忍冬(スイカズラ ) 歌とダブって 悲しいよ

A golden honeysuckle is blooming as I am walking along the mountain path. I immediately remembered the song “Suikazura”.  This song that sang women’s loneliness and sadness is strongly connected with the image of flowers in my mind.

山道を歩いていると白い花と黄色い花が混ざったスイカズラが咲いていました。スイカズラの名の由来は「吸い葛」で、花を口にくわえると甘い蜜が出てきます。砂糖がなかった日本では甘味料にも使われたくらいですからかなり甘いわけです。

常緑の蔓性植物で、この常緑であることから「忍冬」(ニンドウ)の当て字ができました。忍冬は薬草としても昔からよく利用され、抗菌作用や解熱作用があり、忍冬茶としても利用されています。

また、花が春は白、そして夏になると黄色になることから「金銀花」とも呼ばれています。

「忍冬」は文字のイメージから、愛に耐え忍ぶ古風な女性になぞらえられ、歌にもなっていて、角川博や麻生詩織も歌っていますが、1985年に放映された連続ドラマ「しのぶ」の主題歌を歌った因幡晃の『忍冬(スイカズラ)』がよく知られていて今でも歌う人がいます。

 

波音は 浜撫子の 子守唄

The summer sun is shining mercilessly. In such situations Hamanadeshiko are blooming in the sand pool beside the beach rocky. The voices of people bathing in the sea can be heard from a distance, but the sounds of the waves are in the rhythm. They sound like a lullaby for Hamanadeshiko.

夏の太陽が容赦なく照り付ける中、浜辺の岩陰の砂溜まりにハマナデシコが平気に咲いています。遠くからは海水浴の人たちの声が聞こえてきますが、打ち寄せる波音だけが聞こえます。まるでハマナデシコの昼寝を助ける子守唄のようです。

ナデシコは世界に300種ほどあり、日本固有のものには普通に見かけるカワラナデシコやこのハマナデシコ、他にシナノナデシコ、ヒメハマナデシコなどがあります。

日本の女子サッカーチームがナデシコジャパンと名付けられたように、ナデシコはしばしば子供や女性にたとえられます。古くは枕草子や源氏物語にも登場し、源氏物語の『常夏』もナデシコです。

その可憐さから世界中で愛され、カーネーションの原種もナデシコです。特に日本では江戸時代には広く庶民の生活の中にも浸透し、様々な品種が生まれました。ナデシコと言えば必ずJapaneseと頭に付くくらい日本固有のものと思われているくらいです。

 

浦上の 堂にこだます 蝉の声

On August 9, 1945 at 11:02 am, the atomic bomb exploded over Nagasaki. And more than 70,000 precious lives have disappeared. Since then, the number has continued to increase, reaching over 180,000. Never forget the tragedy of Hiroshima and Nagasaki. Call on the world not to repeat this tragedy again.

1945年8月9日午前11時2分、長崎上空で人類史上2発目の原子爆弾がさく裂しました。死者数7万人余、その後も原爆による死者数は増え続け、今では18万人余に達しています。ヒロシマとナガサキの悲劇を忘れず、二度とこの惨劇を繰り返さないよう世界に訴え続けるのが私たちの義務だと思います。

沖縄の 海に捧げむ 鎮魂花

August is the most important month in a year for Japan. 6th is the Hiroshima atomic bomb day. 9th is the Nagasaki atomic bomb day. 15th is the end of the war. The number of Japanese victims of World War II is about 3 million and about 4 percent of the total population. Accidentally, the 12th to 15th also is a celebration day to face the dead that is the traditional Bon Festival in Japn.

8月は歴史的にも1年の中で最も重要な月です。6日の広島原爆の日、9日の長崎原爆の日そして15日の終戦記念日。まことに痛ましい記念日です。

今次大戦における日本人の犠牲者数はおよそ300万人。大戦前の総人口がおよそ7000万人でしたから、その割合は4.3%に当たります。その内、広島原爆による犠牲者は少なくとも14万人、長崎原爆による犠牲者は少なくとも7万人、沖縄地上戦における犠牲者数は少なくとも20万人と言われています。ちなみに東京空襲における犠牲者数は少なくとも9万人と言われています。沖縄地上戦の犠牲者数がいかに多いかが分かるわけです。

今、辺野古湾埋め立て問題で沖縄と政府が対立していますが、ますます深刻化する国際状況の中で沖縄の基地問題は複雑です。しかし、少なくとももっともっと沖縄の人達の言うことに耳を傾け、少しでも負担軽減と沖縄発展に力添えをすることは日本人全体の義務だと思います。

一方、8月は、青森のねぶた祭、秋田の竿灯まつり、岐阜県の郡上踊り、徳島の阿波踊り、高知のよさこい祭りをはじめ、花火大会は目白押し。そして中心にあるのが盂蘭盆。終戦記念日と盂蘭盆の終日が15日というのも、なんとも不思議な縁がします。

お盆まで 咲いておくれよ ハケオモト

The official name of this flower is Haemansus. In Japanese name, it is called red eyebrow brush omoto. It is called because it resembles the brush used by geisha to make eyebrows. It is very similar to Higanbana, the cluster amaryllis, that blooms in autumn.

正式名はハエマンサス。アフリカ原産で冬生育型をアルビフロムス、夏生育型をムルティフロルスと言います。

写真はムルティフロルスで日本のヒガンバナに似ていますが、それもそのはずどちらもヒガンバナ科の花です。現地では「血の花」と呼ばれていますが、日本ではセンコウハナビ(線香花火)とも呼ばれます。線香花火は下に花火を散らしますが、これはどちらかと言えば打ち上げ花火型でちょっとちぐはぐです。アメリカではアメリカンフットボールとも呼ばれるそうで丸い球形からそう呼ぶのでしょう。

日本ではもう一つ別名があって、アカマユハケオモト(赤眉刷毛万年青)といい、白い花が咲くアルビフロムスの和名がマユハケオモト(眉刷毛万年青)で、芸子が眉を整える刷毛によく似ていることから付いた名で、その赤いバージョンが写真のアカマユハケオモト(赤眉刷毛万年青)というわけです。頭がこんがらがえっちゃいますね。

普通は園芸種でこうして野生で見かけることは珍しいですが、初めから野生であったわけではなく、誰かが捨てたか植えて花を咲かせたんでしょうね。最近は国際化も進んだせいか、こうして園芸種とかペットとして持ち込まれたものが野生化するということがよくあります。良いのか悪いのか、難しい問題です。

ヒロシマの 御霊安かれ 白ダリア

On August 6, 1945, 8:15 am, the first atomic bomb was dropped in Hiroshima for the first time in history. By the end of the year, there were approximately 140,000 deaths. From this estimate, it is estimated that approximately 100,000 people died in an instant. We must never forget this day when the most stupid act took place in the human history.

1945年8月6日午前8時15分、人類史上初めての原子爆弾が広島に投下され、同年末までの犠牲者が14万人と推定されていますから、その半数としても少なくとも7万人は瞬時に亡くなったと推定されます。

日本の敗戦が確実視され、その敗戦処理を巡って国際社会が動く中、原爆投下の意味がいまだに問われています。

1922年に誕生したソビエト社会主義連邦共和国を中心とした共産主義国家の台頭と、アメリカを中心とした資本主義国家の戦後世界の力関係が反映したという意見もあれば、当時のアメリカ大統領トルーマンの個人的な資質に原因を求めるものなど、国家から個人まで様々な要因が絡んでの原爆投下ではありましたが、たった一個の兵器でこれほどまでの殺戮が行われた事実は厳然として残ります。

戦後74年、いまだに戦争は絶えませんが、原爆のような大量殺戮兵器が使われていないのはこの広島の惨禍が人類の脳裏に焼き付いているからに他ありません。しかし、この記憶もだんだん色褪せ、またいつ何時この原爆が使われないとも限りません。

広島の時は、世界でたった2発の原爆があっただけですが、いまは世界に何万発もの原爆が保有されています。

一人一人がヒロシマの記憶を忘れず、原爆の恐ろしさを世界に伝えていくことは大切です。

トラバース 怖さも忘れ 岩桔梗

One of the great pleasures of climbing is the appreciation of alpine plants. A sense of relief when encountering flowers blooming between rocks as it traverses a rocky area in fear, also drives mountain climbing again.

夏山の楽しさは、難行苦行の末頂に立った時の爽快感、達成感が何といっても一番です。途中では、もう二度と来るまい思うことが何度あるか。そんなことも忘れ、360度の景観に酔い痴れます。

そしてもう一つの楽しみは下界では見られない高山植物の花々です。途中、苦しかったり、恐怖に慄いて一歩の足を踏み出せないとき、ひょっと岩間の隙間に小さな花を見つけたら、苦しみも恐怖もありません。どうして写真を撮ろうか、考えることはそればかり。満足の1枚がとれたら至福の一瞬です。

言ってみれば夏の山歩きは高山植物が先導役です。花を追い、花のたもとで昼寝をし、山小屋で一日撮った花を見返し、そして眠りに就く。毎日毎日そうしていると、山を下りることができなくなります。いつも山を下りる時は、さあ下りなきゃと一大決心をしなければなりません。

これからお盆過ぎまでは山も登山ラッシュ。行く先々で可憐な花が待ち受けています。

水蜜桃 捥ぐ手に通う 幼き日

The peach hanging on the tree has matured and the sweet smell is drifting all around. When I harvest it, the feeling of the mother’s breasts in my childhood is transmitted from the harvesting hand.

水蜜桃という言葉はあまり聞かれなくなりました。普通に桃という時には白桃を指します。白桃以外には黄桃があり、桃の缶詰と言えばこの黄桃がよく使われますが、缶詰には缶桃という品種があり、黄桃とよく似ていますので、缶詰の多くはこの缶桃です。黄桃も品種改良が進み、今では白桃と並ぶくらいに美味しい品種が出ています。

白桃も黄桃も元は水蜜桃で、水蜜桃が品種改良されたものです。だから、桃全体を水蜜桃とも言いますが、原種の水蜜桃も改良がくわえられ、今水蜜桃と言えば白桃や黄桃とも区別され高級品種に数えられます。

桃はお盆の供物にもされるように夏の果物です。早いものは6月くらいから店頭に並びますが、水蜜桃は夏の真っ盛り、お盆のころのものが最も美味しいそうです。

木なりのままお盆を迎えたら最高ですが、最近の気候変動や、鳥獣害でこれもむつかしくなっています。

ヒグラシに 心もそぞろ 朝勤行

When I hear the clear cries of Higrashi, I can’t concentrate on evrything at all. Even when participating in the morning religious services of Koyasan Temple, It is only its cry that I hear. Hang you!

お寺の朝は早いです。5時からお勤めが始まるお寺が多いですが、観光客の多い高野山では朝6時起床。6時半から朝勤行、お勤めが始まります。参加は自由ですが、宿泊客の多くの人が参加します。30分から1時間、僧侶の読経に合わせ、手を合わせる人、お経を唱える人、心が澄み渡る時間です。

しかし、ぼくには無理です。朝、まだ白み始めるころから鳴き出すヒグラシの鳴き声が耳から離れません。お勤めが始まるころにはその鳴き声も最高潮に達しますから、お経の声も聞こえません。

「心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ」(俗世間から離れ私心を捨てた私のような身であっても、しみじみとした趣は自然と感じられるものだなあ。鴫(しぎ)が飛び立つ沢の夕暮れよ。)と西行が歌ったように、出家の身でもそうなんですから、私みたいな俗世間の権化のような者にはとても無理な話だと自己弁護に走るわけです。

お勤めが終わり、7時半から始まる朝食のころには、ヒグラシに代わってもうクマゼミの大合唱です。

高野山にもぜひ来てください。

驚嘆と 寂寥綾なす 揚花火

Fireworks festivals are held now in various places in Japan. Fireworks are large flowers blooming in the summer night sky. Every time it is shot up, cheers are coming up. People sympathize with the beauty and fragility.

今日本各地で花火大会が真っ盛りです。どの会場にも大勢の人が押しかけて、夏の夜空に咲く大輪の花のような花火に我を忘れます。

一つ一つの花火の寿命は数十秒。それが連続するから短さを忘れますが、実に儚いものです。美しさと儚さが表裏一体になっているからこそ人は心打たれるのです。日本人の根底に流れる無常観が体現されるのが花火です。

花火の歴史はそれほど古くはありませんし、今のような大掛かりな花火は最近になってからです。

芭蕉にも花火を詠った句はありません。一番弟子の宝井其角に、「一両が 花火間もなき 光かな」の一句がありますが、江戸時代には線香花火程度のものはあったでしょうが、打ち上げ花火のようなものはなかったのでしょう。

芭蕉は17世紀後半に生きた人ですが、18世紀前半に生きた蕪村には、「花火せよ 淀の御茶屋の 夕月夜」ほか2,3の句があり、18世紀後半に生きた一茶になると、「世につれて 花火の玉も 大きいぞ」という句がありますから、このあたりから大玉の花火もあったのかもしれません。

芭蕉やさらの昔の西行や兼好がこんな花火を見たら、どういう句や歌を残したでしょう、と想像するだけでも面白いです。