さん太のぶらり一人旅 ―九州・山陰—


 

5月の連休、ゴールデンウィークは自由気ままに旅する者にとっては絶好の季節である。暑すぎもせず寒すぎもせず、どこに野宿するにしても困ることはない。野宿と言っても、ぼくの場合は車での車中泊だ。夏だと夜中中冷房を付けなけりゃ寝られないし、冬も暖房を利かせなければならないこともある。その点この季節だと、衣服かせいぜい寝袋ぐらい用意しておけば十分だ。いちばん気になるのは寝るときの窮屈さだが、これもワゴン車ならスペースも十分、ゆったり寝られる。

それでも、せっかくだから温泉地なら温泉旅館に、海の近くなら海鮮料理旅館に泊まりたくなることもよくあるのだが、まあこのシーズン、予約なしでは泊まれない。温泉が目的だとか、あの料理が食べたいだとかならば予約をしてでも旅に出るだろうが、風来坊のような旅を好む者にとってはその予約が大の苦手だ。予約すればいつ何時にチェックインしなければならないとか、ここは寄り道をしようと思うことがあっても、自由が利かない。

ということで、今年の旅は九州ぶらり旅行と決めた。

4月の29日土曜日まで仕事があって、翌30日から1週間休みを取っていたんだが、30日と5月1日は、また孫たちから招集がかかるかもしれないので待機したが、それもなさそうなので2日突然決めての旅立ちとなった。

九州は大阪からはさすがに遠いのでここしばらく行ったことがなかったことと、いちど『吉野ヶ里遺跡』に行ってみたいと思っていたこと、九州の西の果て、『平戸』に漠然とした憧れがあったことが動機である。あと余裕があれば、長崎から島原を経て天草にも立ち寄り、帰りは『阿蘇の草千里』、『やまなみハイウェイ』を通って『湯布院』へと考えた。

旅程は、吉野ヶ里までなら680㎞、さらに平戸までならおよそ820㎞である。これを往復ではちょっときついので大阪から九州までの往復はカーフェリーを利用しようと調べてみたら、どのコースももう満杯。仕方なく、行きは車で行くとしても、帰りは九州から四国のカーフェリー、そして四国は横断して、四国からはカーフェリーを利用して和歌山と、ちょっと奇策を思いついて調べたら、これはOK。

まず吉野ヶ里を目指して山陽自動車道をひた走り。姫路あたりを過ぎると車もまばら。印象に残ったのは、いたるところ若葉若葉若葉。途中できる限りサービスエリアに寄って休息をとることに決めていたが、やはり気は焦る。日本の高速道は本当によくできていて快適だ。それでも所々でつぎはぎがあったり、タイヤ音がやたら気になるところがあって、いかに道が酷使されているかがよくわかる。

関門橋を渡るころにはさすがに疲れてきて、もう夕方近くにもなっていたので、今日の宿泊場所を「古賀SA」に決める。ここからだと吉野ヶ里までおよそ70㎞。吉野ヶ里の開園が朝9時だから十分に休息がとれる。

5月3日朝、九州自動車道から長崎自動車道に入ってすぐの「東背振IC」を出てほんのわずか走ったところが吉野ヶ里だ。朝も早いのか客も多くなくちょっと拍子抜け。『吉野ヶ里遺跡』の見学というよりも、園内でのバーベキューでも楽しむのだろう、そんな用意をした家族連れがやたら多い。それもそのはず、今日は駐車料と入場料が無料の日なのだ。ラッキー。

園内に入ったら、そこはもう途轍もなく広く、向こうの方には茅葺の高床倉庫だとか竪穴住居が青空を背景によく見える。ここが『吉野ヶ里遺跡』なのだ。広大な筑紫平野を見渡せる場所に位置し、有明海にも近いこの地は、まさに要衝の地であり古代の城郭なのだ。環濠を張り巡らした環濠集落は日本各地に点在するが、これほど大規模なものはない。弥生時代前期(BC5~BC2)から集落ができ始め、弥生時代後期(AD1~AD3)には完全な環濠集落になったというから、2世紀後半に起こったとされる『倭国の大乱』を物語る遺跡でもある。甕棺墓からは頭に槍の刺さった遺骨もあったりするそうだから事実であろう。ともかく「弥生人の声が聞こえる」壮大な遺跡だ。





 

 

 

 

 

 

吉野ヶ里を出たのは午前10時半ごろ。今度は平戸に目指すんだが、高速を利用すべきか、下道を行くべきか迷った。早く行くなら高速、道中を楽しみたいなら下道なんだが、Googleのカーナビで調べたらそれほど時間差がないので下道を行くことにした。これは正解で、道中西九州の様々な風景や生活する様子を見ることができた。

『平戸市』は平戸島と周辺の島々からできていて、今回訪れたのはその中心部でほんの一部に過ぎない。「大航海時代の城下町」「歴史とロマンの島」とうたったパンフレットを頼りに市内中心部を散策したが、うたい文句通りの美しい街だ。来た甲斐があった。

『平戸オランダ商館』から小高い『オランダ小径』を通ってソテツや真っ赤に染まったツツジを観ながら『平戸ザビエル記念協会』へ。『寺院と教会の見える風景』はぜひとも写真に撮りたいと急坂道を行ったり来たり、汗びっしょりでやっとの思いで撮れた時は一番うれしかった。途中、若い二人連れの女性に声をかけられたら、駐車しておいた車が滋賀ナンバーでそれに気付いて声をかけたとか。同じ滋賀の女性で九州を一周しているとか。まさにロマンだ。

最後は中心部から少し外れた『平戸城』へ。ところが空模様がおかしくなってきて、着いた時には本降り。天守閣から一望できる平戸中心部がかすんで見えた。







 

 

 

 

 

 

さて、これで今回目標の『吉野ヶ里遺跡』と『平戸』は大満足で終えたわけだが、長崎、島原、天草は無理として、帰り道できるだけ思い出の地も寄ってみたいと、「ごんしゃん」で思い出のある『柳川』に回ってみることにした。

今度は佐世保まわりの西九州自動車道を利用することにした。西九州自動車道から長崎自動車道に入って吉野ヶ里に降りる手前に「金立SA」があり、ここを今夜の宿泊地と決めた。

5月4日早朝、「金立SA」を発って『柳川』に向かった。途中昨日訪れた『吉野ヶ里遺跡』があって、そのまま同じ道を南下すれば『柳川』だ。距離にして20㎞、およそ30分。

朝が早すぎて『北原白秋生家』も空いていない。柳川というと水郷が有名だからそちらに回ってみたら、なんだか祭りの様子。屋台の設営真っ最中のおじさんに聞いてみたら『沖端水天宮大祭』という祭りだそうだ。掘割に6隻の舟をつないだ舟舞台「三神丸」を浮かべ、三日三晩、ゆったりと移動しながら子ども達がお囃子を演奏したり、芝居一座の演劇で賑わうそうで、こどもの日にちなんだお祭りなんだろう。堀には花飾りを付けて3漕を束ねた船が浮かんでいた。



 

 

 

 

 

 

先を急ぐので、今度は『阿蘇の草千里』を目指した。ここは40年ほど前に子供たちを4人を連れて訪れたことがあり、もう一度ぜひ訪ねたいと思っていたところだ。

柳川から約100㎞、時間にして2時間の距離だ。この時もGoogleカーナビの賢さに感心したり感謝したり。車に搭載されている高価なカーナビより余程のすぐれものだ。

それにしても道中の景色の素晴らしいこと。広い広い麦畑はちょうど収穫前で金色に輝き、若葉並木が延々と続き、若草の土手にはスカンポの群生が太陽で光り、日本は本当に美しい国だと胸が熱くなる。

阿蘇の外輪山の険しい山岳道路を超えると広大なカルデラが広がっていた。南北25km、東西18kmの世界最大級のカルデラで、およそ9万年前に形成され、カルデラの内側に安定した集落を形成し、広く農地開墾が行なわれ、数多くの町があり村があり、国道や鉄道まで敷設されている例は、世界的にも珍しいとされる。最後の爆発時には、160㎞離れた山口県の秋芳洞まで溶岩流が流れたというからもう人間の想像力は及ばない。

『草千里』は国道57号から入るが、こんなに遠かったけと思うほど奥深い。熊本地震と阿蘇山噴火の影響でいたるところが通行禁止になっているそうだが、今回たどった道は立派に回復し、山桜がいたるところでまだ満開だ。40年前の記憶は全く消えているが、こんなにいい道ではなかったはずだし、よくもまあ行ったものだ。

昔は確か駐車場はあっただろうが、今あるような『阿蘇火山博物館』だとか『草千里ヶ浜展望所』はなかったはずだ。すっかり観光地になっている。やはり昔の素朴な草千里がいい。ただ乗馬風景は変わっていなかったのがせめてもの救いだった。

さて今夜は湯布院当たりでいい宿が取れればラッキーなんだがと湯布院を目指した。

『やまなみハイウェイ』を辿ったが、昔通りの印象だ。日本にこんなに広大な場所があるんだという印象は今も同じ。前は湯布院から草千里の逆コースだったが、すれ違う車もほとんどなく、途中レストランらしいレストランもなく、右に九重連山を観ながら、もう少し原始的な風景が広がっていたように思う。今は違う。場所によっては車列ができ、大きなレストランの駐車場は満杯で、人人人で溢れ返っている。「手打ちそば」の看板が出ているお店に入ったがもう売り切れだという。今はこういう時代になったんだ。しかし、それでもこの『やまなみハイウェイ』は素敵だ。また来れるかどうか、来れることができるなら来たいものだ。

湯布院も近くなると道は険しくなる。うっそうと茂った木々と折から崩れ始めた天候で薄暗い道をたどる。峠を越え、どんどん高度を下げて行くとパッと開けたところが湯布院だ。あちらこちらに湯煙が立っている。市中に入ると、これまた人と車でごった返している。今夜の宿を取るべく、めぼしいところに電話を掛けるがどこの宿も満室。やはりだめか。わかってはいたんだががっかり。仕方なく温泉だけでもと、金鱗湖湖畔に昔ながらの共同浴場があるというんでそちらに向かった。車でごった返す交差点を右に辿ると意外に車は少ない。10分足らずで『下ん湯』という木の看板を掲げた小さな茅葺家に着いた。駐車場は3台分しかなく、幸いにも1台分がすぐ空いたのでそこに駐車。

前には「外来者お断り」と書いた男女別の共同浴場があり、『下ん湯』は外来者用の浴場だそうで茅葺の実に質素なたたずまいで受付もなければ何もない。さてどうしたものかとたたずんでいたら、湯上りのおじさんが出てきたので尋ねると、10㎝幅の人の背丈ほどの金属柱を指さして、そこに硬貨の投入口があるから200円入れればいいという。びっくりしたのはここは混浴だそうだ。しかしもう3日も風呂に入っていないし、混浴もまた面白かろうと入ってみたら、男性ばかり3人の先客がいる。狭い場所に露天風呂が2つ、向こうは筒抜けだから明るいことは明るい。混浴と言ってもまさかこれでは入る女性もいまいと先客に尋ねてみたら、意外や意外、けっこう若い女性が入りに来るという。温泉設備は何もなく、湯船のすぐ横で脱衣してザボン。湯加減を調節している様子もなく湯量も豊富で、まさしく源泉掛け流しだ。前の植え込みの隙間からは金鱗湖を行き来する人の姿がよく見えるから、向こうからも見ようとすれば見えないこともない。そんなことは今はどうだっていい。3日分の汗を洗い落とし、絶え間なく流れ出る温泉にしばし旅の疲れも癒された。



 

 

 

 

 

 

今夜はこの湯布院で泊まることはできないし、諦めて四国までフェリーで渡ろうかと、別府や「国道九四フェリー」に電話を掛けたけれど5月7日まで予約で満杯だという。出がけにはそうではなかったのにと悔やんでみても始まらない。いつものことだが見通しが甘いこと甘いこと。

仕方なく、また来た山陽自動車道で帰るとするかと、とにかく今夜の寝場所を求めて東九州自動車道に入ることにした。ところがこの東九州自動車道、できて間もないからなのかパーキングエリアもなければ、もちろんサービスエリアもない。とにかく次のサービスエリアに行かなくちゃと、東九州自動車道、九州自動車道を走り続け、関門橋を渡り、結局は中国自動車道の「美東SA」まで走ることになった。

翌5月5日、こども日だ。このまままた山陽自動車で帰るのも嫌だし、中国自動車道で帰るのも嫌だ。できる限り下道を走ろうと高速道を降りることにした。

山陰周りで帰ることに決め、一昨年だったか、やはりこの時期に、天空の城で有名な兵庫県和田山の『竹田城』から『萩市』に旅行した折、出雲大社に行きそびれたことを思い出したので、今日はそこを目指すことにした。

「美東IC」で降り、とりあえず山陰道の萩を目指した。萩までは35㎞、およそ30分。道中で見かける赤い屋根瓦の家が木々の若葉とよく溶け合ってとても美しく、時々車を止めて見入ることしばしば。さっそくネットで調べてみたら、この赤い屋根瓦は石州瓦と言い、雪国には多く見かけるとのこと。だから下道がいい。これも旅の醍醐味。

萩では萩城(指月城)の「花江茶亭(はなのえちゃてい)」で一服したことが忘れられず今回もと訪ねたが、茶会は4日までで今日は開かれていないという。残念。萩は一昨年訪問した折堪能したので、ひたすら出雲を目指すことにした。途中何度も山陰自動車道の無料区間を利用した。この山陰自動車道、工事に取り掛かってかなりになるがまだまだ全線が開通していない。全線開通するには30年かかりそうとの噂も。

途中、益田市あたりだろうか、名前は忘れたが、たくさんの鯉のぼりがなびいている道の駅があった。川が流れていてその川沿いに何十もの鯉のぼりが風に流されていて、土手には色とりどりのツツジが花を咲かせている。実に美しい光景だ。ちょうどお昼時だったので、たくさんの車が止まり、地元の人や旅行客が右往左往している。「美味しいわらびもち」と出ている店で抹茶入りのわらび餅を買い、川沿いの東屋で食べることにした。ひとりで食べるには多すぎだが、残してもいけないと若草色の黄な粉をタップりかけてわらびもちで腹をいっぱいにした。



 

出雲大社に着いたのは午後3時半くらいだった。見事な神社だ。桧皮葺の大きな屋代がいくつも建っていて、本殿中央には大きなしめ縄が吊り下げられている。広い境内には老若男女たくさんの人たちが行き来し、お賽銭箱の前は行列だ。境内の片隅では保存会の人たちによる奉納出雲神楽が舞われていた。本殿の隣は結婚式会館で、ここには本殿の倍ほどあるしめ縄が吊り下げられている。びっくり仰天だ。九州吉野ヶ里の勢力、ここ出雲の勢力、中国山地を越えた吉備の勢力、そして近畿大和の勢力、また頭に歴史が湧き出てきた。出雲大社、来て良かった。











 

 

 

 

 

 

さて今夜は松江、宍道湖周辺で泊まるとするか。車中泊のできる道の駅を調べたら、松江の手前に「秋鹿なぎさ公園」がある。ここに決めた。

出雲から松江は約40㎞、一直線、小一時間の距離だ。

出雲を出て30分くらいで宍道湖が見え始めた。もう少し小さいのかと思っていたが意外に大きい。宍道湖北岸を行けども行けども右には宍道湖。「秋鹿なぎさ公園」が見えた。午後5時。まだまだ明るい。公園内には、駐車場をはじめ艇庫やキャンプ場があって、夏にはかなり賑わいそうだ。レストランもあるので入ってみたがもう食事は終了というので、公園の近くを探すとウナギ専門のレストランがあった。よーし、今日は宍道湖に来たんだし、ウナギでも奮発するかと入ってみた。ウナギ以外の定食もあったが、うな重にした。メニューには「うな重」とはあるが、よく見ると、天然もので4,100円、養殖もので3,100円とある。せっかくだから天然ものを注文した。美味しかった。と思った。

翌6日は松江城に寄って帰路に就くことにした。

松江城は立派なお城だ。美しい。2015年に国宝に指定されたというから、国宝になってまだ新しい。

このお城、明治維新の西欧化が吹き荒れる中、政府による廃城令の命で、松江城諸建造物と三の丸御殿を民間に払い下げられることとなり、ことごとく取り壊された。天守閣は180円(現在価格で120万円)で落札されたという。松江藩足軽 高城権八の熱心な働きかけで、出雲市斐川町の豪農・勝部本右衛門栄忠(もとえもんしげただ)が私財を投じて買い戻し、保存が決まったというエピソードがある。明治維新は日本の近代化を急ぐあまり、日本の伝統文化までもことごとく葬り去る「焚書坑儒」的側面があったわけだ。そうした中、岡倉天心をはじめ、この高城権八や勝部本右衛門栄忠のような多くの民間人が寺を守り、神社を守り、多くの美術・工芸品を守ったことを忘れてはならない。



 

 

 

 

 

 

さて、こうして2017年5月連休の「さん太ぶらり一人旅」も終わったわけだけれども、今回の旅で再認識したのは、日本は本当に美しい国だ、隅々まで美しい国だということだ。

最後にGoogleMapsには非常にお世話になったことと、その驚異的なナビぶりを紹介してこの旅日記を閉じたい。

松江城からの帰りは、途中、三朝温泉、三徳寺を経て中国自動車道に入ったのだが、そのまま進めば魔の渋滞箇所、宝塚辺りを通らねばならない。どうしようかと迷っていると、加東市あたりでMaps画面に新ルートの表示が出た。そこのインターを出て一般道、阪神高速32号新神戸トンネルを通って神戸市に抜け、阪神高速4号線湾岸線を経て岸和田市に向かうルートだ。距離にして約100㎞。到着時刻は17:46と出ている。このルートを辿ると10分早く着くという。経験から通常ルートを辿ったら10分どころの差ではない。宝塚の渋滞をさすがにGoogleMapsも読み込めていないようだ。それはともかく、この到着時刻17:46にたった1分の誤差、17:45に自宅にたどり着いたことだ。様々な道路事情を含めて100㎞先の到着時刻を1分の誤差で言い当てたGoogleMapsの凄さには驚いた。ごんしゃん


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