山あいを 燦と彩る 桜かな

Even if it is usual, the ordinary mountain scenery also has a bright view once the cherry blossoms bloom.

相変わらずの花冷えです。山梨県では昨日(4/9)積雪があったとか。

春を迎えてからその冬最後の降雪のことを「終雪」というそうですが、関東以西の平地では大体3月中旬くらいで、たまには下旬という年もありますが、4月の終雪はやはり珍しいそうです。

昨日も近くの山間部を回ると、青い山肌のあちらこちらに桜が咲き柔らかい感じがします。いつもなら静かな山あいにも一群れの桜が咲いていると急にパーっと明るくなって俄然雰囲気が変わります。狭い谷間にも、小さな集落にも、鎮守の森にも、桜が咲いていれば人はいなくても賑わいがあります。

大阪には造幣局の「桜の通り抜け」という明治から続く伝統行事がありますが、いつもなら春の陽気と人いきれで熱気がムンムン、暑くて暑くてとても上着は来ていられません。

9日から始まっていて15日までですが、この分では期間を延長しなければもったいないような気がします。人出の少ない日を見計らって出かけてみようかなと思っています。

唐門を くぐれば楚々と 花水木

When going through the degnified gates of the temple, the modest and beautiful flowers of Hanamizuki in contrast to it is blooming in full bloom.

さくら、さくら、さくら、桜が満開です。もう桜だらけ。

そんな中、唐門の立派なお寺に入ると先にはやはり桜が咲き誇っています。手前の玉砂利を右に辿るとピンクと白のハナミズキが対を成して咲いていました。ほっとします。楚々とした佇まいが安堵をもたらすからです。

桜も一つ一つの花は可愛らしく、花水木の花に比べてもか弱げにさえ見えます。しかし、いったん一本の桜となると違います。絢爛というか、堂々としているというか、か弱さのみじんもありません。ましてや、それが何本、何十本となると圧倒されるほどの豪華絢爛振りです。しかし、そんな桜もいったん春の嵐に見舞われると、そうでなくても、せいぜい1週間か2週間、瞬くうちに散ってしまいます。

その姿はまるで日本人そっくりです。一人一人はおとなしく、目立つことを好みませんが、いったん集団になると違います。怒涛の如く戦後日本を立て直し、20年も経たずして世界第2位の経済大国にのし上がり、幾多の災害にも耐え、復興し、すべて集団としての日本人の底力です。

そして生き様。ぱっと咲いて、ぱっと散る、その桜の生き様を好しとする心意気が古来日本人には流れ続けています。

その点、花水木はまるで対照的。楚々としてはいますが、芯は強そうで、花咲く期間も長く、多少の風には散りません。花水木はやはり女性です。だから安堵するのです。

カリンカを 歌声喫茶で 歌った日

The viburnum is called kalinka in Russia. There used to be a cafe called Singing Voice Cafe when I was a student, where I would sing this Kalinka song with many guests.

1955年(昭和30年)から1965年(昭和40年)にかけて、歌声喫茶が全国に広がりました。

労働運動と学生運動の高まりとともに人々の連帯感をうむ歌声喫茶の人気は上昇し、最盛期の1960年(昭和35年)には、東京の「カチュウーシャ」や「ともしび」、大阪の「こだま」や「どん底」は連日客で溢れ返りました。

アコーデオンやピアノの伴奏に合わせ、リーダーの指導のもと、手にした歌集の小冊子を開いて皆が合唱するのです。

歌われる歌はロシア民謡が最も人気があり、反戦歌や労働歌、童謡から民謡まで、お客のリクエストでどんどん広がります。知らぬ同志が肩を組み、体を揺すって、そうして日が暮れていきました。

今は変わって、カラオケ喫茶。1人から数人のグループが暗室にこもって、音量いっぱいで歌います。

ところが今また、当時歌声喫茶に通詰めた中高年者の間で、歌声喫茶が静かなブームになっているそうです。

今日の一枚はカリンカです。和名ガマズミ。ビバーナムの一品種で、咲き始めは白、それから赤く染まって、秋には紫にと色が変化します。

カリンカはこの花のロシア名でロシア民謡では最も人気のある歌にもなっています。この歌に合わせ、赤軍の兵士たちがコサック・ダンスを踊ると皆が手拍子し、最高潮に盛り上がります。

現し身も 痴れて桜の 宴かな

When the cherry blossoms are full of bloom, Japanese forget all daily emotions, delight, anger, sorrow and pleasure, are fascinated by the cherry blossoms every day.

昨日は近くの里山を回りました。予想通り桜は満開です。

日曜日は午後から天気が崩れると予報がありましたので、今日が見ごろだと出かけました。まだ1週間は咲き続けるでしょうから慌てたことはないのですが、気が急いたことは否めません。

最近、親戚や友人の訃報が続き、他人事ではない思いが募ります。そんな思いを払い除けてくれるのも桜です。

こと左様に、桜は日本人にとって死生観そのものであり、生きる喜びと勇気を与えます。

枝もたわわに咲き誇る桜。1週間もたてば春の嵐に散り行く桜。このほんの一瞬に我が身を重ね、儚さと、だからこそ生きることの意味を考えます。

古来、こうして日本人であれば誰もが同じ思いを共有し、絆を強めてきました。

平成の時代は戦争こそなかったけれども、未曽有の災害に再三見舞われました。それを克服できたのも桜によって培われた共感と絆であったわけです。

令和の時代をどう生き抜くか、わが身とっても日本にとっても新たなる挑戦です。

目の前に満天に開く桜が勇気を与えます。

風光る この世の春が 天国ぞ

This beautiful reality of cherry blossoms blooming and rape blossoms blooming is right heaven.

♭♭♭ さくら ♭♭♭

さくら、さくら、さくら。もう今はどこに行っても桜です。

先日行った大阪狭山市にある狭山公園は大きな池があってその周りに桜が咲いています。案内板には1万2000本近くの桜だと書いてあるんですが、確かに多いことは多いが、池が大きいということもあってか、受けた印象たいしたことはない。

ちなみに日本全国お花見スポットの本数ランキングを見たら、第1位が吉野で、約3万本とある。第2位が本家埼玉県狭山湖の約2万本だから、この1万2000本はたいした数なんですね。

これからが見どころの世界遺産吉野の桜を形容してよく「吉野千本桜」と言いますが、実に謙遜した言い方ですよね。

とにかく野山はもちろん東京や大阪のど真ん中でも桜が所狭しと咲いていますから、知り合いの外国人なんかは、日本人は桜気違いみたいな言い方をします。否定できません。その通りで桜単独でも美しいですが、高層ビルを背景にした桜も美しい。

富士に桜は最高ですが、写真のように菜の花が咲き、桜が咲いているともうここが天国ですよ。実に天国はここにありですよね。

 

 

見上げれば 心広がる 桜かな

It is a fine day with no clouds today. The cherry blossoms in full bloom spread high above the sky and shine brightly. My heart looking up at it also spreads and revitalizes.

♭♭♭ 筝曲さくら ♭♭♭

やっと満開の桜を見ました。

大阪は桜の開花が宣言されたのは3月27日ですから、ちょうど1週間。開花宣言が出たとたん、また冬に帰ったような冷え込みで、桜も出鼻をくじかれたのでしょう。

といっても、開花情報では大阪で満開なのはここだけ。まだ7分咲き、5分咲きがほとんどです。昨日から気温も持ち直し、春らしい温かさに戻ってきましたので、この土曜、日曜が一斉に満開になり、人もどっと繰り出すことでしょう。

新しいランドセルを背負っている子供たちに出くわしたので、4月8日と勘違いしましたが、4月4日でした。昔は入学式と言えば大体4月1日でしたが、最近は4月8日の学期始まりが多いので一瞬勘違いしたのです。入学式の日も様々なんですね。

「さくらさく」とか「さくらちる」という電報が行き交う時期はもう過ぎましたが、今でも大学の合否を電報で送る風習が残っているようですが、何かにつけ、この時期は桜なしでは済みません。

明日、土曜あたりから、桜の見どころには青いビニールシートが並び、夜ともなれば賑やかに桜の宴が始まるでしょう。

野いちごを 隠れん坊で 見っけたよ

I found a wild strawberry flower in the bushes during the walk. I remembered that when I was a kid I was playing hide-and-seek and encountered a similar situation.

♭♭♭ 筝曲さくら ♭♭♭

かくれんぼしましょ、Let’s play hide-and-seek!、この指とまれ、Grasp this bar!、もういいかい、Ready or not, here I come ! 、まあだだよ、Not ready.、もういいよ、Ready、

昔懐かしい隠れん坊(かくれんぼ)です。鬼ごっことともに日本だけでなく、世界各地にある伝統的な子供の遊びです。

細かいルールは違いますが、おおむね、鬼(英語ではit)が一人いて、ほかの子どもたちは隠れたり逃げたりします。

この指とまれ、とか、この指たかれ、とか日本では言いますが、英語では、この木につかまれ、といって長い棒きれを立てて参加者を募ります。

昨日散歩していてたまたま薮に踏み込んだら、野イチゴの花が咲いていました。やがて宝石のような赤い実を付けます。ちょっと酸っぱくて、でもとても美味しいものです。

すぐ思い浮かべたのが、子供のころ「かくれんぼ」をしていて、隠れたやぶの中にも、その時には赤い実のなった野いちごでしたが、あって、鬼に見つかるまでいくつも食べていたことです。いくつもなっていました。

鬼に見つかってみんなに言ったら、鬼ごっこはそっちのけ、みんなで手当たり次第に食べたものです。

とーい、遠い昔のお話です。

平成の 桜が散って 令和かな

The era of Heisei ends soon, and the era of Reiwa begins. The cherry blossoms bloom and scatter as if connecting the two eras. May the new era be peaceful and rich!

♭♭♭ 筝曲さくら ♭♭♭

日本最初の元号は「大化」です。大化元年は西暦645年、「日本」という国号と「天皇」という称号が使用された年でもあります。

それまで天皇(大王)を思いのまま擁立したり廃したりしていた蘇我家の入鹿を暗殺し、皇極天皇のもと、中大兄(後の38代天智天皇)と大海人(後の40代天武天皇)兄弟が中心になって国家づくりが始まります。1374年前の話です。

爾来247の改元が行われたわけですが、写真の山梨県北杜市武川町山高町の実相寺にある「山高神代桜」は、樹齢およそ1500年とも2000年とも言われている桜ですから、まさに「大化」から「令和」までの「日本」を見守ってきているわけです。

地震あり、津波あり、火山噴火あり、飢饉あり、ありとあらゆる災害があって、また毎年毎年こうして満開の花を咲かせて人々を魅了し続けてきたことを思えば、国の天然記念物に指定するなんておこがましくも感じるわけです。

余談にはなりますが、ここに挙げた天智天皇と天武天皇は兄弟ですが、天武天皇は兄である天智天皇の娘(後の41代持統天皇)を嫁にし、その間に生まれた草壁王子はまた叔父にあたる天智天皇の娘(後の43代元明天皇)を嫁にする、つまりお父さんと息子の嫁はともにお父さんの兄の娘姉妹であるという、なんとも不思議な関係があるんですね。

高校の時、この複雑な婚姻関係がなんとも不可解で、天皇家の謎が隠されているように思ったことを思い出しました。

初筍の 御膳もゆかし 嵯峨野道

I came to Kyoto Sagano looking for the cherry blossoms, but still buds. In the meantime, I was drawn by the scent of bamboo shoot rice and passed the red goodwill.

「令和」に決まりました。

最初はちょっと違和感を感じましたが、出典やその意味を知るとその違和感もなくなり、今朝はすんなりと受け入れられます。

万葉集から取られたことは歓迎です。

今までは余りにも漢籍に偏りすぎたように思います。高校の時、漢文という時間があり、嫌いではなかったですが、なぜこんな古い漢文に力を入れるのか疑問に思ったことがあります。

今、古代史も様々な新発見により、大きく塗り替えられようとしていますが、奈良時代以降の文化は中国文化の影響を大きく受けたことは否めません。

平安時代に入って、「竹取物語」から始まって、「源氏物語」や「枕草子」により、それまでの漢籍中心の文化から和文の文化に切り変わっていきましたが、漢籍の影響は今までもずっと続いたわけです。

今の大学入試の国語でも、現代文、古文、漢文の三本立てで、最近やっと漢文のウェイトが軽減されたようです。

とはいえ、この「令和」だって、純粋に和文、国文からの引用だとは言い切れません。中国の古典『文選』にも同じような表現があり、万葉集のこの部分もそれからの影響を受けたとも指摘されています。

いずれにしろ、新しい時代を切り開くにふさわしい元号で、前向きに考えたいものです。

まほろばは さくら花咲く 我が里ぞ

The best place to live for me is the hometown with full bloom cherry blossoms like this. There is nothing to say if I am born here and die here.

故郷がある人ない人様々です。

ふるさとは 遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの 

室生犀星の有名な詩の一節ですが、今どれだけの人がこういう思いを持っているでしょうか。

お正月やお盆に故郷に帰る人たちを羨ましく感じる人も多いことでしょうが、故郷を持たない人たちも確実に増えています。

今や東京都市圏の3,584万人をはじめ、大阪、名古屋、福岡、札幌の五大都市圏の人口だけでおよそ5,900万人ですから、これだけで日本の人口の半数を占めています。

故郷喪失の時代とも取れますが、そもそも故郷という概念が変わってしまっているのかもしれません。交通機関の発達、そして何よりも情報時代の到来でますます距離感がなくなり、日本全体がひとかたまりの故郷になった感があります。

そして今こうして桜が咲く時期になるとますますその一体感が深まり、いたるところに咲き乱れる桜に酔い痴れるとなおさらです。

これほどの一体感を共有する国民は世界にはありません。日本が、そして日本人が世界でも稀にみる国民性を有することは世界の多くの人たちが認め、関心を持っていることは事実です。

21世紀の時代がどんな時代になっていくのか、日本の果たす役割は大きく、期待を持って見られています。

今日、くしくも新しい元号が発表されますが、元号を持つ国は日本だけです。今、国中がかたずを飲んで新元号の発表を待っていますが、桜に思いを寄せる思いが重なり、ぎゅっと濃縮された日本が見て取れます。