There is a sad legend in Germany derived from “Forget-me-not”. This spreads to the world, becomes a poem, becomes a song, and becomes a movie. Most are all sad things, but this “Foget-me-not” never disappears from our heart.
『勿忘草』と言えば菅原洋一。私たちの世代では=です。一世を風靡しました。口さがない連中は、あの容貌でこんなロマンチックな歌をよくも歌えたものだと、親しみと賞賛を込めて揶揄したものです。
1980年代には、26歳の若さで亡くなった尾崎豊がまた『勿忘草』を熱唱し、多くのファンの心を揺さぶりました。
その後も、NEWS、ピコ、柴崎コウ、ムック、と数え上げたら切りのないほどの歌手がそれぞれの『勿忘草』を歌っています。
それどころか、1935年にはイタリアでは、歌曲「帰れソレント」の作曲で知られているクリスティスが『勿忘草』を作曲し、同名の映画の主題曲にもなりました。最近ではパバロッティも歌っています。
「Forget me not」という『勿忘草』の英語名をご存知の方は多いでしょうが、この花の名前はドイツも、ロシアも、イタリアもどの国でも同じ名前がついています。
もともとは、ドイツの悲しい伝説、「騎士ルドフルが恋人ベルタのためにドナウ河畔に咲く勿忘草を摘もうとして水中に転落、最後の力を振り絞って摘んだ花をルドルフに向け投げ、『私を忘れないで』と言って、水中に消えた」から生まれた名だと言われています。
最後に、さらにさらに昔の1829年生まれのドイツのジプシー作曲家ハインリッヒ・リスナーの『勿忘草』を紹介します。