可愛さが 心に留まる さくらんぼ

There are many fruits but cherries are loved by everyone.  Why?  Reasonable round shape, bright red color and taste and texture when eaten, it must be because it is cute and delicious.

最近、「いちご狩り」とか「さくらんぼ狩り」と言って、ビニルハウスの大掛かりな果樹園が盛況です。

温度や湿度をコントロールでき、果物に最適な環境を人工的に作ることができ、立ったままイチゴらサクランボを取ることができますし、蜂や毛虫の心配ないということで子供たちも安心して楽しめます。特に都会生活者にとっては身近にこういう施設があれば、楽しいですね。

イチゴとサクランボと言えば、可愛い果物の代表ですが、皆さんは「イチゴ派」ですか「サクランボ派」ですか。

子供たちの間では人気を二分するそうですが、サクランボはイチゴほど馴染みが少ないせいか、珍しさもあって若干サクランボに興味を示す子供たちの方が多いそうです。

イチゴは肌も少しざわざわしていますし、大きさもまちまちですが、サクランボは肌もつやつや、ほっぺやくちびるに似ていて可愛さの点ではサクランボ派に軍配を上げたいですが、いかがですか。

お目当に 見つけて嬉し 草苺

I found a wild strawberry in the place I expected.  I felt very happy.  I was involuntarily humming “the song of the wild strawberry” which I sang often when I was a child.

野イチゴにもいろんな種類があります。写真のクサイチゴは最もポピュラーで、ほかに、ニガイチゴ、モミジイチゴ、クマイチゴ等々。

ヘビイチゴも野イチゴの一種です。ヘビイチゴは別名ドクイチゴとも呼ばれますが、別に毒があるわけではなく、食べられますが、美味しくありません。だから、ヘビイチゴといって他のイチゴと区別したのでしょう。

ヘビイチゴ以外はそれぞれ独特な味と風味があってジャムなどにして食べます。

野イチゴと言えば思い出すのは「野いちごの歌」です。フィンラン民謡を原曲にして日本でも広く歌われ、小学校では必ず習ったものです。ソ連の作曲家ショスタコービッチも組曲の中に取り入れ、これが日本の「野いちご」に影響したともいわれています。

今はイチゴも栽培種では品種改良が進み、一口では食べられないほどのかなり大粒のものが売られていますね。

「野いちご」という名にノスタルジアを感じるわけですね。

 

くちなしの 白さに耐えて 歌う人

Pure white flowers are blooming in a hedge along the road. Looking at these white flowers, most people remember their days when they had pure hearts.

道路沿いの生け垣に真っ白いクチナシの花が咲いています。濃い緑の葉がその白さをいっそう際立たせます。

いつだったか、人の寄り合いで、デュエットで「くちなしのうた」を歌っていた一方の男が、突然涙をぽろぽろ落とし始め、それにつられて相方の女性も涙をぽろぽろ。まわりがしーんとなったことを思い出しました。

クチナシの白さを思い起こし、皆それぞれがそれぞれの人生を思い返したに違いありません。どのような人生を送ってきたのか、しかし原点は皆同じ。

今こうしてクチナシの花を見ていても、あのカラオケに集った人たちと同じ思いが沸き起こります。

蜂誘う 花魁姿の フェイジョア

Feijoa is not so common in Japan.  In New Zealand and Australia, it is grown abundantly because it is processed into yogurt and ice cream.  Feijoa tea is especially popular.

フェイジョアは日本ではあまり見かけません。ニュージーランドやオーストラリアではフェイジョアの実をヨーグルトやアイスクリームに加工するため一般家庭でもよく使われています。中でも実を乾燥させて作るフェイジョア・ティーは香りがいいので愛飲されています。

日本には、キーウィフルーツと同時期に持ち込まれましたが、フェイジョアは結実に難点があるため普及しませんでした。

日本の果物にも、りんご、桃、梅、さくらんぼ、栗など、フェイジョアと同じように、自分の花の花粉を雌しべに付けても実がならない実(自家不結実)はたくさんあります。

りんご、桃などは長い年月をかけて実が成り易くなったのですが、フェイジョアは外来種で歴史が浅く、キーウィフルーツほどの人気が無かったので、普及しなかったのでしょうね。

自分の花の花粉を雌しべに付けても実がならない植物は、同じ品種のものをもう一本植えることで実がなります。その花粉を運ぶのが蜂や鳥です。その鉢や鳥の目を引く為にこうした植物は目立つ花を咲かせ、香りをつけるんですね。

人間もどこか似ていませんか。

夏陽射し 疎水も涼し 杜若

The sun is particularly strong on sunny days before the rainy season. On such a day, Kakitsubata are opening the flowers in the water channel. I feel cool just looking at this scene.

梅雨前の晴れ間の日差しは特に強く感じます。先だっての連日30度を超すようなことはなくなりましたが、日差しは完全に夏です。街中を流れる疎水にカキツバタが一群れ涼し気に咲いていました。汗をかきながら通り過ぎて行く人もひと時の清涼を感じているに違いありません。

カキツバタと言えば思い出すのは伊勢物語ですが、業平が見たカキツバタはもっと紫が濃く、花の先が尖っていたものです。

「何れ菖蒲か杜若」と言われるように、ショウブ、ハナショウブ、アヤメ、カキツバタ、どれもよく似ていて、よほど関心を持っていない限り見分けが着きません。カキツバタはそんな中でも比較的見分けが着きやすいのは、こうして水辺に咲くからです。

カキツバタも今では何種類もあって、写真のカキツバタは「ヒオウギアヤメ」という名のカキツバタです。最後に「アヤメ」が付くから、また混乱します。アヤメは大概乾燥した土地に咲きますから、カキツバタではありません。

さほど暑くもなく、凌ぎやすい天気が続いていますが、来週あたりから各地で梅雨入りということになるでしょう。鬱陶しいと感じる向きもあるでしょうが、これこそ日本を特徴づけるもので、自然にも心情にも「湿潤で潤い」をもたらします。

濡れそぼり ガラス細工の サンカヨウ

Sankayou is a strange flower.  It is usually a white and cute flower, but it changes to transparent if it is struck for a long time by rain.  It looks like a flower made of glass.

不思議な花です。中部以北の寒冷地に咲く花ですが、鳥取の大山でも見かけましたし、神戸の六甲高山植物園でも見ることができます。

ちょうど梅雨時分に咲く花で、普段は白い可愛らしい花ですが、長雨が続くと段々と透明に変わります。最後にはガラス細工の花のようになります。漢字で書くと山荷葉と書きますが、山に咲く蓮という意味で、透明になる意味は含まれていません。

なぜ透明になるかは子細には分かっていないらしいですが、おそらく、光の屈折に関係があると思います。

簡単な例では、擦りガラスに水が着くと透明性が増したり、白いティシャツが濡れると透けて見えるあの原理です。どれも水が付かなければ表面は凸凹があって光が乱反射し白く見えますが、水が付くと表面が滑らかになり、光が素通りするから先が見える。

サンカヨウも同じで、長時間雨に打たれていると、花弁の細胞の間に水がたまり、光を素通りさせてしまうから透明に見えるのです。

それにしても、不思議でミステリアスな花ですね。花の開花期間が短く、しとしと長雨が続かないと透明な花が見えないので、滅多に見られないからますますミステリアスな花というわけです。

白薔薇の 花芯は深く 艶めきて

It is a white rose when you look at it from a little distance, but the flower core has a cream color.  It has a mysterious charm that can draw your heart. It looks like a gentle mother and lover.

遠くから見ると白いバラですが、近づくと淡いクリーム色をしたバラです。花芯に迫るほどその色を深くし、吸い込まれるような錯覚にとらわれます。

春最後のバラがさく公園でいちばん目に留まったのがこのバラでした。

「艶めく」とは現代語では、艶っぽいとか色気があるとかのニュアンスでとらえられますが、古語では、現代語のような意味もありますが、「みずみずしくて美しい。清らかであるとか、「上品である。優雅である。情緒がある。」というような意味合いが強く、「その里にいと艶めいたる女はらから住みけり(その里にとてもみずみずしくて美しい姉妹が住んでいた)」―伊勢物語―のように使われています。

見る人の思いはまちまちで、世代により、境遇により、思いは違い、巡らす想像も違うでしょうし、どちらの意味でとらえられても、どちらも真であるからこそ面白いのです。

それにしても艶めかしいバラには違いありません。

伸びやかに 日傘を差して アカンサス

Acanthus is a plant with human height.  A lot of flowers bloom from the bottom to the top of a straight columnar stem.  Every flower is covered with a calyx like a parasol and protects the flowers from hot sunlight.

紫陽花の咲き具合を見に近所の公園に行きました。ここには立派な『アジサイ園』がありますが、紫陽花は小さな小さな蕾を付けているだけで、花らしい花は咲いていません。まだ緑一色です。

『アジサイ園』の外は、まだバラが花盛りで、これでは紫陽花も早いはずです。しばしバラを観賞して、園内を歩くことにしました。

この公園には大きな池があってその後ろには小高い丘があり、周囲2㎞程の遊歩道があります。樹木が生い茂り。高低差もあり、ウォーキングにはもってこいです。陽だまりには、ひょろ長い西洋タンポポやアザミがあちらこちらに咲いています。

その一角にとてつもなく高く咲いていたのがアカンサスです。背丈は1mを超えるほどで、まっすぐ伸びた茎には下から上まで白い花が鈴なりです。どの花にも顎が被さっていて、まるで日傘のようです。

このアカンサス、ギリシャ建築のコリント式柱の屋根を支える部分にあって、ギリシャでは国花になっています。

そういえば、美しいうえにとても力強い感じがします。梅雨はまだですが、晴れた青空にくっきり立つアカンサスは凛々しく、こちらまで背筋を伸ばさずにはおかない気高さがあります。

口ずさみ 勿忘草に 涙雨

There is a sad legend in Germany derived from “Forget-me-not”. This spreads to the world, becomes a poem, becomes a song, and becomes a movie.  Most are all sad things, but this “Foget-me-not” never disappears from our heart.

『勿忘草』と言えば菅原洋一。私たちの世代では=です。一世を風靡しました。口さがない連中は、あの容貌でこんなロマンチックな歌をよくも歌えたものだと、親しみと賞賛を込めて揶揄したものです。

1980年代には、26歳の若さで亡くなった尾崎豊がまた『勿忘草』を熱唱し、多くのファンの心を揺さぶりました。

その後も、NEWS、ピコ、柴崎コウ、ムック、と数え上げたら切りのないほどの歌手がそれぞれの『勿忘草』を歌っています。

それどころか、1935年にはイタリアでは、歌曲「帰れソレント」の作曲で知られているクリスティスが『勿忘草』を作曲し、同名の映画の主題曲にもなりました。最近ではパバロッティも歌っています。

「Forget me not」という『勿忘草』の英語名をご存知の方は多いでしょうが、この花の名前はドイツも、ロシアも、イタリアもどの国でも同じ名前がついています。

もともとは、ドイツの悲しい伝説、「騎士ルドフルが恋人ベルタのためにドナウ河畔に咲く勿忘草を摘もうとして水中に転落、最後の力を振り絞って摘んだ花をルドルフに向け投げ、『私を忘れないで』と言って、水中に消えた」から生まれた名だと言われています。

最後に、さらにさらに昔の1829年生まれのドイツのジプシー作曲家ハインリッヒ・リスナーの『勿忘草』を紹介します。

梅雨空も 晴れて嬉しや 薪能

On June 1st, a traditional Japanese performing arts, Takigi Noh is held at Heian Shrine in Kyoto.  The figures of women dressed in Japanese clothes also stands out.  However, since the rainy season is approaching, We are always worried about the weather.

6月1日は、京都平安神宮で恒例の『薪能』が催されます。初夏を彩る京都の一大イベントです。観世、金剛、大蔵など、日本を代表する能楽一座が能舞いを競います。

この日は梅雨も近いとあって、空模様が気にかかり、まるでこの一年の雲行きを占うかのような心境になります。

お天気が良ければ、勇躍出かけることになるわけですが、夕方6時開演、5時開場ということで、良い席を確保するためには早く並ばねばなりません。

もっと昔はそうでもなかったのですが、今では3時に着いてももう長蛇の列。難行苦行が待ち受けています。

その列の中に、浴衣姿のお嬢さん達、きりりと和服に身を固めたご婦人達が、京日傘に京団扇をかざす姿は一服の絵です。

薪に火が点り、鼓の音が境内に木霊すと開演です。まだ冷たさが残る夜風が心地よく、能役者の透き通る声にしばし時を忘れて夜が更けていきます。