行く秋に 今年最後の 花壇かな

There are flower beds in a corner of Teramachi Street, various autumn flowers blooming in the sunset. It is a regrettable sight which is the last remnant of this year.

ここ2、3日は好天が続いています。今朝も雲一つない秋晴れです。

昨夕、寺町通りを歩いていると、通りの一角に小さな花壇がありました。鶏頭や葉鶏頭のような秋の花や夏の名残の花が満開です。鬱陶しい秋梅雨も晴れ、秋の澄んだ空気と日差しを受けて、花々も勢いを得たに違いありません。

しかし、10月もあと10日ほど、霜月ともなればまさに霜が降り、この花たちも急速に萎んでいくことでしょう。そんなことを思うとこの花たちに何とも愛おしい気が沸き起こります。

こうして毎年毎年景色は同じことを繰り返しているのですが、それを眺める私たちは年を重ねるごとに取り巻く環境が変わり、同じものを見ても受ける感じは変わってきます。

昨夕は、ニュースで、中学生が祖父母を殺傷するという痛ましい事件を報じていました。同じ日にもこうして明暗を分ける出来事が起こるのも現実です。

美しいものは美しく、楽しいことは楽しく感じ取れる心を失いたくないという一日になりました。

一心に 経読む遍路に 秋の風

In the autumn breeze blows, the pilgrimage is intently reading a sutra. I feel tense in the solemn atmosphere of the autumn.

西国三十三箇所第二十八番成相寺。
御詠歌「波の音 松のひびきも 成相の 風ふきわたす 天橋立」

西国札所最北端にある成相寺は、眼下に日本三景の一つ「天橋立」を見下ろす鼓ヶ岳(標高384m)の中腹にあります。

春から秋にかけては四季折々が風景が広がる絶景の地ですが、冬は雪深く、日本海の荒波が逆巻く日を目にすることの多い過酷な地でもあります。札所一番の那智勝浦にある青岸渡寺とは全く対照的なお寺です。

最近は一種のブームになっていて、四国八十八箇所とともに巡礼する人たち、それも歩き遍路の多いこと、若い遍路の多いことに驚きます。

社会が複雑になり、そこに居た堪れなくなった人が多くなったこともあるでしょうし、やはり社会が豊かになったことも大いに関係があると思います。

昔なら、例えそこに居た堪れなくなったとしてもじっと我慢をするしかありません。よほどの信仰心でもなければ、四十日、五十日を旅するにはやはりそれだけの経済的裏付けがなければできることではありません。そういう意味では、今の世の中は多少は豊かになり、自由のきく社会に成ったのでしょう。

人生八十年、長いのか短いのか。いずれは消えてゆく運命の儚さは誰しも共有することです。自由に、思い通りに生きたいと願うことも万人が願うことです。

吹雪の中、手甲に脚絆、藁箕を被って、ここ、成相寺を訪れる巡礼もいるとか、寺の住職に聞きました。

麗しの 心ゆかしき 秋の薔薇

A clear yellow rose blooms lonely in the rose garden. The autumn breeze blows like stroking the rose gently.

秋のバラ園は春のような豪華絢爛さはありません。咲く花の数も少なく、そこを訪れる人も春ほどではありません。だから、静かに心ゆくまで花の一つ一つを鑑賞できます。

空気が済んでいるせいか、花まで色が澄み、香りも一つ一つ区別できるほどです。花の寿命も、春は次から次と花を咲かせるせいか短く、秋の薔薇は長く咲くそうです。

春のバラ園がバラが咲いた景色を見るのに目を奪われるのに対して、秋のバラ園は花そのものに心が注がれます。

秋という季節がそうさせるのか、花を見る目も違います。美しさが一段と目立つ分、その儚さが裏返しになって感じられ、どうしても感傷的になるのを禁じえません。

これから更に秋が深まり、紅葉のシーズンともなれば、またまた各地に人が満ち溢れ、紅葉する紅葉に歓声が溢れます。

夏と紅葉のはざまに咲く薔薇は、気高く気品に満ち、まさにもの思わする季節にふさわしい花ではあります。

青洲の 偉業を偲ぶ ダチュラかな

Mr. Seishu Hanaoka made anesthetic from the datura and succeeded in cancer surgery by general anesthesia for the first time in the world.

ダチュラは園芸名で、チョウセンアサガオとしてよく知られています。

オーム真理教が「ダツラの技法」という洗脳薬に利用したことから、ダチュラには暗いイメージがありますが、チョウセンアサガオでは長すぎるので、俳句ではこのダチュラを使うことが多いです。

草性と木性があり写真のチョウセンアサガオは木性です。

チョウセンという頭書きは原産地を意味するのではなく、外国から入ってきたという意味で付けられたのでしょう。

有吉佐和子の「華岡青洲の妻」で一般の方にもよく知られるようになりましたが、江戸時代、1700年代後半の外科医、華岡青洲先生がこのチョウセンアサガオとトリカブト(いずれも猛毒を持つ植物)を使って麻酔薬開発に挑み、その実験台になったのが「妻」です。青州先生の母も実験台になって亡くなり、「妻」も盲目になるという壮絶なお話です。

結局、麻酔薬は完成し、これも青洲先生の志を汲んだ乳癌の60代女性が進んで手術を受け、世界で初めての全身麻酔による癌摘出手術に成功します。4ヶ月後にはこの女性も亡くなりますが、尊敬する先生の助けになれた事を喜んで亡くなります。

人にはいろいろな見方があり、必ずしも美談だけでは受け取れないと思われる方もいると思いますが、「母」、「妻」、「女性」の心意気は青州先生以上に尊いものを感じます。

ランタナと アワダチソウが 咲く季節

Awadachi-sow has been added to the lanthana which continues to bloom from the summer. It is a sight that tells the turn of the season.

朝の散歩に出かけるとまだランタナの花が満開状態で咲いています。梅雨時分のアジサイが花を閉じ始める頃から咲き出し、未だに咲き続けている息が長い花です。

そういえばこのランタナ、世界の侵略的外来種ワースト100に選定されているというから頷けます。それだけ生命力があるということなんですね。

そしてその近くにセイタカアワダチソウがまだ背も低く、それでもしっかり黄色い花を付けています。このセイタカアワダチソウも勢いの強い花で、野原にはこれからいたるところで目立ちます。

ひところはこのセイタカアワダチソウも花粉症の元凶のように言われ、人から避けられた経緯があります。秋の花粉症の原因の多くは実はブタクサの花粉なのですが、それと勘違いされたようです。

勢いが強すぎると人も同じで、ちょっと引いてしまいますよね。

でもこの季節を彩る花で、夏から秋、そしてこれから賑わう紅葉の時期までの橋渡しの役割を十分果たしています。

薔薇園で 紅葉に染まる メールあり

Even though autumn roses are just beginning to bloom here, e – mail full of red leaves has reached from my friend.

秋の薔薇が咲き始めました。春の薔薇のような絢爛さはありませんが、しっくり景色に溶け込んで、これはこれでまたいいものです。空気も澄んで、そのせいか、香りが春の薔薇よりもストレートに漂ってきます。

そんな時、一通のメールが届きました。赤城山麓の秋の風景です。すっかり紅葉して秋真っ盛りの様子です。

ここ関西では、山深くはともかくとして、京都、奈良、滋賀などの紅葉処はやっと色づき始めたところで、この写真のような紅葉は一ヶ月は先です。

しかし、今年は例年になく秋の訪れも早く、各地の冷え込みが厳しいとのニュースが流れています。紅葉の見頃も早くなるかもしれません。

そういえば、我が家でももう電気コタツを出していますから、いつもなら11月の掛かりくらいだと思いますから、早いんでしょう。歳のせいもあるんかもしれませんがね。

記録破りの猛暑あり、記録破りの秋の訪れ。何が何だか分からない一年です。

昼は銀 夕は黄金の 枯れすすき

Kare-susuki, which was shining silver in the day, is shining gold with the sunset.Thus autumn will gradually deepen.

和歌山県の有田川町と紀美野町との境界に広がる「生石(おいし)高原」(山腹に高さ50mの巨岩があり、これが大石「おおいし」、「おいし」となったとか)は、関西随一といわれるススキの名所です。

主峰、生石ヶ峰(標高870m)の裾に広がる大草原は広さ13ha(甲子園球場10個分)にもおよび、毎年秋になると一面がススキに覆われ、大勢の行楽客やカメラマンで賑わいます。

とくに夕日を受けてススキが黄金色に染まる頃は最高で、元日の初日の出とともに人気を二分するほどです。

写真は夕方5時過ぎくらいに撮ったものですが、やがて日が沈み、夜の帳が降りる頃には満天の星が煌めき、眼下の有田市の夜景と相まってもう別天地です。

とともに、深まりゆく秋になんとも言いようのない寂しさがよぎるのも事実です。

朝見たNHKのドラマ「まんぷく」の咲姉ちゃんの最期の場面が、余りにもリアル過ぎてずっと頭にこぶり付いていたからかもしれません。

コスモスが 見下ろす紀州 有田川

You can see the Pacific Ocean and the Arita River flowing into it from Washigamine (586 m altitude) of cosmos’ full blooming. It is truly a big panorama.

蜜柑で有名な和歌山県有田市の鷲ヶ峰(標高586m)山上にはコスモスが一面に広がっています。

遥か向こうには太平洋に繋がる紀伊水道が広がり、沈みゆく夕日と水平線の彼方には四国が浮かんでいます。照り返しの眩しいこと。眼下には高野山を水源とする有田川がくねり、それに身を寄せるように有田の町並みが一望できます。

土曜日ということもあって山上の駐車場は満杯。待機すること小一時間。まさかこんなに人が押し寄せているとは想像もしませんでした。

途中、車のカーナビよりも信頼しているスマホのグーグルナビのお陰でとんでもない道に迷い込み、一時はどうなることかと。車一台がやっと通れる山間の藪道で悪戦苦闘。思いを遂げるには並大抵なことではないことを実感した次第です。

でも来た甲斐は十分にあるほどの景観にしばし酔いしれる一日になりました。

美味いけど 種プイプイの アケビかな

When entering satoyama, many fruits of Akebi are growing ripe and the sweet scent is drifting around here and there. I ate one at once. It is delicious, but it is hard to eat because there are many kinds of seeds.

里山を歩いていると甘い香りが漂ってきました。藪を少し分け入ったところにあけびの実があちらこちらにぶら下がっていて、弾けているのも沢山あります。

さっそく一つをもぎ取って食べました。食べたといっても、いつもそうですが、甘くて美味しいのですが種が多くてとても食べ辛い実です。便秘に効くといって種ごと食べる人もいるそうですが、ぼくはだめです。

街中の店頭では見かけませんが、道の駅などでは時々見かけることもあります。

アケビは漢字では「木通」と書きますが、蔓性で中に空洞があるからこう言ったそうで、道の駅などにもアケビの蔓で編んだ民芸品を並べているところもあります。

「木通」は漢方薬としても知られ、オシッコやお乳の出を良くするそうで、他の漢方薬とも合わせて使われています。

露払い 運命(さだめ)に任す 女郎蜘蛛

The spider stretches the net and has been still waited for food even after the morning dew has disappeared. Its appearance seems to leave her fate to Heaven.

朝露が残る早朝、散歩道の脇に女郎蜘蛛が大きな網の巣を張っていました。体長2cmくらいの大きいやつです。もちろん雌で、オスは直ぐ側にいて、体長7mmくらい。たぶん交尾のチャンスを待っているのです。というのも、雌は網に掛かる生き物はことごとく食べ、たとえ同種の雄でも食べてしまうからです。

雄は雌に感知されないようにひたすらそのチャンスを待ちます。雌が網にかかった餌を食べるのに気を取られている瞬間に交尾するのです。交尾したあとはどうせ雌に食べられてしまう運命なのですが、交尾は果たさなければなりません。

カマキリも同じです。餌を容易に得られないこうした生き物は雄を食べることによって栄養にし卵を生みます。

10年ほど昔。セアカゴケグモが日本に上陸して話題になったことがあります。水際で拡散を防ごうとしたのですが、結局は日本国中に広まってしまいました。

ちょうどその頃、就寝中に手の甲を何か虫に刺され、朝起きたら腕中が真っ赤に腫れていて病院に駆け込んだことがあります。セアカゴケグモに刺されたのです。幸い雄だったようで、雌なら血清注射をしなければならないところだと医者に聞かされびっくりしたことがあります。

このセアカゴケグモ、漢字で「背赤後家蜘蛛」と書くとわかりやすいですが、セアカゴケグモの雌は背中が赤くて大きく、交尾したあとはその雄を食べてしまい、後家さんになるので付いた名前です。雄は雌の何分の一かで、ひたすらメスを求めてさまよい歩き、巡り合った雌と思いを遂げた後は雌に食べられて死んでしまいます。

何だかせつないお話になりましたね。