曼珠沙華-ひがんばな、まんじゅしゃげ、まんじゅしゃか-

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♪♪♪ 曼珠沙華 ♪♪♪

 

GONSHAN GONSHAN 何処(どこ)へゆく。

赤い御墓(おはか)の曼珠沙華(ひがんばな)

曼珠沙華、

けふも手折(たお)りに来たわいな。

 

GONSHANS GONSHAN 何本か。

地には七本、血のやうに、

血のやうに、

ちゃうど、あの児の年の数。

 

GONSHAN GONSHAN 気をつけな。

ひとつ摘んでも、日は真昼、

日は真昼、

ひとつあとからまたひらく。

 

GONSHAN GONSHAN 何故(なし)泣くろ。

何時(いつ)までとっても、曼珠沙華、

曼珠沙華、

恐(こは)や赤しや、まだ七つ。

 

〔語注〕 GONSHAN=九州柳川方言で、GONは「権」で素封家、SHANは「ちゃん」、あわせて、良家のお嬢さんまたはお嫁さん 曼珠沙華=まんじゅしゃげ、山口百恵の歌では、まんじゅしゃか

 

なんて艶やかでかつ野暮ったい花なんだといつも思う。
9月23日お彼岸のころになると、稲もたわわの畔に、あちらに一群れ、こちらに一群れ、手前に一二本ポツン、ずっと先に群れをなしてと、咲き乱れるという風でもなく咲いていて、それでいて人の目を惹きつけてやまない、確かに秋の光景だ。
向こうのほうの田んぼのあぜ道を、真っ赤な日傘をさして、どこかさびしげな、そして危なっかしい足取りで歩いてゆく女が、ふっと現れ、ふーっと消えていった。
高校生の時、楽譜が読めるようになって、いろんな楽譜を買ってきて読み漁ったことがある。「日本歌曲全集」と言ったかどうか、かなり分厚い歌曲集の中にこの「曼珠沙華」を見つけ出したときの感動は今も覚えている。
「ごん しゃん、 ごん しゃん、 どこへ ゆく」、山田耕作作曲で北原白秋作詞のこの曲だが、日本民謡風でもあり、子守唄のような旋律でもあるような、また御詠歌のような雰囲気をもった歌だなあ、と思ったが、それ以上に歌詞の意味を考えてもみなかった。
今こうしてもう一度、歌詞を読み、口ずさんでみると、あの曼珠沙華の咲く景色と、これから深まりゆく秋の気配が、何とも言いようのない寂しさで迫ってくる。
幼くして亡くした児をふつふつとさせる曼珠沙華なのか、事情があってこの世に生み出せなかった赤子がこの曼珠沙華なのか、人はみな、思うに任せない現身(うつせみ)を生きているのだ。
どうか、わが児だけは殺してくれるなよ。

 

 
   
 
 

アメリカの若者たち-PTSD-

★☆★ PTSD ★☆★
 
イラクやアフガニスタンはいまやヴェトナム戦争末期の時と同じ状況に置かれている。ヴェトナム戦争は国家対国家の戦争であったため、アメリカ(名目は連合国、以下同じ)が敗戦するまで戦争は継続され、アメリカが敗北することによって戦争は終結された。一方、イラクはフセインが率いるイラク国家との戦争ではあったが、フセインが破れ、一応国家対国家の戦争は終わったことになっているが、アメリカの戦死者数をみてもわかるとおり、終戦後のほうが明らかに戦闘状態は深刻になっている。まさにゲリラ戦である。アフガニスタンも国家対国家の戦争ではなく、これもゲリラ戦だ。
これらイラクやアフガニスタンのゲリラ戦を制圧するためにアメリカの多くの若者たちが徴兵され、戦場に駆り出されている。世界一自由で豊かな国を自負するアメリカで何不自由なく暮らしてきたアメリカの若者たちにとって、上官の命令には絶対服従を強いられ、「撃て!」と言われれば撃たねばならず、「殺せ!」と言われれば殺さなければならない戦場は、まさしく阿鼻叫喚の世界だ。そうした若者たちの多くが無事祖国に帰還できた後もPTSD(心的外傷後ストレス障害)で苦しみ、大きな社会問題になっているアメリカの現実が、先日、NHKのドキュメンタリー番組で取り上げられていた。
アメリカ政府のこうした政策がはたして正しいのかどうかは別にして、平和に暮らしている一市民にこれだけの犠牲を強いる国家権力とは一体何なのか、何の根拠に基づいて強いられるのか、十分に考えてみなければならない問題だ。
と同時に、日本政府が、そして世界の多くの国々がこのアメリカの政策を支持するならば、日本がこのイラクやアフガニスタンの問題にただ戦費の拠出だけで済ませ、アメリカの若者たちの命を贖っている事実に目をそらしていていいのか、大いに問題だ。
町内に凶悪犯が潜入し、自警団を組織したとき、「我が家の家訓によりそんな物騒なことには係わりません。」と例え上乗せした分担金を拠出したとしても、それだけで済ましたとしたら町内の人たちはどう思うだろう。
日本国憲法を盾に、いわば逆手にとって、国際社会の無理難題を潜り抜け、戦後日本の復興を図ってきたことは紛れもない事実だ。今も、この憲法は幸か不幸か、わが日本の若者たちを、アメリカの若者たちが直面している塗炭の苦しみから守っている。
かたや、街の至る所で携帯電話をピコピコする若者であふれ、かたや、戦場で明日の我が命も知れず、人の命を奪ったことで苦しみ抜く若者たちがいることを、アメリカ国家、日本国家という範疇ではなく、人間として人類として考えていかねばばらない。
 
誰が我が愛する息子、娘たちをあたら戦場に送ることを望もうか。
 
★映画(DVD) 「7月4日に生まれて(原題:Born on the Fourth of July)」 を一度ぜひご覧ください。
                        

多国籍軍の人的損害状況 (イラク戦争のみ)

アメリカ合衆国軍

   年度

    戦死

   負傷者

    2003年 

     486

    2,416

    2004年

     849

    8,004

    2005年

     846

    5,946

    2006年

     822

    6,411

    2007年

     902

    6,103

    2008年

     160

    1098
 
全参加国軍合わせて即席爆発装置(IED)による死者は1770名。
その内米軍は1687名(約40パーセントがIEDによる死者ということになる)
  ※2008年4月までの集計
 
その他の多国籍軍

戦死

戦死

イギリス

176

ラトビア

3

イタリア

33

     ルーマニア

3

  ポーランド

23

        オーストラリア

3

  ウクライナ

18

   エストニア

2

  ブルガリア

13

オランダ

2

スペイン

11

タイ

2

  デンマーク

7

      ハンガリー

1

         エルサルバドル

5

      カザフスタン

1

  スロバキア

4

   大韓民国

1

 グルジア

4

チェコ

1

  ※戦死者のみ2008年4月までの集計[21]
 
 ★これも忘れてはならない。
 中国国務院が発表する「2007年アメリカ人権記録」によると、2003年以来イラク平民死亡数は66万人以上。
 ロサンゼルス・タイムスの統計によると、100万人も上回る。

北京オリンピックそして中国②

★☆★ 北京オリンピック ★☆★ 
 
皆さんお元気ですか。
こちらは熱い夏もやっと峠を越し、気温27~8度、とてもしのぎやすくなりました。
そちら青島はどうですか。
中国悲願の北京オリンピックもなんとか無事終わり、さてこれから中国および中国国民がこの成果をどう生かしていくのか、★☆★
チベット問題 ★☆★ (この映像が頭から離れない。;現在この映像はなぜか削除されている。;また復活!;再び削除中!;★☆★ これ ★☆★もいずれ・・・)、新疆ウィグル問題、自由と人権の問題、環境問題、社会的格差と汚職の問題、そしてここにきて陰りを見せ始めた経済問題など等、これからが試練だと思います。
中国人たちも100年の鬱積を一気に払いのけ、これで大いに自信をつけたでしょうから、これまでのような偏頗な自己満足や狭隘な愛国主義に走ることなく、世界との真の意味での連帯感を深める方向に向かえば、中国人のみならず世界にとっても同慶の至りです。
「国威発揚のため」と言われようと、「演出過剰」と言われようと、「人権抑圧下の祭典」と言われようと、あれはあれで中国流の精いっぱいの「おもてなし」であり、先進国への仲間入りの「大見え」なのだと思います。
考えても見てください。
13億人もの人たちを束ねていくことの難しさと束ねそこなった時の恐怖感がどれほど現在の中国の為政者たちに付きまとっているか。
歴史を振り返ればわかることですが、中国という国は1949年以前には存在したことはありません。「中国4千年の歴史」とかよくいいますが、それは中国という国が4千年間続いてきたということではありません。ある時は漢民族であったり、ある時はモンゴル民族であったり、またある時は満州族であったり、今でいう中国の土地を支配してきた国は様々なのです。日本という国が千年とか二千年とか続いてきたというのとはわけが違います。現「中国」は高々50年の歴史しか持たない国なのです。イスラエルという国が20世紀に誕生したように、中国も20世紀に誕生した新興国家なのです。しかもチベット族、ウィグル族、モンゴル族、満州族といったそれまでに大きな土地を占有していた多民族をも含めて「中国」が誕生したわけです。すべて「共産主義」の御旗を掲げての誕生なのです。いわば20世紀最大の実験国家なのです。無理を承知でできた国ですから、それを束ねていくことの困難さは外部世界の人たちには到底理解できないし、「世界の非常識が中国の常識」といった価値観の逆転が起こりうるわけです。
そんなことを考えるとき、あの開会式といい、閉会式といい、まことに立派であったとまず素直に感動を伝えましょう。そしてそれを支え、あれだけの大事業を成し遂げ得たのは、やはり13億人の、農民をはじめとする(中国)人民があってこそなのだということ、自由を求め、独立を求め、人権確立を求め、正義を求めたが故に、反体制側に回った人たちと、奇しくも四川大地震のような自然災害に見舞われた人たちの命と血によって購われたものだということも忘れてはなりません
遠慮はいらない。世界の常識は中国の非常識を常に糾弾していかねばなりません。中国人民のためにも。

北京オリンピックそして中国

★☆★ 中国 ★☆★
 
北京オリンピックがいよいよ開幕だ。世界各地を巡った聖火リレーの混乱が否応なく北京オリンピックの関心を増幅したのは皮肉だが,隣人としてやはりこのオリンピックが成功裏に終了することを願わずにはおられない。
いまや中国の経済発展は留まるところを知らない。アメリカのサブプライム問題に端を発した自由主義諸国の金融危機による世界的株価急落時にも,最初はくしゃみ程度の影響はあったものの中国の株価上昇の勢いは留まらず,日々新高値を更新するありさまであった。しかしこれも皮肉なことだが昨年の10月ごろをピークにオリンピックが近づくにつれ株価は下落の一途をたどり,8月現在の株価は1年半前の2007年初頭の株価にまで下がってしまった。中国経済の脆弱性を指摘するエコノミストは多い。2008年の北京オリンピック,2010年上海万博,こうした国家的ビッグ・エベントを境に必ずバブルがはじけ,経済的混乱はもちろん,政治的動乱をも予測する向きがある。こうした意見が単なるやっかみ半分の杞憂に過ぎないのか,予想が的中するのか,その時になってみなければ分からないというのが,無責任だが,いちばん無難な意見である。
いずれにしろ中国は日本にとって単に隣国といって済ませる国ではない。
中国で生活してわかることだが,中国人の日本および日本人に対する思いは複雑だ。古代から今に至るまで脈々と流れる中華思想,国家レベルでは日本,朝鮮,周辺のアジア諸国をいまだに属国と見ている節があるし,一般国民でも日本を蔑んで「小日本」を言ってはばからない。ところが近代,日本が東洋においてまず近代国家に名乗りを上げ,中国には大きく先んじてしまった。日清戦争に敗れ,国土の一部に傀儡政府をつくられ,国内の多くの都市を制圧され,経済面においては大きく後れをとった。文化面においても中国近代化のために何万人もの中国人留学生が日本で学び,漢字の「輸出国」がその輸出先の国から多くの近代用語(科学,経済,政治等の学術用語及び専門用語の分野は特に顕著)を移入せざるを得ないほど文化も凋落してしまった。日本に来た中国人の多くは日本が単に近代国家に一番乗りしただけではなく,日本人の人間性と道徳性,文化の奥深さに目を見張り,魯迅にいたっては自国民に望みを失うほどのショックを受けた。その後の国内の動乱と日中戦争は国土の荒廃と人心の退廃をもたらし,中華人民共和国の建国後も紆余曲折,多数の人民が食わんがための生活から解放されてまだ20年足らずである。中国があれほどなりふり構わずオリンピックに執着する姿もむべなるかなである。ただどうだろう,まだまだ多くの国民はオリンピックの祭典を心から喜んでいるんだろうか。
いずれにしろオリンピックを境に中国がこれからどんな近代国家に変貌していくのか,世界人口の四分の一を占める大国中国は良くも悪くも21世紀世界の台風の目であることは確かだ。

ラジオ体操―国民的財産―

♪★♪ ラジオ体操 ♪★♪
 
  新しい朝が来た 希望の朝だ
喜びに胸を開け 大空あおげ
ラジオの声に 健やかな胸を
この香る風に 開けよ
それ 一 二 三
 
 朝6時半、藤山一郎さんの元気溌剌とした歌声が町内に響き渡る。
 朝寝坊をしていた小学生連中が眠そうに目をこすりながら次々と家から飛び出してくる。夏休み恒例のラジオ体操の始まりだ。お父さんお母さん方、お年寄りも結構な数だ。道端の木箱の上に置いたラジオから流れてくるピアノ伴奏に合わせて、まだ眠りから覚めないのかタコのようにフニャリフニャリ体を動かす子、飛び跳ねるように元気に手足を動かす子、おしゃべりに夢中でリズムにまったく合っていない女の子、実にさまざまだ。第一体操はみんな何とかこなせるが、第二になると大人たちはもちろん、子供たちもあやふやだ。第二は学校でも習い始めたところでまだしっかり身についていないし、大人たちはまったく知らないから勝手な振りを付けて体操している。
 服装も小学生の男の子はたいがいパンツにランニング、女の子は花柄のついた薄手のワンピースや様々、おじさんたちはステテコにやはりランニング、おばさんたちはありあわせの夏姿だ。気取った服装をしている人は誰もいない。
 やがて体操が終わると班長さんの前に行列だ。出席カードに判を押してもらわねばならない。欠席がなければお盆のときお地蔵さんに祭るお供物のおすそ分けがたくさんもらえるから、みんな休まない。
 判を押し終わると町内の掃除だ。家から持ってきた思い思いの箒で町内の道や溝をきれいに掃いて回る。このころには周りでセミもうるさく鳴き始め、朝の日差しがギラギラし始める。こうして僕たち小学生の夏休みの一日が始まるわけだ。
さて、このラジオ体操ほど今ありがたいと思っているものはない。
 おかげさまで第一ラジオ体操だけは完全に覚えているし、普段の運動不足を補うためにも、また外国に行った時にも、いつでもどこでもこの体操ができる。上海にいたときには、朝、太極拳のグループに入れてもらい太極拳を習っていたが、ふとしたことでこのラジオ体操を皆に披露すると、皆が非常に興味を持ってくれ、教えてくれということで皆に教えたことがある。日本人なら誰でもこのラジオ体操はできるのではないだろうか。これは日本国民の一大財産だ。
今日もこのラジオ体操から一日が始まった。もう朝から30度を超す猛暑だが、これで今日一日元気で乗り切る自信がついたぞ!

夏休み―皆さんはどんな?―

♪♪♪ 夏休み ♪♪♪
 
もうすっかり夏だ。空には綿菓子のような雲があちらこちらに浮かび、地平のかなたには入道雲がもくもくと立ち上がり真っ白に輝いている。空気は澄み切ってはるか遠くの山並みもくっきりと見渡せる。照りつける陽光は汗ばみを許さないほど強烈だ。
あれっ、今歩いている道はどこだっけ。ナスビとトマトが両側に植わった畑道を小学生が二人、じゃれ合いながらこちらに向かってくる。「こんにちは」、言葉をかけるときょとんとした顔がかわいらしい。見たこともない顔だ。あたりまえだよな。だからきょとんとしているんだ。どうも終業式の帰りらしい。二人とも通知表を開いたまま団扇代りに煽いでいる。
いいなあ、いちばん嬉しい時だ。あすから夏休み。成績なんてどうだっていいんだ。思いっきり遊べるんだものなあ。でも、日記だけは書くんだ。絵日記がいい。絵が好きだから、ナスビとスイカと、ええっと、そうだ、アサガオの絵は絶対書くぞ。ナスビの紫と、スイカの赤と、アサガオの空色、この色が好きなんだけど、どうしてもこの色が出せないんだよな。去年の夏休みにも挑戦したんだけど、とうとう出せなかった。今年こそ、ぜったいこの色を出してやるんだ。早く日記帳を買わなくちゃ。・・・いつの間にか小学生の時の原風景が夏空いっぱいに広がっていった。
こうしていくつ夏を越してきたのか、そしてこれからいくつこんな夏を越していけるのかなあ。
おーい、きみたち、ぼくにもきみたちのいのちわけてくれないかなあ。

ヒグラシ

★☆★ ヒグラシ ★☆★
 
またまたやってきた。梅雨明け時分になるとどうしても寝不足になる。あの清澄な音色に朝まだきから目が覚めて、にもかかわらず脳波はアルファ波状態、なんとも摩訶不思議なひと時を過ごすことになる。
夜がまだ明けるか明けないころ、遠くで一匹「ききききき・・・」と最初に鳴きはじめると、また別のところで一匹、そしてまた一匹と、しだいしだいにその狼煙は伝播し、やがて大きなうねりが押し寄せてくるようにヒグラシの鳴き声があたり一面にこだまし始める。
開け放してある窓からはひんやりとした冷気が忍び込み、ヒグラシの鳴き声と山の冷気が夏の到来をコラボレイトする。覚悟を決めなければならない。これから一ヶ月くらいは毎朝こういう状態が続くのだから。でもなんという至福の時か。
夏の風物詩も時代とともに様変わりしてきた。特に都会の街中では、朝顔の数もめっきり減ってきて、夜ともなれば、道のあちこちに床几を出して手に団扇、そばで子供が線香花火という光景もあまり見かけなくなった。みんなどうしてこの暑い夏を過ごしているのだろう。マンションが建ち、ビルが建ち、道という道は奇麗に舗装され、それはそれで美しくもあり、機能的で快適な一面もあるのだろうが、何か足りないものがある。特に子供の姿を見掛けない。走り回って、キャッキャッ、キャッキャッと騒ぎまわっている子供を見かけない。ましてやパンツいっちょでいる子なんてもう絵にも出てこない。たらいを出して水道のホースで水を浴び、水のかけっこをしている子ってどこかにいるんだろうか。
いっぽう、北アルプス、南アルプス、富士山、もうどこに行っても人がいっぱい。山小屋なんか、仰向けになって寝られない。左肩か右肩を横にして胸の幅でしか寝られないところなんてざら。昔、槍と穂高の間にある南岳小屋に泊まったとき、あまりの客の少なさに、居合わせた女性グループから「怖いから近くで寝てよろしいか」と言い寄られ、こそばゆい思いもしたものなんだが。河川敷の花火大会、夏祭り、海外脱出行、もうどこに行っても人、人、人。
さてさて、このヒグラシだけは昔も今もいっしょ。夕方、日が落ちる頃にも三々五々と鳴きはじめるが、あちらにポツン、こちらにポツンと遠くの家の明かりがともり始め、夕餉のしたくか、お風呂を焚く煙か、淡い煙が立ち始めると、潮が引くかのようにヒグラシも消えていく。
夢かな、うつつかな。

わが愛車DAHON

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 標高差600mの那智山(南紀勝浦)を駆け上り、京都・奈良を散策し、中国上海を駆け巡った愛車DAHON。その華奢な躯体は重量わずか8.6㎏である。20インチ自転車では世界最軽量の総アルミ製だ。これを担いで列車に乗り、船に乗り、知らない街を、知らない道をどのくらい訪ね、駆け抜けたことだろう。風を全身に感じながら薫風を胸いっぱいに吸い、心安らぐ田園を通り抜け、はたまた、街の雑踏をかいくぐりかいくぐり、車の警笛を四方から浴びながら、それでも快走をつづけたDAHON。
でも・・・でもね、多く感じたことがある。
特に日本で感じたことは、道がまるで車の専有物になっていること。どんな田舎に行っても車が走る車道だけは整備も行き届き、スーイスイ。渡れない谷はなく、越えることのできない峠もない。ところがどうだ、人は?自転車は?いったいどこを通ればいいの?というところがいたるところ。やむなく車と同じ道を行くことになるのだが、傍らを猛スピードで警笛を鳴らしながら車が追い越して行く、地響きを轟かせながら大型トラックが通り過ぎてゆく、怖いの何のったらありゃしない。街中でも同じだ、最近は色とりどりのレンガや石を敷き詰めた立派な歩道があって、そこを自転車でも行けるのだが、自転車にとってはまるで快適ではない、デコボコだらけで、辻、辻では段差があってガタンボコン、そして少し郊外に出ても歩道は車道のつけたし。幅はますます狭く山あり谷あり、まるでジェットコースターのような歩道。その先は上で述べたとおり。
いったい車って、何様だーい。こうして全国、道という道をすべて我が物にしてしまい、昔いい遊び場だった道から子供達を追い払い、そのため子供達は今どうなってしまったの!? 町中の細い道まで行き交う車にみんなが神経を使い、道端の立ち話も、床几に腰掛けての夕涼みもなくなっちゃった。
あーあ、もっと深刻に考えてくれよ。道はさあ、もともと、行き交う人にとっても、そこで生活する人にとっても最大の交流の場であったはずだのに、今や危険と排気ガスをまき散らし、人と人を分断する檻の囲いになっちまった。
それにさあ、小型車も大型車も4,5人乗りの車に乗っているのはほとんどが一人、多くても二人、いったい、車が人を運んでいるのか、人が車を運んでいるのか、わかりゃしない。それに比べりゃ、今や時代の最先端を行くエコ乗り物、自転車、これをこんな除け者にしていていいの?
その点、中国はいい所あるね。大都市ではたいがい幅広い自転車専用道が確保されていて、車の心配はない。道の状態も車道の一部を使っているから滑らかで走りやすい。自転車乗りのとっては最高だよ。ただね、最近はここにバイクや電動自転車が相乗りしてきて、これは困ったもんだ。
さて、今日はこれから近くの海にDAHONで出かけるとするか。

誰か故郷を想わざる

♪♪♪ 誰か故郷を想わざる♪♪♪

小学校に行くか行かない頃だったと思う。戦後間もない頃で、娯楽といったらラジオくらいしかない頃であった。ある日、家で何をしていたんだろうか、突然外からレコードに合わせて誰かが歌うマイクの声が聞こえてきた。外に飛び出てみると、近所の「共産党のおっちゃん」が見かけによらず上手に歌を歌っている。見かけによらずといったのは、この「おっちゃん」、普段は「どもり」(差別用語かもしれませんが、あえて使わせてください)で、それほどの年でもなかっただろうにお頭(おつむ)がちょっと薄い。びっくりした。道の真中には石炭箱を並べた「にわかステージ」がしつらえてあって、まわりには近所中のおばちゃんやおっちゃん、それに子供たちも交えて、やんやの喝采を送っている。実にうまい、と子供心にそう思った。その歌が、もちろん後にわかったんだが、この「誰か故郷を思わざる」である。
「共産党のおっちゃん」を皮切りに、近所の人たちが次から次と「ステージ」に上って、あまり音の良くないマイクで、「ホワーン、ホワーン」とうなりを出すレコードに合わせて、みんな得意満面に歌っている。掛け声が飛び、指笛が飛び、誰が用意したのか紙テープまで飛ぶ。一大コンサートだ。
ああ、こんな時代があったんだなあ。みんな貧しかったけれど、実に明るかった。歌声も澄んでいたし、何か「希望」のようなものがあった。人と人を結びつける連帯感というものがあった。
人にとって「幸せ」っていったい何だろう。
昔はよかった、昔はよかった、いつの時代も年取った人たちの口癖だ。
自分たちが生き生きと、一所懸命生きた時代がいちばんなんだ。
今の時代の愚痴は言うまい。