閑中忙あり

 
大根畑で大根の葉がゆさゆさと揺れている。そのたびに土からかなり伸び出た白い太もものような大根が見え隠れする。
今日はいちばんの寒さだ。と言っても手が悴むほどではないからまだ本格的な寒さではない。風が強い分体感温度は低く感じるだけだ。
耳に差し込んだイヤホンからはクリフォード・ブラウンのトランペットにのってMinorityが流れてくるが、耳を摩るように流れてゆく風の音がスィングをいっそう強くしたり、時にはかき消すこともある。
道に沿って一列に並んでいる背丈ほどに伸びたセイタカアワダチソウの先に付いた綿毛がさーっと飛んでゆく。と次の瞬間、風向きが急に変わって、真正面から吹き付けるものだから歩くに歩けない。よろけさえする。
負けて堪るものかと身を屈めながら前に突き進もうとすると眠っていた身体から力が湧いてくる。
風は好きだ。
風が吹く中を歩くとなぜか心が躍る。そよ風もいいが、こんな強い風の中を歩くのもいい。耳を摩る風の音がそんな心をなおのこと焚き付ける。
それにしてもこの風の音をどう言い表したらいいのだろう。びゅーびゅーでもない。ざわざわでもない。びわんびわんでもない。昔からこんな時いつもいつも考えるんだが、今日も的確な表現が出てこない。
「どっどど どどうど どどうど どどう・・・」とある日突然教室に現れ、「どっどど どどうど どどうど どどう・・・」と転校していく風の又三郎を思い出した。
やっぱりこの表現がいちばん近いかもしれない。

食料品が底をつきかけているので買い出しに出かけた。
日ごろの運動不足を少しでも解消しようと、片道1㎞程のスーパーにはできるだけ歩いていくように努めているが、今日はきつい。
今年の冬は暖冬だとかで11月には珍しい夏日が連続し話題になった。
その通りで、いつもならこのころ着ている分厚目の下着はまだ着ていないし、ストーブの火をまだ点した日はない。
水茄子畑には水茄子が、無花果畑には無花果が、もうほとんどがしわしわになってはいるがまだたくさんぶら下がっているのもこの時期珍しい。
テレビでは連続テロのあったパリでCOP21が開かれ、地球温暖化対策を論じ合っていると報じているが、どこまで切実に感じているのか各国首脳の顔が寝ぼけ顔だ。
牛乳を買い、卵を買い、何やかやを買って荷物が重い。5,6㎏はあろうか。横からまた強い風が吹いて田んぼに突き落とされそうになる。
坂道を歩いていくと汗ばんできて薄めの冬下着にひんやり感が漂う。それでも急がねば。

このところ、大学・高校受験や学校の定期試験の対策で慌ただしい毎日を送っているが、これとてほとんどが夜だけでまるで夜の蛾(夜の蝶は艶やかでいいですが)みたいなもの。
昔に比べたら閑中忙ありは否めない。

女と男

 
妻に自殺されたレーサーと、スタントマンの夫を目の前で失った女。寄宿学校にいる互いの子供を通じて知り合った男と女は、次第に惹かれ合い恋に落ちていく….。カンヌ映画祭グランプリに輝き、C・ルルーシュの名を一躍世界に知らしめた傑作。モノクロームとセピアトーンの映像、流れるようなカメラワーク、F・レイの甘美なメロディ、渾然一体となった映像と音楽によって“過去を捨てきれぬ”二人の恋が甘く切なく描かれる。寡黙なキャラクターを演じさせたら並ぶ者のないトランティニャンと、薄幸な美くしさがよく似合うエーメ、二人の有り余る魅力も忘れ難い。

1966年、カンヌ映画祭グランプリをはじめ、その年の映画賞を総なめにしたこの映画は「男と女」だった。
それからもう半世紀もたったわけだが、この映画のような甘く切ないラブストーリーにどれだけの人が、特に若い人たちが関心を寄せるだろうか。

半世紀前のこの名作の題名が「男と女」であったが、今回掲げた題名は「女と男」である。
2009年、NHKが放映した「NHKスペシャル;最新科学が読み解く性」と名打った番組の題名が「女と男」であったことに由来する。
「男と女」、「女と男」、どっちだっていいようなものの、半世紀を経たこの順序の入れ替えには意味がありそうだ。

近代化社会の目標の一つが「人間の平等」であり、「男女の平等」であったわけだが、「人間の平等」は一見実現されたかのように見えてその実、不平等は拡大の一途をたどっている。
世界のほんの数%の人間が世界の富の70%から90%を独占しているとよく言われているが、これが事実ならどこが近代化だ、どこが「人間の平等」の実現かと言いたい。
秦の始皇帝時代とそんなに変わらないじゃないかと。
アルカイダが富の象徴であるマンハッタンビルに突入し、イスラム国が悪性ウィルスのように世界に蔓延するいちばんの原因はここにある。

「男女の平等」も叫ばれ始めてから幾久しいが、果たしてどれだけ進展してきているんだろうか。
特に社会的権利に関しては先進国においてはかなり実現しているように見える。ただ発展途上国においてはアフリカやインドなどで男女差別の痛ましい報道が多いようにまだまだ実現には程遠い。

そんな中、近代の脳科学は男女の性差を明らかにしてきている。
例えば、地図の読み取りが女性が苦手な人が多いといわれるが、これは一般に地図が男性の観点から作られていて、つまり、方角と距離で示されていれば男性は目標地点に容易に到達しやすいが、女性には難しいからだそうだ。
どこにどういう建物があり、モニュメントがあり、花が植わっていて、そこを右に、左にという風に地図に書き込んであれば、女性の方が早く目標地点にたどり着くが、逆に男性は道に迷ってしまうというおもしろい実験がある。
これなどは、男性は一般的には抽象化された物、空間認識は得意だが、女性は言語化された視覚認識に優れているという特徴がある結果だという。
そのほか、男女間の愛情のの捉え方、薬の薬理効果の違いや副作用の出方の違い、快感や恐怖の捉え方など等、同じ事象に対して男女では異なる箇所で対応し処理するというから、同じ人間であって同じ人間でないのが男女だというのが現代脳科学から導かれた結論だそうだ。
今アメリカでは、そうした男女の性差を有効に活かすため、教育現場において、男女別々のクラスを設けて指導する方式が広がっているという。あれだけ男女の性差別に対して敏感で平等を求めてきたアメリカにおいてである。男女では勉強の仕方がまるで違うという観察と脳科学から得た知見で実践されている方式だそうだ。男の子はてんでばらばらを好む傾向があるが、女の子は仲良くおしゃべりしながらの方が勉強能率が上がるという。
日本にも「男女七歳にして席を同じうせず」という時代があったが、これは単に「男女は七歳ともなれば互いにけじめをつけて,みだりになれ親しんではいけない。」という道徳的意味合いだけから生まれたのではなく、もっと深い意味で経験的に男女の性差を認識した上での戒めであったのかもしれないと考えるとおもしろい。
今の時代、男女平等の名のもと、何もかもが対等平等でなければいけないという認識が、かえって本来の女らしさ男らしさの特徴を減殺し、発展を阻害しているのかもしれない。特に男性の後退が目立つという。男性特有の逞しさ、決断の速さと実行力が衰え、それがひいては女性にも悪影響を及ぼし負のスパイラルに陥っているのが現代社会だという。。

男女の性差でさらに面白いというか、男性にとっては悲しい違いだが、
人間の細胞内にある核染色体は、生存に必須のX染色体が22対と女性ならXX、男性ならXYの1対、合計23対から構成されている。高校で生物を勉強された方なら知っておられるであろうが、このY染色体は実に貧相である。X染色体の横に小さく申し訳程度にへばり付いている。それもそのはず、男性の持つY染色体は太古から劣化し続け、今ではX染色体に1098個ある遺伝子が、Y染色体にはたった78個しかなく、生存に必須の染色体が欠けているから、XXが対ならば一方に損傷が起こっても補完しあえるが、XYだと補完しあえない。だからY染色体に欠陥が生じればもろに症状が出てきてしまう。その結果、男女の平均寿命に差が生まれたり、男子特有の病気の原因になっていたりで、実に不平等な男女差があるのが人間の染色体だ。しかもゆくゆくは、およそ500万年先、場合によっては明日にでもこのY染色体は亡くなる運命にあるということだから、男性はいずれ消滅する運命にあるということだ。男性が消滅すればもちろん人類は消滅する。ただ自然界にはY染色体が欠損しても、つまり雄が亡くなっても種族を保存できる動物がいる。魚類の単為生殖はよく知られているが、インドネシアのコモド島にいるコモドオオトカゲがそれで、2006年に「世界最大のトカゲ・コモドオオトカゲが単為生殖をした!」と大ニュースになったことがある。哺乳類にもそんな例があり、トクノシマハリネズミやアマミハリネズミはY染色体が完全になくとも、つまり雄が存在しなくても子供が生まれ生き延びていることが知られている。残念ながら人間にはその可能性はなさそうだ。あったとしても何の喜びがあろう!
さらに喫緊の問題点だが、男性の精子数がこのところ減少の一途をたどり、しかも元気な精子の数がその中でも減ってきているから大変だ。その原因が環境汚染によるものなのか、電磁波の影響なのか、はたまた社会システムの変化や家庭環境の変化によるものなのか、いまだ原因は突き止められてはいない。

「男と女」、「女と男」、この入れ替わりには何か意味がありそうだと先の述べたが、先天的・身体的・生物学的に個体が具現するSexにおいても、社会的・文化的に形成されたGenderにおいても、もはや男性が女性を凌ぐことはあり得ない。X染色体にかろうじてへばり付いているY染色体がそれを暗示している。

大腸ポリープ

 
大腸ポリープを切除した。

もう5年以上前になるが、便秘がひどくて、その原因として、もしや大腸のどこかにポリープができているからではないかということで大腸の内視鏡検査を受けた。
案の定というか、便秘の原因になるほどの大きさではなかったが、横行結腸の真ん中あたりに3㎜程度のポリープが見つかった。
当時はというか、掛かった病院の方針で、ポリープ発見即切除ということではなく、1年後に再検査し、5㎜以上に大きくなっていたり、癌化の可能性があったら、1日入院して切除しましょうということで検査は終わった。
ただこの時、とんでもないハップニングで、便秘の遠因と大腸検査の苦痛そして「手当」の大切さを知ることになった。
というのも、いったん差し込まれた内視鏡では大腸のいちばん奥、つまり小腸と大腸の分かれ目である盲腸付近まで届かず、もう一度長めの内視鏡に差し替えらるという「異常事態」が起こったからだ。
内視鏡検査を受けられた方はご存じだろうが、内視鏡を通しやすくするために絶えず潤滑液と炭酸ガスを注入しながら挿入していくのだが、一度抜いてまた内視鏡を挿入したわけだから、炭酸ガスが腸内に充満してもう苦しい苦しい。
子供のころ、悪ガキ仲間がカエルのお尻からストローで空気を吹き込み、おなかをぱんぱんに膨らませて喜んでいたが、まったくあのカエルの状態である。
苦痛と不安で冷や汗が滲むなか、一人の女性看護師が傍に寄り添っておなかに両手を当て、ゆっくり摩りながら「大丈夫ですよ。大丈夫ですよ。」と語りかけてくれたとたん、その苦痛と不安がスーッと消えてゆく。ああ、これが「手当」ということなんだと甚く納得した次第。
便秘もこの大腸の長いことが一つの原因だろうと診断された。

そして今回は、病院の方針が変わったのか、ポリープがあれば即切除しますかという同意が求められ、OKであれば即切除ということで検査に臨んだ。
5年前のポリープも、その後2回大腸検査を受けたが、大きくなっている様子もなく、切除しましょうとも医者は言わないのでそのまま来たが、今回はそういうことで切除を希望した。

相変わらず検査は苦痛だ。事前の食事制限から下剤を使っての腸内洗浄も大変だが、やはり内視鏡が苦しい。最近は内視鏡の性能も向上したし、検査技術も向上したそうだが、ぼくの場合内視鏡が通りにくいのか、途中、女性看護師が医師の指示で、今度は「手当」でなく、上から圧し掛かるようにしておなかを押さえつけねばならないようなこともあった。
幸い新しいポリープは見つからなかったが、5年前のポリープは5㎜位になっていて切除することになった。
見ていると、ポリープの根っこに食塩水を注入してポリープを持ち上げ、小さな電気メスで切除、出血はほとんどなかったが、念のためと、これもまた小さな小さなホッチキスで傷口を留めて手術は終了。
実に簡単な手術ではあったが、これは素人目に見えたことであって、術者の医師の技量、それまでの多くの人たちの研究成果や経験則の積み重ねを思ったとき、ありがたいと、担当医師そして看護師諸君に万感の思いを込めて感謝した。

幾山河越えさり行かば・・・

 
幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく

秋の山道を歩いていると、頭の中でこの歌を口ずさんでいる自分に気づく。それもはっきりとした口調で口ずさんでいるんだ。
いつのころからか、ずいぶん昔から、何かした拍子にふっとこの歌が頭をよぎる。
たぶん中学生か高校生のころに学んだんだろう。
今となっては作者の名前すら思い出せず、この機会に調べてみたら若山牧水の歌で、旅の途中、岡山から広島に抜ける道すがらに浮かんだ歌だそうだ。
宮崎県の医者の息子に生まれた彼は、42歳の短い生涯ではあったが、旅の明け暮れで1,000を超える歌を詠んだという。

この歌を詠んだ2年前、上田敏の名訳で日本人の多くの心をとらえたカール・ブッセの「山のあなた」が紹介され、牧水は深く心を動かされたそうで、瓜二つと言っていいくらいよく似ている。

それにしても寂しい歌だ。
寂しさの終てる国を求めて旅をする、幸せがあるという処を探して山を越える、このこと自体実に行動的でアグレッシブなことで寂しくなんてないはずなんだが、実に寂しい。
「寂しさ」という言葉に引きずられるからだろうか、「涙さしぐみ」という言葉に引きずられてしまうからだろうか。
寂しい心が読むから寂しいだけで、実はその反対で、読み方によっては明るく幸せな未来を啓示すると思えば寂しくも何もないんだろうか。

古今東西、こうした漂泊の歌は多く、人の心に深く染み込む。秋ともなればなおさらだ。
この世に生を受けて、幾山河を踏み越え、荒波に打ちのめされ、いずれ朽ち果てるおのが運命を知る人間だけが知る寂しさに共感を覚えるからだろう。
一時のセンチメントに浸れることは幸せの証しなのかもしれない。

シリア難民の報道を見ていると、まさしく幾山河を超え、海を渡り、幸せを求めての旅路、いや脱出行ではあるが、一分のセンチメントもないだろうし、感じ取れない。

能因、西行、芭蕉、宗祇、日本にも幾多の漂泊詩人が生まれた。牧水もそうだろうし、山頭火もそうだ。
いつも思うんだが、その原点をたどれば、行きつくのはヤマトタケル。

大和は国のまほろば たたなづく青垣 山こもれる大和しうるわし

兄を殺し、征西に東征にと、その生涯を殺伐に明け暮れた彼が、幸いの地、大和を目前に生涯を閉じた辞世の句に、大漂泊の詩人を見て取れる。

安保法案と日本人の法意識

 
安全保障関連法が19日未明、参院本会議で自民、公明両党などの賛成多数で可決され成立した。
アンケート調査によれば、国民の過半数以上が「審議が尽くされていない」、「国民の理解が得られていない」という中での成立だ。
朝日新聞が6月下旬に実施した、憲法学者ら209人にアンケートをし、回答が得られた122人の回答結果でも、安保法案「違憲」104人、「合憲」2人ということであった。
有識者のアンケートでも、法案そのものに関しては賛成だが、現行憲法には違反している、もしくは抵触しているという意見は多数あった。

戦後70年、現行憲法のもと、日本は奇跡的な復興を遂げ、確かに平和国家を目指し実践してきた。憲法の果たした役割は大きい。
とりわけ憲法第9条は、第二次世界大戦から間もなく勃発した朝鮮戦争をはじめ、性懲りもなく繰り広げられる世界の多くの戦火に日本が巻き込まれることもなく、ただひたすら戦後復興、経済復興に全エネルギーを費やすることができる上での大きな盾の役割を果たした。
押しつけ憲法だとか何だとか言われてはきたが、70年も一言一句変えられることなく持続した憲法も珍しく、世界でも例を見ない理想的憲法だといわれるが、この第9条に関しては憲法制定間もなくから国論を二分する論争が繰り広げられた来た。
今回の安保法案成立によって、この第9条が事実上改正されたといっても過言ではない。
憲法改正を経ての集団的自衛権問題の解決は困難と見た安倍政権、自民党政権の苦肉の策ではある。よって、皮肉なことにこの法案成立は憲法改正を遠ざける結果になったという意見もあるくらいだ。それほどこの憲法第9条は、日本国憲法の「のどに刺さった棘」だったわけだ。

しかし、この安保法案はどう勘案しても憲法第9条を逸脱している。憲法学者に委ねるまでもなく、おかしいと思うのが普通の感覚だ。予断を持たない中学生や高校生に読ませたら、その多数が自衛隊そのものの存在すら違憲だというだろう。それが正常な読み方だ。「われわれ憲法学者じゃない。国民の安全を確保するのが政治家だ。」と言って、憲法をねじまわし、捻り回して自分の都合に合わせようと解釈するのが政治家であり、権力者だ。

そもそも明治憲法からしてそうだ。
日本が近代国家として国際社会に乗り出していくにはそれなりの装いがいる。法治国家であることはとりわけ重要で、明治政府は六つの法典、つまり、憲法・民法・商法・刑法・民事訴訟法・刑事訴訟法をドイツとフランスを規範として、極めて短期間に、驚くべき才能の結集によって成し遂げるのである。ありていに言えば、明治の法典は列強と伍するための”日本の飾り”のために作られたようなものだった。そのため、日本人の社会や生活が形成してきた法意識とはかなりのズレをおこした。それでも順応性の高い日本人はひたすらそのズレ、乖離を埋め合わせていったのである。
しかし結果的には行きついたのが第二次世界大戦とその結末である。

日本と西欧では、法に対する規範性そのものの違いがあり、「世界が滅びるとも正義は行われるべきである」と考える西欧の観念は日本人は持ち合わせていない。『御成敗式目』を制定した北条泰時しかり、「大岡裁き」で今でもテレビドラマ化される江戸時代の名奉行大岡越前守しかり、法よりも義理、人情を重んじる日本の「法」意識は、西洋流の法意識になかなかなじめない。
日本人の法意識は常に揺らいでいる。世の中が変わり、世界が変わって憲法にはそぐわない実態が現実になっても、憲法を変えるのではなく「拡大解釈」で対応しようとする。法律用語そのものより、その行間を読み、解釈しようとするのが日本人の法意識である。何事においてもお上の裁量権がものを言う。また、日本語そのものが、またロジックそのものが「法律」にはなじまない。西洋とは成り立ちからして違うのだ。
言い尽くそう、語りつくそうとするのが西洋の法典であり、新たな事態が起こればそれに見合った改正を行わなけれなならないと考えるのが西洋の法意識であり、それ故、憲法改正だって頻繁に行う。法律が人間社会万般を覆い尽くさねばならないと考えるのだ。

考えてみるに、西洋の法意識の原点がソクラテスの「悪法もまた法なり」と毒杯をあおいで死んだことに由来するならば、日本の法意識の原点は聖徳太子の十七条件憲法第一条「和をもって尊しとなす」なのである。「和」を実現するためには法は多少折り曲げてもいいと考える。日本に持ち込まれた西洋流の法意識すら「和」に包み込んでしまう。
明治憲法が”日本の飾り”として制定されたと同じ意味で、現憲法も”押し付けられた”ものである。ただそこに「和をもって尊しとなす」の法意識は確実の盛り込まれていて、日本国憲法を世界に冠足らしめている所以ではあるが、崇高であるがゆえに尊しとはしないのが現実世界である。

今回の安保法案成立が、果たして日本にとって吉と出るのか凶と出るのか、いずれにしろ法案が成立した以上、ソクラテスではないが、「悪法もまた法なり」と毒杯をあおいで死ぬ羽目にだけはしたくない。自分たちが選んだリーダーが明治憲法下の轍を踏まないように、注意深く見守り、正していかなければならない。

理想的憲法と現実世界。日本人独特の法意識。極東の国、日本。そこに育まれた独特の風土と文化。西洋が時代の先頭を走ってきたという共通認識から生まれた齟齬。中国の異常とも思える自己主張。アメリカをはじめ西欧社会との共通認識を探る日本。すべて、あらゆる偏見、予断を持たず再検証しなければならない時が来たのではないだろうか。

Windows10

 
Facebookの友達にHal LASKOさんという94歳のおじいちゃんがいる。「いる」と言ったが、実はもう昨年(2014年)お亡くなりになった故人であるが、今でもぼくのFacebookの「友達」欄にに載せさせていただいているので現在形で表現させていただいたわけだ。https://www.facebook.com/hal.lasko?fref=pb&hc_location=friends_tab&pnref=friends.all
友達になったきっかけは、Facebookに載ったHALさんのイラストが偶然目に留まり、そのイラストの斬新さとWindows95のお絵かきソフト「ペイント」で描き続けているというのでびっくり、早速メールを送ってお友達になっていただいたわけである。その後二度びっくりしたんだが、実はこのHALさん、その世界ではかなり有名な方で、ドキュメンタリー・ムービーでも公開されているという。ぜひご覧いただきたい。。http://gigazine.net/news/20130725-hallasko-the-pixel-painter/
Windows10のことを書こうと思ってふとHALさんのことを思い出した。
 
そのHALさんが虜になったWindows95が出てから今年で20年。世界はどれほど変わったか。まさに産業革命以来の変わりようだ。この時代が情報革命という名で歴史に刻まれるのは間違いない。
マイクロプロセッサの登場により個人でも所有可能な小型で低価格なコンピュータが実現可能になったのが1974年(昭和49年)、パソコンの登場であるが、高々40年前である。今やパソコンは世界の隅々、社会の隅々、家庭の隅々にいきわたっていて、もうこれ無しでは世の中は動かない。
中でもインターネットはパソコンが生み出した情報革命の申し子である。
何かわからないことがあれば、インターネットで調べればよい。間違いなく問題は解決する。解決しないまでも解決の仕方のヒントがある。まさに人類の知恵のるつぼである。どんなマニアックな事柄にでも必ず関心を寄せている人がいるのには感心せざるを得ない。
 
また、SNS、ソーシャルネットワーキングサービスの普及は人と人の関わり方を一変した。友人・知人間のコミュニケーションを円滑にする手段や場を提供するだけでなく、趣味や嗜好、居住地域、出身校、あるいは「友人の友人」といったつながりを通じて新たな人間関係を構築する場を提供する。
パソコンだけでなく、パソコンから波及した携帯電話、スマートホン、ipadといったメディア端末は今や誰にとっても必需品だ。電車に乗れば乗客のほぼ半数以上の人が端末を操作している。異様なまでだ。これとて、この普及ぶりもここ10年にも満たない歴史である。
 
この情報革命をけん引したのがWindowsだといっても過言ではあるまい。最新の統計でもWindowsのシェアー率はほぼ90%、Macその他のOSが残りの10%にも満たないからそれを裏付けている。
Windows95が出た時の騒ぎは今でも覚えているが、まるで新たな時代の夜明けといった印象だった。インターネットもこれにより急速に広がったわけだが、当時はせっかくパソコンを購入しても中々インターネットに接続できない。接続専門の業者がいて引っ張りだこだった。ぼくなんかもパソコンに若干の知識があったものだから、いろんなところからインターネット接続を頼まれることがよくあった。接続が成功すればみんなで万歳三唱である。これ、20年前の話ですよ。
 
そして今windows10。このwindows10は新たな地平を開くOSだと注目されている。
今までのwindowsは多かれ少なかれwindows95の伝統を継承してきたわけだが、様相を一変、OSの内容もさることながら、その配布、提供の仕方も変わっている。
これまでのWindowsは、3年程度のスパンで、XP・Vista・7・8.1のようにOS(基本ソフト)が一新されてきた。そしてその都度、例えば、WindowsXPのようにサポート期間が終了すると、新しいOSかパソコンを買う必要に迫られたわけだが、このWindows10は今のところ期間限定ではあるが無料配布され、Windows10以降は、数ヶ月おきに無料で更新が行われる。つまりOSの買い替えは必要がなくなる見込みとなっているのだ。そのためWindows10は「最後のWindows」とも言われている。
ただマイクロソフト社にはそれなりの戦略があってのことだろうから、これからさき、どういう事態に推移していくかは知る由もない。
 
windows10の使い心地は確かに良い。インターネットを見るブラウザもWindows95から引き継いできたExplorerは廃止され、より軽くて高機能な新ブラウザー「Microsoft Edge」が提供されている。images
ただいつものことながら、周辺ソフト、周辺機器がまだまだこのwindows10に対応していない。
よく使うプリンターは、古いパソコンを使ってLan経由で使っているし、テレビをパソコンで見ているぼくは対応チューナーを探し回り、やっと探し当てたと思えば、インターネットバンキングは使えるのか調べたらまだ保証の限りでないとか、周辺ソフトメーカ、周辺機器メーカーも対応に四苦八苦の状態だ。まるでWindows95が登場した時の状況を彷彿とさせる。おもしろい。
 
2015年。さて、これから先どういう風に世界は変わっていくのか、世の中喧しい中、思ひを雁山の夕の雲にはすの心境ですな。
 
《お役に立てば》
・Canon MP960 対応に成功
 Canon 提供のMP960 用のドライバー「PIXUS MP960 MP Driver Ver.1.12」をインストールしても使えませんでしたが、OCRソフト「読んde!!ココ Ver.13」を先にインストールしてから、インストールすると対応できました。
・PC用テレビチューナー 対応に成功
 今まで使っていたバッファロー製の「DT-H11/U2」は使えなくなりましたが、ピクセル社の「PIX-BR321」は見事に対応。画像もより鮮明になりました。
 
おまけです。
現在使われているブラウザは実に20以上あって、主なものは次の通りですが、皆さんはどれをお使いですか。brx
そして昔懐かしい、今は亡きネットスケープ。Netscape_Navigator_9_Web_Browser_60620

俳句雑感あれこれ

 
俳句雑感といっても、俳句を語れるほどの知識や感性があって書くわけではない。
下手の横好きが高じてか、気が向いたときに俳句らしきものを書き始めて3年ほどになるが、何事にも飽きっぽくて執着心のないぼくにはこの俳句は長続きしている方である。
きっかけはtwitterである。
大阪から大津市の志賀に向かう途中、花見時には昼間だと込み合って車も通れない京都高野川沿いの道を走っていると、街燈に照らし出された満開の桜が目に飛び込んできた。深夜で人通りもなく、行きかう車の数もわずか。昼間の混雑ぶりが嘘のような静けさだ。枝もたわわな桜が夜風に微かに揺れ、漆黒の闇に浮かぶ桜はもう桜ではない。遊里にいざなう花魁の姿がダブル。
《 夜も更けて さくら静けく 高野川 》
とっさに浮かんだ俳句だ。
何かに書き留めたいと思ったんだが、書き留める道具がない。そうだ、twitterがある。
早速この句を書き込んでツイートした。我が句集『まほろば俳句会』の第1作である。
ツイートしたところが面白い。
記録するだけなら、なにもtwitterに書き込むことはない。メモ帳だってある。誰かにこの幻想的風景を伝えたい。知ってほしい。そんな思いがtwitterのボタンを押したんだ。
爾来、ぼくには俳句とtwitterは切っても切り離せないものになった。
twitterアプリの入っているiphoneには画質の良いカメラが付いていて、拙いぼくの俳句を写真でカバーすれば、多少なりともぼくの感動をもっと人にも伝えられるかもしれないからなおさら重宝だ。
名付けて『写俳』。写真俳句を約めて付けたぼくの造語だ。と思いきや。念のためgoogleで「写俳」を検索したら、あるはあるは、もう「写俳」という言葉とサイトが溢れている。遠うの昔にぼくと同じ思いからかどうかはわからないが着眼点が一致している人がいっぱいいたのだ。これにはびっくりした。
音楽がそう、絵画がそう、小説だって詩だってそうだ。人には人に何かを伝えたいものがあるんだ。表現せずにおかない何かがあるんだ。感動かもしれない。胸のうちの苦しみかもしれない。自分の中だけに仕舞っておけないんだ。人間の本能に根差しているものなんだ。そうしたものが新しい伝達手段を生み出す。
SNS、ソーシャル・ネットワーキング・システム。このtwitterやfacebook、mixiなどを総称してそう呼ぶそうだが、これもそうだ。
誰かと繋がり、日記を書いたり、つぶやいたり、それにコメントを付けたりすることで情報交換や会話を楽しみ、社会的な繋がりを作り出せるSNSは今や人の生活の中に深く浸透していて、皆が胸の内を吐き出すシステムになっている。
俳句雑感が思わぬ方向に来てしまったが、人は生きているうちになんでも語ろうよ。
喜びも怒りも哀しみも楽しいこともすべて吐き出すことで人と繋がり、生きていることを実感できるし、ひいては新しい時代を作っていくことになるかもしれないよ。

優希、がんばれ!

 

今日1枚の写真がメールで届いた。
信州白馬村のホテルでアルバイトをしている教え子からだ。IMG_5318
教え子といってもほんの4か月しか、それも正味2か月ほどしか教えられなかった生徒である。
彼女は四国にある全寮制の高校を首席で卒業し、東京の私立大学の獣医学部に学校推薦で入学したんだが、根がまじめな彼女には、何かと派手な周りの学友たちとはなじめず、また、大阪でも泉州という最も古い気質の残るところに産まれ育った彼女には「東京の空気に全く馴染めず」、入学してから3か月くらいで宿舎に閉じこもるようになったそうだ。自分でもなんとか授業に出ようと努力はしたものの足がすくみ、せっかく四国から心配で駆けつけてきてくれたボーイフレンドにも会わない、そんな生活が続くうち、音信も途絶えがちな娘を心配して上京したお母さんが、娘のあまりの変貌ぶりに、このまま東京にいることは良くないと大阪の実家に連れ戻したという。病院ではうつ病と診断が下された。
動物好きの彼女は、獣医師になる夢は捨てきれず、地元大阪にある府立大学獣医学部を再受験するということでぼくのもとにやってきた。
大阪府立大学の獣医学部は関西でも最難関に数えられる大学で、高校では英語を主体にした文系コースに所属して、卒業間際にたまたま舞い込んできた獣医学部の指定校推薦に応募したところ、成績が一番ということでくだんの大学に入った経緯から、理系科目はほとんど取り組んでいない。
それでも彼女の意志は固く、1年目はともかくとして、2年で合格を目指し勉強を始めた。
毎日5時間、月曜日から土曜日までぼくのもとに通ったんだが、授業料だけでも大変な額になる。
中小企業のオーナーであるお爺さんがスポンサーになって応援してくれるという。そのお爺さんは、獣医師になるよりいっそのこと医師はどうかとしきりに勧める。ぼくもお爺さんに賛成だ。ということで間もなく徳島大学の医学部を目指すことになった。
英語は、カナダにも1年留学していたこともあって、通訳はできるし、受験英語も9割がたの点は取れるから、後は理数科目をどれほど伸ばせるかだ。
しかし、よく勉強した。最初の2か月の勉強ぶりと科目の上達ぶりはたいしたものだ。久しぶりでぼくの教師根性が掻き立てられた。
ところがところが、3か月目に入って矢が折れるようにパタッと動きが止まった。勉強中に突然思考停止になる。うつ病の再発だ。しばらく休もうと促すが、それでも何とか前に進もうとする彼女が痛々しい。それからの2か月は、勉強半分、語らい半分。生きるということ。勉強するということ。結婚とは。女性にとって仕事とは。そもそもうつ病とは。等々。孫にも近いこんな女性とこんなに話し込んだことはない。
人生そんなに焦ることはない。まだまだ若いんだから。きっと再起できるよ。やっとぼくの忠告を受け入れたのは2か月先だった。

それから1年。彼女からメールが来た。
「お元気ですか。先生には本当によくお世話になって、出会えて良かったなあ。と、日を増すごとに感じております。短い間でしたが、本当に濃い時間を過ごさせていただき、たくさんの勉強をさせていただきました。先生に出会えたことに感謝です。」
信州のホテルからだった。最近は外国人客が多く、今冬のスキーの真っ盛り。英語を生かして外国人の接客をしているという。

今日届いたメールは写真の通り。夏の真っ盛り。
白馬の峰々が写っている。
「今日は朝から仕事です。写真ありがとう。青春の日々が蘇る思いです。写真に写る稜線を幾度辿ったことでしょう。悲しい思い出もあります。稜線のいちばん左にある《不帰のキレット》で友人が亡くなりました。22歳でした。優希さんと同じ年頃です。羨ましいなあ。優希さんにはまだまだこれから夢がいっぱいある。元気で楽しく精一杯生きて下さい。」
ぼくが今しがた送った返信である。

そうめん

 

今日は7月1日。2015年も半分過ぎてしまった。
「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず。未だ覚めず池塘春草の夢、階前の梧葉すでに秋声。」
高校の時漢文で習った朱子の「偶成」であるが、その時からずっと頭から離れず、事ある毎にふっと頭によみがえり口ずさんでしまう。
少年の時だけではない。この歳になっても、いや、この歳になったからいっそうなのか、時の過ぎ行く速さだけは嫌というほど思い知らされている。
ただ「学成り難し」の部分は大いに疑問である。
学が成就したからではない。成就させたいだけの目標と希望が見当たらないことに忸怩たる思いが残るからだ。
どこかに人生の終焉を意識して、諦観が巣食い始めているからだろうか。

先だっても、小説家の五木寛之氏が出した『好運の条件―生き抜くヒント―』を読んだが、実に淡々としたものだ。
ある意味、功成り名遂げた人だからかもしれないし、80歳を越えられている歳のせいかもしれない。
「幸運という言葉よりも、好運のほうが私は好きだ。」という氏は、「99%の努力と1%の好運」という考え方に素直に納得できず、今まで生き抜いてきた日々を振り返り、その好運多きに感謝するばかりだという。そして今は、「生き方」よりも「逝き方」を考える時代にさしかかっているのではないか、と人生の終末を迎える心構えを語っている。

諦観が巣食い始めているという実感はあっても、まだ五木氏のような淡々とした心境にはなれない。人生の終末を迎える心構えもない。
自らの学成り難しという目標はなくとも、後生に託す思いはまだまだ強いから、日々格闘である。好運よりも努力を強調する毎日である。

そんな中、今日そうめんが届いた。
話題がガラッと変わって恐縮だが、そうめんこそ我が人生。
朱子の「偶成」に触発され、勉学にいそしんでいた高校y時代にこのそうめんと出会ったからだ。
両親が働いていて、大叔母が食事の世話や様々な親代わりをしてくれていたが、高校時代はともかく腹が減る。
特に夏休みになると、一日中家にいて勉強だから、腹が減ってしょうがない。
そんな時に、お中元だったかどうか、たまたま木箱入りの三輪そうめんを頂いた。
お盆までは開けてはいかんと言われていたが、腹のグーには勝てない。
後でばれないようにそっと三把そうめんを抜き取って、冷やしそうめんにして食べた。その美味しかったこと。
その美味しかったことがいまだに忘れられないから、よっぽどそのそうめんが美味しかったのか、それほど腹を空かせていたのか。
爾来半世紀以上そうめんを欠かしたことがないというから、他人が知ったらちょっとした偏執狂、病人だ。
夏は冷やしそうめん、冬は煮麺。それもほとんど具を入れない。具が邪魔になるのだ。
中国に滞在した時にも日本のそうめんを持参したが、具も何もいれずただネギだけを入れて食べる冷やしそうめんには中国人もびっくり。
日本人の食事はなんて貧相なんだ。可愛そうにと同情してくれる始末。

五木氏も上の本の中で、食事のことも多く語っているが、「君がどんなものを食べているかをいってみたまえ。君がどんな人間であるかをいってみせよう」というフランスの大食通、ブリア・サヴァラン(18世紀のフランスの政治家で『美味礼讃』を著し有名)の有名な文句を引き合いに出して、氏は自分なら「君がどんなものを食べているかをいってみたまえ。君がどんな時代に生きたかをいってみせよう」といって、昭和の時代を生き抜いた五木氏ならではの食の歴史を語っているが、そうめんを語っても時代を語り、文化を語ることもできる。

昨日からやっと梅雨らしい雨も降り、待望のそうめんが届いた7月1日。時の流れとそうめんと、何のゆかりがあるのやら。ふと語りたくなった次第。

戦後70年 ―その2―

 

♪♪♪ 日本の軍歌 ♪♪♪ (父がよく歌っていました)

先般、4月29日、米国連邦議会上下合同会議における安倍首相の演説は、戦後70年を区切る素晴らしいものだった。
いつまでこの「戦後何年」という言い方でしか歴史が語れないのかわからないが、安倍首相の演説には戦後70年の歴史を振り返りながら、多くを未来の「希望」につなげる内容である。中国、韓国が執拗に歴史認識を迫り、自国民にもむやみに反日を煽り、両国民の反目を促進しているのとは大違いだ。
70年という歳月が長いのか短いのか、わが人生もおおむねこの歳月に重ね合わせることができるので、この戦後70年の歴史は自分の歴史でもある。
5月30日、31日の2日にわたって放映された、NHKスペシャル 戦後70年 ニッポンの肖像 豊かさを求めての「第1回 “高度成長” 何が奇跡だったのか」、「第2回 “バブル”と“失われた20年”何が起きていたのか」を見ていると、一つ一つの出来事が我が事のように感じられて、ああ、こういう時代をぼくたちは生きてきたんだと実感した。
“失われた20年”の最後に襲ったのが「リーマン・ショック」であり、「東日本大震災」とそれに伴う「福島原発事故」である。
1991年のバブル崩壊から20年を“失われた20年”といわれるそうだが、「リーマン・ショック」が2008年、「東日本大震災」が2011年だから、失われた歳月は20年どころかおよそ25年、四半世紀にわたることになる。
そういう意味からいっても、今年2015年、戦後70年はまさに時代の転換点、未来志向の原点になる年だといっても過言ではない。
安倍首相の米議会演説にもそういう思いがにじみ出ているように受け止めた。
また別の観点からも、戦後70年を語った書物にも出くわした。
加瀬英明氏の『大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか」という本である。
本の帯広告には「70年目の真実 日本国民が人種差別に終止符を打った」とあり、裏には「“自存自衛”、そして“人種平等の理想” 日本人はそのために戦った」とあるように、第二次世界大戦、中でも太平洋戦争がアメリカの仕組んだ罠であり、とりわけ日本嫌いのルーズベルト大統領の思惑通りに進んだ戦争であること、その根っこには白人の拭うことのできない有色人種差別があり、戦後のアジア諸国の独立を促したのも日本であり、中国、韓国を除くアジア諸国が戦後一貫して日本に友好的なのもそこに起因していること、しかし、日本の歴史教育が、アメリカの人種差別と「対日恐怖感」にもとずくもので、それに感化された日本のマスメディア、教育界が子供たちに「自虐史観」を植え付けた結果、アジア諸国の植民地からの脱却、そして独立に日本がどれだけ貢献したか、またそれらの国々の指導者たちが日本にどれだけ好感を持ち続けたかは一切教えず、今次大戦が日本の侵略戦争一辺倒であるかのように教えられてきたと訴える。
また、広島原爆の死者が14万人、長崎原爆の死者が7万人、東京大空襲の死者が10万人、そのほとんどが非戦闘員であることの残虐性を訴え、その根本にあるものは白人優越思想と人間に対する根本的な見方の違い、文明・文化の違いがあると熱っぽく、しかし説得力のある語り口で語られている。
氏は、お父さんが戦後最初の国連大使(この“国際連合”という言葉のまやかしも語っておられる)を務めた外交官、加瀬俊一氏の子息だが、だからアメリカが間違っていた、日本が正しいと訴えているのではない。
戦後の日本人の心の持ち方を正したいのだ。
姻戚関係にあるジョン・レノンが大好きな日本語が「オカゲサマ」であったこと、食前食後にかわす「いただきます」「ごちそうさま」を例に挙げ、韓国では「チャル・モッケスムニダ(よく食べましょう)」「チャル・モゴスミダ(よく食べました)」、中国では「開始吃飯(これから食べます)」「好吃飯了(よく食べました)」、ヨーロッパ人やアメリカ人はフランス語で「ボン・アペティット(よい食欲を)」「アイ・エンジョイイド(楽しく食べました)」というように、これはほんの一例だが、生活万般、人間関係、芸術あらゆる分野で、日本と諸外国の物事の考え方とらえ方が違う、そういう違いから発する世界観も異なるのは当たり前で、そんなことを踏まえたうえで今後の日本の生きる道を語っているのである。
新書版なので多少羅列的ではあるが内容は充実した本である。是非一読していただきたい。

これからまた暑い8月がやってくる。ますます「戦後70年」は熱を帯びてくるであろう。