驚嘆と 寂寥綾なす 揚花火

Fireworks festivals are held now in various places in Japan. Fireworks are large flowers blooming in the summer night sky. Every time it is shot up, cheers are coming up. People sympathize with the beauty and fragility.

今日本各地で花火大会が真っ盛りです。どの会場にも大勢の人が押しかけて、夏の夜空に咲く大輪の花のような花火に我を忘れます。

一つ一つの花火の寿命は数十秒。それが連続するから短さを忘れますが、実に儚いものです。美しさと儚さが表裏一体になっているからこそ人は心打たれるのです。日本人の根底に流れる無常観が体現されるのが花火です。

花火の歴史はそれほど古くはありませんし、今のような大掛かりな花火は最近になってからです。

芭蕉にも花火を詠った句はありません。一番弟子の宝井其角に、「一両が 花火間もなき 光かな」の一句がありますが、江戸時代には線香花火程度のものはあったでしょうが、打ち上げ花火のようなものはなかったのでしょう。

芭蕉は17世紀後半に生きた人ですが、18世紀前半に生きた蕪村には、「花火せよ 淀の御茶屋の 夕月夜」ほか2,3の句があり、18世紀後半に生きた一茶になると、「世につれて 花火の玉も 大きいぞ」という句がありますから、このあたりから大玉の花火もあったのかもしれません。

芭蕉やさらの昔の西行や兼好がこんな花火を見たら、どういう句や歌を残したでしょう、と想像するだけでも面白いです。