四国88箇所を巡り終えて

 
第48番西林寺を参拝した折のこと。
高齢者がよく散歩に使う手押し車を押して境内を回っている男性に気付いた。白衣(びゃくえ)に菅笠(すげがさ)、首からは輪袈裟(わげさ)の正装をした50年配に男性である。金剛杖ならわかるが手押し車は珍しい。足でも悪いのかとその場はやり過ごしたが、お堂を回ってしばらくしたら、向こうからあの手押し車を押す男性が近づいてきた。手押し車の座席にはご母堂の遺影だろう、それを手押し車の背もたれに立てて、首からは同じような額に入ったご両親と思しき写真をつっている。途端に目から涙がほとばしり出た。とっさに事情が呑み込めたからだ。思わず男性に「お母さんですか」と言葉をかけようとしたが言葉にならない。一瞬男性もびっくりした様子だったが、すぐ眼鏡の奥に涙が見えた。ともかくご母堂の遺影に合掌させていただいた。
「えらいですねぇ。」、「いえいえたいしたことありません。」、「誰にだってできることではない。僕なんかには到底到底できないですよ。」、「せめてもの親孝行です。もう手遅れですがね。」、「いや、そんなことはない。いい息子さんを持ったもんだ。」・・・、まだ涙が止まらない。
ご母堂はずっとこの四国巡礼を願ってきたがそれも果たせず昨年お亡くなりになったという。お父さんはご存命だが、寝たきりだそうで、生前には仕事仕事でたいした親孝行もできず、やっとこの連休に休みが取れたので、せめてもの親孝行をしたいとこの巡礼を思い立ったとのこと。

ぼくの場合、前の西国33箇所巡りもそうだったが、たいした信仰心を持っての巡礼ではない。「巡礼」という言葉を使うのもおこがましいくらいだ。
前回の西国33箇所巡礼は、たまたま書店で手にした納経帳のイラストに触発された巡礼だったし、今回もその延長線上にあって、巡礼といえば日本ではこの四国88箇所だろうという、なんともそこらのミーちゃんハーちゃんにも引けを取らない軽々しい動機だ。
しかし、おそらくこの「巡礼」という言葉に惹かれるものがあるからだろうとは思う。
巡礼は信仰心を持っての旅だが、若山牧水の、
  幾山河 越え去り行かば 寂しさの 果てなん国ぞ 今日も旅行く
また、種田山頭火の、
  この旅、果てもない旅のつくつくぼうし
と歌った歌や俳句にも隠された信仰心が読み取れる。
常に死と向き合わなければならない人間の業をいかに断ち切るか。御釈迦さんもそうだし、弘法大師もそう、そもそも仏教起こりの根源はこの人間の業をいかに断ち切り、安らかな死を迎えるかにある。
牧水が「寂しさ」と表現したのもそうした寂しさであり、山頭火がお盆を過ぎてつくつくぼうしが鳴き始めても「果てもない旅」が続くと表現したのも同じ心境だ。
牧水や山頭火だけではない。古来多くの詩人が漂白の先々で歌った歌もそうだ。
  都をば 霞とともに 立しかど 秋風ぞ吹く 白河の関
と歌った能因の歌を受け、
  白河の 関屋を月の 漏る影は 人の心を 留むるなりけり
と歌った西行。その西行に限りなく傾倒した芭蕉は、「月日は百代は過客にして、行きかう年も又旅人なり。」で始まる『奥の細道』で綴った旅立ちも当時初老46歳であった。
思うところは結局はお遍路も同じなのだ。

四国巡礼の白衣はまさしく死に装束で、巡礼途中でいつ何時死を迎えるかもわからない、その準備のための装束だし、昔はそうして行き倒れになったお遍路も結構いたそうだ。
もともとは弘法大師空海の事績を辿り、修行僧が始めたのが起こりで、江戸時代くらいから一般人も加わって今に至っているそうだが、全行程1000㎞から1400㎞に及ぶ道のりを、歩いて辿る人、車で辿る人、ツアーで巡る人、人さまざまだが、歩いて巡る「歩き遍路」にたくさん出会ったのにはびっくりした。
皆が皆死と向き合っての巡礼ではもちろんないだろう。心身を鍛えるため、自分探しを求めて、グルメと温泉を求めて等々、今行く先々で出会う人たちの目的は様々だ。しかし、突き詰めれば結局「死」との対峙だ。

第75番札所善通寺では宿坊の恩義にあずかった。
朝には、5時半からお説教から始まって、今でも生き続けるお大師様の朝ごはんの勤行、それが終わると何とも奇妙な体験をした。戒壇巡りだ。長野の善光寺でも同じような戒壇巡りがあったが、時間の都合で参加できなかったから初めての体験になる。御影堂地下の真っ暗闇の中、約100mの距離を左側の壁に手を添えながら、「南無大師遍照金剛」を唱えながら進む。本当に真っ暗だ。この暗闇の中で仏様と縁を結び極楽往生のお約束を頂くわけで、一昔前は経帷子(きょうかたびら)を着て草鞋(わらじ)を履き、手には白木の念珠ををするというまさしく死出の旅路姿で巡ったというから、やっと見えた光明は黄泉の世界を連想させたのかもしれない。

4月27日、第1番札所霊山時から始まった四国88カ所車の旅は、5月3日第88番札所医王山大窪寺で結願(けちがん)かなったわけだが、冒頭に紹介した孝行息子が今回の巡礼で一番印象に残った。
今度はゆっくり死に装束に身を固めて真の意味の巡礼に赴きたいと思う。

  
IMG_0062IMG_0199IMG_0147IMG_0415IMG_0448IMG_0505

今年のさくら 2 ― 2016 ー

 
じっとしていられない。前回に引き続き「今年のさくら」。
桜の咲き始めに罹ったインフルエンザがその後も尾を引き、桜を訪ねての狂い歩きは今年はだめかと諦めていた。
仕方なく、近くに買い物に出かけた折や早朝散歩の折にしか桜を見る機会がなかったわけだが、灯台下暗しとはこのこと。その先々で見る桜のなんと多くて美しこと。道の両側に街路樹のように植えてある桜が道を覆いかぶさっていたり、雑木林の中に突然目を見張るような桜の古木が枝もたわわに花を咲かせていたり、児童公園やちょっとした家の庭先にも桜が咲いている。いたるところ桜だらけだ。心がワクワクしてくるから不思議だ。

それでもそれでも。
ちょっと元気が出て出てきたので、じっとしていられない。
今年訪れたのが紀州和歌山の岩戸市にある根来寺である。
開花は例年通りだったそうだが、花冷えが続いたおかげで満開まで少し時間がかかり、訪れた4月6日は咲き切って、少しの風にももう桜吹雪だ。実にいい時に来た。
根来寺は、大阪の南、昔泉州と呼ばれた地域にある泉南市から、風吹峠、いい響きの峠だね、このなだらかな峠を、今はすっかり立派な道ができていているが、越えるとすぐのところにある。噂に違わぬそれはそれは立派なお寺だ。
なんでも、平安時代後期、高野山の僧で空海以来の学僧といわれた覚鑁(かくばん)が1140年に開山し、戦国時代には根来衆といわれる僧兵1万を率い、大きな勢力を誇った大寺院で、早くから種子島伝来の鉄砲隊を組織し、織田信長とは協力関係にあったものの、豊臣秀吉には敵対して敗れ、大塔・大師堂などの2~3の堂塔を残して全山消失。江戸時代に入って、紀州徳川家の庇護のもと一部が復興されたという。
36万坪という広大な境内に咲き誇る桜はなんと7000本といわれている。
境内の広さ36万坪(119万㎡)は甲子園球場(3.85万㎡)のおよそ31倍、東京神宮外苑(70万㎡)の約1.7倍、桜の数7000本は全国の17位というからその壮大さを窺い知ることができよう。ちなみに全国第一位は奈良の吉野山3万本は全山あげての数だし、お花見人出No1の東京上野恩賜公園は800本である。
大寺の表門にふさわしい大規模の二重門になっている「大門」をくぐると、そんなに多い桜だが、境内が広いものだからひしめき合っているという風ではなく、秋は紅葉でこれまた見ものという青い新芽を出しかけた楓と所々に林立する杉の巨木が程よく混ざりあい、淡い淡い桜のピンクと言いようのないコントラストを生み出している。
広い境内には高い杉木立の中にさらに桜に取り囲まれてたくさんの重要文化財、県指定文化財の建造物が散在していて、境内の真ん中を流れる大谷川の渓流沿いには遊歩道が設けられ、春休みの子供たちが戯れ、石造りの縁台にはお年寄りや家族連れがお弁当を開いている。
そこにまた一陣の疾風と桜吹雪。今日を限りの桜の命だ。
聖天池に浮かぶお堂「聖天堂」は、水面を覆いつくした桜の花びらに浮かぶ幽玄のお堂だし、桜の雲海から高く抜け出た高さ40mを誇る日本最大の木造建築、国宝「大塔」の白い巨大な漆喰には、豊臣と戦った時にできた鉄砲の弾痕がいまだに残っているという。
歴史を刻み、歴史を生き抜いたこのお寺には今や桜が咲き乱れ、訪れる人々に無上の安らぎを与えているが、これまた諸行無常のことわりを具現した光景だ。

さくら、さくら、桜に酔い痴れる日本人は幸せだ。自分もそのうちの一人。
今日を限りの桜の命を受け継ぎ、もうそこに迫ったまたあの夏の酷暑を凌げる勇気も湧いた。

〔写真をクリックしたら画像が拡大します〕

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

IMG_6141IMG_6134

IMG_6151

IMG_6136IMG_6146
IMG_6160IMG_6165

今年のさくら ― 2016 ー

 
今年は風邪ひぃてしもてな、桜もすっかりわやや。
そうでんね。これから桜も咲こうかいう矢先に、インフルエンザB型にかかってしもうてな。桜どころやあらへん。
それにしても、インフルエンザちゅうやつはきついでんな。しんどい、しんどい。そりゃしんどいでっせ。
熱が急に39度ほどに上がってな、さっそくお医者はんに見てもろたんやけど、お薬もろて、一度は36度くらいに下がったんやけど、しばらくしたらまた38.5度ほどに上がってな。
これインフルエンザの二峰性いうて、みんながみんないうわけやないけど、ピークが二度くるんやて。
わてなんか教科書どおりや。
それにしても、今日びのお薬いうたらよう効くは。
なんでも「イナビル」というお薬やったんやけど、処方箋薬局で1回吸い込むだけで効きまんねやて。
そやから、今までは「タミフル」や「リレンザ」いうお薬が主流やったそうやけど、2010年にでけたこの「イナビル」というお薬が一気に使用されるようになったんやて。
インフルエンザに罹って48時間以内やったら効果があるんやそうな。
わても48時間以内に飲んだから、ひどいことにならんで済むだんやてお医者はんが言うたはりましたけど、歳が歳やさかい、風邪が治ってからもなかなかしゃんとならへん。
大相撲の春場所でもお相撲はんが、たしか二人やった思うんやけど、場所中にインフルエンザに罹りはった。そやけど、えらいもんやが、3日休んだだけでまた出てきやはった。
日ごろから鍛えたはるからやろな。わてら、インフルエンザに罹ってからもう3週間は経つというのにえらいえらい。何をすんのもいやや。寝てばあっかり。
おかげで見たいいう桜も見られへん。そんな今年の桜でしたわ。
そやけど、日本はつくづくええ国や思いましたな。
桜の見どころもそりゃええ。そやけんど、ちょっとそこらへんに出歩いても、今時分どこにでも桜が咲いてる。小さな家の庭先にも立派な桜が咲いてる。
元気出まんな。それになんちゅうても綺麗がな。こんな綺麗な花、世界中どこ探してもおまへんで。

今回はなんや知らんけど大阪弁が恋しゅうてな。NHKの「あさが来た」のせいでっしゃろか。
そやけど、考えてもみなはれ。昔、大阪は上方や。京都や大阪が日本の中心やった。
言葉も大阪弁が標準語やなかったらあかんはずや。
いうたかて、やっぱりこの大阪弁ではまどろっかしすぎて、仕事もすすみまへんわな。しゃあないか。
昔、イイデス・ハンソンいうて、大阪弁の上手い外人の女子はんがいはりましたわな。知ったはりまっか。まだ生きたはりまんのやろか。
わての知ってる外人さんも、大阪弁好きや言うたはります。人情があるんやて。人の温もりを感じる言うたはりま。わかんのやろか。
これからぎょうさん外人さんも来はるやろから、みんなであんじょようしてあげまひょな。

〔写真をクリックしたら画像が拡大します〕

IMG_6125

IMG_6105
IMG_6094

IMG_6091

ホットジャパン

 
昨日、2015年3月30日、『政府、訪日外国人目標を一気に倍増 2020年=4000万人、2030年=6000万人』という見出しが出た。
安倍首相が3月30日、訪日外国人観光客の拡大に向けた具体策をまとめる「明日の日本を支える観光ビジョン構想会議」で、訪日外国人観光客数の目標人数を倍増させ、2020年に4千万人、2030年に6千万人とすることを宣言した。
訪日外国人観光客数が昨年2015年にはすでに1974万人に達しており、2020年の東京オリンピック開催年の目標値の2千万人を大幅に前倒したわけだ。

日本経済は長年、高い技術力を背景に製造業が牽引してきたが、近年は新興国の攻勢にさらされ、株価もITバブル時の高値20833円(2000年4月12日)から下がり続け、途中、2008年9月15日のリーマン・ショック(国際的な金融危機)、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震とそれに伴う福島第一原発事故などもあり、やっと第2次安倍内閣が発足した2012年12月以降、「アベノミクス」への期待から2年半で株価も約2倍の20868円(2015年6月24日)にと、ITバブル時から数えて実に15年ぶりに株価も回復した。しかし、その2か月後には8月11日のこれまでの最高値20940円を付けたのちはまたまた下落に転じ、12月1日には一時2万円台は回復したものの長続きはしないで、現在は1万7千円代を行ったり来たりしている状態である。
アベノミクスが打ち出した経済成長戦略の第一ステージ、旧「3本の矢」は「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「投資を喚起する成長戦略」の3つであるが、このうち日銀の協力を得た金融緩和は円安・株高でアベノミクスの基盤を築き、一定の成果を上げたものの、財政政策は一時的な刺激策で評判はいまひとつ。市場が期待していたのが「道半ば」と言われ続け、ここ1年は頭打ち状態。15年10月に予定していた消費税率10%への引き上げを1年半延期し、17年4月とすることが確定。「景気条項」を削除し、景気情勢次第でさらに先送りできなくなるとしたものの、ここにきて景況判断と夏の参院選対策から再延期もうわさされる始末。新聞各紙もまるで再延期が決定されたかの書きっぷりだ。

そこで打ち出されたのが、アベノミクス第2ステージ、新たな「3本の矢」が、(1)希望を生み出す強い経済(GDP600兆円)、(2)夢を紡ぐ子育て支援(出生率 1.8人)、(3)安心につながる社会保障(介護離職ゼロ)なのである。

昨日の宣言はまさしくアベノミクス新三本の矢の内の(1)、首相が掲げる名目国内総生産(GDP)600兆円の達成に向け、観光立国をその起爆剤にしたい考えを打ち出したわけだ。
日本を代表した企業が、SHARPは台湾企業に買収され、東芝はでたらめ会計も手伝ってボロボロ、SONYはアップアップなど。自動車産業だけは業績を伸ばしているものの、これとていつまで続くやら。
ここで目を付けたのがクールジャパン(格好いいニッポン)で表せられる日本の映画・音楽・漫画・アニメ・ドラマ・ゲーム・カラオケなどの大衆文化の世界的進出。今や日本文化は世界を席巻し、その影響もあってか日本を訪れる外国人は上に示したように鰻上り。中国人観光客の「爆買い」の話題は尽きず、世界から、そして今では東南アジアのさまざまな国から観光客が押し寄せる。これを放っておくのはまさしく「もったいない」。
日本は「気候」「自然」「文化」「食」という観光先進国の4条件がそろっている。政府としては観光産業のてこ入れを図ることで円高株安の打撃を受けにくい筋肉質の経済への転換を図りたいと考えたわけだ。
首相は会議で「観光は成長戦略の大きな柱の一つであり、地方創生の切り札だ。世界が訪れたくなる日本を目指し、観光先進国という新たな高みを実現していく」と述べた。
首相が掲げる新三本の矢「名目GDP600兆円」「希望出生率1.8」「介護離職ゼロ」のうち、子育て支援や高齢化対策などの社会保障制度改革は政策効果が出るまでに一定の時間がかかる。一方、観光はインフラ整備からサービス業まで裾野が広く、景気回復へ即効性が期待できると判断したわけに違いない。

政府、安倍首相の意図はともかく、世界から日本にやってくる人たちが増えることに異存はない。
これまでの日本への関心の大部分は、1968年、戦後23年にしてGDP世界第2位になるというその経済力が中心だったわけだが、今やクールジャパン、つまり日本の伝統に深く根差した文化によって、世界の人々を招来しようとするわけだから、共感と信頼を得ればこれほど安定した成長力はないし、世界の平和と安定に寄与するものはない。

ところで、これだけ日本に注目が集まり、訪日外国人数が増えているとはいえ、2014年度における「世界各国・地域への外国人訪問者数」の統計を眺めてみると、1位のフランスが8400万人、2位アメリカが7500万人、3位がスイスの6500万人で、日本は1350万人で世界22位なのである。そしてアジアでも7位というから驚きだ。もちろん2015年には訪日外国人数が激増して2000万人にちょっと足らずというところに来たわけだから、これで、韓国1420万人、マカオ1450万人を抜いてアジアでは4位、タイの2500万人に次ぐことになる。
2030年の目標値6000万人は、アジアNo1の中国5500万人を多分に意識した数値目標であるところが面白い。
いずれにしろ、外国人訪問者数だけでは、世界で注目される国の度合いは計れない。クールジャパンは今や世界の標準語になりつつある。
世界の最東端、極東に位置する日本はあらゆる意味で世界から最も遠い国であったわけだが、今や交通手段はひと昔前に比べても世界を縮め、もう日本は遠い国ではなくなった。
日本の経済力だけではなく、日本の風土と文化に関心を持って訪れる外国人は本物だ。大切におもてなししたいし、期待にたがわない文化をさらに発展させたいものだ。

3.11を検索すると

 
Yahoo!検索に「3.11」と打ち込むと、
「3.11、検索は応援になる。」という見出しとともに「検索ありがとうございます。被災地の今を知りたい、応援したい。そんな想いの検索を力に。本日、『3.11』というキーワードで検索された方おひとりにつき10円が、Yahoo!検索から復興支援のために寄付されます。」
という画面が出る。さすがYahoo!と拍手を送りたい。
塵も積もればということわざがあるが、10円が決して塵とは思わないにしろ、今の時代、まさかまさかの大金になる可能性だってある。みなさんもぜひYahoo!検索に「3.11」を打ち込んでいただきたい。

「3.11」といえばいうまでもなく「東日本大震災」とそれに伴う「福島第一原発事故」が起こった日である。
3.11とか9.11、1.17、古くは2.26とか5.15といったように歴史的大事件を○.○○と表記することが多くなった。こうも増えたらその数字の表す事件がどんな事件なのか判別がつきにくくなる。受験生泣かせにもなる。
それはともかくとして、
この「3.11」は今の日本にとってはまことに大きな数だ。
それこそ、Yahoo!検索に「3.11」を打ち込むと、出るは出るは、事件以来ちょうど5年目という節目になる年ということもあり、当時の災害の様子から今なおその復旧が国を挙げての大事であるということ、被災者の苦闘と再建・復興の喜びなどなど、怒り、喜び、いらいら、勇気、いろんな感情がないまぜになって胸を締め付ける。

おりしも、3月9日、1~2月に再稼働したばかりの関西電力高浜原発3、4号機(福井県高浜町)をめぐる大津地裁の山本善彦裁判長の出した2基の原発運転差し止め、中でも現在稼働中の第3原発の仮処分決定の意味を考えたい。
国を代表する専門家らが議論して精緻に練り上げた安全規制の基準や、2年以上に及ぶ高浜原発への安全審査や検査の結果再稼働した原発問題を司法が、といっても結局のところ裁判官という一個人が裁断してよいのかどうかという問題である。
そもそも民主主義という政治形態というか思想が、衆知を集め物事を決定していくというルールの上に成り立っているわけだが、今回の司法判断が果たしてそれを具現しているといっていいのかどうか大いに疑問である。
「原発の安全基準」という極めて高度な技術問題を「司法」(裁判官)が判定できるものなのかどうか。過去においても「再稼働停止」と「再稼働OK」の相反する決定が下され、そのたびに周りは司法判断に振り回されている状況がある。
原子炉の安全稼働は絶対に守っていただかねばならないが、といってリスクゼロを目指すあまりそれに伴う経済的損失も計り知れない。
「保育園落ちた日本死ね!」とせっつかれる日本経済のひっ迫状況の中で、高浜原発2基の稼働停止による経済損失だけで1日3億円、全原発稼働停止による年間損失7兆円(日本経済研究所による試算)は真剣に考える必要がある。
こう言えば必ず帰ってくる反論は、「経済が先か安全が先か」と問われるわけだが、これは決して二者択一の問題ではなく、できる限りの安全を確保しながらの経済バランスを考えなければ、結局は安全も確保されず経済も破たんするということになりかねない問題だ。

今地震が起こるかもしれないぞ!マグニチュード9.5の!
経済はどうにでもなるが、福島級が2度3度で日本はおしまいじゃん!
確かに!
でも、「保育園落ちた日本死ね!」、「介護疲れで老夫殺害!」、これもまた切羽詰まった現実だ。

最高裁が1992年に出した、「手続きに誤りがなければ専門家の意見を尊重する」という判断がやはり本筋で、今回の大津地裁判決はそれを逸脱してはいないだろうか。
実際、全国各地に原発再稼働に関する訴訟はたくさん提起されていて、裁判になった例でもこの最高裁判例に従う裁判官は多く、住民が勝った裁判は過去3回しかない。その意味で、大津地裁の決定は異例なケースである。
ただ、福島原発事故の原因が解明されていない中で、地震・津波への対策や避難計画に疑問が残ると指摘し、安全性に関する関電の証明は不十分とした点はうなずける。
福島原発事故の直接的原因は、地震による原子炉の損壊ではなく、計画当初から指摘され、その後にも再三にわたり指摘されてきた津波対策に対する警告を東電が無視し続けた結果、二次電源の喪失によるメルトダウンにより引き起こされたのが今回の大災害の直接的原因だという認識が明確化されていないことが、司法判断を誤らせている。
そもそも、出来合いの原子炉をできるだけ安く設置するために、その仕様に合わせて35mの台地を25m削って10mの敷地にし、二次電源もできるだけ下に据えたという経済効率一辺倒の考えがしっぺ返しを食らったわけだ。
メルトダウンのマニュアルがあっても誰も読まない、少なくとも14,5mの津波対策を早急に行わなければという事故直前までの警告にも知らんぷり。
このあたりの真剣な原因究明と責任の所在を明らかにしない限り、今回のような混乱はまだまだ続くであろう。

93円/ℓ

 
昨日(2016年3月4日)車に入れたガソリン1ℓの値段である。
この価格、実は40年ぶりの安値と聞いたら驚かれる方が多いだろう。
ガソリンの価格統計がとられ始めた1966年(昭和41年)のリッター50円から始まって、1973年(昭和48年)には、それまで6~7年かけて60円に上昇していた価格が第一次オイルショックのあおりを受けて急高騰を始め、4年後の1977年(昭和52年)にはそれまでの2倍の価格120円前後にまで上昇したのである。リッター93円はその途上に付けた価格で1975年(昭和50年)頃の価格なのだから、実に40年ぶりということになる。
第一次オイルショックといえば、直接原油価格とは関係のないトイレットペーパーや洗剤などの買占め騒動を皮切りに、買いだめは砂糖や醤油などにも及び、スーパーでは開店と同時に商品が売り切れる状態が続いた。エスカレーターの運転は中止され、テレビは深夜放送が自粛され、ネオンサインが早い時間から消灯したり、日曜日にガソリンスタンドが休業するなどの社会現象が起き、日本全体が戦後最大の大混乱に陥った。これにより戦後から続いていた日本の高度成長期が終わりを迎えるのである。
石油もあと40年もすれば枯渇すると真顔で語られたのもこの時だ。さあ大変だ。原子力発電をもっともっと促進しなきゃ日本はだめになる。1971年に開始された福島第一原発にもいっそうの期待がかかることになる。
1979年(昭和54年)には、日本が石油輸入先として依存していたイランに革命が起き、石油の生産をストップしたため、またまた第二次オイルショックに遭遇。1982年(昭和57年)には、ガソリン価格が過去最高のリッター177円を記録したのもこの時だ。
日本はこうして第一次オイルショック、第二次オイルショックという大波にも何とか耐え忍び、やがて1980年代の資産価格上昇に牽引された好景気、バブル景気に酔いしれることになるが、バブルはバブル、なんとも手痛いしっぺ返しを受けることになる。
2000年代、21世紀という新たな世紀に入り、バブル崩壊による後遺症は癒えないまでも、何とか立ち直る気配を感じ始めた2007年(平成19年)、今度はアメリカの住宅バブル崩壊に端を発したリーマンショックによる国際的な金融危機に日本はまたまた足元をすくわれるも、我がバブル崩壊でできた免疫性が効いたのか、大過は免れた。この時、2008年8月に付けたガソリン価格が史上最高価格のリッター182円である。
今車を利用されている方のガソリン価格は130円から150円という感覚の人が多いのではなかろうか。90円代を記憶されている方はもう年配だ。
リッター50円から始まったガソリンの価格推移は世界情勢に大きく左右され、高値は上に述べたとおり、記録的安値も1979年2月のリッター100円、1999年5月のリッター97円はあったが、93円は異常といってもいい安さである。
これが何を意味するのか。
イスラム圏を中心としたさまざまな混乱。アメリカ、アラブ、ロシアを巻き込んだ資源外交の暗闘。石油、天然ガス、原子力といったエネルギー資源をめぐる駆け引き。21世紀の世界は、戦争に明け暮れた20世紀以上に不安定な要因をはらんだマグマがうごめいていることを感じる。

リニア中央新幹線

 
昨日、2016年1月27日、11年後の2027年に東京と名古屋間で先行開業を目指すリニア中央新幹線の東京新品川駅の起工式が行われ、駅の本格的な工事が始まった。
新品川駅は、東海道新幹線の品川駅の真下、地下40メートルにおよそ10年かけて建設し、東海道新幹線の営業を続けながら地下を掘る難しい工事になるというそうだ。
昨年12月18日に山梨県で始まった南アルプスを貫くトンネル工事に続いて2件目になる本格的工事の着工である。

徳川家康が1601年に「五街道の整備」により五つの街道と宿を制定し、道としての「東海道」が誕生してから今日まで、「東海道」は日本の大動脈であり続け、「東海道」の道筋から眺める富士山とともに日本を象徴する存在であり続けてきた。
この「東海道」に初めて鉄路が設けられたのが1889年、「東海道本線」の誕生である。
「東海道本線」は東京から大阪までと思っている人が多いが実は神戸までで、その距離は現在の距離で590㎞、開通当時はもう少し長かったが約20時間かかったという。それでも東海道五十三次をたどった昔の旅人はおよそ15日くらいかかったと言うから、1日24時間かけることの15日間、360時間かかったから、実に18分の1に時間が短縮されたわけだ。弥次さん喜多助さんがこの事実を知ったらおそらく腰を抜かしたに違いない。

「東海道本線」のスピード化はそれからどんどん進み、東海道本線のいちばんの難所「御殿場越え」が丹那トンネル開通により大幅に距離、時間ともに短縮された。1956年には昔懐かしい蒸気機関車は全線オール電化で電気機関車に代わり、当時の特急「つばめ」で東京大阪間を7時間30分で行き来できるようになり、1964年に新幹線が開通する時には最速6時間20分にまで短縮された。

私事になるが、戦後間もないころ、熱海の親戚があって、この「東海道本線」を大阪から出発すると、もちろん蒸気機関車でだが、まず滋賀県の米原に着くと長時間待たされることになる。ここで機関車を2両連結しなければ関ケ原を越えられないからその作業待ちというわけだ。そして熱海の手前の沼津に着くとまた長時間待たされて機関車を2両連結にする。丹那トンネルができてもそうしなければ箱根を越せなかったわけだ。この丹那トンネルを抜けてやっと熱海というわけで、特急を利用せず、普通急行で行ったら大阪から熱海まで10時間以上はかかった。
丹那トンネルに入る前には「窓を閉めてください」という車内放送が必ずある。トンネル内で窓を開けていたら顔が煤だらけの真っ黒けになってしまうからだが、それでも閉め忘れる人がいて、小さいぼくがその人たちに注意しに行ったと、よく両親が言っていた。なつかしい思い出だ。

そして1964年の東海道新幹線が走ることになるんだが、開業当初は時速210㎞で東京から新大阪まで4時間。在来線「東海道本線」の6時間20分から2時間20分短縮されたことになる。まさに夢の超特急だ。
それがさらにスピードアップされ、今や特急「のぞみ」で時速285㎞、2時間22分になったのだから、これを何特急と読んだらいいのだろう。弥次さん喜多助さんの時代の実に144分の1に短縮されたことになる。

リニア中央新幹線はまた別次元の「東海道」ということにしなければ話は続かない。
確かにその通りで、このリニア中央新幹線はもう鉄路ではない。
超電導磁気浮上式リニアモーターカー「超電導リニア」という、電磁石のN極S極の引き合う力と反発しあう力を利用して、車両が路面から10㎝浮いた状態で最高速度505km/hの高速で走行し、2027年には東京品川駅から名古屋までを40分、2045年には大阪まで67分で繋ごうという、まさに近未来交通手段が実現に向け動き出したわけだ。弥次さん喜多さんに再登場願ったら、その時代の300分の1の時間で「東海道」を駆け抜けることになる。弥次さん喜多さんが「東海道」を膝栗毛(徒歩)で旅してからくしくも300年。この300年間、東京と大阪の間は1年に1時間づつ近くなってきたという計算になる。

東海道新幹線の着想が開業からさかのぼること25年前の1939年の「弾丸列車」構想であったように、このリニア中央新幹線は、東海道新幹線が開業した1964年の2年前、1962年にはもう次の交通手段として、超電導リニアの最初の開発者である京谷好泰氏を中心に研究開発が着手された。それから53年、2015年にまず最難関の南アルプストンネルの着工から本格的工事に入り、東京新品川駅着工となったわけだ。

このリニア中央新幹線が開通するころには、また次の交通手段として、高校物理の問題によく出題される「重力列車」が現実のものとして俎上に上るのであろう。
リニアモーターが大きな電力を動力源とするのに対して、「重力列車」は地球の重力を利用するだけだから動力に要する費用はいらない。理論上、地球のどの地点に行くにも片道42分で行ける。東京と大阪間も42分。東京とニューヨーク間も42分というから何が何だか頭がこんがらがってくる。これとて決してSF小説の話ではない。物と物との間に生じる摩擦力と空気抵抗さえ無くせば実現可能ということで、「真空チューブ列車」といって、真空チューブの中を「重力列車」を走らせば42分も夢ではないと、もう研究が開始されているという。

「我が巨人軍は永久に不滅です。」と長嶋選手は言って現役を引退したように、「我が人類は永久に不滅です」と自信をもって宣言できるならば、リニア中央新幹線も「重力列車」も希望に満ち溢れたものになるんだが。

アラビアのロレンスと今

 
2016年年明け早々から『テルアビブのパブで銃乱射、9人死傷』というニュースが飛び込んできた。
イスラエル中部テルアビブ(Tel Aviv)中心部にあるパブと付近のカフェで1日、男が銃を乱射し、2人が死亡、少なくとも7人が負傷したという。
続いて2日には、イランでアラビア大使館が襲撃され、3日にはアラビア政府が直ちに対抗処置としてイランとの外交関係を断絶を発表。アラブ諸国を巻き込んでの大騒動になっている。
昨年末パリのテロ事件が起こって以来、世界のあちらこちらでISもしくはそれに関係する勢力によるテロ事件や未遂事件が相次いできたが、どれも火種は中東にある。
またかという思いか、お正月気分に浮かれてかそれほどの衝撃も日本人には与えなかったようだ。
それよりもびっくりしたのは1月6日の『北朝鮮、4回目の核実験「初の水爆実験」と発表』のニュースだ。テレビや新聞では1日中このニュースでもちきりだった。

いずれにしろ、これからの世界を暗示するような嫌なニュースの年明けになった。
北朝鮮による核実験騒動は日本では大きく取り上げられ、一日中その報道でもちきりだったが、世界的にはやはり中東問題が深刻だ。
イスラム宗派間の対立問題に加え、十字軍以来のキリスト教徒とイスラム教徒の争い、キリスト教徒とユダヤ教徒の2000年来の対立、国を持たない最大の民族クルド人の反乱や同じく現国境を超えた国を自称する「イスラム国(IS)」の対等、さらにはそれらすべての対立の背後にうごめくユダヤ系巨大資本、冷戦以来いまだに対立が続くアメリカと旧ソ連今のロシアの政治的対立、まあこれほど複雑に絡み合った対立のるつぼはないのである。中東アジアが『世界の火薬庫』と言われる所以だ。

エジプトの名優オマー・シェリフ(Omar Sharif)さんが昨年2015年7月11日に亡くなった。ご存知の方はおられるだろうか。
1962年に『アラビアのロレンス』で砂漠の民ベドウィンの族長アリ(Sharif Ali)を演じてアカデミー賞にノミネートされ、また同映画と、その後に主演した『ドクトル・ジバゴ』では、ゴールデングローブ賞を受賞した名優だ。
砂漠の地平線の彼方から陽炎に揺れながらやって来る長ロングショットで華々しく登場するベドウィンの族長アリ。ピーター・オトゥール(Peter O’Toole、2013年12月14日死去)が扮するロレンスに付き従い、アラブの独立のためにオスマントルコに立ち向かう雄姿が今でも瞼に浮かぶ。
彼が生前、世界的な名声を得たことについて複雑な思いを吐露。「『アラビアのロレンス』に出演せず、世界的に有名になっていなかったとしても、それはそれで幸福だったかもしれない、わからない。」と述べていたという。
『アラビアのロレンス』こそ、今のアラブ世界の混乱を招いた元凶だという歴史の真実を知るに及び、映画とはいえそこに出演した複雑な思いに、彼は胸を痛めていたのだろう。

アラブ世界を束ね栄華を誇ったオスマントルコの凋落を幸いと、新たな植民地獲得に血眼になる帝国主義諸国、イギリス、フランス、それにロシア、中でもイギリスの二枚舌外交、三枚舌外交という謀略に載せられたアラブの民族独立運動は裏切りと不信だけに遭遇した。イギリスの謀略の先兵になったのがまさに『アラビアのロレンス』だったわけだ。
利権だけを根拠にした勝手な国境の線引き。アラブの分断。ユダヤの強大な資本をもとにイギリス、アメリカが後押ししたイスラエルの建国。オスマン帝国時代にはクルド州にいた3000万のクルド人などはトルコ、イラク、レバノン、ヨルダン、シリアなど、帝国主義諸国によって勝手に線引きされた諸国に分散させられ、その国々においては少数民族に追いやられた結果、迫害と人種差別、民族差別だけが待ち受けていた。
民族の独立と国家建設をエサに、西洋諸国(背後には石油の利権を牛耳るロスチャイルドのようなアメリカやイギリスの大資本家がいる)にとって不都合な、時の政権打倒に利用され、また時には国家の反乱者に仕立て上げられ、親米的なアラビアやアラブ首長国連邦の王族だけが富を独占するいびつな近代化がなされたのが中東アラブである。
アラブ諸国、イスラエルとパレスチナ、中東アジアに繰り広げられる報復と憎しみの連鎖は断ち切りようのない深刻さを増しているのだ。
それに胡坐をかいていたのが西洋社会であり、日本も無関係ではありえない。
今年正月のパリの風景は異様だった。例年なら世界から押しかける人で込み合うシャンゼリゼは閑散とし、特に日本人はほとんど見かけなかったという。
繰り返されるテロに世界が震撼しているのだ。我が蒔いた種、自業自得と言えぬこともない。
『アラビアのロレンス』は確かにいい映画だったし、ロレンス自身はアラブを愛し、イギリス情報将校の立場を忘れるものがあったかもしれないが、彼もまた国家のエゴに加担し、歴史の大波に翻弄された一人のイギリス人だったのだ。

ひとりの日本人の初詣

 
2015年、平成、うーんと、28年ももう間もなく閉じようとしている。
このところ恒例になっている近くのお寺への初詣までまだ少し時間がある。
初詣と言ってもテレビに映し出されるような仰々しいものでなく、ごくごくひっそりしたものである。
山里の小部落の真っ暗な夜道を、懐中電灯の明かりを頼りに辿るとそのお寺があり、山門もない狭い境内に入ると左側にいきなり立派な鐘楼が建っている。このお寺にはそぐわない大きさだ。 
前回の初詣の折は雪が深々と降っていて、2組の家族連れ、合計5人が鐘を突く順番を待っていた。遠くの方からも除夜の鐘の音が聞こえてくる。
除夜の鐘百八つを規則正しく打つものと思っていたから、このお寺は例外だ。境内を見回しても誰一人いるわけでなく、近くからお参りした信者が好き勝手に突くのがおもしろい。
人間には百八つの煩悩があり、大晦日から新年にかけてその煩悩を振り払い、新しい門出とするいわれがあるそうだが、はたしてこのお寺には百八つを打つほどの人が訪れるのか、はたまた百八つを超えることになるのか、ちょっと心配になった。お陰で一つ煩悩が増えた。
鐘を突き終って本堂の座敷に昇り、無作法なお祈りを済ますと住職の奥さんらしき人が甘酒を持ってきてくれた。右隣には老夫妻が同じ甘酒を振る舞われていた。
住職は40代半ばの人で、サラリーマンを辞めて僧職に就き、このお寺にきてまだ新しいという。
このお寺は浄土真宗の末寺で、しばらくは住職のいない無住寺で、その間村の人たちが寺守をしてきたという。
時代の流れといってしまえばそれまでだが、初詣客が何十万というお寺があるかと思えば、こんなお寺が全国に万とあるというから驚きだ。
むべなるかな、この当人だってたしか真言宗のはずなのに、初めこのお寺の宗派も意に介さず、初詣客の真似事をしようと思ってかどうか、それさえも定かでないような不謹慎な初詣客なのだ。
先年も西国三十三か所を五年がかりで回り終えたが、これとて確とした信仰心があったわけではない。

どうだろうか。お寺に行くのは一年で墓参りと初詣くらい。日本人にはこの程度の宗教心というか、信仰を持たない日本人が結構多いような気がする。
今年の初めにはいきなり、イスラム国の人質になった日本人2人が惨殺され、イスラム教という宗教の怖さ、たとえイスラムの教えとは真反対な集団による事件だったとはいえ、宗教の持つ怖さの一面を実感したわけだが、現代社会にも、また歴史的にも、宗教対立が原因の戦争や動乱、人権蹂躙、虐殺の例は枚挙に暇がないことを考えれば、現代日本人の宗教心の薄さはただ憂うるだけではないような気もする。
よく言われるように日本人の宗教観とキリスト教やイスラム教を信じる人たちの宗教観は異次元のもので、日本人の宗教観はアニミズムにその根源があり、そこから発するシャーマニズムどまりで、その上部構造としての仏教やキリスト教そしてイスラム教ですら受け入れる素地がある。日本人はおおむね世界のあらゆる宗教に対して実に寛容なのである。

いま年越しそばを食べている。
12月31日と言えば年越しそば。そして除夜の鐘に初詣。しきたりははるかに薄くなったとはいえ初雑煮。
つい先日はハロウィンにメリークリスマス!だったのに。

さてさて、年越しそばを食べ終わったら、今年も甘酒に惹かれてあのお寺にお参りするとするか。