93円/ℓ

 
昨日(2016年3月4日)車に入れたガソリン1ℓの値段である。
この価格、実は40年ぶりの安値と聞いたら驚かれる方が多いだろう。
ガソリンの価格統計がとられ始めた1966年(昭和41年)のリッター50円から始まって、1973年(昭和48年)には、それまで6~7年かけて60円に上昇していた価格が第一次オイルショックのあおりを受けて急高騰を始め、4年後の1977年(昭和52年)にはそれまでの2倍の価格120円前後にまで上昇したのである。リッター93円はその途上に付けた価格で1975年(昭和50年)頃の価格なのだから、実に40年ぶりということになる。
第一次オイルショックといえば、直接原油価格とは関係のないトイレットペーパーや洗剤などの買占め騒動を皮切りに、買いだめは砂糖や醤油などにも及び、スーパーでは開店と同時に商品が売り切れる状態が続いた。エスカレーターの運転は中止され、テレビは深夜放送が自粛され、ネオンサインが早い時間から消灯したり、日曜日にガソリンスタンドが休業するなどの社会現象が起き、日本全体が戦後最大の大混乱に陥った。これにより戦後から続いていた日本の高度成長期が終わりを迎えるのである。
石油もあと40年もすれば枯渇すると真顔で語られたのもこの時だ。さあ大変だ。原子力発電をもっともっと促進しなきゃ日本はだめになる。1971年に開始された福島第一原発にもいっそうの期待がかかることになる。
1979年(昭和54年)には、日本が石油輸入先として依存していたイランに革命が起き、石油の生産をストップしたため、またまた第二次オイルショックに遭遇。1982年(昭和57年)には、ガソリン価格が過去最高のリッター177円を記録したのもこの時だ。
日本はこうして第一次オイルショック、第二次オイルショックという大波にも何とか耐え忍び、やがて1980年代の資産価格上昇に牽引された好景気、バブル景気に酔いしれることになるが、バブルはバブル、なんとも手痛いしっぺ返しを受けることになる。
2000年代、21世紀という新たな世紀に入り、バブル崩壊による後遺症は癒えないまでも、何とか立ち直る気配を感じ始めた2007年(平成19年)、今度はアメリカの住宅バブル崩壊に端を発したリーマンショックによる国際的な金融危機に日本はまたまた足元をすくわれるも、我がバブル崩壊でできた免疫性が効いたのか、大過は免れた。この時、2008年8月に付けたガソリン価格が史上最高価格のリッター182円である。
今車を利用されている方のガソリン価格は130円から150円という感覚の人が多いのではなかろうか。90円代を記憶されている方はもう年配だ。
リッター50円から始まったガソリンの価格推移は世界情勢に大きく左右され、高値は上に述べたとおり、記録的安値も1979年2月のリッター100円、1999年5月のリッター97円はあったが、93円は異常といってもいい安さである。
これが何を意味するのか。
イスラム圏を中心としたさまざまな混乱。アメリカ、アラブ、ロシアを巻き込んだ資源外交の暗闘。石油、天然ガス、原子力といったエネルギー資源をめぐる駆け引き。21世紀の世界は、戦争に明け暮れた20世紀以上に不安定な要因をはらんだマグマがうごめいていることを感じる。

リニア中央新幹線

 
昨日、2016年1月27日、11年後の2027年に東京と名古屋間で先行開業を目指すリニア中央新幹線の東京新品川駅の起工式が行われ、駅の本格的な工事が始まった。
新品川駅は、東海道新幹線の品川駅の真下、地下40メートルにおよそ10年かけて建設し、東海道新幹線の営業を続けながら地下を掘る難しい工事になるというそうだ。
昨年12月18日に山梨県で始まった南アルプスを貫くトンネル工事に続いて2件目になる本格的工事の着工である。

徳川家康が1601年に「五街道の整備」により五つの街道と宿を制定し、道としての「東海道」が誕生してから今日まで、「東海道」は日本の大動脈であり続け、「東海道」の道筋から眺める富士山とともに日本を象徴する存在であり続けてきた。
この「東海道」に初めて鉄路が設けられたのが1889年、「東海道本線」の誕生である。
「東海道本線」は東京から大阪までと思っている人が多いが実は神戸までで、その距離は現在の距離で590㎞、開通当時はもう少し長かったが約20時間かかったという。それでも東海道五十三次をたどった昔の旅人はおよそ15日くらいかかったと言うから、1日24時間かけることの15日間、360時間かかったから、実に18分の1に時間が短縮されたわけだ。弥次さん喜多助さんがこの事実を知ったらおそらく腰を抜かしたに違いない。

「東海道本線」のスピード化はそれからどんどん進み、東海道本線のいちばんの難所「御殿場越え」が丹那トンネル開通により大幅に距離、時間ともに短縮された。1956年には昔懐かしい蒸気機関車は全線オール電化で電気機関車に代わり、当時の特急「つばめ」で東京大阪間を7時間30分で行き来できるようになり、1964年に新幹線が開通する時には最速6時間20分にまで短縮された。

私事になるが、戦後間もないころ、熱海の親戚があって、この「東海道本線」を大阪から出発すると、もちろん蒸気機関車でだが、まず滋賀県の米原に着くと長時間待たされることになる。ここで機関車を2両連結しなければ関ケ原を越えられないからその作業待ちというわけだ。そして熱海の手前の沼津に着くとまた長時間待たされて機関車を2両連結にする。丹那トンネルができてもそうしなければ箱根を越せなかったわけだ。この丹那トンネルを抜けてやっと熱海というわけで、特急を利用せず、普通急行で行ったら大阪から熱海まで10時間以上はかかった。
丹那トンネルに入る前には「窓を閉めてください」という車内放送が必ずある。トンネル内で窓を開けていたら顔が煤だらけの真っ黒けになってしまうからだが、それでも閉め忘れる人がいて、小さいぼくがその人たちに注意しに行ったと、よく両親が言っていた。なつかしい思い出だ。

そして1964年の東海道新幹線が走ることになるんだが、開業当初は時速210㎞で東京から新大阪まで4時間。在来線「東海道本線」の6時間20分から2時間20分短縮されたことになる。まさに夢の超特急だ。
それがさらにスピードアップされ、今や特急「のぞみ」で時速285㎞、2時間22分になったのだから、これを何特急と読んだらいいのだろう。弥次さん喜多助さんの時代の実に144分の1に短縮されたことになる。

リニア中央新幹線はまた別次元の「東海道」ということにしなければ話は続かない。
確かにその通りで、このリニア中央新幹線はもう鉄路ではない。
超電導磁気浮上式リニアモーターカー「超電導リニア」という、電磁石のN極S極の引き合う力と反発しあう力を利用して、車両が路面から10㎝浮いた状態で最高速度505km/hの高速で走行し、2027年には東京品川駅から名古屋までを40分、2045年には大阪まで67分で繋ごうという、まさに近未来交通手段が実現に向け動き出したわけだ。弥次さん喜多さんに再登場願ったら、その時代の300分の1の時間で「東海道」を駆け抜けることになる。弥次さん喜多さんが「東海道」を膝栗毛(徒歩)で旅してからくしくも300年。この300年間、東京と大阪の間は1年に1時間づつ近くなってきたという計算になる。

東海道新幹線の着想が開業からさかのぼること25年前の1939年の「弾丸列車」構想であったように、このリニア中央新幹線は、東海道新幹線が開業した1964年の2年前、1962年にはもう次の交通手段として、超電導リニアの最初の開発者である京谷好泰氏を中心に研究開発が着手された。それから53年、2015年にまず最難関の南アルプストンネルの着工から本格的工事に入り、東京新品川駅着工となったわけだ。

このリニア中央新幹線が開通するころには、また次の交通手段として、高校物理の問題によく出題される「重力列車」が現実のものとして俎上に上るのであろう。
リニアモーターが大きな電力を動力源とするのに対して、「重力列車」は地球の重力を利用するだけだから動力に要する費用はいらない。理論上、地球のどの地点に行くにも片道42分で行ける。東京と大阪間も42分。東京とニューヨーク間も42分というから何が何だか頭がこんがらがってくる。これとて決してSF小説の話ではない。物と物との間に生じる摩擦力と空気抵抗さえ無くせば実現可能ということで、「真空チューブ列車」といって、真空チューブの中を「重力列車」を走らせば42分も夢ではないと、もう研究が開始されているという。

「我が巨人軍は永久に不滅です。」と長嶋選手は言って現役を引退したように、「我が人類は永久に不滅です」と自信をもって宣言できるならば、リニア中央新幹線も「重力列車」も希望に満ち溢れたものになるんだが。

アラビアのロレンスと今

 
2016年年明け早々から『テルアビブのパブで銃乱射、9人死傷』というニュースが飛び込んできた。
イスラエル中部テルアビブ(Tel Aviv)中心部にあるパブと付近のカフェで1日、男が銃を乱射し、2人が死亡、少なくとも7人が負傷したという。
続いて2日には、イランでアラビア大使館が襲撃され、3日にはアラビア政府が直ちに対抗処置としてイランとの外交関係を断絶を発表。アラブ諸国を巻き込んでの大騒動になっている。
昨年末パリのテロ事件が起こって以来、世界のあちらこちらでISもしくはそれに関係する勢力によるテロ事件や未遂事件が相次いできたが、どれも火種は中東にある。
またかという思いか、お正月気分に浮かれてかそれほどの衝撃も日本人には与えなかったようだ。
それよりもびっくりしたのは1月6日の『北朝鮮、4回目の核実験「初の水爆実験」と発表』のニュースだ。テレビや新聞では1日中このニュースでもちきりだった。

いずれにしろ、これからの世界を暗示するような嫌なニュースの年明けになった。
北朝鮮による核実験騒動は日本では大きく取り上げられ、一日中その報道でもちきりだったが、世界的にはやはり中東問題が深刻だ。
イスラム宗派間の対立問題に加え、十字軍以来のキリスト教徒とイスラム教徒の争い、キリスト教徒とユダヤ教徒の2000年来の対立、国を持たない最大の民族クルド人の反乱や同じく現国境を超えた国を自称する「イスラム国(IS)」の対等、さらにはそれらすべての対立の背後にうごめくユダヤ系巨大資本、冷戦以来いまだに対立が続くアメリカと旧ソ連今のロシアの政治的対立、まあこれほど複雑に絡み合った対立のるつぼはないのである。中東アジアが『世界の火薬庫』と言われる所以だ。

エジプトの名優オマー・シェリフ(Omar Sharif)さんが昨年2015年7月11日に亡くなった。ご存知の方はおられるだろうか。
1962年に『アラビアのロレンス』で砂漠の民ベドウィンの族長アリ(Sharif Ali)を演じてアカデミー賞にノミネートされ、また同映画と、その後に主演した『ドクトル・ジバゴ』では、ゴールデングローブ賞を受賞した名優だ。
砂漠の地平線の彼方から陽炎に揺れながらやって来る長ロングショットで華々しく登場するベドウィンの族長アリ。ピーター・オトゥール(Peter O’Toole、2013年12月14日死去)が扮するロレンスに付き従い、アラブの独立のためにオスマントルコに立ち向かう雄姿が今でも瞼に浮かぶ。
彼が生前、世界的な名声を得たことについて複雑な思いを吐露。「『アラビアのロレンス』に出演せず、世界的に有名になっていなかったとしても、それはそれで幸福だったかもしれない、わからない。」と述べていたという。
『アラビアのロレンス』こそ、今のアラブ世界の混乱を招いた元凶だという歴史の真実を知るに及び、映画とはいえそこに出演した複雑な思いに、彼は胸を痛めていたのだろう。

アラブ世界を束ね栄華を誇ったオスマントルコの凋落を幸いと、新たな植民地獲得に血眼になる帝国主義諸国、イギリス、フランス、それにロシア、中でもイギリスの二枚舌外交、三枚舌外交という謀略に載せられたアラブの民族独立運動は裏切りと不信だけに遭遇した。イギリスの謀略の先兵になったのがまさに『アラビアのロレンス』だったわけだ。
利権だけを根拠にした勝手な国境の線引き。アラブの分断。ユダヤの強大な資本をもとにイギリス、アメリカが後押ししたイスラエルの建国。オスマン帝国時代にはクルド州にいた3000万のクルド人などはトルコ、イラク、レバノン、ヨルダン、シリアなど、帝国主義諸国によって勝手に線引きされた諸国に分散させられ、その国々においては少数民族に追いやられた結果、迫害と人種差別、民族差別だけが待ち受けていた。
民族の独立と国家建設をエサに、西洋諸国(背後には石油の利権を牛耳るロスチャイルドのようなアメリカやイギリスの大資本家がいる)にとって不都合な、時の政権打倒に利用され、また時には国家の反乱者に仕立て上げられ、親米的なアラビアやアラブ首長国連邦の王族だけが富を独占するいびつな近代化がなされたのが中東アラブである。
アラブ諸国、イスラエルとパレスチナ、中東アジアに繰り広げられる報復と憎しみの連鎖は断ち切りようのない深刻さを増しているのだ。
それに胡坐をかいていたのが西洋社会であり、日本も無関係ではありえない。
今年正月のパリの風景は異様だった。例年なら世界から押しかける人で込み合うシャンゼリゼは閑散とし、特に日本人はほとんど見かけなかったという。
繰り返されるテロに世界が震撼しているのだ。我が蒔いた種、自業自得と言えぬこともない。
『アラビアのロレンス』は確かにいい映画だったし、ロレンス自身はアラブを愛し、イギリス情報将校の立場を忘れるものがあったかもしれないが、彼もまた国家のエゴに加担し、歴史の大波に翻弄された一人のイギリス人だったのだ。

ひとりの日本人の初詣

 
2015年、平成、うーんと、28年ももう間もなく閉じようとしている。
このところ恒例になっている近くのお寺への初詣までまだ少し時間がある。
初詣と言ってもテレビに映し出されるような仰々しいものでなく、ごくごくひっそりしたものである。
山里の小部落の真っ暗な夜道を、懐中電灯の明かりを頼りに辿るとそのお寺があり、山門もない狭い境内に入ると左側にいきなり立派な鐘楼が建っている。このお寺にはそぐわない大きさだ。 
前回の初詣の折は雪が深々と降っていて、2組の家族連れ、合計5人が鐘を突く順番を待っていた。遠くの方からも除夜の鐘の音が聞こえてくる。
除夜の鐘百八つを規則正しく打つものと思っていたから、このお寺は例外だ。境内を見回しても誰一人いるわけでなく、近くからお参りした信者が好き勝手に突くのがおもしろい。
人間には百八つの煩悩があり、大晦日から新年にかけてその煩悩を振り払い、新しい門出とするいわれがあるそうだが、はたしてこのお寺には百八つを打つほどの人が訪れるのか、はたまた百八つを超えることになるのか、ちょっと心配になった。お陰で一つ煩悩が増えた。
鐘を突き終って本堂の座敷に昇り、無作法なお祈りを済ますと住職の奥さんらしき人が甘酒を持ってきてくれた。右隣には老夫妻が同じ甘酒を振る舞われていた。
住職は40代半ばの人で、サラリーマンを辞めて僧職に就き、このお寺にきてまだ新しいという。
このお寺は浄土真宗の末寺で、しばらくは住職のいない無住寺で、その間村の人たちが寺守をしてきたという。
時代の流れといってしまえばそれまでだが、初詣客が何十万というお寺があるかと思えば、こんなお寺が全国に万とあるというから驚きだ。
むべなるかな、この当人だってたしか真言宗のはずなのに、初めこのお寺の宗派も意に介さず、初詣客の真似事をしようと思ってかどうか、それさえも定かでないような不謹慎な初詣客なのだ。
先年も西国三十三か所を五年がかりで回り終えたが、これとて確とした信仰心があったわけではない。

どうだろうか。お寺に行くのは一年で墓参りと初詣くらい。日本人にはこの程度の宗教心というか、信仰を持たない日本人が結構多いような気がする。
今年の初めにはいきなり、イスラム国の人質になった日本人2人が惨殺され、イスラム教という宗教の怖さ、たとえイスラムの教えとは真反対な集団による事件だったとはいえ、宗教の持つ怖さの一面を実感したわけだが、現代社会にも、また歴史的にも、宗教対立が原因の戦争や動乱、人権蹂躙、虐殺の例は枚挙に暇がないことを考えれば、現代日本人の宗教心の薄さはただ憂うるだけではないような気もする。
よく言われるように日本人の宗教観とキリスト教やイスラム教を信じる人たちの宗教観は異次元のもので、日本人の宗教観はアニミズムにその根源があり、そこから発するシャーマニズムどまりで、その上部構造としての仏教やキリスト教そしてイスラム教ですら受け入れる素地がある。日本人はおおむね世界のあらゆる宗教に対して実に寛容なのである。

いま年越しそばを食べている。
12月31日と言えば年越しそば。そして除夜の鐘に初詣。しきたりははるかに薄くなったとはいえ初雑煮。
つい先日はハロウィンにメリークリスマス!だったのに。

さてさて、年越しそばを食べ終わったら、今年も甘酒に惹かれてあのお寺にお参りするとするか。

閑中忙あり

 
大根畑で大根の葉がゆさゆさと揺れている。そのたびに土からかなり伸び出た白い太もものような大根が見え隠れする。
今日はいちばんの寒さだ。と言っても手が悴むほどではないからまだ本格的な寒さではない。風が強い分体感温度は低く感じるだけだ。
耳に差し込んだイヤホンからはクリフォード・ブラウンのトランペットにのってMinorityが流れてくるが、耳を摩るように流れてゆく風の音がスィングをいっそう強くしたり、時にはかき消すこともある。
道に沿って一列に並んでいる背丈ほどに伸びたセイタカアワダチソウの先に付いた綿毛がさーっと飛んでゆく。と次の瞬間、風向きが急に変わって、真正面から吹き付けるものだから歩くに歩けない。よろけさえする。
負けて堪るものかと身を屈めながら前に突き進もうとすると眠っていた身体から力が湧いてくる。
風は好きだ。
風が吹く中を歩くとなぜか心が躍る。そよ風もいいが、こんな強い風の中を歩くのもいい。耳を摩る風の音がそんな心をなおのこと焚き付ける。
それにしてもこの風の音をどう言い表したらいいのだろう。びゅーびゅーでもない。ざわざわでもない。びわんびわんでもない。昔からこんな時いつもいつも考えるんだが、今日も的確な表現が出てこない。
「どっどど どどうど どどうど どどう・・・」とある日突然教室に現れ、「どっどど どどうど どどうど どどう・・・」と転校していく風の又三郎を思い出した。
やっぱりこの表現がいちばん近いかもしれない。

食料品が底をつきかけているので買い出しに出かけた。
日ごろの運動不足を少しでも解消しようと、片道1㎞程のスーパーにはできるだけ歩いていくように努めているが、今日はきつい。
今年の冬は暖冬だとかで11月には珍しい夏日が連続し話題になった。
その通りで、いつもならこのころ着ている分厚目の下着はまだ着ていないし、ストーブの火をまだ点した日はない。
水茄子畑には水茄子が、無花果畑には無花果が、もうほとんどがしわしわになってはいるがまだたくさんぶら下がっているのもこの時期珍しい。
テレビでは連続テロのあったパリでCOP21が開かれ、地球温暖化対策を論じ合っていると報じているが、どこまで切実に感じているのか各国首脳の顔が寝ぼけ顔だ。
牛乳を買い、卵を買い、何やかやを買って荷物が重い。5,6㎏はあろうか。横からまた強い風が吹いて田んぼに突き落とされそうになる。
坂道を歩いていくと汗ばんできて薄めの冬下着にひんやり感が漂う。それでも急がねば。

このところ、大学・高校受験や学校の定期試験の対策で慌ただしい毎日を送っているが、これとてほとんどが夜だけでまるで夜の蛾(夜の蝶は艶やかでいいですが)みたいなもの。
昔に比べたら閑中忙ありは否めない。

女と男

 
妻に自殺されたレーサーと、スタントマンの夫を目の前で失った女。寄宿学校にいる互いの子供を通じて知り合った男と女は、次第に惹かれ合い恋に落ちていく….。カンヌ映画祭グランプリに輝き、C・ルルーシュの名を一躍世界に知らしめた傑作。モノクロームとセピアトーンの映像、流れるようなカメラワーク、F・レイの甘美なメロディ、渾然一体となった映像と音楽によって“過去を捨てきれぬ”二人の恋が甘く切なく描かれる。寡黙なキャラクターを演じさせたら並ぶ者のないトランティニャンと、薄幸な美くしさがよく似合うエーメ、二人の有り余る魅力も忘れ難い。

1966年、カンヌ映画祭グランプリをはじめ、その年の映画賞を総なめにしたこの映画は「男と女」だった。
それからもう半世紀もたったわけだが、この映画のような甘く切ないラブストーリーにどれだけの人が、特に若い人たちが関心を寄せるだろうか。

半世紀前のこの名作の題名が「男と女」であったが、今回掲げた題名は「女と男」である。
2009年、NHKが放映した「NHKスペシャル;最新科学が読み解く性」と名打った番組の題名が「女と男」であったことに由来する。
「男と女」、「女と男」、どっちだっていいようなものの、半世紀を経たこの順序の入れ替えには意味がありそうだ。

近代化社会の目標の一つが「人間の平等」であり、「男女の平等」であったわけだが、「人間の平等」は一見実現されたかのように見えてその実、不平等は拡大の一途をたどっている。
世界のほんの数%の人間が世界の富の70%から90%を独占しているとよく言われているが、これが事実ならどこが近代化だ、どこが「人間の平等」の実現かと言いたい。
秦の始皇帝時代とそんなに変わらないじゃないかと。
アルカイダが富の象徴であるマンハッタンビルに突入し、イスラム国が悪性ウィルスのように世界に蔓延するいちばんの原因はここにある。

「男女の平等」も叫ばれ始めてから幾久しいが、果たしてどれだけ進展してきているんだろうか。
特に社会的権利に関しては先進国においてはかなり実現しているように見える。ただ発展途上国においてはアフリカやインドなどで男女差別の痛ましい報道が多いようにまだまだ実現には程遠い。

そんな中、近代の脳科学は男女の性差を明らかにしてきている。
例えば、地図の読み取りが女性が苦手な人が多いといわれるが、これは一般に地図が男性の観点から作られていて、つまり、方角と距離で示されていれば男性は目標地点に容易に到達しやすいが、女性には難しいからだそうだ。
どこにどういう建物があり、モニュメントがあり、花が植わっていて、そこを右に、左にという風に地図に書き込んであれば、女性の方が早く目標地点にたどり着くが、逆に男性は道に迷ってしまうというおもしろい実験がある。
これなどは、男性は一般的には抽象化された物、空間認識は得意だが、女性は言語化された視覚認識に優れているという特徴がある結果だという。
そのほか、男女間の愛情のの捉え方、薬の薬理効果の違いや副作用の出方の違い、快感や恐怖の捉え方など等、同じ事象に対して男女では異なる箇所で対応し処理するというから、同じ人間であって同じ人間でないのが男女だというのが現代脳科学から導かれた結論だそうだ。
今アメリカでは、そうした男女の性差を有効に活かすため、教育現場において、男女別々のクラスを設けて指導する方式が広がっているという。あれだけ男女の性差別に対して敏感で平等を求めてきたアメリカにおいてである。男女では勉強の仕方がまるで違うという観察と脳科学から得た知見で実践されている方式だそうだ。男の子はてんでばらばらを好む傾向があるが、女の子は仲良くおしゃべりしながらの方が勉強能率が上がるという。
日本にも「男女七歳にして席を同じうせず」という時代があったが、これは単に「男女は七歳ともなれば互いにけじめをつけて,みだりになれ親しんではいけない。」という道徳的意味合いだけから生まれたのではなく、もっと深い意味で経験的に男女の性差を認識した上での戒めであったのかもしれないと考えるとおもしろい。
今の時代、男女平等の名のもと、何もかもが対等平等でなければいけないという認識が、かえって本来の女らしさ男らしさの特徴を減殺し、発展を阻害しているのかもしれない。特に男性の後退が目立つという。男性特有の逞しさ、決断の速さと実行力が衰え、それがひいては女性にも悪影響を及ぼし負のスパイラルに陥っているのが現代社会だという。。

男女の性差でさらに面白いというか、男性にとっては悲しい違いだが、
人間の細胞内にある核染色体は、生存に必須のX染色体が22対と女性ならXX、男性ならXYの1対、合計23対から構成されている。高校で生物を勉強された方なら知っておられるであろうが、このY染色体は実に貧相である。X染色体の横に小さく申し訳程度にへばり付いている。それもそのはず、男性の持つY染色体は太古から劣化し続け、今ではX染色体に1098個ある遺伝子が、Y染色体にはたった78個しかなく、生存に必須の染色体が欠けているから、XXが対ならば一方に損傷が起こっても補完しあえるが、XYだと補完しあえない。だからY染色体に欠陥が生じればもろに症状が出てきてしまう。その結果、男女の平均寿命に差が生まれたり、男子特有の病気の原因になっていたりで、実に不平等な男女差があるのが人間の染色体だ。しかもゆくゆくは、およそ500万年先、場合によっては明日にでもこのY染色体は亡くなる運命にあるということだから、男性はいずれ消滅する運命にあるということだ。男性が消滅すればもちろん人類は消滅する。ただ自然界にはY染色体が欠損しても、つまり雄が亡くなっても種族を保存できる動物がいる。魚類の単為生殖はよく知られているが、インドネシアのコモド島にいるコモドオオトカゲがそれで、2006年に「世界最大のトカゲ・コモドオオトカゲが単為生殖をした!」と大ニュースになったことがある。哺乳類にもそんな例があり、トクノシマハリネズミやアマミハリネズミはY染色体が完全になくとも、つまり雄が存在しなくても子供が生まれ生き延びていることが知られている。残念ながら人間にはその可能性はなさそうだ。あったとしても何の喜びがあろう!
さらに喫緊の問題点だが、男性の精子数がこのところ減少の一途をたどり、しかも元気な精子の数がその中でも減ってきているから大変だ。その原因が環境汚染によるものなのか、電磁波の影響なのか、はたまた社会システムの変化や家庭環境の変化によるものなのか、いまだ原因は突き止められてはいない。

「男と女」、「女と男」、この入れ替わりには何か意味がありそうだと先の述べたが、先天的・身体的・生物学的に個体が具現するSexにおいても、社会的・文化的に形成されたGenderにおいても、もはや男性が女性を凌ぐことはあり得ない。X染色体にかろうじてへばり付いているY染色体がそれを暗示している。

大腸ポリープ

 
大腸ポリープを切除した。

もう5年以上前になるが、便秘がひどくて、その原因として、もしや大腸のどこかにポリープができているからではないかということで大腸の内視鏡検査を受けた。
案の定というか、便秘の原因になるほどの大きさではなかったが、横行結腸の真ん中あたりに3㎜程度のポリープが見つかった。
当時はというか、掛かった病院の方針で、ポリープ発見即切除ということではなく、1年後に再検査し、5㎜以上に大きくなっていたり、癌化の可能性があったら、1日入院して切除しましょうということで検査は終わった。
ただこの時、とんでもないハップニングで、便秘の遠因と大腸検査の苦痛そして「手当」の大切さを知ることになった。
というのも、いったん差し込まれた内視鏡では大腸のいちばん奥、つまり小腸と大腸の分かれ目である盲腸付近まで届かず、もう一度長めの内視鏡に差し替えらるという「異常事態」が起こったからだ。
内視鏡検査を受けられた方はご存じだろうが、内視鏡を通しやすくするために絶えず潤滑液と炭酸ガスを注入しながら挿入していくのだが、一度抜いてまた内視鏡を挿入したわけだから、炭酸ガスが腸内に充満してもう苦しい苦しい。
子供のころ、悪ガキ仲間がカエルのお尻からストローで空気を吹き込み、おなかをぱんぱんに膨らませて喜んでいたが、まったくあのカエルの状態である。
苦痛と不安で冷や汗が滲むなか、一人の女性看護師が傍に寄り添っておなかに両手を当て、ゆっくり摩りながら「大丈夫ですよ。大丈夫ですよ。」と語りかけてくれたとたん、その苦痛と不安がスーッと消えてゆく。ああ、これが「手当」ということなんだと甚く納得した次第。
便秘もこの大腸の長いことが一つの原因だろうと診断された。

そして今回は、病院の方針が変わったのか、ポリープがあれば即切除しますかという同意が求められ、OKであれば即切除ということで検査に臨んだ。
5年前のポリープも、その後2回大腸検査を受けたが、大きくなっている様子もなく、切除しましょうとも医者は言わないのでそのまま来たが、今回はそういうことで切除を希望した。

相変わらず検査は苦痛だ。事前の食事制限から下剤を使っての腸内洗浄も大変だが、やはり内視鏡が苦しい。最近は内視鏡の性能も向上したし、検査技術も向上したそうだが、ぼくの場合内視鏡が通りにくいのか、途中、女性看護師が医師の指示で、今度は「手当」でなく、上から圧し掛かるようにしておなかを押さえつけねばならないようなこともあった。
幸い新しいポリープは見つからなかったが、5年前のポリープは5㎜位になっていて切除することになった。
見ていると、ポリープの根っこに食塩水を注入してポリープを持ち上げ、小さな電気メスで切除、出血はほとんどなかったが、念のためと、これもまた小さな小さなホッチキスで傷口を留めて手術は終了。
実に簡単な手術ではあったが、これは素人目に見えたことであって、術者の医師の技量、それまでの多くの人たちの研究成果や経験則の積み重ねを思ったとき、ありがたいと、担当医師そして看護師諸君に万感の思いを込めて感謝した。

幾山河越えさり行かば・・・

 
幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく

秋の山道を歩いていると、頭の中でこの歌を口ずさんでいる自分に気づく。それもはっきりとした口調で口ずさんでいるんだ。
いつのころからか、ずいぶん昔から、何かした拍子にふっとこの歌が頭をよぎる。
たぶん中学生か高校生のころに学んだんだろう。
今となっては作者の名前すら思い出せず、この機会に調べてみたら若山牧水の歌で、旅の途中、岡山から広島に抜ける道すがらに浮かんだ歌だそうだ。
宮崎県の医者の息子に生まれた彼は、42歳の短い生涯ではあったが、旅の明け暮れで1,000を超える歌を詠んだという。

この歌を詠んだ2年前、上田敏の名訳で日本人の多くの心をとらえたカール・ブッセの「山のあなた」が紹介され、牧水は深く心を動かされたそうで、瓜二つと言っていいくらいよく似ている。

それにしても寂しい歌だ。
寂しさの終てる国を求めて旅をする、幸せがあるという処を探して山を越える、このこと自体実に行動的でアグレッシブなことで寂しくなんてないはずなんだが、実に寂しい。
「寂しさ」という言葉に引きずられるからだろうか、「涙さしぐみ」という言葉に引きずられてしまうからだろうか。
寂しい心が読むから寂しいだけで、実はその反対で、読み方によっては明るく幸せな未来を啓示すると思えば寂しくも何もないんだろうか。

古今東西、こうした漂泊の歌は多く、人の心に深く染み込む。秋ともなればなおさらだ。
この世に生を受けて、幾山河を踏み越え、荒波に打ちのめされ、いずれ朽ち果てるおのが運命を知る人間だけが知る寂しさに共感を覚えるからだろう。
一時のセンチメントに浸れることは幸せの証しなのかもしれない。

シリア難民の報道を見ていると、まさしく幾山河を超え、海を渡り、幸せを求めての旅路、いや脱出行ではあるが、一分のセンチメントもないだろうし、感じ取れない。

能因、西行、芭蕉、宗祇、日本にも幾多の漂泊詩人が生まれた。牧水もそうだろうし、山頭火もそうだ。
いつも思うんだが、その原点をたどれば、行きつくのはヤマトタケル。

大和は国のまほろば たたなづく青垣 山こもれる大和しうるわし

兄を殺し、征西に東征にと、その生涯を殺伐に明け暮れた彼が、幸いの地、大和を目前に生涯を閉じた辞世の句に、大漂泊の詩人を見て取れる。

安保法案と日本人の法意識

 
安全保障関連法が19日未明、参院本会議で自民、公明両党などの賛成多数で可決され成立した。
アンケート調査によれば、国民の過半数以上が「審議が尽くされていない」、「国民の理解が得られていない」という中での成立だ。
朝日新聞が6月下旬に実施した、憲法学者ら209人にアンケートをし、回答が得られた122人の回答結果でも、安保法案「違憲」104人、「合憲」2人ということであった。
有識者のアンケートでも、法案そのものに関しては賛成だが、現行憲法には違反している、もしくは抵触しているという意見は多数あった。

戦後70年、現行憲法のもと、日本は奇跡的な復興を遂げ、確かに平和国家を目指し実践してきた。憲法の果たした役割は大きい。
とりわけ憲法第9条は、第二次世界大戦から間もなく勃発した朝鮮戦争をはじめ、性懲りもなく繰り広げられる世界の多くの戦火に日本が巻き込まれることもなく、ただひたすら戦後復興、経済復興に全エネルギーを費やすることができる上での大きな盾の役割を果たした。
押しつけ憲法だとか何だとか言われてはきたが、70年も一言一句変えられることなく持続した憲法も珍しく、世界でも例を見ない理想的憲法だといわれるが、この第9条に関しては憲法制定間もなくから国論を二分する論争が繰り広げられた来た。
今回の安保法案成立によって、この第9条が事実上改正されたといっても過言ではない。
憲法改正を経ての集団的自衛権問題の解決は困難と見た安倍政権、自民党政権の苦肉の策ではある。よって、皮肉なことにこの法案成立は憲法改正を遠ざける結果になったという意見もあるくらいだ。それほどこの憲法第9条は、日本国憲法の「のどに刺さった棘」だったわけだ。

しかし、この安保法案はどう勘案しても憲法第9条を逸脱している。憲法学者に委ねるまでもなく、おかしいと思うのが普通の感覚だ。予断を持たない中学生や高校生に読ませたら、その多数が自衛隊そのものの存在すら違憲だというだろう。それが正常な読み方だ。「われわれ憲法学者じゃない。国民の安全を確保するのが政治家だ。」と言って、憲法をねじまわし、捻り回して自分の都合に合わせようと解釈するのが政治家であり、権力者だ。

そもそも明治憲法からしてそうだ。
日本が近代国家として国際社会に乗り出していくにはそれなりの装いがいる。法治国家であることはとりわけ重要で、明治政府は六つの法典、つまり、憲法・民法・商法・刑法・民事訴訟法・刑事訴訟法をドイツとフランスを規範として、極めて短期間に、驚くべき才能の結集によって成し遂げるのである。ありていに言えば、明治の法典は列強と伍するための”日本の飾り”のために作られたようなものだった。そのため、日本人の社会や生活が形成してきた法意識とはかなりのズレをおこした。それでも順応性の高い日本人はひたすらそのズレ、乖離を埋め合わせていったのである。
しかし結果的には行きついたのが第二次世界大戦とその結末である。

日本と西欧では、法に対する規範性そのものの違いがあり、「世界が滅びるとも正義は行われるべきである」と考える西欧の観念は日本人は持ち合わせていない。『御成敗式目』を制定した北条泰時しかり、「大岡裁き」で今でもテレビドラマ化される江戸時代の名奉行大岡越前守しかり、法よりも義理、人情を重んじる日本の「法」意識は、西洋流の法意識になかなかなじめない。
日本人の法意識は常に揺らいでいる。世の中が変わり、世界が変わって憲法にはそぐわない実態が現実になっても、憲法を変えるのではなく「拡大解釈」で対応しようとする。法律用語そのものより、その行間を読み、解釈しようとするのが日本人の法意識である。何事においてもお上の裁量権がものを言う。また、日本語そのものが、またロジックそのものが「法律」にはなじまない。西洋とは成り立ちからして違うのだ。
言い尽くそう、語りつくそうとするのが西洋の法典であり、新たな事態が起こればそれに見合った改正を行わなけれなならないと考えるのが西洋の法意識であり、それ故、憲法改正だって頻繁に行う。法律が人間社会万般を覆い尽くさねばならないと考えるのだ。

考えてみるに、西洋の法意識の原点がソクラテスの「悪法もまた法なり」と毒杯をあおいで死んだことに由来するならば、日本の法意識の原点は聖徳太子の十七条件憲法第一条「和をもって尊しとなす」なのである。「和」を実現するためには法は多少折り曲げてもいいと考える。日本に持ち込まれた西洋流の法意識すら「和」に包み込んでしまう。
明治憲法が”日本の飾り”として制定されたと同じ意味で、現憲法も”押し付けられた”ものである。ただそこに「和をもって尊しとなす」の法意識は確実の盛り込まれていて、日本国憲法を世界に冠足らしめている所以ではあるが、崇高であるがゆえに尊しとはしないのが現実世界である。

今回の安保法案成立が、果たして日本にとって吉と出るのか凶と出るのか、いずれにしろ法案が成立した以上、ソクラテスではないが、「悪法もまた法なり」と毒杯をあおいで死ぬ羽目にだけはしたくない。自分たちが選んだリーダーが明治憲法下の轍を踏まないように、注意深く見守り、正していかなければならない。

理想的憲法と現実世界。日本人独特の法意識。極東の国、日本。そこに育まれた独特の風土と文化。西洋が時代の先頭を走ってきたという共通認識から生まれた齟齬。中国の異常とも思える自己主張。アメリカをはじめ西欧社会との共通認識を探る日本。すべて、あらゆる偏見、予断を持たず再検証しなければならない時が来たのではないだろうか。