さて、今日はこれから近くの海にDAHONで出かけるとするか。
わが愛車DAHON
さて、今日はこれから近くの海にDAHONで出かけるとするか。
[追記]2024年10月14日
この記事を投稿してはや15年になります。たくさんの方々にアクセスしていただいて感謝の言葉もありません。寄る年波には勝てず、体のいたるところに「体勢疲労」がきています。しかし、この「顔面体操」は続けていて、効果はあるように思います。
16世紀半ば、日本は戦国時代で群雄が割拠し、打ち続く動乱で世の中がどの時代よりも疲弊していた時代に来日したイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが、その著『ザビエルの見た日本』にこんなことを書いている。
暮れも押し迫り,街中を歩いているとあちらこちらからクリスマスソングが流れてくる中,とあるレコード店から耳懐かしいこの曲が流れてきた。何で今ごろこんな曲がと不思議な思いもしたが,思わず口ずさんでいたぼくに,あの日の思いがよみがえってきた。この曲は1947年(昭和22年)から始まったNHKのラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題曲で,このドラマも主題曲も大変人気があり、翌年松竹によって映画化されたそうだ。そしてこの映画が僕の記憶に残るもっとも古い映画になるのである。というのも,・・・
僕がちょうど幼稚園に通っていた頃,当時住んでいた長屋のはす向かいに谷口さんという一家がおられ,たしか同い年くらいの娘さんとその弟がいて,この谷口さん一家に連れられてこの「鐘の鳴る丘」の映画を見に行った。映画館は当時僕の通っていた「三郷幼稚園」の近くにあり,家から4kmほどのところにあった。今となってはこの映画の内容などまったく覚えてもいないが,とても悲しくて悲しくていたたまれず,谷口さんには内緒でこそっと映画館を抜け出した。冬場だったような気がする。外に出ると寒くて寒くて,しかももうすっかり夜の帳も下り,通いなれたはずの道もわからなくなり,何時間かかって家にたどり着いたであろう。玄関の戸を開けると,父と母が飛び出てきて,普段は優しい両親にこっぴどく叱られたことを覚えている。
今は亡き母が,この曲がラジオから流れてくると僕がよく涙を流していた,といつも優しく僕を見つめて言っていた。
[追記]
「かーねがなります きーんこーんかーん」なんですね。ご指摘いただきありがとうございます。
今までずーっと「ちーんこーんかーん」とばかり思っていて、そのように口ずさんでいました。
でもこのままにしておきます。
「いいかい、もう一度はっきり断言しておくが、人間の多くのものは一種独特な素質を備えているものなんだ。―― それは幼児虐待の嗜好だよ、しかも相手は幼児に限るんだ...まさに子供たちのかよわさが迫害者の心をそそり立てるのさ。逃げ場もなく、頼るべき人もいない子供たちの天使のような信じやすい心、これが迫害者の忌まわしい血を燃え上がらせるんだ。」
こうした人間の持つ嗜虐性は、幼児に限らず、いじめの問題にも、人種差別の問題にも、はたまた中東やアフリカで繰り返される憎しみの連鎖などにもあらゆる場面で発揮されます。最近日本だけに限らず、世界のあらゆる場所で繰り返されるこうした残虐行為は、人間の根深いところに内在する本性かもしれません。ただ今日的な問題としては、そうした残虐行為が、一瞬にして全世界の知るところとなり、誰の目の前にもまるで現場に居合わせたかのように露呈されることです。こうした環境に生まれ育つ現代人が、も一度イワンとアリョーシャの会話に耳を傾けつつ、人間に内在する嗜虐性をいかに封じ、この21世紀的環境をどのように受け止め、どのように対処していくべきか、我々一人ひとりが自身の問題として問い詰め、身近なところから行動を起こしていかなければ、明日もまた悪しき歴史を繰り返すことにはならないか
最近とみに筆不精になってきた自分を感じる。もともとそれほどまめではなかったにしろ、これは心がなえてきている証拠だ。