめ昭和の時代を代表する様々な分野の著名人の「遺書」が紹介されている。それぞれ特徴があり教えられるところがたくさんあったが、圧倒的な迫力で迫ってきたのは、自然死ではなく突きつけられた「死」を選択せざるをえず死んでいった人たちの「遺書」だ。
学徒出陣によってあたら「死」に追いやられた若い学生たちの遺書には無念がにじみ出ていて、涙なしには読めなかった。昔、「きけわだつみの声」でも読んだが、幾度読んでも深く胸に迫るものがある。
そして思ったことだが、こういうものがあることを小学校や中学校で教わっただろうかということだ。「きけわだつみの声」にしても、高校生の時、夏休みの宿題として出された「読書感想文」の素材として、確か出版社のパンフレットから自分で探し出したように思う。
ブログ「昭和の遺書」の下にリンクを張った「★☆★ 昭和の遺言 ☆★☆」は「You Tube」の動画から選んだ『神風特別攻撃隊の言霊』だが、この動画も朗読も初めて目にし耳にしたものだし、学校時代にこんな類の教材にはお目にかかったことがないように思う。
これを読んでもらっている皆さんの中には、いや学校で教えてもらったという人がいるかもしれないが、おそらく「学校」ではなく先生から教えてもらったのだろう。そんな人は幸いだ。
日本の学校教育はかなり中央集権制の強い制度になっていて、教科書検定をはじめ教育現場の仔細に至るまで差配している。だから国の教育の在りようが 、その時には普遍性があり常識的だと考えられている考え方や歴史観にやはり偏ってしまう傾向がある。
戦後日本の「平和教育」は第二次世界大戦敗戦を受けての「懺悔教育」であり、その方向にもっていこうとする戦勝国側の意図が働いていたのも確かだ。
19世紀末から20世紀初頭にかけての、いかに自分たちの支配地域を拡大するかに腐心した帝国主義時代に、新興国家日本の勢いを恐れていたアメリカをはじめとする連合国諸国はやっとその勢いを止め得たと同時に、これから先もその勢いをそぐためのあらゆる方策を考えたわけだ。そのためには、朝鮮や中国、そしてアジア諸国に対して日本がどれだけ悪事を働いたかに目を向けさせ、広島や長崎で行った人類史上最大で最悪の大虐殺に日本国民が目を向け、そこから湧き起こるかもしれない「愛国心」から目をそらさねばならなかった。元来自省心の強い日本国民はまんまとその意図に乗せられ、だから上にあげたような「きけわだつみの声」だとか、戦争にまつわる実に素朴で人間的な情愛に絡まる話だとか記録などは、戦争賛美につながり、反アメリカ、反戦勝国につながる恐れがあるとして学校で取り扱う教材としては極力避けられた。
その影響力は戦後60年経った今も歴然として存在し、我が国の行く末さえ定かにできない状況を作り出しているのだ。
教育は、ひとりひとりの人生を築く礎を授けるものであり、同時に国のありようを決定づける根幹でもある。
「きけわだつみの声」や、人間の様々な側面を描いた魅力あふれるDVD,「You Tube」にみられるような貴重な記録などがもっともっと教育現場でも使われて、真の「平和」とは何か、真の「愛国心」とは何か、真の「人類愛」とは何か、過去のトラウマから解き放たれた自由闊達な「新教育」を実現しなければならない。

昭和の遺書

南九州の制空権  すでに敵の手中にあり
我らが祖国  まさに崩壊せんとす
生をこの国に享(う)けしもの  なんぞ生命を惜しまん
愚劣なりし日本よ  優柔不断なる日本よ
汝いかに愚かなりとも  我らこの国の人たる以上
その防衛に  奮起せざるをえず
オプティミズムをやめよ  眼をひらけ
日本の人々よ  日本は必ず負ける
そして我ら日本人は  なんとしてもこの国に
新たなる生命を吹きこみ  新たなる再建の道を
切りひらかなければならぬ
若きジェネレーション  君たちは
あまりにも苦しい運命と  闘わねばならない
だが頑張ってくれ
盲目になって生きること  それほど正しいモラルはない
死ではない  生なのだ
モラルのめざすものは  そして我らのごとく死を求る者を
インモラリストと人は言わん
林 尹夫 (ただお)
林は京都大学文学部で西洋史を専攻 学徒出陣して海軍飛行予備学生となり
昭和20年7月28日夜間索敵哨戒飛行中に敵の夜間戦闘機の迎撃を受けて戦死
―『文芸春秋』2009年1月号「昭和の遺書[53通](梯 久美子)より引用 ―

田母神論文に思う

 
 航空自衛隊の最高幹部である田母神前空幕長が懸賞論文に「我が国が侵略国家だったというのは濡れ衣」と発表してから、もう1ヶ月半経った。
 発表当初のあの騒ぎぶり、特にマスコミの騒ぎぶりはどこに行ったのか、いつも言われることだが「熱しやすくて冷めやすい」体質は相変わらずだ。
 その論評ぶりからしてまさに「むべなるかな」と言わざるを得ない。
 最近特に上滑りで無教養極まりない「朝日」をはじめとしたマスコミの論調はどれとして、「田母神論文」に太刀打ちできる歴史観と実証性を持ち得ないまま、マスコミお抱えの似非評論家や、選挙近しで浮足立ち国防もへったくれもあったものでないタレント兼業政治屋の言うがまま、「我こそは正義」と言わんばかりの論陣を張ったわけだが、「田母神論文」に賛同を表わす学者や評論家が多数現れはじめ、それも、是非はともかく「しっかりした」歴史観と実証性に裏打ちされた(と思えるんだが)田母神擁護論と、ネットにも賛同する意見が多く寄せられるに及んで、あれっそういう意見や歴史の見方もあるんだと、ここに及んで頭を冷やしたわけか、すっかり鳴りをひそめてしまった。
 マスコミに群がる人間はえてしてこういう人間が多いわけだし、どちらかといえば人の意見を受け渡しして成り立つ仕事だから、仕方がないといえばそれまでなんだが、「第4番目の権力機構」といわれるマスコミにも、もう少し冷静で幅広く意見を聞き、一呼吸おいて報道してくれることを願いたい。
 そして「田母神論文」を読んだわけだが、この表題「我が国が侵略国家だったというのは濡れ衣」がわざわいしたんだろう、内容も読む暇がないほど「お忙しい」マスコミ関係諸君に上げ足を取られたのは。しかし、内容はいうほど「怖ろしい」ことを言っているわけではないように思えた。ごく当たり前のことを言っているんではないか。歴史の一方の見方だと思う。いままではあまりにも片方に寄りすぎた意見が多すぎたし、「村山談話」にしても、あんなもの時の国の代表が国際社会に表明するものではない。歴史的検証と評価が十分になされるにはまだまだ時間を要することだし、場合によっては全く反対の事実が歴史を塗り替えることだってあるわけだ。事実、「盧溝橋事件」、「上海事変」、「南京大虐殺事件」、「真珠湾攻撃」等々、従来の歴史的事実や評価を覆す資料や見解が続々と明るみに出てきている。一国の宰相が軽々に歴史的判断を下して、近隣諸国にはもちろん、国内向けにも影響力を及ぼすのはいかがなものか。
 「村山談話」なんてそれが出た背景を知ればいい加減なものだ。深い思索の産物ではない。権力にしがみつきたい連中が、全く相いれない政党の党首を担ぎ上げ、人数合わせのために自分の信念を折り曲げて「よいしょ」した妥協的産物でしかない。自民党と社会党だよ。あの時、国民の大多数はびっくり仰天したものだ。政治家なんて所詮そんな人物の寄り合いなんだから、議院内閣制でなく官僚内閣制になるのは当然の帰結。1930年代のあの国家存亡の時にも選挙のことしか考えず「2.26事件」を誘発した状況とまったく同じ状況で飛び出したのが「田母神論文」なのである。
 日本が侵略国家だったのか、仮にそうだったとしても、日本だけがいつまででもいつまででもそう言われ続け、反省し続けなければならないほど、世界ナンバーワンの侵略国家だったのか、そんな「自虐史観」から抜け出さなくてはこれからどうなるかわからない国際社会で、日本の国家戦略を大きく損なうおそれがあるのではないか、と田母神論文は訴えているのだ。
 日本に対しては「大陸棚国境線」を主張し、ヴェトナムに対しては南沙諸島問題で「中間国境線」をと、平気で使い分けて何ら恥じない「大国」が大手を振ってまかり通る国際社会で、このような「田母神論文」に昔の亡霊しか思い起こせず、うろたえ、パニクッているようでは、この国の先は一体どうなるんだろう。
 田母神君と一緒に腹を切りたいくらいだ。