さくらんぼ 見て長持ちの 方が良し

The cherries have grown ripe red. If you eat they will disappear in a moment, but if you just look they will keep for many days. I chose to watch than to eat.

赤いサクランボの実ができました。二つ三つ食べてみたらとても美味しいです。でもそれ以上は食べようとは思いません。お店で買うととても高いです。二つ三つ味わえば十分で、それよりもこうして何日も眺めている方が満足が行きます。

時折鳥たちが来て食べることはありますが、それも良しとしましょう。

サクランボはセイヨウミザクラと言って実を収穫する専門の桜で、ソメイヨシノのような花を観賞する桜は小さな実しかできず、実ができると直ぐに落果します。

ミザクラの花も桜と変わりませんが、ピンクに色付くことはありません。

お店にはこれとは別にアメリカンチェリーといってサクランボより大きくて黒ずんでいるサクランボを見かけます。安くて結構おいしく全く食用という感じのサクランボです。

アメリカではブラックチェリー、もしくはビングと言いますが、サクランボ一つをとっても日本人と西洋人の文化の違いが見えて面白いですね。

大海原 若草分けて 下田路

Shimoda Kaido, famous for “Izu no Odoriko” by Yasunari Kawabata, is also a highland road. The feeling of going through a path filled with young grass while watching the open ocean below is spectacular.

眼下に広がる大海原と潮風を受けて揺れる若草。伊豆高原の初夏の風景です。

東海道三島宿から伊豆の国市、伊豆市湯ヶ島を通り、天城峠を越えて河津町から下田に至る全長約80㎞の、山あり、峠あり、川あり、高原ありの下田街道(下田路)は川端康成の『伊豆の踊子』の舞台であり、松本清張の『天城越え』の舞台でもあります。

一方は旧制高校の学生と旅芸人踊り子の道行き純愛小説であり、もう一方は修善寺の売春婦に関わる殺人冤罪小説でですが、描かれている伊豆の景色はどちらも美しく、心に残ります。

写真はその下田街道から少し外れた場所ですが、眼下には大海原が広がり、吹き上る潮風に若草が揺れ、そこを分けて歩く若者たち、いかにも初夏の風景が溢れ、伸びやかな景色にうっとりします。

春先の不安定な気候もやっと落ち着き、晴れ間も多くなりましたが、これもほんのひと時。もう奄美地方は梅雨に入ったとニュースが流れています。もう2週間もすれば本格的な梅雨入りです。

今の間に、思いっきり、野に山に出歩きたいものです。

禅寺に 何と優しい 牡丹かな

It is a peony blooming in the precinct of Kenchoji Temple in Kamakura City, Kanagawa Prefecture.  The combination of the strict Zen temple and the gentle peony blooming there is intriguing.

バラが咲く一方、ボタンも今が盛りです。

そういえば、バラで有名なお寺はあまり聞きません。奈良県に霊山寺(りょうざんじ)というお寺がありますが、ここが関西では有名なバラのお寺です。それ以外にはあまり聞きません。

その点、ボタンはお寺とつきものです。関東であれば鎌倉建長寺のボタンは有名ですし、関西では長谷寺のボタンが有名です。これ以外にもボタンで有名なお寺は数多くあります。バラが西洋中心に広まり、ボタンが東洋中心に広まったからでしょう。

この同じ時期に咲くシャクヤクはボタンによく似ていて、見分けが着かないほどです。同じボタン科・ボタン属に属する花ですから仕方ありませんが、ボタンが木であるのに対して、シャクヤクは草です。葉もまるで違うのでちょっと注意すれば見分けは簡単です。開花時期もボタンが晩春、シャクヤクが初夏という違いもあります。

どちらも薬草としても有名で、風邪薬の葛根湯にも使われています。もうひとつ似た花にシャクナゲがありますが、これもよく似ていて時々見間違えることがあります。西洋ではボタンもシャクヤクもpeonyですから区別しないんでしょう。

ボタンは「百花王」とか「花王」と呼ばれるように、花の長と崇められてきましたが、シャクヤクは庶民的です。

「立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿はユリに花」と女性を称えた言葉がありますが、まさに「やまとなでしこ」を彷彿とさせる言葉です。

でもどうでしょうか。そんな女性がいたとしても、見入っていたらセクハラと言われかねません。おそろしや、おそろしや。

 

儚くも マツバウンラン 凛と咲き

Matsubaunran is a small wildflower.  It looks like such a weak flower as you want to support it gently, but its dignified appearance is a very beautiful flower.

マツバウンラン(松葉海蘭)は小さな小さな野草です。それでも雑草の中ではひときわ目立つ花です。

「松葉」は葉が松葉のように細く、「海蘭」は海辺に咲くウンランの花に似ていることからついた名です。ウンランも蘭ではなく蘭に花が似ているから着いた名で蘭とは無関係です。誰が付けたのかよくも付けた名だと感心します。

「人知」とはこのことで、人の知恵と知識は神羅万象にわたり、あらゆるものに名を付け、その本質を探り、底知れない英知を感じることにもなりました。

この花を見て竹久夢二の絵を連想するという人がいましたが、なよなよっとした女性の儚さと美しさを連想したのでしょう。わかります。

でも、マツバウンランは見かけによらず丈夫な花で繁殖力も強く、外来種ですが、今や全国に分布する野草でもあります。これもまた女性の一面でもありますよね。

魅せられて 彩り深く 薔薇の花

The more we look at the color of the rose flower, the more we are attracted. It also depends on the weather and temperature of the day, and it changes slightly in the morning, day and night.

飽きもせずまたバラ園に足を運びます。

その品種の多さと彩の豊かさに圧倒されます。

桜と違い、その芳香馥郁とした香りも魅力です。

伝統的なバラ。改良を加えられたバラ。それぞれにいいところはありますが、どの花も色合いの深さに言い知れぬ神秘を感じます。

言葉には表現しきれない、かといって写真にも写しきれない微妙な色合いは歯がゆさを誘います。美しさとはそんなものかもしれません。

天候や気温、日の当たり具合、朝、昼、晩、すべての条件によってすべて違います。

去年とはまた違う美しさ。だから、飽きもせず、今年もここを訪れ、今日もまた訪れることになるのです。

睡蓮の 花も際立つ 若葉かな

The color of the young leaves of the water lily that received sunlight is vivid. It makes the water lily flower stand out more. Not only that, it gives me peace of mind too.

睡蓮の若葉が一番きれいな季節です。

立木の葉と違い、丸い葉を水面に広げるだけ広げた伸びやかさは健康そのものです。朝方には転がっていた水粒もすっかり姿を消し、日の光をいっぱいに受けて、日がな一日光合成をして栄養を蓄えます。

思えば人も同じ。美しい花を咲かせ、種を付け、命を繋いでいきます。

今が一番いい季節。これからやってくる夏の酷暑に耐える準備期間です。

命あるものは夏の酷暑を乗り越えてこそ生きる権利を与えられます。静かに静かにその準備をしているのでしょうか。

葉の色を見るだけでも心休まる思いです。

春の海 出船仕度も のんびりと

A small fishing boat is preparing to go out in a small fishing port with a clear sky and a deep blue sea. During that time, the sound of the seabirds’ crying, the sound of the ship’s whistle from far, the sound of the sea wave are coming to me.

晴れ渡った空と紺碧の海。一隻の小さな漁船が出漁の準備をしています。もう他の漁船は出払って一隻も残っていません。防波堤の端に海鳥が留まってその様子を見ているようにも見えます。遠くからは、これまた出遅れた漁船が誘うように警笛を鳴らしながら港を離れて行きます。打ち寄せる波の音と海鳥の鳴き声だけが聞こえてきます。何もかもがのんびりと時の流れを忘れたかのような光景です。

昔なら、ここにおればここだけが世界であったでしょうに。今はそうではありません。移動手段が発達し、情報網が張り巡らされ、それらを利用すれば、世界のあらゆるところに出かけ、あらゆる光景を目にし、あらゆるニュースを知り、驚き、悲しみ、喜び、味わい、一人の人間には対応しきれない生活に対応していかねばなりません。

人間も変わるけれども、自然も変わり続けます。行きつく果ては何でしょう。それを知りこともなく消えていくのもまた一人の人間です。

花狂いも やっと落ち着く 花菖蒲

Various flowers bloom in spring.  Every flower has a distinctive beauty and is fascinating.  However, after looking at many flowers, I have arrived to the traditional flower that has been passed down from ancient times after all.

春は桜から始まって、野にも山にも、家にも道にも、色とりどりの花が咲き乱れます。どの花にもその花だけの美しさがあり、心惹かれます。

特に今は世界が広がり、花も様々な国から取り寄せられ、その美しさに魅了されます。その花から原産地の様々な気候風土を知り、国情を知ることもできます。

しかし、やはり心落ち着くのは昔から受け継がれてきた伝統的な花です。花菖蒲もそうです。昔から歌に詠まれ、絵に書かれてきた、その訳が分かるような気がします。

花に限らず、生活万般にわたって受け継がれてきた伝統がそうであるように、DNAに刷り込まれているのです。新しいものを求め、珍しいものを求めるのも本能であり、これが時代を変え、感覚・感性を変えていくのも事実ですが、そんな時、安らぎを与え、また新たなる挑戦に立ち向かわせる活力の源泉もここにあるような気がします。

今日は花菖蒲を見て、心安らぎました。

オフィスの ビルと甍争う 薔薇の花

Nakanoshima Park is right in the middle of the office district in Osaka.  The rose of the park is full of flowers now.  During the daytime, many people gather for a rest.

全国のバラ園が賑わっているそうです。ウメ、サクラ、ツツジ、バラとその季節を代表する花がバトンタッチされています。伝統と規模から選ばれたのでしょうが、今ではこれ以外の花々が大規模に植栽され、花リレーもこれからどうなるかわかりません。

今日は大阪のど真ん中、オフィス街を完了する大川に浮かぶ中之島の公園に咲くバラを写しました。

大川は旧淀川と言って、京都から南西にほぼ直線的に流れてきた淀川が大阪市の毛馬で大きく南に蛇行、しばらく南に流れて、天満あたりでまた南西方向に流れるのですが、昔から商都大阪を支える水運の要でした。

天満あたりでこの中ノ島で二股に分かれ、北側は堂島川、南側は土佐堀川と呼び、両岸には全国から集まる米の売買が行われ、大きな蔵が並び立ち、「大阪は天下の台所」になったわけです。その過程で生まれたのが「米相場」で、世界で初めて「相場」という概念が流通過程で誕生しました。

中之島は東西約3キロ、そこから先はまた合流して、今度は安治川と呼びます。

ちなみに京都から直線的に慣れてきた川はそのまま直流するように掘削され、今ではこちらの方を淀川と呼びます。

中之島は夕方ともなれば仕事を終えた多くの人たちが憩い、恋人たちが肩を寄せ合う場にもなっています。

空の青 さらに明るく 松葉菊

Today is literally “Satsuki-bare”, May sunny.  The sun is shining only one small in the deep blue sky.  On the ground, Matsubagiku receive sunlight and are reflecting red light.

月日の経つのは早いもので、あれよあれよと言う間に5月も半ばを過ぎました。

連休に花粉症が高じたのか風邪を引いたのか、体調がすぐれず、いまだに無聊をかこっています。あちらに牡丹が咲き、こちらに菖蒲が咲いていますよと花情報が届きますが、気分がすぐれないようではどうにもなりません。見るものも食べるものも元気があってこそだとつくづく思います。

テレビを見ても子供の痛ましい事故が繰り返されたり、米中の貿易が熾烈化してきたり、令和に入ってからあまりいいニュースも飛び込んできません。

気温だけはすいすい上がり30度を超えるところも増えてきているようです。そういえば我が家の電気炬燵はいまだに使っているのに、ここが気温が低いのか、体調の性で寒く感じるのか、もうすぐ衣替えだというのに、この調子ではまだ炬燵が必要です。